蒼の季 向夏-33.願いを望む
見上げると、岩壁の向こうの細長い空は、恨めしいほどに真っ青だ。
標高が高くなっていても、感じる熱は強くなっている。
岩に囲まれた山道は、熱せられた岩の熱が周囲から押し寄せて来るようだ。
北に進むほどに、陽が強くなっている。
アルデ大陸は、北西が陽、南東が陰。
ルティナと出会った頃に言われたことを、身をもって実感する。
「よかったら、こちらを……」
フェンの上から手を伸ばして、ルティナが水筒を差し出す。
「ありがとう」
蓋を開けて口に含むと、微かな冷感がある。
鼻に抜ける柑橘の香りとすっきりした後味は、今まで飲んだことのない味わいだ。
「これは?」
「リュサールの裏庭の畑で採れたカモミーユです。最初に収穫した物を分けて下さいました。レモリアの果汁も加えたので、熱も和らぐと思います」
ウィランが試行錯誤していた四家の茶畑は、農業魔法も上手く作用して順調に育っていると聞いていた。
最初に始めたのがリュサールの畑だったはずだが、もう収穫できるまで育っているとは驚きだ。
「すっきりして飲みやすいな。わざわざ持って来たの?」
「陽が強そうだったので、念のために茶葉だけ用意して来ました」
「ありがたいよ。身体に熱が籠って、気になってたんだ」
「休める場所があったら、一度調えましょうか。ユアン様には、ここは少しお辛いですね」
ルティナは、身体の状態によく気付く。
陰陽が分かるようになっても、自分の身体の調整はどうにも難しい。
彼女がいなければ、ここまで苦も無く過ごすことは出来ていないだろう。
体調の管理は、出会ってから頼りきりだ。
「いつもありがとう。自分の身体が、一番思うようにならないかもしれない」
「ふふっ、そういうものかもしれませんね。季節をひと巡りする頃には……自然と調えられるようになると思いますよ」
水筒を返すと、ルティナはそれとは別の水筒を取り出す。
ここまで心を配れるのだ。
当たり前のように、人が心地よく過ごせるように準備する。
それに慣れてしまうのは良くないと思いつつ、気遣ってくれるのは素直に嬉しい。
ルティナの隣は、きっと誰にとっても心地よい場所なのだ。
リシェの家を出てからは、ひたすらに一本道だ。
先頭を行くレイランとジェイドは、互いに意思疎通をしながら進んでいる。
薄茶色の地面や岩壁には、所々に色合いの違う石や、何かの鉱石が見て取れる。
木々がないと、動物や魔獣は少ない。
だが、その分大地が賑やかだ。
石の声と言うと大げさかもしれないが、至る所から気配を感じる。
生物のそれとは違う。
でも、確かにそこにあるのが分かる。
霊核の感度が上がるにつれて、この世界のあらゆるものから、存在を感じるようになった。
魔獣、植物、動物、水、風、地、火、星、何もない場所にすらも。
森羅万象すべてに、霊素が宿っている。
岩壁に挟まれた細道を抜けると、空と地面だけの開けた場所に出た。
薄茶色だった景色は灰色へと移り変わり、土よりも石の色が濃くなっている。
ここまで来ると、雰囲気は鉱山に近付いているのだろうか。
しばらく植物は目にしなかったが、ここでは低木が目に入る。
葉と呼べるほどの緑はなく、細い枝にちいさな白い花だけがぽつぽつと咲いている。
幹も枝も乾いている。
それでも花からは、微かな光を感じる。
この過酷な岩山で咲く強さに、自然と目が吸い寄せられてしまう。
「……珍しい」
リシェがラウラから降りて、大きく突き出た岩の方へ走って行く。
灰色の景色の中で、その岩は赤銅のような色をしている。
「どうした?」
しゃがみ込むリシェを囲むように皆が集まる。
リシェは目を閉じて、岩の根元に現れている赤い鉱石に触れる。
「強い音……これ、レイランの首飾りに使っている火柘榴の原石。アルデニアではほとんど見られない天然石だよ」
岩の隙間から漏れ出すように顔を出している赤黒い原石は、リシェの両手に収まるほどの大きさだ。
炎のような強い力を内包しているのが分かる。
「随分色が違うな」
レイランは首飾りを外して、自分の火柘榴と見比べる。
原石とは違って、洗練された澄んだ赤だ。
「レイランの石は、中心に近い部分を削り出した純度の高い物。周りは不純物も多いから」
リシェは、ラウラに積んだ荷物から細い杭と槌を取り出した。
原石の周囲に触れながら、一度だけ指先で岩を弾き、軽く頷く。
岩の隙間に杭を当てて、ひと呼吸おいてから軽く槌を振った。
