序章-14.理
「この世界は、森羅万象すべての事物が、相反する二つの属性で構成され、
互いに対立し、依存し、その間で揺れ、巡りながら、調和を保ち存在する。
その二つ――太陽から注ぐ陽、月から降りる陰。
太陽の注ぐ恵みの光は、生命を芽吹かせ世界を巡り
月から降りる癒しの雫は、生命を育み、空へ還る
我らはこの陰陽をもって、世界の理を言祝ぐものである。
わたしが教えられた古い言葉です。
その素を、わたしたちは“霊素”と呼びます。
呼び方や解釈の違いはあれど、この陰陽の概念をもつ種族は多くいるそうです。
妖精族、ドワーフ、獣人族、竜人族……
空の民アエルナ、海の民渚人。
自然と共に暮らす、あまり知られていない少数の種族に多いようです。
陰陽は、それぞれ異なる質を持ちます。
陽は、太陽、火、温、上昇、拡散、剛、夏、昼、男、動物、生など。
外へと向く“動”のイメージでしょうか。
陰は、月、水、冷、下降、凝縮、柔、冬、夜、女、植物、死。
内へ向かう“静”を連想するものが多いです。
お2人に分かりやすい例えだと、アンバーガゼルが陽、アッシュガゼルが陰。
見た目や性格、纏う空気も……。あの2頭は分かりやすく現れています」
視線を上げ、2人の顔を見る。
「……俺が陽、あなたが……陰……」
ぽつりとこぼれた言葉に、ルティナは思わず微笑みが浮かぶ。
レイランも小さく頷いている。
感覚が鋭い人は、直感で分かるのかもしれない。
「そうです。……そして、それがバランスよく調和が取れている状態を、中庸といいます。レイラン様は、美しく中庸でおられます」
「中庸……」
言葉の意味を嚙みしめるように、レイランは呟いた。
ユアンの瞳は、ルティナを通り抜け、遠くをみているようだ。
「陰と陽は、どちらが良い悪いということはありません。
互いに対立しながらも、互いがなければ存在できず、
どちらか一方しか持たないものはありません。
陰と陽は共に在り、互いの中に、互いがあります。
片方が極まればもう片方へと変化し、それを繰り返し巡り続けます。
太陽と月が巡り、昼と夜があり、一日となります。
その一日が積み重なって、春から夏、秋、冬へと季節が巡ります。
大きな巡りの中に、小さな巡りがあり、
小さな巡りが積み重なって、また大きな巡りを形づくる。
これは時間の経過だけのものではありません。
この世界のすべてがそうなのです。生物にも同じことが言えます。
この辺りの森には、核といえるものが存在します。
その核は、陽の霊素が水たまりのように集まって固定化したものです。
それは、自然界でごく稀に起こる偶然です。
核から広がる陽の波動は、一帯を植物が喜ぶ寝床に変えます。
波動は外へ広がり、植物は核へと引き寄せられる。
それぞれの核を中心に、森の中だけで巡り、育っていく。
この辺りの森が、各々で異なる生態系を持つのはそのためです。
陽をきっかけに始まるこの巡りですが、植物は陰が強いものです。
陰の強い植物が集まって森となり、その森が集まって大森林があります。
全体で見ると陰が濃く出ます。
逆に、太陽の光がよく届き、風通しが良い大地、
動物……これは人も含みますが、それが多く、活気がある大陸の中心は、
陽に寄る傾向があります。
アルデ大陸は、中心から北西が陽、南東が陰。
大陸全体で見るとバランスが保たれる。
太陽と月、この世界全体の大きな循環の中で、
核と植物が織りなす小さな森の巡りが生まれる。
偶然が必然のように繋がり、いくつもの繋がりが重なり合って、
小さな巡りは、やがて大きな循環へと還っていく。
わたしはこの成り立ちを、心から美しいと思います」
ルティナは、ふっ、と息をつく。
ひとしきり話し、喉の奥につかえを感じる。
2人は大丈夫だろうか。
心と頭は、追いつけているだろうか。
ルティナはこの話を、幼いころから少しずつ伝えられてきた。
一気に言葉で流し込んで、受け止められるだろうか。
「……あの、お茶をご用意してもよろしいでしょうか? 少し……喉が渇きました」
その問いかけに、2人の呼吸が戻ったように感じた。
2人はそれぞれ姿勢を取り直した。
「あ、ああ……。ありがとう」
ユアンは、顔の前で手を組み、斜め下の一点をじっと見つめている。
「……わたしはアウリスの鞍を外してきます。少し失礼します」
立ち上がったレイランは、淡々と庭へと出て行く。
茶葉が置いてある戸棚には、いくつもの瓶や箱、紙で包んだ茶葉が並んでいる。
指先で縁をたどりながら、茶葉を選んでいく。
ユアンには、ユラギ草の焙じ茶を。
優しい陰で、心を休ませ、揺らぎを落ち着ける。
香ばしい香りで、お茶に不慣れでも飲みやすい。
少し冷たくして出した方が良いかもしれない。
レイランには、白澄花の花茶を。
陰陽の均衡が保たれ、心を調える。
爽やかな香りが思考を澄ませ、安定させる。
程よい温かさで、香りがふわりと広がるように。
ルティナ自身には、ホノシズクの成葉茶を選んだ。
穏やかな陽で、心と体をほぐし、喉の奥へすっと入る。
今は飲み口の軽いお茶が飲みたい。
ゆっくりと丁寧に、茶の香りと風味が立つように淹れていく。
茶葉の様子を見ながら湯を注ぐこの時間は、ほどよく心を落ち着けてくれる。
