蒼の季 向夏-35.歓迎の声
水の音を聴きながら小川に沿って進むと、遠くに橙の灯りが見えた。
暮れかけた林に灯るその灯りは、風に揺れながら火の粉を飛ばす。
洞窟の入口を示すように、そこには小さな集落が作られていた。
ヒュースとアディが、馬を走らせて集落へと先駆ける。
「夜になる前に着けて良かったですね」
周りに灯りがない山の中は、夜になると何も見えない。
レイランの表情は、鞍に付けられた魔導灯でうっすらと見える程度だ。
「これだけ灯りがないと、夜って暗いんだなって思うよな」
ユアンは星空を見上げて感心している。
王都に来たばかりの頃は、夜の明るさと賑やかさに驚くばかりだった。
それが今では、この暗闇と静けさが懐かしく感じる。
夜のこの静けさは、変わらず心を落ち着けてくれるものだ。
ドワーフの集落に着くと、ヒュースとアディがドワーフに話をしてくれていた。
集落の入口に立っているドワーフは、火が揺らめく灯りを持っている。
「無事に来られて良かった! バドゥ爺様から話は聞いている」
灯りを顔の横に上げて、頬を思いっきり引き上げて笑う。
顔と一緒に動くたっぷりの髭が焦げてしまわないかと心配になる。
馬から降りて中に入ろうとすると、彼はこちらを手で制した。
「集落の中では、魔導灯は消してくれ。この辺りの虫は、虫除けがあっても魔導灯の魔素に集まって来るんだ」
「魔素に……?」
光の魔導石は、虫除けの陣が刻まれているものがほとんどだ。
そのお陰で、夜でも魔導灯に虫が寄りにくくなっている。
「そうなのか、失礼、すぐに消す」
レイランとヒュースは、鞍に付けていた魔導灯を消す。
「いや、珍しいだろ? この辺り特有だ。虫だけなら鬱陶しいで終わるんだが、それを食べにくる羽トカゲが厄介でな。噛まれると血が止まらない上に腫れ上がる。あんたらも気を付けてくれ。もし噛まれたらカバの樹液がないと酷いことになるからな」
カバの樹液……?
さっき分けてもらった樹液のことだろうか。
「ここにはその樹液はないのですか?」
「一応常備はしてあるんだが、最近も数人やられてな。ちょうど使い切っちまった。また分けてもらいに行かにゃならん」
ドワーフは渋い顔で髭を擦る。
この集落に治癒師はいないだろう。
薬が尽きれば、傷を負ったまま数日を過ごすことになる。
腫れ上がるのなら、熱も高くなるかもしれない。
この暑い時期だと、そのせいで陽の障りが出てもおかしくない。
大丈夫だろうか。
ルティナは分けてもらった樹液を取り出して、ドワーフに差し出す。
「ちょうど先ほど分けてもらいました。これだけあれば、しばらくは足りますか?」
ドワーフは口をぽかんと開けて、手に持った灯りと大きな目を一緒に近付ける。
「なんだ、あんたら、ヤトと知り合いだったのか? これは助かる。代わりと言っちゃあなんだが、広場に置いてある酒なら、好きなだけ飲んでくれて構わん」
「彼らは……ヤト……というのですか?」
「そうだ、この辺りに暮らす野兎の獣人でな、ヤト族ってんだ。この辺りに木が根付いて林があるのは、あいつらのお陰だって話だ」
山を育てる種族……ということだろうか。
確かに、この鉱山にこれだけの木があるのは不思議だった。
水場を過ぎたあたりから景色が変わり、木々が現れ始めた。
地質の違いなのかと思ったが、彼らが暮らす場所だからなのかもしれない。
「ルティナはいつも、良い出会いをするね」
「わたしだけではありません。皆さんといると、新しい出会いがあります。本当に……嬉しい限りです」
ドワーフが灯りを高く上げて、全員を見回す。
「バドゥ爺様はあんたらにそりゃあ感謝していた。失礼があったら、ひと夏禁酒だと言われたばかりだ。ここにいるドワーフは皆、バドゥ爺様と同じ気持ちだ。全力で歓迎するぞ!」
少ししゃがれた声を張り上げ、彼は大声で笑いながら集落の中へと歩いて行く。