横に屈んでその様子を見つめるルティナは、瞬きするのも忘れている。
リシェはと言うと、空気を弾ませて、楽しそうに槌の音を響かせる。
数回槌を振ると、澄み切った音と共に、原石の根元に筋が入った。
盛り上がった原石だけが綺麗に外れ、収まっていた根床は残っている。
「綺麗に外れるんだな……」
リシェの両手ほどの原石は、根床から外れると一段色が鮮やかに見える。
それは大地が育てた実りのようだった。
根床に目を向けるリシェは、若干不満げに眉をひそめる。
「良くないのか?」
「……ううん、原石はすごく良い状態だよ。根もちゃんと無傷」
「じゃあ何が不満なんだ?」
相変わらず、レイランの言葉は真っ直ぐだ。
これは、リシェにだけ向けられる特別仕様らしい。
「……父さんなら、もっと上手く外す。傷付けないように遠慮しちゃった」
「ははっ、年季の違いだろ? 同じに出来たらザハルの立つ瀬がないじゃないか」
笑い飛ばすレイランは、リシェを思いやっている。
不器用だと思えるその言葉も、彼女には優しく届くのだから、この2人は面白い。
何も言葉を発しないルティナは、根床をしばらく見つめ、力が抜けたようにその場に腰を付ける。
「すごいです……道が視えているようでした……」
ルティナはため息を交じらせ、ほのかに頬を染めている。
「大げさ。たったこれだけのことで……」
「誰にでもできることではないと思います。やってみたいと密かに思っていましたが……考えが甘かったです」
「あははっ、ルティナってそういうとこあるよね」
知らないこと、できないことに、素直に感動して敬意を持つ。
ルティナの豊富な知識は、こういう好奇心から繋がっているものだろう。
「でも、なんでここにあるんだろう。火柘榴って、南のファムエンでよく採れるんだけどね」
ファムエンは火の国と呼ばれるほど、火の力が溢れる土地で、砂漠や活火山も多かったはずだ。
火柘榴がファムエンで採れるのは想像がしやすい。
「確かに、この根床からも火に近い魔素を感じますね。魔脈が繋がっているのでしょうか……」
「ファムエンから魔脈が繋がっているなら、元からアズラム山で採れてもおかしくないと思う。でも、あまり聞いたことがない」
「あまりにも遠くないか? 魔素って、そんなに属性を保てるものか?」
魔素は基本的に無属性だ。
属性の影響を受けることはあっても、属性を持つことはない。
その場所を離れれば、自然と無属性に戻っていく。
ファムエンは遥か南、砂漠を越えた先にある。
「……ヒウブの山にカルデラがあることを考えると、この辺り一帯も古くは火山地帯だったのではないでしょうか。今は休んでいるだけで、もしかしたら地下深くにはその名残があるのかもしれません」
「この辺りの火山が活動を強めているってことか……?」
「今のところ、そういった様子が見えるわけではありませんが……」
ルティナは、何かを考えるように火柘榴の原石に目を向ける。
「少なくとも、この辺りに火の気配はしません。根床からは確かに感じますが、追えるほど濃い魔素ではありません」
「地面の音も、特に変化は感じない。賑やかだけど、鉱山ってそういうものだから」
例年よりも暑さが厳しいと言っても、不自然だと言い切れるほどではないだろう。
巡りの揺らぎと言って良い程度の差だ。
「暑いけど、これは地熱というより照り返しって感じだよなぁ」
降り注ぐ陽射しと、それを受け続ける大地は陽の霊素で満ちている。
この環境では、これが自然だと思える。
「そうですね……陽はとても濃いですが……これは異常とは言えませんしね」
自分を納得させるように、ルティナが立ち上がる。
その顔を見るに、納得度は半分ほどだろうか。
「一応気にかけておこう。他にもそういう兆候が見られる場所があったら、話が変わって来るしね」
その言葉に、ルティナは小さく頷き、表情を和らげた。
「石って、この大きさになるまでに数百年とかかることもある。少しずつ漏れ出したものが、時間をかけてここまで育ったのかもしれないね」
リシェが石を見つめる姿は、ルティナが植物を見るのと同じだ。
この2人は、本当に似た者同士だ。
採掘した原石を布にくるみ、リシェは満足そうに鞄にしまう。
「そろそろ昼時ですね。どこか休める場所を探しましょう」
「もうすぐ休憩所代わりになってる林があるはず。水場もあるし、ちょっと涼める」
