翠の季-06.ヴェリッダ
「実は、リシア北西の道で問題が起き、5日ほど前から通れなくなっています」
レイランは簡単な周辺の地図を出し、場所を示した。
リシアの北西に続く道は、北にある王都へと繋がっている。
リシア付近にある丘陵地帯から谷を抜けると、静かな山道へと繋がる。
緩やかに上る山道をしばらく進み、開けた大地の街道を更に北へ行くと、王都エルディラだ。
馬での道のりだと、およそ一巡ほどかかる。
北西の道は王都との行き来に使われるので、行商人や旅人も多く行き交う。
その道が通行止めになっているのだとすれば、困る人はたくさんいるだろう。
レイランが示した場所は、リシアから近い丘陵地帯を抜ける道だ。
両側を岩場で挟まれ、浅い谷のようになっており、地形の影響で1年を通して風が抜ける。
「毎年、この谷は時期によって強風の注意喚起がされる場所ですが、今年は別の問題が起こっているのです」
「別の問題、ですか……?」
「この付近に生息する魔獣が活発で、人を襲う事はありませんが、頻繁に起こる突風や落石でけが人が出ています」
ルティナは、目の前に置かれた地図を眺める。
丘陵地帯、突風、落石……。
「ヴェリッダ、でしょうか?」
レイランとユアンは顔を見合わせ、ルティナを見た。
「そうです。ヴェリッダが例年になく活発に動き回っています。もとは人に近付くことはなく、姿を見ることも稀な魔獣です。風を扱うので、谷の地形の影響もあり、周辺で頻繁に突風が発生し、落石も起こっている……という状況です」
ヴェリッダは、以前調べたことがある。
岩場や樹上で生活し、飛膜を使って滑空するように移動する草食魔獣だ。
とても警戒心が強く、人に姿を見せることはほとんどない。
飛び上がる際に風を起こし、それを捕まえるように滑空する。
でも、あくまでも移動補助のような風だ。突風を起こすほどではなかったと思う。
「ヴェリッダは夜行性だったと思うのですが……」
レイランは、目を丸くして頷く。
「よくご存じですね……さすがです。夜行性のはずのヴェリッダが、ここ数日は昼間にも活動しており、しかも単独ではなく複数同時に見かけることもあります」
「昼間にも……夜の様子は確認されていますか?」
「ここ数日、様子を確認しておりました。夜は更に数が増え、活発に動き回っています」
ルティナは眉を寄せる。
夜行性の魔獣が昼間に活動し、更に夜もとなれば、ほとんど休んでいないことになる。
明らかに異常な行動だ。
魔素に適性のあるヴェリッダなら、考えられるのは魔素の濃度。
魔素の濃度に影響を受けた、活性状態、あるいは興奮状態に近い。
魔素の濃度上昇なら、今の季節と地形から考えると……
原因は、転化による霊素の揺らぎ。
その揺らぎが、少し強く出てしまったのだろう。
アルデニアでは、この魔素の濃度についてどのくらい理解されているのか。
ルティナは、少し迷っていた。
霊素を扱う力は、とても強い力だ。
自然の中で起こる問題は、よほどの場合でなければだいたい解決できてしまう。
おそらく、谷の霊素の乱れを調整すれば、ヴェリッダの異常行動も明日には収まるだろう。
でも、それは世界の巡りに人が手を加えるということ。
自然は人が手を出さずとも、多少の揺らぎを許容できる余白を持っている。
巡りの中で起こる多少の揺らぎは、世界の呼吸のようなものだ。
その呼吸の中で、自然が自らの力で調えながら永遠に巡っていく。
霊素は本来、人が触れられない領域にあるもの。
霊素を扱い、解決する方法を持っていたとしても、踏み込んではいけない線がある。
この世界には、人の介入など必要ない。
人の判断で霊素に触れるということは、自然の巡りに干渉するということ。
その僅かな干渉で、世界を歪ませることだって大いにあり得る。
霊素を扱うということは、この世界を壊す力を持っているということだ。
