蒼の季 向夏-34.価値
水場の周りに自生する植物は、森では見かける機会の少ない山の植物だ。
鉱物を多く含む土地に根付く植物は限られる。
程よい日陰を作るこの木は、白い樹皮がひときわ目を引く。
真っ直ぐに幹を伸ばし、枝や葉は細かく、風も光も良く通す軽やかな木だ。
森で見かける種とは違うが、カバの木の仲間だろう。
水場の周囲には、水を好むシダやコケが広がっていた。
鉱山ということもあって、緑が豊富という印象はない。
それでも、ここに根付く植物たちの元に、人や動物は集まる。
「ルティナ様、お茶を淹れて参りました。冷ましておきますか?」
湯を沸かしに行ったセラが、全員分の水筒を持って戻って来た。
7本の水筒には、8分目まで茶が注がれ、今朝ルティナが用意したものと同じ茶が丁寧に淹れられている。
「ありがとうございます。そうですね、なるべく冷ましておきましょう。ユアン様と、ヒュースさんのお茶には、冷めたらレモリアを。レイラン様とアディさんのお茶には蜂蜜をひと匙。セラとリシェにはミントの葉を1枚浮かべて、蓋をするときに取り出して下さい」
セラは、数回瞬きを繰り返し、ゆっくりと頷いた。
「ルティナ……君は本当に……いつもありがとう」
その様子を眺めていたユアンは、ため息交じりの笑みを浮かべた。
リシェとレイランは、話を弾ませながら戻って来る。
この2人は、遠目に見ていると面白い。
リシェが笑っているときは、レイランは照れ隠しのように横を向く。
レイランが笑っているときは、リシェは表情を変えずに黙っている。
それでも次の瞬間には、目を合わせてふんわりと笑い合う。
この様子を見ていると、いつの間にか笑顔になってしまう。
人の素顔というのは、見ているだけでほっとするものだ。
「お待たせ。あのドワーフたちは、洞窟とこの山を行き来しながら採掘しているみたい。バドゥ爺からの伝言はもう聞いていたみたいで、すごく丁寧に教えてくれたよ」
視線を送ると、ドワーフたちは陽気に手を上げてくれた。
その手に持っているのは、紛れもなくエールの瓶だ。
「あの飲み方を教えてあげた? お礼に塩と柑橘を渡して来たら?」
ユアンは冗談のつもりで言ったようだが、リシェは嬉しそうに荷物へ取りに行く。
「ちょっと行って来る。レイラン、話をしておいてくれる?」
リシェは、ドワーフの輪の中へ入り、エールの飲み方を教え始めたようだ。
真剣に話を聞くドワーフたちの目は、ぎらぎらしている。
鉱石とお酒が、彼らの楽しみなのだろう。
「結論から言うと、彼らはあまり気にしていない様子でした。彼らからすると、大地は絶えず変化をしているもので、魔脈の流れが変わったり、水の質が変わることもあって当然だと思っているようです」
レイランは、ドワーフたちの言葉として伝えている。
そこに自分の意見を入れないように、意識しているような話し方だ。
「変わるのが当然……ということは、以前は泡水ではなかったということですか?」
「そのようです。ただ、何度かそういう時期もあったという言い方でした。地層や大地の構造は、それをすべて把握できるほど簡単なものではないと。火山活動ももちろん原因になるだろうが、そうじゃない可能性もたくさんあると」
確かにその通りだ。
可能性のひとつでしかないうちは、偏らずに考えなければ、見え方が変わってしまう。
「火柘榴の方は?」
ユアンは組んでいた足を戻し、膝に肘を置いて前屈みになった。
表情は真剣だが、さっきまでの重い空気はなくなっている。
「火柘榴は、この辺りでは見た覚えがないそうです。珍しいことに違いはない。だが、そういうことが起きてもおかしくはないし、同じように採れるとも限らないそうです」
「説明できることばかりじゃないってことか」
「魔脈は、大地に根のように張り巡らされているし、ファムエンやイグドラと繋がっているものがあってもおかしくない。でも、いくらファムエンと繋がっていようとも、魔脈が石を育てるのではない。石を育むのは土地だと言っていました。魔脈が土地に影響を与え、その土地が石を育む。だが、魔脈が土地の在り方までを変えるとするなら、それはアプラプトでもない限りは起こらないだろうと」
土地が石を育む。
その言葉に、とても納得してしまう。
魔脈が各地と繋がり、魔素が石を育てるのだとしたら、その土地でしか採れないというのが説明できなくなる。
石とは、大地の恵み。
その土地が育む、実りだ。
その在り方は、植物と変わらない。
石もまた、巡りの中のひとつだ。
「なるほどね……ということは、あの火柘榴は、紛れもなくこの土地で育った火柘榴だと考えて良さそうだね。それで、レイランはどう思った?」
