序章-16.名送りの後
ようやく、父の名を呼べた。
共に名送りをしてもらったことで、心にひと区切りがついた気がする。
父を知らない2人が、こうして祈ってくれたことに、感謝する。
「ありがとうございました。やっと名を音にできました」
ルティナは笑い、静かに頭を下げた。
森の息を聴く者。
これ以上に、父を表す言葉はないように思う。
魂名はその者の在り方、生きる意味、使命のようなものだとも聞いたことがある。
その名でそう生きるようになるのか、そう在る者にその名が宿るのか。
とても神秘的なものだ。
「父のために祈って下さった感謝と、わたしからの信頼の証として、真名を、預けさせて下さい」
誰かに真名を伝える日が来るとは思わなかった。
この2人に出会えたのは、この上ない幸運だ。
「わたしの真名……、ルナティアーラリア、と申します」
名を音として聞いたのは、3度目だ。
初めて父に伝えられた日、16歳の成人の儀、そして今。
この名を自分の声で聞くのは、とても不思議な感覚だ。
「……ルナティアーラリア」
「美しい名です」
急に、恥ずかしさがこみ上げ、顔が熱くなる。
真名を伝えた途端、とても距離が近くなった気がするのは、秘密を明かしたように感じるからだろうか。
そわそわする気持ちをなんとか落ち着け、顔を上げる。
そこには、微笑ましいものを眺める笑顔が、2つ並んでいた。
午後が深まり、そろそろ次の話に進むことにした。
さきほどまでの内容で、まだ半分ほどしか伝えられていない。
ここからの話の方が、より捉え方が難しいかもしれない。
午前と同じように、集い間で向かい合う。
「先ほどの話は、一般的な人の気素の巡りとして聞いて頂きました。ここからは、ユアン様の身体の話になります」
これをどう伝えるかが、とても難しい部分だ。
ルティナにもなぜなのか、よく分からないからだ。
そして、ルティナ自身のことも話さなければならない。
「人というのは、この世界の生物の中でも、特に中庸にあります。
陰と陽が均等である中庸が、一番安定している状態ということです。
人によってある程度のぶれはありますが、大きく差はありません。
生物はその種特有のバランスを持っています。
アッシュガゼルなら陰に寄り、アンバーガゼルは陽に寄っている。
それは、その種が一番心地よく安定する状態なので、異常ではありません……」
言葉が、詰まってしまう。
これを話すのは、自分が人ではないと明かすようなものだ。
尋ねられれば、答えるだろう。
では、尋ねられなければ伝えないのか。
それは、信頼の証として真名を預けた意味を、自ら消してしまうことではないか。
「あなたが伝えたいことを、俺たちは聞きたい。無理はしないで欲しい。今でなくても、話せる機会はいくらでもある」
ルティナは目を伏せたまま考え、言葉を続ける。
「人は……霊素を体内で作り出すことが出来ないと申し上げました。
それは人だけではありません。
霊素を視たり、感じ取れる種族であっても、それは同じです。
感じることは、本能や種の特性による部分が大きく作用します。
自然に多く触れ、自然の中で生きるものほど、強く感じられるようです。
そして……、感じることができる種族でも、
霊素を意図的に扱うこと、霊素に触れることはできません。
感じることと、触れ扱うことは、まったく異なることなのです。
わたしや父のように、霊素を扱える者は、
体内に霊素を生み出す源泉のようなものを持っています。
それを“霊核”と呼びます。
霊核は、霊素が極まった結晶です。
それは混じり気ない陰か陽でしか存在しません。
父は、陽の霊核を、わたしは陰の霊核をもっています。
これは種族の特性であり、霊核を持つ者しか、霊素を扱うことはできません。
父は、陽の霊核をもつ種族――
精霊族、太陽の民・天日人です」
ひとときの間、誰も口を開かず、沈黙が続く。
ルティナは、この時間が酷く長く感じた。
信じられる話ではないだろう。
人の間では、物語の中で語られるような存在だ。
エルフやドワーフのように、数は少ないが知られている種とは違う。
「……本当に、存在するのか」
