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精霊の往く先  作者: 流留架
翠の季 春
19/22

翠の季-03.捉える

 庭には風がなく、少し強い陽射しが地面に落ちる。

 その音のない庭に、アウリスが放つ存在感はすごい。

 

 このアウリス、アンバーガゼルがガゼルの王と呼ばれるのは、立派な体躯や華やかな毛色からだと思っていた。

 今なら分かる、この目に見えない堂々たる陽の空気が、ガゼルの王だと呼ばれる所以なのだ。


 ユアンは、直感や感覚を信じている。

 あまり外れたことがないからだ。

 ルティナに会って、話をし、今まで“そう”だと感じたものに理由が生まれた。

 陰陽の概念を知って、世界の見え方に奥行きが出た。

 

 一昨日の夜、レイランの話を聞いたときは、単純な興味だった。

 昨日の話で、価値観がひっくり返り、自分を改めて理解した。

 一年以上、原因すら分からなかった身体の不調が、あっさりと解明された。

 それも、納得するしかない内容で、疑いなど微塵も持たなかった。


 そして、今。

 ほぼ何も感じなかった右腕の感覚は、嘘のように戻ってきた。

 自分の身体だ、これから回復するというのは、言われるまでもなく分かる。


 ルティナは、どこまでも深い知識と思考、繊細な技術を持っている。

 そして、それを持つにふさわしい強さと、あまりに美しい弱さも感じた。



「ルティナの方は、身体はもう大丈夫なのか?」


 隣でアウリスたちの様子を眺める彼女は、まだ顔色が白く感じる。

 この腕のために、相当な無理をしたようだ。


「はい、割と戻っております。少し気素の消費が激しかっただけです」


 そう言って笑うルティナは、嘘は言っていないように思う。

 できないことをする人だとも、自分を犠牲にする人だとも思わない。

 何かのために、あたりまえに、できることをしているだけなのだろう。

 その姿に、少し痛みを感じてしまうのは、自分と重なる部分があるからだろうか。



「少し、聞いてもいいかな?」


 ルティナはほんの少し首を傾け頷く。


「俺は幼い頃から、人の声とか物音が、やけに近くに感じているらしい。それが、なんというか、実際に音ではないもの、すごく遠くの視線……とかも。そんなこともある……かな?」

「ありますね、わたしも同じような感覚があります。わたしとユアン様は、持っている霊核の質が対極ですから、感じ方や起こっていることは違いますが、結果は同じになっていると思います」


 起こっていることは真逆だが、結果は同じ。

 謎かけのような答えに、頭を捻る。が、まったく分からない。


 助けを求めて視線を送ると、ルティナは小さく笑う。


「わたしの場合は、自分の中に流れ込んでくるような感覚なんです。近くのものほどはっきりと、遠くなるにつれて薄れて感じます。それによって感じるものは、実際の音や匂い、実際には見えるはずがない景色、気配、人の感情。様々で、区切りは曖昧です。それは、陰の性質だからかと思います。自分に引き寄せ、内側に集めてしまう」

「なるほど……俺の場合は、何かが引っかかるような感覚なんだ。逆……自分から外に広がって、遠くまで届いてしまう……ということか」

「そうです。でも、結果は同じく、遠くのものまで感じてしまう」


 この気配を感じるというのは、便利なこともあるが、実際とても煩わしいものだ。

 人の感情が分かってしまうのも、そういうことかもしれない。


「あと、これは少し曖昧な表現になってしまうのですが……わたしは視ること、触れることに強く感覚があると申し上げましたが、これは実際の五感の枠を超えます」

「というのは?」

「身体能力という意味でも、多少それはあります。目で捉える情報の量が多く、触れた際の質感や温度などにも敏感です。でもそれは人間の能力の範囲内のもの。隠れている場所が透けて見えるなどのことはありません」


 ユアンは目を閉じて、耳を傾ける。

 

「ですが、実際は隠れている場所に何があるのか視える感覚なのです。それは、気配として感じたものを自分の中で視覚に置き換えている……といいますか。遠くの誰かの感情や何かの気配が、自分に刺さるような気がしたり……自分が捉えやすい形で受け取っている……伝わりますか?」

「ああ、なんとなく……」


 その感覚はとてもよく分かる。

 だが説明しようとすると、言葉がなかなかうまく繋がらない。


「なので、ユアン様の場合、実際に耳も良いのだと思いますが、聞こえているもの以上に、気配や感覚としてとらえたものを、聴覚に置き換えて感じているのかもしれません」

「なるほど! とてもしっくりくる」

「これは父とわたしが思っていることなのですが……人の五感は一点に集約されて、捉えやすく分配されているのではないかと。人の使う言葉には、五感を跨る表現があります。甘い香り、柔らかい光、鮮やかな音、など」