集い間の様子を見ると、レイランも戻っている。
ルティナは用意したお茶を運び木に乗せ、2人の元へ戻った。
「お待たせいたしました」
ルティナはお茶を出し、元の場所へ腰を下ろす。
「違う、お茶……ですか?」
レイランは少し、言葉を詰まらせた。
「ユアン様には、ユラギ草の焙じ茶を、少し冷やしてあります。レイラン様には、白澄茶の花茶をご用意しました」
どうぞ、と、手で促し、ルティナ自身も喉を潤す。
ホノシズクの成葉茶は、喉をするりと通り過ぎ、後味もほとんど残らない。
喉には刺激の少ない常温が心地よい。
「美味い。冷たいのに、香りをしっかり感じるものなんだな」
手に取ったグラスを傾けながら、ユアンは感心している。
「薬草茶は少しクセがありますが、冷やすと慣れない方でも飲みやすくなるのです。焙じ茶を濃く出し、清水で割ると、香りも感じられておすすめです」
「なるほど……。喉がとてもすっきりします。ルティナ……殿のお心遣いを、嬉しく思います」
少したどたどしく感じるのは、普段とは違う話し方をしているからだろうか。
それがそのまま表に出ているのが、逆に好ましく感じる。
「好きなようにお呼びください。わたしは気にしませんので」
ユアンは困ったように笑い、レイランに少し睨まれていた。
この2人は、本当に微笑ましい。
「この花茶は、大変香りが良いものですね。香りそのものを頂いているようです」
カップを持ち上げたまま、目を閉じ、楽しんでいる。
「花茶は、香りも大変楽しめますが、見た目も美しいので、透明な器で淹れるのも良いですよ」
「お茶の淹れ方を教わるのも、気が遠くなるほど時間がかかりそうですね」
レイランもまた、少し困った顔をしている。
「淹れ方も楽しみ方も様々ですが、あまり堅苦しく考えず、自分が美味しいと思えればそれでよいと思います」
ルティナは静かに続ける。
「お茶の話もそうですが……
さきほど話した内容は、あくまでもわたしたちの解釈です。
父の故郷では、陰陽の概念をとても大切にしているようでした。
世界を理解するため、自然に寄り添い、共に暮らし、考え、解釈する。
それを長い間繰り返し、今の形に至っています。
ただ、それはまだ辿り着いていない、とも言っていました。
世界が続くのであれば、変わり続ける世界を追う。
陰陽は概念であり、そこに正しさはありません。
それぞれの解釈が、それぞれの正しさです。
たくさんの種族があれば、それぞれ陰陽の解釈も異なります。
わたしの言葉を、そのまま信じる必要はありません。
そのまま理解する必要もありません。
ご自身の解釈で、ご自身の理解のまま、心に落として頂けば十分です」
言葉の切れ目に、ユアンは少し大きく息を吐いた。
「あなたの声と、言葉は、不思議だな。頭では理解しきれていないのに、すっと入ってくる。とても聞き心地がいい」
ユアンの笑顔は、そのまま太陽のようだ、と思った。
人の陰陽はその性質を際立たせるが、ないものを付け加えることはない。
もともと、ユアンはそういう人なのだ。
「嬉しい限りです」
温かくなる心を感じながら、ルティナは笑顔を返した。
「陰陽の霊素は、この世界のどこにでもあります。
ですが、人には感じられません。
見ることも、触れることも、存在を感知すること自体ができません。
霊素とは確かに存在しますが、存在する次元が違うものなのです。
ただ、まったく分からないということもありません。
例えば……果物がたくさん並んでいて、その一つが美味しそうに見える。
道を歩いていて、なんとなく目を向ける場所がある。
エルゼド大森林に、言葉にできない存在感を感じる。
無意識で感じる、感じていることに気付かない、といった方が良いかもしれません。
これを感じることは、生まれ持った素質であり、変わることはありません。
霊素は、人や魔獣など、生物の体内にも存在します。
呼吸をすること、霊素を含む食物を摂取することで体内に入ります。
霊素に適応した種族は、体内で霊素を作ることもできますが……
人はそれができませんので、外から取り込む必要があります。
体内に入った霊素を、わたしたちは気素とよびます。
気素が豊富な人ほど、やる気に溢れ、身体も心も逞しくなります。
逆に、病は気からという言葉通り、気素が不足すると、
病にかかりやすくなり、覇気がなくなり、心も弱ります。
気素とは活力です。生きる力そのものなのです。
気素は、血流のように、身体の中を常に巡っています。
その巡りが妨げられたり、途切れたりすると、身体に不調が出ます。
リズの脚は、この巡りが途切れていたため、不調が出ていました。
おそらく、右脚の先にはほとんど感覚がなかったはずです。
気素の不調は、物質的な不調とは異なる次元にあります。
治癒師の治癒魔法は、身体の物質を修復することは出来ますが、
気素に触れることは出来ません。
気素の不調は、治癒魔法では治せません。
感知することも出来ません。
この気素の巡りを正常に戻せば、感覚は徐々に元に戻ります」
ルティナは、まっすぐに前を向き、2人を見る。
「わたしは、この霊素を、視て、感じて、扱うことができます」