ユアンは表情を変えずに、レイランの言葉を待つ。
「わたしは、ドワーフは大地をそのまま受け入れて生きるのだと思いました。長く向き合い続けた結果、彼らは今の寄り添い方を選んでいる。それくらい、分からないことが多いものなのでしょう。ですが、分からないとしても、知る努力はしたいと思います。変化があったときに気付けるように、観察を続けるくらいは……我々でも可能です」
レイランは、この世界を、人として客観的に見つめる。
その視点はルティナともユアンとも違う。
世界との距離が近いのだと思う。
目の前にあることを、その距離のまま考える。
世界の在り方を考えてしまう自分とも。
広く捉えるユアンとも違う。
この視点も、ルティナにはないものだ。
「俺も、同じ意見だ。この件は持ち帰って、エデュードやナヴァンたちにも伝えておこう。俺は、偶然が2つ重なったら、それは偶然とは言えないと思ってしまう。すぐに何かが起こるとは思わないけど、何か繋がりがあるような気がするんだ。出来るだけ情報を持ち帰れるように、小さなことも気にかけながら進もう」
ユアンの言葉に、全員が同時に頷いた。
ユアンの言うことも最もだ。
時期がずれていれば、さほど気にならなかったかもしれない。
偶然も、時期が重なれば、それだけで因果関係を思ってしまう。
火柘榴。
泡水。
陽の強い土地、陽の強い季節。
火山活動というのは、霊素の影響を受けないのだろうか。
火山は陽の性質が色濃い現象だ。
直接作用しなくても、無関係ではないような気がする。
空を見上げた。
太陽は燦燦と照り、降り注ぐ陽を大地が受け止める。
火山がこの土地を陽に寄せているのか、陽がこの土地の火山を後押ししたのか。
それとも……まったく無関係なのか。
ただ、知りたい。
この世界のことを、ただ、知りたいのだ。
水場を出発すると、進むごとに木々が増えていった。
植物がない岩石地帯が続くのだと思っていたが、水場で見かけたカバの木が景色を埋めていく。
アズラム山の北側は、ウェナ山脈へと繋がる。
この様子を見る限り、鉱石が豊富なのはアズラム山付近だけなのかもしれない。
ウェナ山脈は雪に覆われた山という印象だが、鉱山ではなさそうだ。
ヒウブの山からアズラム山の南側へ入り、山を越えて北側の入口に向かっている。
入口は北側にあるが、鉱石が豊富に採掘できるのはアズラム山だと考えると、内部は南に広がっているのではないだろうか。
ちょうど、通って来た場所の真下に洞窟が広がっているのだとすれば、山の色とも合致している。
木々が増えてくると、肌に触れる空気も体温より低くなったようだ。
動物や魔獣の気配も感じる。
そこまで密に木が茂っているわけではないが、視界は遮られてしまう。
この林に入ってから、視線を感じるようになった。
敵意があるとも思わないが、しっかりと見られているのが分かる。
フウは警戒するように尾をまっすぐに伸ばし、フェンも落ち着かない。
「なんでしょう……魔獣でしょうか……」
「いや、魔獣の視線じゃないと思う」
ユアンは感覚を広げている。
数は……7、8くらいだろうか。
気配は小さいが、数はそれなりだ。
「ジェイドはまったく気にしていないですね……」
レイランの言う通り、ジェイドはゆったりとした歩幅のまま歩いている。
「ラウラは気にしてる」
ジェイドは木陰に目をやることはあっても、気にせず歩いて行く。
確かに、嫌な感じはまったくしない。
どちらかと言えば、好奇心や、気になるものを見つめる視線だろうか。
視線を感じはするが、特に何かをしてくる気配もないまま、しばらく進んだ。
先ほどよりも数が減っただろうか。
今は3つの気配が、一定の距離を保ってついて来ている。
尾を伸ばして警戒していたはずのフウは、機嫌が良いときのように尾を揺らしている。
木々がまばらな場所に出ると、水の音がする。
道を横切るように流れるのは、人なら一歩で跨げてしまうほどの小川だ。
そこに、丁寧に作られた小さな橋が掛けられている。
跨げてしまうほどの小川に、橋など必要ないのではないか。
人が通るには小さ過ぎる橋を、ここまで丁寧に作るだろうか。
「……不思議……ですね」
「なんか、可愛い」
リシェも同じことを思ったのか、その小さな橋を見つめて肩を揺らす。
ふと、ジェイドがゆっくりと後ろを振り返った。
少し離れた所まで歩き、木陰の方を向いて伏せた。
奥にあるカバの木を見つめながら、ふるふると尾を揺らす。
全員の視線が、ジェイドの見つめる木の方に集まる。
――!