「……なるほど、甘いは味覚、香りは嗅覚。実際は甘さを感じている訳ではないが、香りで甘いと認識しているということか」


 嬉しそうに頷くルティナは、とても生き生きしている。

 こういう分析が、彼女のとても好むものなのだと思う。


「はい、実際その香りのものを食べた経験によって、甘いということを知っているだけ……とも言えますが、それを知らない人にもだいたい伝わると考えると……五感の集約と分配は、実際にあるのではないかと思っています」


 不思議だ。

 自分の感じていたものが、綺麗に組み上がって収まっていく。

 頭の中で感覚が噛み合って、整っていくのが心地いい。


「ああ、面白い。そしてとても分かりやすい。俺は人の感情の動きを、空気の揺れのように感じるんだ。軽かったり重かったり、その感情の中身にもよると思うが、それを全身で受け取っているというか……」

「わたしにはあまり分からない感覚ですが、父はよく、音は空気の振動のようなものだと言っていました。ユアン様は音の振動も捉えているかもしれませんね。……わたしの場合は、身体に刺さるように感じたり……。あとは目の前の人だと、色として視えたりしますね」


 頭の中がすっきりとして、なんとも気持ちがいい。

 今までふんわり捉えていたものが明確になるだけで、こんなにも世界がよく見える。


「ルティナは本当に言葉にするのが上手いな」

「ユアン様は感覚として捉えるのがとても上手だと思います」

「だが、正直この広すぎる感覚は、とても煩わしいとも思っている……」

「わかります。気素の扱い覚えると、ある程度はそれを制御できるようになりますから」

「それは、早く身に付けたいものだ」


 ユアンは森の音に耳を澄ます。

 この森の中にいる、小さな生き物の動きも微かに感じられる。

 実際にどのくらいの範囲を感知しているのだろう。

 今までは煩わしさしかなかったものが、急にとても面白いものに感じられる。


「ユアン様はもともと感覚が鋭い方ですので、視えるようになるのも早いかもしれません」

「視えるようになるのか?」

「精度の差はありますが、可能だと思います。父も、見えていましたから」

「そうなのか……」


 とても興味がある。

 その霊素、気素というものがどんな色で、どう見えるのか。

 人にとって、五感の中でも視覚による情報はとても多いものだ。

 視えなくても疑っている訳ではないが、視てみたい。


「今でも可能だと思いますよ? わたしが少しお手伝いすれば……」

「……ルティナには負担はないか?」


 顔色は良くなったとはいえ、一度倒れているのだ。

 無理は絶対にさせたくない。


「そのくらいでしたら、まったく負担などありませんよ? 気素の巡る感覚を掴むのにも良いかもしれません」

「それなら……視てみたい。頼めるか?」

「もちろんです。ただ、これが難しいところなのですが、人によって少し感覚に差があるのです。わたしは視ることを意識するとき、額の中央あたりに集中します。父は目の奥、目と後頭部の真ん中あたりを意識すると言っていました。これは自分で見つけ、探すしかありません。感覚を研いで、素直に従う」