「じゃあそこで昼食だな」
ちょうど太陽が真上に来ている。
降り注ぐ陽射しは、北へいくほど強くなる。
増していく身体の熱を感じながら、これから来る夏を思い、ため息が漏れた。
水場に寄り添う木々が、濃い緑の葉を茂らせていた。
緑を目にするだけで、身体が涼しさを感じるのは不思議だ。
ここまでくる間ほとんど人に出会わなかったが、ここには荷車を引いた商人らしき人と、数人のドワーフの姿がある。
水場から少し離れるが、空いている木陰で休憩にする。
「ここは風が涼しいですね。しっかり水分を摂って下さいね。飲み終えたら新しく作りますから」
ルティナから手渡されたのはさっきの水筒と、昼食用の平パンだ。
朝からミリアナと準備していたパンには、燻した鳥と野菜がはみ出るほど挟んである。
それを全員に手渡し、彼女はそのまま小走りで水場へ向かった。
汲んだ水をフェンたちに届け、馬たちに果物、フウとラウラにはそれぞれ肉を渡す。
空になった桶を手に、また水場へ戻っていく。
まったく、本当に良く動く。
全員がパンを食べながら、ルティナの動きを目で追っている。
そのことに、本人は気付いているだろうか。
普段なら割って入りそうなセラも、止めようとしない。
ユアンの視線に気付いたのか、セラが小さく声を出す。
「ルティナ様は、この時間に食事を摂られません。食事は1日に2度で充分だそうで。私も、最近はそうなりつつあります」
「……そう言えば、前にそんなことを聞いた気がする……な」
「ええ、朝と夕方頃に食べると仰っていましたね」
そうは言っても、食べないことと休まないことは違うだろう。
今日はこの陽射しを浴びながら、山を進んで来たのだ。
普段以上に体力を使っている。
「ルティナ様を止めるためには、やろうとすることを先回りして終わらせる以外にありません。おそばで過ごして、それを学びました」
「セラは、それで止められたことがあるの?」
「ほぼありません。次から次へと仕事を見つけてしまわれますので」
「じゃあ、無理に止めるしかないってことだね」
「ユアン様にお任せ致します」
最後のひと口を頬張り、水筒の中身を飲み干す。
「ユアン様、頑張って」
リシェは本気で応援しているらしい。
口に出さずとも、皆心配しているのだ。
空になった水筒を手に、ルティナを追いかける。
「ここの水は冷たい?」
振り向いたルティナは、想像とは違う表情をしていた。
うっすらと微笑み、空気を弾ませている。
「そのまま飲用にできる綺麗な水ですよ。しかも泡水です」
「自然の泡水? 珍しいね」
「エンの森には水場がいくつもありました。湧水、清水、泡水……霊水もありました。王都に来てからは見たことがなかったので、つい嬉しくなってしまって」
天然の泡水……ということは、さっきのルティナの話が真実味を帯びてくる。
「泡水って、火山地帯に多い……よね?」
「そうですね。すべてがそうとは言い切れませんが……」
「もしかしたら、本当に今も火山が生きているのかもしれない」
「それを思って、わくわくしてしまいました……」
恥ずかしそうにうつむき、水に手を入れてちゃぷちゃぷと音を鳴らす。
その姿が妙に可愛い。
「だからやけに元気だったの? 皆心配してたよ?」
「心配……ですか?」
「うん。休まずにずっと動いてたろ? 普段よりも体力使ってるはずだから、少しは休んでくれた方が安心なんだけど」
自分が心配されているなど、思いもよらなかったようだ。
皆の方を振り返り、全員がこっちを見ているのにようやく気付いた。
「そんなに体力が無さそうに見えますか?」
「うーん……俺たちはルティナほど人の体調に気付けないだろ? だから余計に君を心配してしまうのかもしれない。それに、まぁ、俺たちの中では……体力は少ない方かもしれないね」
ルティナは立ち上がり、桶で水を汲んでから、小さく頷いた。
「分かりました。考えていたら楽しくなってしまったみたいです。少し休みます」
「この水はどうするの?」
「お茶を淹れたいので、一度沸かしたいです」
セラに視線を送ると、彼女は待っていたように走って来る。
水を渡すと、奥にある共用の炉へと歩いて行った。
ルティナが腰を下ろすのを見てから、今度はリシェとレイランが立ち上がる。
「ドワーフがいるから、さっきの原石について聞いて来る。何か知っているかもしれないから」