集落にいるドワーフたちも、なみなみと酒が注がれたコップを片手に、口々に歓迎の言葉を向けてくれた。
豪快な彼らの笑い声が、静かな夜の山に響く。
その声を大地が返すように、地面の奥で、微かに何かが震えたような気がした。
広場を囲むように、いくつもの小屋が建ち並ぶ。
薪や石が積まれた倉庫、樽やエールの箱が並べられた酒庫。
屋根と壁だけの開け放たれた建物にはたくさんの寝床が並べられ、ドワーフたちは交代で眠るようだ。
その隣の、まだ木の香りがする新しい小屋に案内された。
2つ並んだ丸太造りの小屋には、すぐ横に厩が備え付けられている。
厩の水桶に、まだ小さなドワーフの子供たちがせっせと水を運んでいる。
彼らは、大きな荷物を背負ったジェイドを見ると、目をまんまるにして動きを止めた。
らんらんと輝いた瞳は、憧れのような眼差しを向ける。
ジェイドはちらっと彼らを見やって、すんとして視線を外したものの、厩の横で静かに伏せた。
不器用だが、ジェイドは優しいのだ。
「ここを使ってくれ。多少軋むかもしれんが……」
ユアンが、木の質感を確かめるように小屋の壁に手を当てる。
「まだ新しい……わざわざ用意してくれたのか?」
「か弱い女性もいるから、整えておけとバドゥ爺様に言われた。俺たちと雑魚寝はさすがにまずいだろう? 皆でやったらこんなの半日だ。禁酒は嫌だからな! ちょうど商人や旅人用の小屋が欲しかったところだし、気にせず使ってくれ」
顔全部を使って笑う彼と話していると、不思議とこちらまで明るい気持ちになる。
ドワーフは髭を蓄えているせいか、年齢がよく分からない。
この話し方を見ると、まだ若そうに感じる。
「ありがとう、助かるよ。遠慮なく使わせてもらう」
「おうよ! 俺はオガだ。何か分からないことがあれば声を掛けてくれ。広場には酒と食べ物もある。自由に過ごしてくれて構わん」
「よろしく、オガ。ユアンだ。荷物を置いたら向かうよ」
オガは灯りを顔の横に構えて、にかっと笑う。
案内を終え、広場へと戻る足取りは弾んでいる。
彼はこれから、念願のお酒がようやく飲めるのだろう。
「ありがたいな」
「ドワーフは、なんだかんだ世話好きなんだと思う。義理堅いし、あったかいよね」
レイランとリシェも、彼につられて笑顔を浮かべている。
「じゃあ、俺たちはこっちを使おう。ルティナとリシェとセラは隣だな。せっかくだから、ドワーフの食事をご馳走になりに行こう」
気付けば喉がカラカラだ。
ドワーフの食事はどんなものだろう。
きっとお酒に合う料理が並んでいるに違いない。
扉を開けると、削りたての木の香りに包まれた。
何とも言えない優しい空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
広場には、中央に篝火が焚かれ、大きな酒樽が2つ置かれている。
この広場の主役は、間違いなくこの酒樽だ。
端の方では、女性のドワーフが忙しく動き、次々と料理を机に並べていく。
ドワーフたちは気に入ったものを手に取って、代わりに彼女たちへ酒を届ける。
煙に乗って運ばれてくるのは、直火で焼かれる肉の香りだ。
「お嬢さんたち! 焼き立てを遠慮せずに取っていって!」
「あっちの屋根がある所なら、ゆったり座れるし涼しいからね」
すごい活気だ。
直火で肉を焼き、大鍋をかき混ぜながら汗を流す女性たちは、皆いい笑顔だ。
大きなコップに注がれたエールを飲み、休むことなく手を動かす。
その姿は、男性のドワーフに負けず劣らず逞しい。
「かっこいい……」
「あははっ、ルティナのかっこいいはこういうのだよね」
「リシェも身体が弾んでいますよ?」
「うん、だって、かっこいいもの」
並べられた出来立ての料理は、力強い湯気が吹き出している。
どの皿も山盛りで、とてもひとりでは食べきれそうにない。