そこにいたのは、木の幹に身体のほとんどを隠せてしまう、小さな子供だ。
さらにその奥の木の影から、2人の子供が顔半分を覗かせている。
「……子供?」
「こんなところに?」
思わず顔を見合わせる。
あまりにも小さい。
こんな所に子供だけで来られるとは思えない。
だが、明らかにジェイドはその子供たちを見つめている。
「……人、じゃない。獣人かも」
リシェがラウラから降りて、ゆっくりとジェイドに近付いていく。
ジェイドの横に屈んで、右手の指先を地面に付ける。
それを見ると、彼らは同じように姿勢を低くして、同じ仕草を返す。
手前の木の裏に隠れていた子が姿を見せ、ジェイドに向かって歩いて来る。
それを迎えるように、ジェイドは尾をふるふると揺らす。
リシェとその子が会話を始めると、安心したように奥の木陰にいた2人も姿を現した。
その姿は、3才くらいの子供のようだ。
髪に隠れそうな垂れた耳と、丸い尾が見える。
兎……のような魔獣の獣人だろうか。
この林に同化する色合いの服装で、背中には籠を背負っている。
ちらちらとこちらに向けられる視線は、怯えというより興味だろうか。
「人の言葉が分かるみたい。ジェイドのことを知ってるって」
リシェがこちらを振り返り、声を掛ける。
「行ってみましょう」
「俺たちは待っているよ。あまり大人数で行くと怖がらせてしまうかもしれない」
「そうですね。あちらが3人なら、それより多くない方が良いと思います」
小さく頷いて、フウと一緒にリシェの元へ向かう。
近付くにつれて、彼らの表情が見えるようになる。
屈託のない笑顔の彼らは、やはり幼子のような容姿だ。
「じゃあ、今日は彼はいないのか。前に燻したお肉を貰って、きのこを分けたんだ。美味しかったから、また交換できたらと思ったんだが」
容姿は幼子だが、この雰囲気はおそらく大人だ。
身体の小さな獣人なのだろうか。
リシェの隣に屈むと、彼らはこちらにも笑顔を向ける。
その笑顔から伝わる感情は、あまりにも透明だった。
「驚かせてすまない。ずっと気付いていただろう?」
その人は申し訳なさそうに目を伏せて見せる。
「気付いていましたが、敵意は感じなかったので大丈夫です。気にしないで下さい」
「人に気付かれることはないから、いつものように近付いてしまったんだ。ジェイドが気付いたら止まってくれるかもと思って」
「燻したお肉だったら、持っています。お分けしましょうか?」
「本当か? それは嬉しい」
3人は花が咲くように笑う。
向こうの2人は、見た目通りまだ子供のようだ。
ジェイドに積んである荷物から、燻した鳥肉の包みを取り出す。
さっき感じた気配だけでも、かなりの数がいた。
これだけでは足りないかもしれない。
荷物の中から、ルティナが持って来たジャムの瓶と、クラカンの包みも取り出す。
「お肉はこれだけしかないのです。もし良かったら、ジャムと焼き菓子もどうぞ」
それを見ると、彼らは目を丸くし、頬を赤らめた。
「すごく良い匂い!」
「木の実の香りがする!」
「ジャム……というのは、どういうものだろう?」
「果実を蜂蜜で甘く煮詰めたもので、パンに付けたり、飲み物に加えるのもおすすめです」
瓶の蓋を開けて匂いを確かめ、きゅっと目尻を下げる。
「……ありがとう。何が欲しい? カバの樹液、きのこ、木の実、この山にあるものなら大抵のものは用意できる」
彼は籠を下ろして、中身を見せてくれた。
――!!