でも、それは人の立場からすれば理解しがたいことかもしれない。
「ルティナ、話せる範囲で構わない。もし言えないことならば、そう言ってくれていい。今回のこのヴェリッダの件も、今までであれば原因となる魔獣に対処する方向に進む話だ。取り除くと言ってもいい。だが、この世界を多少なりとも知り、もしかしたら何か原因があるのかもしれないと考えられるようになった」
レイランも、小さく頷く。
「その原因が分かり、違う道があるのならそうしたいと、ユアン様に話しをしたのです。その可能性を考えるには、わたしではまだ足りておりません」
この2人がこういう人だと、まだ分かっていなかったのか。
これだけ理解を示してくれているというのに。
「思い当たることをお話します。……その後、その場所を見に行くことは可能でしょうか?」
「もちろんです、危険のない場所までであれば、ご案内いたします」
ルティナの心は、決まった。
すべてを卓の上に並べ、考える。
これが最善だと、もう知っていたはずだ。
「魔素の濃度と、その影響……については、アルデニアではどのくらい把握しているのでしょう?」
ユアンはぐるっと瞳を動かし、考えながら言葉を選ぶ。
「魔素はどこにでもあり、その場所によって濃度に差がある。濃度が濃い場所に生息する魔獣は気性が荒く、強化された個体が多い。時折できる魔素溜まりはその濃度が非常に高く、その周辺にいる魔獣に大きな変化を与える……といったことだろうか」
だいたい合っている。
というより、霊素という概念がない場合は、この解釈しかし得ないだろう。
魔素の研究は、アルデニアでも盛んなようだ。
「大枠はその通りです。魔素の影響は、その魔獣を活性化し、特性を色濃く発現させるもの。気性が荒く強いという認識は、そういう特性の魔獣が人の脅威になりえるから、そう解釈されたということだと思います」
「特性が色濃く……」
「攻撃性が高い肉食魔獣であれば、その色が濃く。臆病な草食魔獣であれば、より臆病になるということです」
「なるほど、そういうことなのか。だから俺たちには見えにくいのか」
レイランは、書き留めながら聞いてくれている。
「今回のヴェリッダの行動は、この魔素の濃度の影響を受けて活性状態、あるいは興奮状態になっていると思います。ヴェリッダは本来、とても警戒心が強く人前には現れません。今の時期で無ければ、魔素の濃度に変化があっても昼間活動することはなかったでしょう」
「今の時期、というと?」
「春は多くの魔獣の繁殖期にあたります。ヴェリッダはこの時期になると、昼間に活動をし、求愛行動を取ります。その求愛行動に、滑空して飛び回るという行動が多く見られるため、その行動も含めて活性化されている。そして、その滑空に使う風もより強くなり、地形も相まって突風や小さい風の渦を生んでいるのではないかと思います」
2人は唸るように息をつきながら、深く頷く。
「この魔素の濃度変化は、自然現象ですが……その多くは、霊素との補完関係で発生します。通常であればこの現象は、時間経過で自然に収まる自然界の揺らぎです。人にとっては多少不便になりますが、時が経てば解決するものです」
「それは、どのくらいかかるものだか予想できるか?」
「時期や場所、地形などにも影響を受けますのではっきりとは言えませんが、一巡から二巡で元に戻る場合が多いです」
「そうか……」
長くかかれば、それだけ人の移動に制限がかかる。
解決までの日数がかかり過ぎるのは、判断が難しいところだと思う。
「今回は時期が良くありません。繁殖期に重なったことで、ヴェリッダは昼間と夜間、ほとんど休まず活発に活動しています。これは魔素による強制的な過活動状態なので、それが長く続けは、ヴェリッダたちも徐々に弱っていく可能性が高いです……」