「お姉さん……これに好きな分を取り分けてもいいよ」
服を引っ張られて下を見ると、先ほどジェイドに見惚れていた子供が2人、小さめのお皿を3人分持って来てくれた。
「ジオもロダも、気が利くじゃないか! 取り分けて、涼しいところに連れて行ってあげな!」
「うん!」
「どれがいい?」
服を掴んだまま、ちょうど顔の辺りにある机を、背伸びして覗き込む。
抱っこして見せてあげたくなる。
けれど、ドワーフの子供は大人と変わらない重さがありそうだ。
その子の身体がふわっと浮き上がる。
抱き上げたのは、マントを外してやって来たユアンだ。
「取り分けてくれるか? おすすめのはどれだ?」
「このお肉は甘辛、こっちの魚はチーズが挟んであるの。あの大麦は、炊いた後に卵や野菜と炒めてあるよ。どれも美味しい!」
「よし、じゃあ、それを取り分けてくれるか?」
「まかせて! お姉さんは……あんまりたくさんじゃない?」
ユアンに抱えられた女の子は、ひょこっと首を傾けてこちらを見上げる。
可愛い……
目も頬もまん丸だ。
ニドムと同じくらいだろうか。
「ありがとう、ロダ……かしら? 少しずつ取ってくれる?」
「うん! ひとつ、ひとつ、ひと盛りくらい?」
料理を指差しながら確認する姿に、目が細くなってしまう。
思わず何度も頷くと、ロダはにこっと笑って皿に取っていく。
ユアンの腕の中で、頑張って腕を伸ばす姿は、まんまるの天使のようだ。
一緒にいたジオはロダよりも少し年上に見える。
調理場の奥から踏み台を取って来て、取り分ける準備をしている。
「これは何の肉かわかる?」
「ツノイノシシだよ! 今朝罠に掛かってたんだ」
「大物だね」
リシェの皿に、ジオが丁寧に切り分けて乗せる。
「一切れもらえるか?」
レイランたちを見ると、ジオは裏へ走って行き、大きなお皿を抱えて戻って来る。
ジオは、豪快に肉を切り出して皿に乗せる。
ドワーフには普通の大きさらしいその肉は、リシェの肉の数倍の大きさの塊だ。
「……これが、一切れだったか……」
男性4人は、言葉を詰まらせる。
「……足りない? もっと?」
「い、いやいやいや、充分だ。できれば……半分にしてくれるとありがたい……」
「半分で良いの? 遠慮しないで! たくさんあるから!」
ジオの善意の笑顔に、反論できる人などいるはずがない。
「ジオ兄、他のも食べたいんだよ。それだと他のが取れないよ?」
助け舟を出したのはロダだ。
やはりこの子は天使だった。
女の子らしい、優しい気遣いが出来る子だ。
「そっか、そうだな。魚も食べたいもんな」
ジオは肉を半分にして、その隣に、今度は控えめに魚を取り分ける。
ちらっとレイランに視線を送り、頷くのを確認して、ほっとしたように皿を渡す。
「ありがとう、ジオ。あとで集落を案内してくれるか?」
「もちろん!」
火に照らされたまん丸の頬は、つやつやと光を返す。
その様子を見守るドワーフの女性たちは、温かな目をしていた。
ドワーフは、子供も同じように働く。
その子にできることを、役割として持たせている。
だからどの子も、自分で考えて動けるのだと思う。
「こっちが涼しいよ! 虫もいないから安心して!」
ユアンの手から降りたロダは、ルティナの皿を持ったまま案内してくれた。
そこには、丸太を切り出したままの椅子と机が置かれている。
「飲み物は何がいい? 果実水もあるよ。お兄さんたちは……樽? エール?」
取り分け終えたジオが、ドワーフたちと同じ大きなコップを4つ抱えて走って来る。
「お姉さんたちは……これだと大きい? 小さいの持ってこようか?」
「小さいコップを3つ、貸してもらえますか?」
「待ってね、持ってくる!」
ジオの走り回る姿は、ドトムを思い出す。
それぞれが渡されたコップを持ち、ロダに案内されて好みの酒を取って来た。
