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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
翠の季 春 ―谷に棲むもの―
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翠の季-08.作戦

 セラが用意してくれた紅茶は、どこか穀物のようなコクのある甘い香りがした。


 アルデニアでよく飲まれるお茶は、茶葉を発酵させて作る紅茶が主流だ。

 深みを感じる香りで、風味もまろやかになる。

 これもとても落ち着くものだ。

 いつも飲んでいる茶葉を、試しに発酵させてみるのも良いかもしれない。


 5人分の紅茶が席に置かれた。

 紅茶と共に、ルティナたちには風鈴果のグラセラ、ウィランとジュードにはオルネとグラセラを合わせて盛られた皿だ。

 

 レイランとジュードは、それぞれの許可が出るまでは動かなかったが、こういうことに寛容な人たちなのだろう。特に気にする様子もなく、目で促していた。

 セラのこういう気遣いは完璧だと思う。

 見習いたいところだ。


「これは美味しい。……ちょうど甘い物が欲しいと思っていた」

「この果実もワインの香りが……とても良いです。甘いものはあまり食べませんが、これはとても……クセになりそうです」


 ウィランとジュードも、甘い物は大丈夫だったようだ。

 ジュードはお酒の香りがする方が好みなのかもしれない。

 果実酒を使ったオルネを焼くのも美味しそうだ。


「これはどちらも、ルティナ様が作って下さったものですよ」


 レイランが弾むような声で付け加える。

 最近気づいたが、どうやらレイランはかなりの甘党のようだ。


 2人から向けられた視線には、驚きが入り混じっている。


「ははは、うん、その気持ちは分かるよ。ルティナは甘味だけじゃなくて料理もとても上手なんだ。薬草や魔獣に関する知識と考察も、それはとんでもないものだよ」


 ユアンとレイランは代わる代わる、ガゼルたちの生態について説明を始めた。

 陰陽の概念を含めず、それでも魔獣という存在の特性を分かりやすく伝えていた。

 聞いている2人の表情が目まぐるしく変わるのは、見ていて少し不安になる。


 ここ数日で、もう何度も、父のすごさを再確認し続けている。

 そして、その知識を持っている自分が、どれだけ幸せで、この国で異質なのかも。



「……なんというか。頭が付いていかないのに、理解できるのは何故だろう。頭の中が……痛気持ちいい感覚は初めてだ……」

「クレイステードのことも知りたくなります。もっとロカを理解してやりたい」


 この国の人たちは、魔獣を知るということがなかっただけで、大切にする気持ちは強いのかもしれない。

 そう思うと、今回のヴェリッダについても、心が軽くなった。




「じゃあ、まずはルティナの話を聞きながら考えたいと思うんだけどいいかな?」


 ユアンが立ち上がって、地図を広げた。


「わたしは魔獣の生態から考えただけなので、無理があったら仰ってください。実行可能かどうかについて、わたしには分からないことばかりですので……」

「ウィランはもちろんだが、レイランもジュードも、何かあったら遠慮せず言ってくれ。視野を広く考えたい」


 さながら作戦会議のようだ。

 こんな場に自分がいることを、どこか他人事のように感じてしまう。

 不思議なほど心が落ち着いているのは、そのお陰かもしれない。


「谷にいるヴェリッダは濃い魔素の影響を受けて、強い活性状態になっています。魔素の濃度が落ち着くまでは、異常が確認されてからの日数を考えると、およそ12日程度かかるのではないかと思います。その間、ヴェリッダをあの谷から遠ざけられないかと考えました」