今度はルティナが目を丸くした。
彼らの籠にたっぷりと詰まっていたのは、紛れもなくリッカ茸だ。
カサに切れ目が入った白いきのこで、薬として使われる。
とにかく薬効の幅が広いものだ。
病み上がりの回復を助け、傷の治りが早くなる。
薬草師なら誰もが欲しがるほど希少で、他のものでは代えが利かない。
カバの樹液も、血止めとして重宝される。
この種類は珍しく、森のカバからは採れないものだ。
「すごいです……!」
「知っているか? リッカも樹液も、我らの好物なんだ」
「食べるのですか!?」
「ああ、リッカは焼いてもスープにしても美味い。樹液は煮詰めると甘くなって保存がきく。冬は毎朝、白湯に溶いて飲んでいる」
「……わたしは、薬草師をしています。リッカ茸もこの樹液も、とても貴重な薬として使われるものです……」
「人はそうなのか? 必要なら分ける。好きなだけ取ってくれ」
そう言われても、手が出せない。
それだけ高価なものなのだ。
肉とジャムと交換ではまったく釣り合わない。
手を出せずにまごまごしていると、彼は不思議そうに首を傾げ、両手いっぱいのリッカ茸を布に包んだ。
「こんなに頂けません! これはとても高価なものなのです」
「あなたたちにとってはそうでも、我らには食料だ。価値というのはそれぞれだな。このジャムと肉の方が、我らにとっては今は貴重だ。この肉もジャムも、人の手が加えられているものだろう? 我らにとっては、それはとても嬉しく価値があるのだ。リッカも樹液も、我らは採っただけだぞ?」
価値はそれぞれ。
それを目の前に置かれて、改めて実感する。
胸が苦しい。
彼らは心底、肉とジャムを分けたことに感謝してくれている。
自分の中の何かが書き換えられる瞬間の、優しい苦しさだ。
「……ありがたく、頂戴します」
「ああ、喜んでもらえて嬉しいよ。出来ることなら、定期的に来て欲しいものだ。ジェイドを見かけて、思わず追いかけてしまうくらいには、心待ちにしていたんだ。約束したわけではないのだが」
その言葉からは、彼らの思いが嫌というほど伝わって来た。
獣人は、あまり人と交流を持たないのだろう。
アルデニアであれば猶更かもしれない。
たまたま出会ったのがザハルで、きっと幸運だったのだ。
「この辺りに来れば、見つけてくれる? 1季に1度か……半期に1度……くらいなら、お肉を持って会いに来られると思う」
リシェがジェイドを撫でながら、彼らに笑いかけた。
「本当か!?」
「いいの?!」
「お肉!!」
3人同時に、これでもかというほど力を込めた声を響かせた。
両手を握りしめて、リシェに向ける視線に熱が籠る。
「あははっ、うん。誰が来るかはわからないけど、父さんか母さんか私か。みんなこのアーグリンネに乗って来る。この魔獣は多くないから、目印になるでしょ?」
「ああ、わかる。今日だってジェイドを見つけて追いかけたんだ。人とこんな約束ができるなんて……思いもよらなかった。リッカと樹液を分ければいいか?」
「ルティナ、それでいいの?」
リシェは、首を伸ばしてこちらを向く。
「充分です。皆さんのおすすめの物であれば、なんでも嬉しいです」
「季節によって色々とあるから、良さそうなものを用意しておこう」
「じゃあ、こっちも別の物も合わせて持ってくるよ。魚は食べない? 気に入ったらそれも交換できる」
不思議だ。
旅の途中でたまたま出会った人と、これから先の約束をしている。
それは、お互いに心から望んでいることだ。
初めて会った人。
種族も分からない、まだ名前も知らない彼らを、信じている。
いや、すでに好きになっているのだ。
心が締め付けられる。
この出会いが、嬉しいのだ。
時間が許せば、もっとたくさん話がしたいと、思ってしまうほどに。
「洞窟に行くんだったな。そこの小川に沿って下っていけばすぐだ。帰りもここを通るなら、また声をかけてもいいか? その時は、あっちで待ってくれている人とも、ぜひ話をしたいと伝えてくれ。気を遣ってくれたのだろう?」
「はい、2、3日中には、またここを通ります。なるべくたくさん時間が取れるようにするので、そのときはゆっくりお話しさせてください」
3人は弾けるように笑って、林の中へ帰って行った。
気配が遠くなり、感じられなくなるまで、彼らが消えた林の奥を見つめていた。
名前も知らない彼らの、小さな背中を思い出しながら――。