「あ、リシェ。ここの水場は泡水でした。この辺りの地層がどうなっているかも聞いてみてもらえませんか?」
「……泡水。そうなんだ……じゃあ、火山っていうのもあり得る話だね」
「もしかしたら……以前は違った可能性もあります。この辺りが火山の影響を受けているという認識が薄いのも、そのせいかもしれません」
リシェは頷いて、原石を持ってドワーフの元へ向かった。
言われてみればその通りだ。
カルデラという分かりやすい名残があるのに、ヒウブの山から続くこの一帯は、火山地帯だと認識されていない。
以前に大きな噴火があったのは確かだが、今もその活動が続いていると思わないのは、その兆候がないからだ。
地下で何かしらの変化があったのか。
表に出て来なかっただけで、ずっと地下ではそうだったのか。
考えても、すぐに答えが出ることではない。
だが、同じことを連想する偶然が重なれば、それは偶然とは呼べないものだ。
アルデニアの歴史で、噴火の記録はあっただろうか。
「ユアン様?」
「……え?」
視界に白銀の髪がはらりと落ちる。
いつの間にか隣にいたルティナが、覗き込むように首を傾ける。
「考えていますか?」
「ああ、ごめん……」
思わず目を逸らしてしまう。
変な方向に考えてしまった自覚がある。
ただ分からないだけだ。
分からない中で想像だけが膨らんでも、良い方に進むことはない。
「……火山が活動していたとしても、数千年何も起こらないことも普通ですし……もしかしたら、ずっとそうだったのかもしれません。ひとつ、この世界のことを知るきっかけを、この旅で見つけたと思うと……嬉しいですね」
景色を眺めながら、淡い笑みを浮かべるルティナは、本心からそう思っている。
人よりも色んなことを感じ取りやすい彼女にとって、こういうことに出会うのは日常なのかもしれない。
「こういう分からないことに出会うのに……慣れている?」
前を向いたまま、肩をすぼめてくすりと笑う。
「そうですね、人よりは多かったかもしれません……世界は、分かることの方が圧倒的に少ないですから……」
「そうだな。今まで気付かなかっただけで、きっと山ほどあったはずだ」
「わたしたちの理解が追い付かなくても、世界は変わらず巡っています。理解したいと思ってしまいますが、例えそれが出来なかったとしても、そのことで世界が変わることはありません」
その言葉は、とても寂しそうに響いた。
でも、それと同じくらい、この世界に対する深い信頼と受容を含んでいる。
ルティナはずっと、この世界を追い続けてきた。
これからも、変わらずそうするだろう。
それが、どれほどの覚悟と共にある思いなのか。
今初めて、理解した気がする。
分からないという不安を抱え、理解したいと願い――
一体、どれだけ飲み込んできたのだろう。
これとずっと、一人で、向き合い続けてきたのだ。
「ルティナは、すごいな……これを嬉しいと感じられるのは、いつになるだろう」
「……ユアン様といると、こういうことが増える気がします。わたしとは違う視点でこの世界を捉えていますから……あなたといると、この世界に近付けている気がして、それがとても、嬉しいです」
ルティナは手を取って、静かに調律を始める。
ひんやりとした白銀の霊素が、身体に籠った熱を落ち着かせていく。
「わたしは、この世界を……この世界を巡る理を、理解したいのです。理解して、共に在りたい。父の……アマヒトの追い続けた願いは、いつの間にかわたしの願いになりました」
「うん」
「あなたと一緒であれば……いつか、たどり着けるような気がしています。……これは、わたしの自分勝手な願いでしかありませんが……」
白銀の霊素が、身体を巡り、ルティナへと還っていく。
放そうとする手を、強く握る。
「ルティナの言う、世界の理が何なのか……俺にはまだ分からない。でも、それはきっと、この身体にある霊核に繋がることなんだ。それだけは、俺にも分かる。世界を理解することは、自分を理解することだ。今は、そう思っているよ」
ルティナの手が、控えめに力を込める。
「だから……ルティナの願いは、俺の望みでもあるよ」
ルティナの身体から、白銀の霊素が舞い上がる。
彼女の周りで揺れる霊素は、淡い光を放ち、風に浮かぶ綿毛のようだ。
「ユアンと一緒なら、迷いも、不安も、きっとどこかへ行ってしまいますね」
真っ白な頬を紅く染めて、霊素に包まれながら、ルティナは満面の笑みを見せた。




