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精霊の往く先  作者: 流留架
翠の季 春
17/22

翠の季-01.調律

 湯船に浸かりながら、今日のことを思い出していた。


 湯気と共に香るヨイナギは、ほのかで優しい。

 

 色々あり過ぎたためか、2人を見送ったあとも心の揺れが収まらなかった。

 地に足が付かないような、心がここにないような、不思議な感覚だ。


 気持ちを落ち着けたくて、今日はゆっくりハーブ湯に浸かることにした。



 こんなに誰かと深く関わることがあると、昨日まで想像もしていなかった。

 あの2人は、ルティナが持つ“人”のイメージとはかけ離れている。


 耳を傾け、理解しようとする。

 こちらを気遣い、尊重し、とても深いところにある思いを汲んでくれる。


 自分の中へ落ちそうになると、そっちじゃないと連れ出そうとする。

 胸の中に湧いてくる暗闇を、それごと掬ってくれる。

 

 ユアンが光を示し、レイランが道を作ってくれる。

 息がしやすい、言葉を繋ぎやすい、歩きやすい。

 

 流れ込んでくる感情は、優しく温かいものばかりだった。


 この心地よさを知ってしまったことに、少し怖さを感じるくらいだ。


 知らなかったときには持ちようもない。

 失う怖さというのを、今日初めて知った。


 父以外の人と、初めて食事をした。

 父以外の人と、初めて霊素の話をした。

 父以外の人に、初めて霊核の姿を見せた。

 そして、初めて誰かに、真名を預けたいと願った。


 人の願いを叶えるのではなく、自分の願いを叶えたいと思った。

 