 ルティナが考えたのは、魔素をどうにかするのではなく、ヴェリッダを誘導して移動させるという方法だ。

 魔素は谷を吹き抜ける風に乗って、あの場所を循環している。

 魔素濃度が高い範囲は、岩肌に両側に挟まれた谷と、その上空の狭い範囲だ。

 丘の上は魔素も霊素も安定して、特に問題がなかった。


 西側の丘にあった林は、高い木が適度に密集しており、樹上生活をするヴェリッダでも無理なく留まれる場所だった。

 魔素の濃度も通常と変わらず、林に移動すればヴェリッダの状態も半日ほどで収まるだろう。

 強制的な活性状態から一度抜け出せば、魔素の異常な場所には近付こうとはしないと思う。

 あの場所にヴェリッダを一時的に誘導し、魔素濃度が落ち着いたあとに戻ってもらう。

 ヴェリッダを移動させさえすれば、通行止めも解除できるはずだ。



「それが出来るなら、ヴェリッダも、人も、何の問題もなくなりますが……」

「どう誘導するか……」

「相手は魔獣ですからね」

「ルティナはできると思っているんだろ?」


 ユアンの明るい声は、さも当たり前のようにルティナに向いている。

 この声は、ルティナの心をしっかりと隣で支えてくれる。


「今はちょうど繁殖期です。活性化が強く出ているのは、昼間にも活動しているオスの個体です。これは生物すべてに言えることですが、こういう影響はメスの方が影響を受けにくく、反応が穏やかです。このメスの個体を数頭捕獲し林に移動させ、オスの移動の動機付けにします。繁殖期のオスにとって、これ以上の後押しはないと思います」


 ルティナは4人の反応を見てしまう。

 この捕獲が、ルティナには可能なのかが分からなかった。


「この捕獲が……可能なのかが、わたしには分かりません」

「可能だと思います。ここ数日、夜にあの谷の様子を見ていました。今そう言われて分かるほど、雌雄で行動に差があるように思います」


 レイランはすっと手を挙げて、そう言い切った。

 

「ですが、リズであっても、まったく気づかれずにというのは難しいと思います。こちらに気付いた場合のヴェリッダたちの反応が気になります」

「それに関してですが、香を焚こうと考えていました。範囲が広いので、全体に行き渡るかはわかりませんが、入眠と鎮静効果のある香を焚けば、多少の効果はあると思います。魔獣は知覚が敏感ですから、届けば効果は高いです。匂いで気付かれるという可能性も、ある程度軽減できるのではないでしょうか」


 レイランは、なるほどといった顔で頷く。


「その香だが……魔素の循環に乗せてしまえば良いのではないだろうか……」


 目を伏せていたウィランが口を開く。


「循環に……乗せる、ですか」

「ええ、影響を受けている魔素の流れに合わせて、風で送り込めば……確実にヴェリッダに届くのではないだろうか。風自体もヴェリッダに効果があるのなら、相乗効果もあるかもしれない。その程度なら、僕の魔法で可能です」


 なるほど、と思う。

 魔法を使えないルティナには思いつかない方法だ。

 風の流れに任せて運ぶよりも、確実に、しかもより効果も高くなるはずだ。


「素晴らしいです。仰る通りだと思います」


 ウィランは爽やかに笑う。

 この人の知性は、とても軽やかだ。風の性質と同じ、纏う空気のままだ。


「ただ、これだけだと難しくないか? メスを追わせるとしても、少し弱い」


 ユアンがそう思うなら、きっと正しい。これは彼の経験なのだろう。

 ルティナもこれだけでは難しいと思っていた。


「おそらく、これだけでは無理だとわたしも思います。なので、アウリスの威圧で、林の方へ追えないかと考えていました」

「なるほど、あるな。だが、散り散りになってしまう可能性もある」

「ある程度の数が林に入れば、はぐれた個体も自然と集まってくると思うのですが……」


 今度はジュードが手を挙げる。


「それならば、南側をロカで追わせましょう。丘の反対側からアウリスで追えば、散る方向は林のある北側か南側になるでしょう。ロカは魔獣を追うのに長けている種です。このくらいの範囲なら問題ないと思われます」

「そうだな、ロカなら大丈夫だろう。心配ならあと数人配置してもいい」


 本当に形になってきている。

 この人たちは本当に頼りになる人たちだ。


「あとは、最初に移動させるメスの負担が少ないように、林にヴェリッダの好む食べ物や、ヴェリッダの匂いが付いたものを用意したいです。林には凪の効果のある香を焚いておき、なるべく落ち着いた状態でそこに留まれるようにしておきます。夜のうちに鎮静させ、夜が明ける前にメスの移動、昼間に全体を追うのがよいかと。本来ヴェリッダは夜行性なので、昼間の方がいくらか穏やかです」


 ユアンが全員を見渡し、確認するように瞳を合わせた。

 全員が納得してくれているのがとても心強かった。


「そうだな、夜だとアウリスが少し心配だ。あとはヴェリッダのおおよその数、行動範囲、行動のパターンもある程度把握したい。数の把握は俺がやろう、気配でだいたいわかる」