ぽつり、とユアンが沈黙を破る。
「神話や伝承は、元になるものがあって語られるもの。居てもおかしくはないです……」
「たしかにそうだ。ずっと驚いているが……今日一番かもしれない」
「わたしもです。少し、感動しています……」
思いもよらない2人の様子に、ルティナの方がどう受け止めたらいいのかわからない。
――じゃあ、どういう反応が返ってくると思っていたのだろう。
よくよく考えれば……彼ららしい。勝手に不安になっていただけだ。
「続けて……よろしいですか?」
「もちろんだ。すまない、少し置いていかれそうになっただけだ」
レイランも、小さく頷いた。
ルティナの心は、今までよりも落ち着いていた。
「この霊核は、精霊族の体内にのみ存在するものだそうです。
父は、アマヒトの中でもかなり強い家系で、霊素の扱いにも長けていました。
わたしの陰の霊核は、その父から見ても、相当に強いものだそうです。
父の数倍。父が知る誰よりも、わたしの霊核は強く、扱うのが難しいものでした。
大きすぎる力のせいで、幼いころのわたしはよく体調を崩していました。
霊素の本質を理解し、それを扱うことは、
理を求め、寄り添うこと。
そして、それを愛し、受け入れ、共に生きること。
それをするためには、心と身体の成長が必要で、時間がかかります。
安定しない霊素の影響で、心が揺れ、感情が揺れ、身体が揺れます。
強すぎる陰の力で、感情が内側に向くせいで、
ひたすらに閉じこもり、父を困らせたりもしました。
視ようとせずとも視え、聞こうとせずとも聞こえ、常に何かの気配を感じる。
人の感情を引き寄せ、流れ込んできてしまうせいで、
自分がわからなくなったりもしました。
霊核は、精霊族の体内にしか存在しないはずのもの。
わたしも今日までそう思っていました。
理由は分かりません。
わたしと同じか、もしくはそれ以上の霊核。
――それが、ユアン様の体内に、確かにあります」
ユアンは、それほど驚いていないように見えた。
ただ、納得をして受け入れているように、とても静かだ。
「俺が最初に、あなたに感じた感覚は、これ、ということか……」
「だと、思います……陰と陽は対極にあるもの。より強く感じるのだと思います」
レイランは視線を落とし、一点を見たままだ。
「霊核は、霊素を送り出します。
それは人の五感をより強く、感覚を鋭く澄ませます。
野生の生物が、音や匂いに敏感なことに近いものだと思います。
強く影響が出る感覚は人によって異なるようです。
わたしは視ることと触れることに強く、
他は普通の人よりも感じやすくはありますが、霊核を持つ者としては並みだと思います。
父は聴くことにとても強く、アマヒトにはその傾向があるそうです。
音を大切にするのはそのせいかもしれません。
霊素は生きる力そのもの。
それを理解し、うまく扱えばとても大きな助けとなります。
ですが……扱いを覚えねば、逆にとても危ういものです。
何事にも言えることですが、すべては度合いとバランスです。
太陽は生物を育てますが、強すぎると逆に枯らすこともあります。
月は落ち着かせ癒しを与えますが、度を超すと生物を止めてしまいます。
わたしやユアン様の中にある霊核は、その中でもとても強いもの。
大きな助けとなる反面、強すぎる力は、自身を傷つけ、蝕む可能性も持っています。
それが出てしまったのが、今のユアン様の状態です。
わたしは幼い頃から、この力を制御することを学んでいます。
制御が効かない力は、自身だけでなく、周りに影響を与えることもあります。
それを知らないまま、しかも人の身で、今まで過ごしてこられたのは……
奇跡に近いことのように、思ってしまいます」
一点を見つめたままだったレイランが、顔を上げる。
「ルティナ様が、人から離れた場所で暮らしているのは、その為だったのですね」
ルティナを見つめたままの瞳には、少しの苦しさが見えた。
「話を聞く限り、特異であるとはいえ、そこまで頑なに隠れる必要がないように思っていました。わたしからでは、ルティナ様がそうだとは分からないからです。霊素を感じられないわたしは、ルティナ様は自分と同じ人だとしか思えません」