 誰かの世界に自分が在るのではなく、自分の世界にあの2人がいて欲しい。

 そして、この2人と共に、この世界に在りたいと思った。


 願いを持つことはこんなに温かく、こんなにも怖いものなのか。


 でも、これがとても幸せで、大切なことだというのは、ルティナにも分かった。





 いつもより早く目が覚めて、まだ少し、そわそわしているのを自覚する。

 それが少し恥ずかしく思えて、騒がしくなってきた森のせいにした。


 太陽と共に目覚める森の住人たちは、ルティナよりも早く動き出している。

 今朝は小鳥たちが元気だ。木の実がたくさん集まるかもしれない。


 春の気温は、一気に変わる。

 昨日からぐんと気温が上がったので、少し薄手の重衣(かさね)を出した。


 前を重ねるように合わせて着る重衣は、父の故郷の服が元になっている。

 動きやすいように丈を腰まで短く、袖も筒状にした。


 それに合わせる為に、この国のズボンとスカートを参考にして、父と共に作ったのが截衣きりぬき纏衣まきらおだ。

 ゆったりとしたズボン型の截衣と、腰に巻いて着るスカート型の纏衣。

 ルティナたちの服装は、すべて父の発想と創作から生まれた。



 アマヒトは人よりも長命なこともあり、父の知識は幅広いものだった。 

 もしかしたらこの服も、父の知識の中にあったものかもしれない。



 外に出ると、まだ朝早いはずなのに、もうしっかり陽射しを感じる。


 今日は早めの時間から、ユアンの施術をする予定だ。

 近場の山菜と木の実だけの、軽い採取にしておくことにする。


 手持ち籠だけを手に取ると、フェンがいそいそと寄ってくる。

 朝の採取に出掛けるのは、フェンにとって楽しいことのようだ。



 小鳥の声を追いながら、森の中を歩く。

 まだ温まりきっていない空気からは、土の匂いよりも若葉の青さを感じる。


 木漏れ日が落ちる木の根元に、ふくふくとした丸いカサが身を寄せ合っている。

 コモリ茸だ。

 使い勝手良いきのこだが、このきのこから取れる出汁は絶品だ。

 今日の昼食は、この出汁でスープを作ろうか。


 少し進むと、フェンが何かに気付いたように、どこかに歩いて行く。

 付いて行ってみると、そこには今にも弾けそうなスナップ豆が生えていた。

 瑞々しい黄緑色は眩しいほどだ。

 これは塩ゆでにして、食感も楽しみたい。


 フェンはさやに鼻先を寄せ、青い香りのするそれをひと口だけ齧り、すっと目を離した。

 とりあえず食べてみたが、そんなに好みではない、という感じだろうか。

 無表情で口を動かす横顔が、むしろ可愛い。


 近くには、今の時期には珍しい野生のジルハも見つけた。

 独特の香りがする香草で、乾燥させても、生でも食べられる。

 例年は初夏あたりに見かけるようになるが、今年は季節の進みが早いのかもしれない。

 せっかくなので、これを入れたパンでも焼こうか。


 採薬は気を遣うが、食材採取はただ森を感じられる気楽な散歩だ。

 何を作ろうか考えながら歩く時間は、ただ楽しい。

 そして、それを食べてくれるであろう人の顔が浮かぶのも、とても嬉しいのだ。


 しばらく歩き回り、ナバ菜やフクノ芽などの春の山菜を集めた。

 気温が上がったせいか、一気に芽吹いたようだ。

 遠回りをして帰る途中にリンベリーの群生を見つけ、思わず駆け寄ってしまう。

 フェンと取り合いのようになってしまったが、それでも籠いっぱいに摘めた。

 これで、今年の分のはちみつ漬けは作れそうだ。



 家に戻って食材を片付け、予定まではまだ少し時間がある。

 せっかく新鮮なジルハがあるので、それを混ぜ込んだ平パンを焼くことにした。


 生地を寝かせずに作れる平パンは、かまどがなくても簡単に焼ける。

 麦粉と芋粉、塩、清水、少しの木の実油を加えて捏ねていく。

 硬め生地ならもっちりと、緩めの生地なら軽い仕上がりになる。

 今日はスープに付けながら食べたいので、少し緩めに生地を仕上げた。


 生地を2つに分け、片方に刻んだジルハを混ぜ込んでいく。

 若葉の甘さに、少しの尖った清涼感を含む独特の香りだ。

 好みが分かれるかもしれないが、パンに混ぜて焼けば、ほどよいアクセントになる。

 何も入れないものと2種類作って、好きな方を選んでもらおう。


 野菜の素焼きなどに使う石板を熱し、まずは普通の平パンを、焼き上がったらジルハ入りを焼いていく。

 ジルハ入りの平パンは、焼くときに少し油を塗ると、表面がパリッとして香りも立つ。

 食感と香りの違いも出て、飽きずに食べられるはずだ。



 ジルバの平パンが焼ける香りが火床に流れ出した頃、2人は訪ねてきた。


 ルティナが火床にいるのを見て、手慣れた様子でアウリスの鞍を外すのはレイランだ。

 フェンもすっかりこの2人と2頭を受け入れたようで、自分のペースを崩さない。

 ユアンはフェンに挨拶をしながら、笑顔でじゃれ合っている。

 香りにつられたのか、戸口からそっとこちらを覗き込んでいる。

 手が離せないままお辞儀を返すと、軽く頷いて庭に戻った。




 ようやくパンを焼き上げ、集い間に冷茶を用意したあと、ルティナは庭に出た。

 今日は3頭が集まって挨拶しているようだ。

 リズは鞍が乗ったままになっている。なにか急ぎの用事があるのだろうか。


「お出迎えできず失礼いたしました」

「いえ、お気になさらず。先に色々やっておりました」


 今日も何やら荷物が多い気がするが、見なかったことにしておこう。


「ユアン様、昨夜はよくお眠りになれましたか?」

「ああ、頂いた(こう)のおかげか、とても深く眠れてすっきりしたよ。ありがとう」

「それは良かったです。今日は少し疲労が出ると思いますので、負担を感じたらおっしゃって下さい」


 昨日の帰り際に、眠りを深くするお香を渡した。

 ルティナが調合した、鎮静や安眠など陰の効果があるものだ。


 気配を近く感じてしまうせいで、普段から寝付きは良くないと思う。

 ある程度の制御ができるようになるまでは、使った方が楽かもしれない。



「レイラン様、今日はお急ぎですか?」


 馬たちの飲み水や食べ物をひと通り用意し終えて、レイランは戻ってきた。


「そんなに急ぎではありませんが、昼前に一度街に戻る用がありまして」

「そうなのですね、では先にリズを診てしまいましょうか」

「お願いできると助かります」



 ルティナはリズの元へ向かう。

 リズはもう慣れたのか、レイランが居なくてもじっと待っていてくれる。

 

 脚を視ると、昨日とそれほど変化はなく、安定している。

 一昨日から昨日の変化と比べると、少し穏やかだ。


「昨夜はリズと走ったりはしていませんか?」

「昨日は……少しゆっくりしたくて、帰ってからは出掛けておりません」


 よく考えれば、それはそうだろう。

 あれだけ一気に話をして、頭も心も整理が必要なはずだ。

 今2人が普通に受け入れているのが、むしろすごいことだと思う。


「もしかしたら……夜、少し走らせた方が早く馴染むかもしれません。巡りは安定しておりますので、このままでも問題ないと思いますが、リズは夜に身体の巡りが強くなると考えると……夜にある程度動かした方が、戻りは早くなる気がします」

「なるほど。我々とはリズムが逆ということですね」

「昼にも活動できるように適応していますから、完全に逆とは思いませんが、たまに走らせてあげると元気になると思います」

「わかりました。ありがとうございます」


 リズが顔をレイランに向け、じっと見ている。

 少し喜んでいる気がしたのは、レイランの気持ちが分かったからだろうか。



 落ち着いたところで、2人を集い間に案内した。


 少し離れた位置に、背もたれのない丸椅子を2つ置く。

 これは父がたまに使っていた施術用の椅子だ。

 片側にひじ掛けだけがある形で、回転させればどこにでも向けられる。


 上着と腰の剣を外してもらい、ユアンにはそこに座ってもらった。

 ルティナはユアンの右腕側、斜め向かいに腰を下ろす。


「まずは、腕の状態のご説明から致しますね」

「ああ、頼む」


 少し離れた位置に控えているレイランも、小さく頷いた。



「右腕の肘より少し下に、瘤のように固まった気素の詰まりがあります。ここより下は、巡りが完全に止まっていると思って下さい。そして、その瘤を中心に、押し出されてくる霊素が堰き止められ溜まっており、その範囲が徐々に広がっています。今は肩と首の間くらいまで進んでいます」