ユアンは黙ったままだ。
人のこと、ヴェリッダのこと、この世界のこと。
ルティナよりも考えることが多いだろう。
「今回は、季節の変わり目に起こる霊素の揺らぎに、魔素の補完が起こり、それにヴェリッダの生態が噛み合ってしまった形です。……一度見に行ってもよろしいでしょうか?」
レイランも何か考えを巡らせていたようだが、ルティナの言葉に立ち上がった。
一点を見つめていたユアンも、一度窓の外に目をやり、立ち上がる。
「よし、じゃあ行こう」
リシアを出てほどなく、景色に岩肌が増えてくると、その場所は直ぐだった。
草原の空気とは違う、少し乾いた抜けるような風だ。
フェンの背中から、少しの緊張を感じる。
この岩肌の奥に、活性化しているヴェリッダの気配を感じているのかもしれない。
谷のようになった道の前には、数人の兵士が立ち、通行を望む人たちに説明をしている。
足止めをされている人は、思ったより多いのかもしれない。
谷を抜ける風は抑揚をつけて、強く、緩くと吹き続けていた。
小石が岩肌を弾き、谷の中へと吸い込まれていく。
乾いた音がやけに大きく、道の奥へと響く。
遠目から見ているこの短い間でも、ヴェリッダの影が数回飛び交った。
ヴェリッダは大型犬ほどのサイズで、影には存在感がある。
人を襲う事はなくても、怖さを覚える人はいるだろう。
「この辺りの霊素は谷の上、陽当たりのいい丘の方に寄っています。逆に下の道は霊素が薄く感じます。常に風が強く吹き、谷は影になりやすいからでしょうか」
ルティナはフェンに乗ったまま、丘の方へと向かう。
谷の上、小高い丘には草原が広がり、とても安定している。
丘の反対側、少し奥には高い木が茂る林が見える。
ルティナは目を凝らす。
谷になっている道を吹き抜ける風は、魔素を巻き上げるように吹上げ、そこで循環しているようだ。
これが風に適性を持つヴェリッダに、より強烈に作用するのだろう。
この魔素の濃度からすると、落ち着くまでは一巡半ほどはかかるだろうか。
12日、もしくはそれ以上……ヴェリッダはもつだろうか。
「ユアン!」
丘の向こうから数人、こちらに向かってくる人がいる。
少し色の濃いアッシュガゼルに乗って、青碧の髪の男性が大きく手を振っている。
「ウィラン! なんで!?」
ユアンとレイランも驚いたように、そちらに走っていく。
親しい人なのかもしれない。
もう少し季節が進めば、谷にも霊素が降りていくはずだ。
もし、ヴェリッダを魔素が落ち着くまで、この谷から遠ざけることができれば……
ルティナは丘の反対側、少し背の高い木が集まった林へ向かった。
林の霊素は落ち着いている。
気配を探ってみると、特に大きな気配はない。
フェンも特に反応していないのであれば、危険な魔獣もいないだろう。
林の木を見る限り、この辺りの木が少し密になっているという雰囲気だ。
エンの森のような区切られた生態系でないのなら、その後の影響も少ないかもしれない。
この谷にいるヴェリッダのおよその数を知りたい。
あとは、ヴェリッダの好む食べ物や寝床、夜の行動範囲とパターン。
可能な限り急いで進めたい。
谷から離せば行動は落ち着くはず。しばらくの間そこに留まってくれれば……。
魔素が落ち着けば、帰巣本能で元居た場所に戻ってくれるのではないか。
都合よく考え過ぎだろうか。
「ルティナ!」
走って来るユアンの後ろには、レイランと先ほどの男性、その従者だろうか。
慌てているユアンの様子を見て、自分の行動を思い出す。
考えるのに忙しく、2人に何も言わずに勝手にここまで来てしまった。
「ユアン様、申し訳ありません。……お騒がせ致しましたか?」
「ああ、少し驚いた。頭の中が忙しい時のルティナを甘く見ていた」
からかうような口調に、少し恥ずかしくなる。
頭の中が忙しい……とは、言いえて妙だ。