ドワーフの料理は、どれもしっかりとした味付けでお酒が進む。
調味料なのか、使われている素材なのか、どの料理も力が湧くようだった。
身体を使う彼らには、こういう料理とお酒が何よりのご馳走だ。
皆が食べる姿を少し離れて見守っていたジオとロダは、満足そうに微笑む。
食べ終わる頃になっても、彼らはずっとそこにいる。
目が合うと、もじもじしながらすっと目を逸らされる。
何か言いたいことがありそうな空気だ。
ルティナが手招きすると、2人は揃って近寄って来る。
「何か、気になることがありますか?」
ジオは言いにくそうに下を向いて、小さな声で答える。
「あそこの……魔獣たちは、何を食べるの? 僕たちがあげにいくのは危ない?」
ジェイドに見惚れていた子たちだ。
魔獣が気になって仕方がなかったのだ。
「気にしてくれたのね。あの子たちの見える所から近付いて行けば大丈夫。馬たちは果物や干し草、犬っぽい子はお肉も果物も食べます。大きな猫っぽい子達は、お肉が好きです」
「お肉は生?」
聞き返すジオの表情は真剣だ。
エールを飲み干したリシェが、ジオに向き直って答える。
「生よりも、火を通してある方が好きかな。あまり熱いのは得意じゃないから、冷めている方が喜ぶと思う」
「……名前、教えてくれる?」
「どの子?」
「全員!」
ジオは魔獣が好きなのだ。
ドワーフは、あまり魔獣と暮らしているという感じがしない。
チノワくらいだろうか。
「ジェイド、ラウラ、フウ……フェン、リズ……アウ……?」
「アウリスだ」
「アウリス……あれ? あと3頭、馬がいたよね?」
よく覚えているものだ。
その様子を眺めていたヒュースが、後ろから声を出す。
「黒い馬が、ネロ。薄茶の馬がリン、焦げ茶の馬がベルだ」
「ネロ、リン、ベル……アウリス……フェン、リズ……ジェイド、ラウラ、フウ……。うん、覚えた。ありがとう! 僕たちがご飯をあげてきてもいい?」
大変じゃないだろうか。
9頭分のご飯を用意するだけでもかなりの仕事だ。
「ジオ、私が一緒に行って手伝ってもいいか? 道具がどこにあるかも教えてくれ」
ヒュースが立ち上がり、ジオとロダの後ろに回る。
「うん!」
「行こう!」
子供たちはヒュースの両手を掴み、走り出しそうに引っ張っていく。
笑いながらついて行くヒュースは楽しそうだ。
「ヒュースは年の離れた弟や妹が多いから、子供に慣れているんだ」
ユアンは彼らを見送って立ち上がる。
「さて、ルティナはそろそろ行く? 気になっているんだろ?」
「……え?」
ユアンの後ろには、アディが控えている。
「羽トカゲに噛まれた人のこと、気になっているんじゃない?」
ふっと、心が浮き上がる。
ユアンには、だいたいのことを見抜かれる。
解散した後に、オガに聞いてみようかと思っていた。
でも、樹液は渡したし、ルティナでは噛み跡を治療できるわけではない。
「アディは応急処置くらいなら治癒魔法が使えるんだ」
「お供いたします」
アディは浅く頭を下げる。
確かに、アディの身体に流れる魔素は鮮やかな水色だ。
「様子を見て、状態を確認するだけでも安心できるだろ?」
この人は、なぜここまで……心を温めてくれるのか。
こうやっていつも、言葉にしない小さな不安を掬い上げてくれる。
「……ありがとうございます」
溢れる気持ちを抑えるように、胸に手を当てて立ち上がる。
「片付けは私がやっておきます。いってらっしゃいませ」
セラが全員の食器を片付け始める。
「わたしとリシェは、ドワーフたちに洞窟の様子を聞いてきます」
「必要なものは借りておくね」
レイランとリシェは、広場の方へ向かう。
「行こう」
ユアンの差し出した手を、何の躊躇いもなく取れるようになった。
この心地よさは、彼の隣にしかないものだ。
それを、霊核ではなく自分自身が、もう知っている――。