「分かった」


 立ち上がったルティナは、自分の前に向かい合うように立つ。

 ユアンの右手に左手を乗せ、左手を右手で受けるようにそれぞれ重ねる。


「イメージは、右手で受け取り、左手で送る。わたしが合わせますので、深く呼吸をしてください。目を閉じ、自分の中に潜るように……」



 ルティナの声が、身体の深くに吸い込まれるように染みる。

 この感覚は、調律のときにも感じた。

 自分の気素を感じるのは難しいが、ルティナの気素は捉えやすいのだ。


 青白く光る粒が浮かぶ。

 少しひんやりした、ほのかな光を含んだ帯が、ゆっくりと流れる。


 その流れを追っていく。

 これが、ルティナの言う川なのだとするなら、そこに自分の気素もあるのだろう。


 首から顎、耳へ進み、右のこめかみの辺りで少し強く感じる。

 そのまま進み、左のこめかみでも同じ感覚があった。


「わかる、多分これだ」


 両側のそこに意識を集中して、光を集める。


「光が集まったら、目を開けて、アウリスを視てみて下さい」


 青白い光の帯が、自分の左手から出ていくのを感じてから、ゆっくりと目を開ける。


 陽射しが目の奥に刺さる。

 目を細めて慣らしてから、改めて見る世界は、さっきよりも明るい気がした。


 ――。


 アウリスはうっすらと淡く、太陽の色を纏っていた。

 目を閉じて眠っているアウリスの角は、全体よりも強い光に包まれている。


 目を凝らし、“見よう”と意識した瞬間――

 捉えた輪郭がすっと消えて、もとの景色に戻ってきた。


「あ……」


 口からこぼれた情けない声で、余韻すら消してしまった。

 集中が一気に崩れ、腹の底から大きなため息が出る。


 ユアンは座ったままうなだれ、手が地面に届きそうだ。


「視えましたか?」


 うなだれるユアンを見て、ルティナは微笑んだまま言う。


「ああ、視えた。が、一瞬だったよ。見ようとした瞬間消えた」


 掴みかけたものを失った気がするのは、贅沢だろうか。

 それほどアウリスは美しかった。

 

 ルティナは静かに、ユアンの隣に座り直した。


「それは見ようとしたからですね。視覚で見ているようで、捉えているのは別の感覚です。そのものを見るというより、感覚で存在を捉える……といった感じでしょうか。でも初めてなのに素晴らしいです」

「できるようになる日が遠く感じたよ。ルティナがどれだけ時間をかけたのか、想像もできない」

「ユアン様はわたしよりずっと早いと思います。わたしはすぐ考えようとしますから……これは感覚に沈むことの方が重要なんです」


 感覚に沈む。

 ルティナの感覚で沈む、なら、もっと広く感じようとするということかもしれない。


「あと、存在するを捉えることと、ないことを捉えることも同じです」

「ないことを、捉える……?」

「これはどちらの方がより感じやすいかでいいと思います。……黒い紙の上に白い丸があると思うか、黒い紙に何もない部分があると思うか……と言えば伝わりますか……?」


 ルティナのものの捉え方には、本当に円い。

 どうすればそんなに、多方向から同じものを捉えることができるのか。


「ルティナの頭の中を見てみたいよ」

「わたしは、ユアン様の感覚を体感してみたいです」


 空を見上げる横顔が、とても嬉しそうなのに共感した。

 ユアンも同じだ。


 この感覚を同じように感じる人がいて、その話をできることがどれだけ救いで、楽しいことなのか。


「無いものねだりですね。わたしたちは存在が極端なので、どうしても感覚が偏るのです。でも、持っている霊核は極端でも、人としては陰陽どちらも持っている。わたしは陽の感覚を理解するほどに、陰の感覚が深まっていきました。それが深まるほど、思うように制御し、扱えるようになりました」

「“陰と陽は共に在り、互いの中に、互いがある”」


 ルティナの言葉が頭に浮かぶ。

 この一節は、とても印象深かったのだ。


「そうです。片方だけ捉えようとするよりも、違いを捉える方が分かりやすいことも多いです」

「うん、それはとてもよく分かる。身体の中の自分の気素は捉えられないのに、ルティナの気素ははっきりとわかるんだ」


 小さく、うんうん、と首を動かす。


「感じ方や捉え方は個人差が多いので、必ずしもわたしと同じである必要はありません。これも解釈です。ユアン様の感覚として、ユアン様の解釈を少しずつ深めていきましょう」


 空気は静かなのに、ルティナの笑顔は弾むように見えた。


 儚い少女のようで、100年生きる精霊のようで、芯のある強い女性にも感じる。


 不思議な人だ。

 今まで会ったことがないタイプだ。

 分かりやすいようで、捉えきれない。

 身体は小さいのに、その奥は底の見えない深さを感じる。


 突然、とても恥ずかしそうに焦り始める。

 顔を赤くして、何かを弁解するように話し始めた。


「あ、でも、ユアン様もお忙しいでしょうし、そんなにゆっくりはできませんね。王都にお戻りになる時期もあると思いますし、調律の予後だけは確認させていただきたいですが……」

「でも、このままだと再発しちゃうかもしれないだろ? そんな状態で帰るのは無理じゃない?」

「それは……そうですが……」

「いいじゃないか、のんびりやろう。下手したら10年とかかかっちゃうかもね」

「さすがに……いえ、あり得る場合も……」

「ええ?! 冗談だったんだけど?」

「わたしが制御できるようになったのは12歳のときですから……」

「……」

「がんばりましょうね」


 弾けるように笑う彼女は、とても楽しそうだ。


 この子が何を抱えているのか、正直まだ想像も付かない。

 でも、少なくとも命を救ってもらい、世界を変えてもらったのは事実だ。

 できる限りこの恩に報いたい、この人を守りたいと思う。


 屈託なく笑う姿が、今は何よりも嬉しいと思った。



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