 ユアンは自分の腕をじっと見ながら、頷く。


「これは、普通の人だとほぼ起こりません。詰まって巡らなくなることはあっても、この溜まりができるほど人の体内には気素がないからです。霊核を持つ身体だから起こったことです。おそらく、ユアン様は無意識に体内の気素を右腕に集めています」


 ルティナは少し、眉を寄せた。

 

 思ったよりも、濁りが強い。

 詰まりを取り除き、道を繋いでも、この濁った気素は元の流れに戻らない。

 濁った気素は、もう気素ではなく異物だ。

 少しならいずれ消えるだろうが、この濃度と範囲では無理だろう。


「隠さず、教えて欲しい。自分の身体のことだ、今後のためにも知っておきたい」


 ユアンの表情はまったく変わらず、瞳は静かだ。

 大丈夫だ、と、言われた気がした。


「瘤と溜まった気素の状態が、あまりよくありません。普通は、詰まりを取り除き、道を繋げば自然に巡りだします。そして染み出した気素はいずれその巡りに沿っていきます。……ですが、巡らずに溜まり続けた気素は、淀み、濁り始めています。濁った気素は、変質した気素。それを壊素(えそ)と呼びます。壊素は体内の異物です。もう巡りには戻りません」


 背中が冷たくなるのを感じながら、ルティナは気を引き締めた。


「先にお伝えします。これを聞いてからご判断下さい」


 身体が震える。

 声が震えるのを必死に抑える。


「わたしはこの施術を、過去3度行いました。そのうち、最後の1度は失敗しています。その人はその3日後に亡くなりました」


 レイランは表情を変えず、ルティナを見つめている。

 ユアンは目を伏せ、奥歯を噛みしめる。


「わたしの父です」


 言葉にした瞬間に、思い出してしまう。

 あのときの身体の揺れ、目の前の壊素が落ちて、反転する光景。

 そして、父の穏やかな笑顔。


「この症状は、霊核を持つ者しか起こりません。巡りを戻すことだけを行うという選択肢もあります。その場合、完全に元には戻らないと思いますが、日常の生活には問題ないと思います。父の場合は、これが全身にいくつもありました。でも、ユアン様の状態なら、わたしは可能だと思っています」

「構わない。あなたができると思うのなら、俺もそう思う」


 迷いのない、きっぱりとした言葉と声で、ユアンは言った。

 レイランは立場上、止めなければならないはずだ。

 でも、黙ったまま、ユアンの判断を受け入れている。


 ルティナは、背筋が伸びる。


 立ち上がり、レイランの耳元で小さく短く伝える。

 レイランは何か言いたげに顔を歪めたが、受け入れてくれた。


「少し、ユアン様の身体にも負担が大きくなります。ユアン様は気素のコントロールがまだ難しいので、心を落ち着けて、できるだけ呼吸を一定に、心を静かな水面のように整えて下さい」




 目を閉じ、自分を暗い世界に置く。

 

 身体の中、子宮の付近に、青白い光が浮かぶ。

 送り出される光の粒、それが身体を流れる感覚を確かめる。


 青白い霊核の光を、少しずつ膨らませ、美しい球体をイメージする。

 内側はどこまでも深く、外側はしっかりと包むように。


 ユアンの肘に右手を当て、ユアンの呼吸に合わせ、深く吸い、深く吐く。


 呼吸のリズムで、右手から自分の中へ。

 濁った気素を吸い込んでいく。


 青白い光の内側へ、どこまでも深いその中へ。


 溜まった壊素をひと粒ずつ吸い込む。

 瘤を溶かし、詰まりをなくす。

 焦らず、丁寧に、ひと粒も残さぬように。


 壊素を吸い込んだ球体を、少しずつ小さく纏め、安定させる。


 右腕は綺麗に、何もなくなった。


 身体の中心から冷たさを感じる。

 自分の体内の気素が、ごっそりと消えた感覚だ。

 大丈夫。まだ立っていられる。

 これだけ残っていれば、やり切れる。

 

 右の手のひらから、左の指先へ意識を移し、途切れた道を繋いでいく。


 肩から指先へ、指先から肩へ。

 淀みなく流れる、静かな川のように。

 ユアンの気素を導いていく。


 視界が揺れる。

 目がかすんでくる。

 視るのではない。

 感覚をもっと深く、感じるものをそこに映す。


 ユアンの気素は、とても美しい黄金色だ。

 流れも一定で、素直に動き、穏やかに強く輝く。

 彼そのもののようだ。


 道を繋ぎ終えると、嘘のように美しい巡りが始まる。

 取り戻した生命を喜ぶように、細かな粒が飛び交い、舞うように巡る。



 なんて綺麗なんだろう。

 そう思ったのだけは、覚えている。


 遠くで、自分の名が呼ばれるのが、微かに聞こえた――。


 ――意識が消えるように、暗い闇の中に、深く深く落ちていく。

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