レイランは自分の感じたまま、それを伝えてくれている。
それがどれほど救いになるか、分かってくれているだろうか。
「……ありがとうございます」
ルティナは立ち上がり、少し椅子から離れたところに移る。
ほんの少しだけ、体内の巡りを強くした。
――2人が息をのむ。
ルティナの身体に、霊核の姿が映された。
頭の上には、白銀に輝く狼の耳。
ほのかに光を帯び、うっすらと浮かぶ瞳。
腰から足元へ落ちる、やわらかく揺れる尾が顕現する。
静かにそれを戻し、元の椅子に腰掛ける。
「……これは、霊核に宿る力、源となる精霊の姿が映されるもの、だと言われています。
すべての霊核に、これが現れる訳ではありません。
父にはありましたが、アマヒトにも数は少なく、稀なことだそうです。
わたしがこれを制御できるようになったのは、12歳のとき。
それまで、わたしはこの森からほとんど出たことがありませんでした。
今でも、自分が制御できないほど感情が揺れれば、現れてしまう可能性があります。
周りに影響を及ぼす危険も、もちろんあります。
ですが、父がわたしを隠し、常に人を遠ざけていたのは……
人の目からもわかる、これの方が大きかったと思います。
ユアン様は、かなり特殊な例です。
わたしはこの例を知りません。
人の身であるのなら、生まれた後にその霊核を宿したことになる。
なぜそれが起こったのか、わたしには分かりません。
精霊族でない身体に、どんな影響があって、今後どうなるのかも。
今の身体を元に戻すことは可能だと、わたしは思っています。
でも、体内の霊核に関しては……
どうすればいいのか、何が最善なのか、その答えを持っておりません。
解決方法を知らないまま、これをお伝えしたことをお許し下さい。
お力になれず、申し訳ありません」
話し終えて、息が詰まる。
すべてを伝え、その結果、どうしたらいいのかを答えられない。
伝えずに施術することもできたと思う。
ただ、話せないことが大きければ大きいほど、矛盾が出てきてしまう。
ユアンとレイランは、とても聡い人だ。隠せるとは到底思えなかった。
どこかで矛盾に気付くだろう。
その時が来ることを考えると、その方が怖いと思った。
話さなかった自分を責めないこの2人に、まっすぐ向き合えなくなる自分が。
そして、その自分で生きることが怖かった。
ユアンのために伝えたのではなく、自分を守るために伝えたのだ。
自分勝手だと分かっていても、ルティナは彼らと向き合っていたかった。
向き合える自分で在りたいと、そう願った。
「謝る必要などどこにもない。俺は今、過去の自分を掬い上げて貰い、この身体も救ってもらうだろう。そして、この身体と向き合い、これから先を探す道を示して貰ったんだ」
ユアンの柔らかな表情の中に、あのときの泣きそうな目があった。
「俺は正直なところ、もう諦めていた。生きにくい感覚も、思うようにならない身体も。生きるとはこういうことなんだと、腹に収めたつもりでいた。でも、あなたはそれを、とても素晴らしいことだと教えてくれた。あなたに出会えたことと、あなたの元に連れて来てくれたレイランに、今は感謝しかないよ」
目を伏せて、ユアンは小さく笑う。
「ルティナ様には昨日お伝えしましたが……わたしは期待していませんでした。それでもここに来たのは、何もできず、ただ苦しむ姿を見ていることしかできない、不甲斐なさと罪悪感を拭いたいだけだったように思います」
遠くをみるように、レイランは目を細める。
「ユアン様はそれを汲んで、ここまで来てくれました。そこで出会ったルティナ様に、わたしは自分と世界を見せて貰いました。リズを救ってもらい、唯一人と決めた主人まで救ってもらったのです。感謝こそすれ、謝られることなどひとつもありません」
ルティナを見つめるその瞳は、とても強いものだった。
ルティナは必死に、声を振り絞る。
「……ありがとうございます」
出てきたのはただひと言。
自分の耳で聞いたその言葉の意味を、しばらくの間考えていた――。