そして、まったく否定できないのが悔しい。
「お声をかける無礼をお許し下さい。ユアンの旧友、ウィランと申します。こちらは従者のジュードです」
ウィランと名乗った青碧の髪の男性と、ジュードと呼ばれた男性が揃って美しくお辞儀をする。
「お見苦しいところをお目にかけました。ルティナと申します」
ルティナも丁寧にお辞儀を返す。
ウィランはどちらかと言えば線の細い、中性的な雰囲気を持っている。
ジュードはとても落ち着いた、どっしりとした空気の漂う人だ。
「それで、この場所に来て何か気付くことはあった?」
「え、と……」
ルティナは口ごもる。
ウィランとジュードがいる状態で、話をすることに躊躇ってしまう。
その空気を察したのか、レイランが言葉を足してくれた。
「ルティナ様、ウィラン様は、王都で魔素や魔法の研究をされている方です。魔素に関してのお話であれば、ご意見をいただけるかもしれません」
魔素の研究。
ユアンとレイランがここに連れてきた人なのであれば、問題ないのだろう。
それならば……霊素の話はあまり出さずに進めれば良いだろうか。
「そうでしたか、是非ご意見をいただきたいです」
「僕に分かることであれば、ご協力いたします」
とても柔らかい笑顔に、ルティナは少し落ち着いた。
「まず、この谷ですが……谷に吹く風と、ヴェリッダの起こす風によって、濃度が上がった魔素が吹き上げられ、谷の間で循環しています。ヴェリッダは風に適性を持つ魔獣ですから、風と魔素の両方から強烈な活性化が進んでいるように思います」
「風からも影響を受けるのか……」
「魔素に適性を持つ魔獣は、その属性によっても活性化が起こります。ですが、それは生物としての範囲内のもの、魔素から受ける影響のように、異常行動を促すものではありません。相乗効果によって、ヴェリッダにはかなり強い影響になっているんだと思います」
ユアンは小さく頷き、谷の方に目をやる。
視線の先に、滑空するヴェリッダの影が通り過ぎた。
「おそらくですが、この魔素の濃度から考えると、落ち着くまでに一巡半ほどはかかると思います。今の状態のヴェリッダには、少し長すぎるかもしれません……」
「……もたないか」
「全滅とは思いません。が、そこそこの数は……難しいでしょう」
この状況は、自然の揺らぎに、いくつもの偶然が重なったのものだ。
できることなら、ヴェリッダにも傷付いて欲しくない。
「そこで……少し、考えてみました。上手くいけば、この期間をやり過ごせるかもしれませんが……」
「が、なんだ?」
「これは……わたしの傲慢かもしれません。巡りの中で偶然が重なり、備わった本能と特性で、制御が効かなくなっている。これも自然の巡りです、手を出すべきではないようにも思います。それでも、自分自身を傷付けて欲しくないのです」
望んでいるのは、自分だけかもしれない。
ヴェリッダたちは野生の魔獣だ。それを望んでいるのかもわからない。
「確かに、傲慢かもしれない。でも、俺たちだってこの世界の中にいる。自分たちの望みや願いを、巡りの中に置いたっていいと思うんだ。もちろん、やり方は考えるべきだけど、すべてを諦める必要なんてない。この世界と向き合うことが、悪いことだとは思わない」
ユアンの言葉には、迷いなんて微塵もない。
この世界との向き合い方を、しっかりと持っている。
「ルティナ様、わたしもそう思います。少なくとも、この世界は、この程度の人の行動に左右されるようなものではないと思います。そして、許されないなら、何をしても変わらないものではないかとも思います」
レイランもまだ、ルティナともユアンとも違う。
この世界の解釈を、自分の中に落としている。
迷っているのは自分だけかもしれない。
自分も、この世界に立っていたい。
ルティナは顔を上げ、この世界を思った。