「逃げる時の傾向や、速度なども確認できるとよいですね。必要であれば足止めの方法も考えます」

「夜の行動範囲やパターンはわたしが確認いたします。巣穴があれば、何か取って来られるかもしれません」

「僕は魔素の循環する経路、詳細な範囲を確認しておくよ。林の香も、逃げないように緩やかにとどまらせる方法を考えよう」



 大枠が決まるまでは、あっという間だった。

 ルティナが考えた曖昧な方法が、どんどんと現実に近付いていく。

 それは不思議な感覚だった。

 自分の中での思考が組み上がるときのようで、それよりもずっと重みを感じた。

 

 全員での話し合いが落ち着くと、それぞれに確認をしながらやり方などを詰めている。

 人と連携をとって何かをするということが、ルティナにはとても難しく感じる。


「みなさんは、本当にすごいですね……」


 ルティナの口から、思わずこぼれた感嘆の声に全員が振り向く。


「いやいや、全部ルティナが考えたことじゃないか」

「わたしは想像をしていただけです。それを現実にできる皆さんに驚いています」


 4人から向けられたのは、少し呆れたような笑顔だった。


「大丈夫だ、上手くいくよ」

「そうだね。あまり失敗する未来は想像できないな」

「準備にどれだけ時間がかかるかですね」

「あとは、我々の実行能力がいかほどのものかでしょうか」


 この人たちは、本当に可能だと思っているのだ。

 自信というよりも経験なのだろうか。


 これだけきっぱりと言い切ってくれると、大丈夫だと思えてくる。


「それは心配しておりませんが、しいて言うなら、雨が降らないことを祈る……くらいでしょうか」


 そこにいる全員が声を上げて笑い、団らん室には明るい声が響いた。




 ルティナが家に着く頃には、橙色になった太陽が、地上近くまで降りてきていた。

 地面を滑るように届く陽の光は、大地を染め上げ、木々の影を大きく伸ばしている。

 この森に帰ってくると、やはり落ち着く。

 こんな時間まで街にいたのは初めてのことだ。


「遅い時間までお付き合いいただき、ありがとうございました。やはり、ルティナ様にご意見をいただくという判断は正しかったと、自分を褒めてやりたいです」


 深い赤茶色の髪は橙に照らされ、燃えるような赤銅色に変わっている。


 自分のことを誇らしげに語るレイランは珍しい。

 その言葉はルティナにとって、とてもくすぐったいものだ。


「いえ、皆さんの経験から来る発想と応用力に、わたしが驚くばかりでした」 


 ユアンの全体をまとめる力と、ウィランの発想は素晴らしかった。

 それをレイランとジュードが実務で支えるという形は、見ていてとても心地良く、安心感があった。


 この人たちに出会ってからは、今までは考えられなかったことばかりが続いている。

 ルティナにとっては刺激が強過ぎる毎日だ。

 それさえも、自然に受け入れられている自分に驚く。


「レイラン様、これをセラ様に渡していただけますか?」


 小さなメモを差し出した。

 団らん室で一通りの話を終えてから、さっと書き留めたものだ。

 帰り際にセラに渡そうと思っていたが、タイミングを逃してしまったのだ。


「これは?」

「オルネの簡単なレシピです。セラ様なら、きっと上手に作って下さると思いますよ」


 レイランは嬉しそうに、丁寧に懐へしまう。

 よほどオルネを気に入ってくれたらしい。


「ありがとうございます。セラも喜ぶと思います」




 帰っていくレイランの背中を見送っていると、フェンが後ろから頭を寄せてきた。

 フェンも今日は疲れただろう。

 知らない人を覚え、新たな友達も増えた。

 フェンの周りの環境も、ここ数日で目まぐるしい変化だ。


 フェンはこの変化を、どう感じているだろう。

 無理をさせていないか、負担になっていないか、ときどき心配してしまう。


 この気持ちが分かったのか、全力で甘えてくるフェンはとても可愛い。

 ふわふわの毛に顔をうずめて、しばらく目を閉じる。

 フェンの匂いと感触は、どんなときでもほっとさせ、癒してくれる。

 身体の力が抜けると、自分が疲れていることに、ようやく気付く。


 今日は早めに休んで、お香の調合は明日の朝にしよう。


 今はもう少しだけ、このふわふわに埋もれていたい。

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