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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
―響きを探す―
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113/116

蒼の季 向夏-31.母

 高い位置から見下ろす静かな視線を感じる。

 こんなに掴みにくい気配は初めてだ。


 体躯はラウラと変わらないくらいだろうか。

 存在感のある尾が、より身体を大きく見せる。


 子ヤクモよりも毛色が濃く、顔も長く鋭い印象を受ける。

 青白い光を放つ瞳は、月から降る霊素の色に近い。



「綺麗ですね……」


 思わず声が出た。

 スヴェルフが雄大な自然を思わせる雰囲気なら、ヤクモは神秘的だ。

 チノワもそうだったが、主張が薄い。

 陰の霊獣だからというのも関係していそうだが、空気に溶け込んでいる。


「野生動物は、立ち姿が美しいですね。景色に馴染む」


 その通りだ。

 彼らがいて、ここの景色が完成する。

 この山の一部として存在している。

 きっと、この山の巡りに、彼らは欠かせない存在なのだ。


「あの子が、ジェイドといつもケンカしてる子。多分、群れのリーダーかな。今はその気はなさそうだね」


 じっとフウと見つめ合っている。


 五尾のヤクモが、ひと鳴きした。

 身体の芯に響いたのは、使い込まれた竹笛のような、細く伸びる声だ。

 子ヤクモはその声に促されて、山の方へと帰っていく。


 光る瞳の余韻を残し、五尾は後ろに振り返る。

 大きな尾をゆらりと振ると、見えていたはずの五尾の姿を見失った。

 再び気配を追っても、もうヤクモたちは感じ取れない。


「ははっ、すごい……な……」


 ユアンは頬を引き上げて、深い息を吐く。


「彼らが敵でなくて良かったですね……こんな力、対応できませんよ」


 レイランも、感嘆を込めた苦笑いだ。



 ヤクモがいなくなったのを確認して、フウはルティナの元に戻って来た。


 屈んでいるルティナの背中から、頭をぐりぐりと押し当てる。

 甘えているというより、持て余した感情を溢れさせているようだ。


 フェンの足に身体を添わせ、8の字を描くように歩き回る。

 かと思えば、ユアンの正面に回って後ろ足だけで立ち上がる。

 

「楽しかったか? 次はもっと上手く遊べると思うぞ」


 ユアンに頭をくしゃくしゃに撫でられて、ぶんぶんと尾を振って言葉に応える。

 こんなにはしゃいでいるのを初めて見た気がする。


 フウは、ひとしきり発散するように動き回って、ようやく落ち着いたようだ。

 ルティナの横にぴたりとついて、尾を巻きつける。



「行きましょうか。通って良いと言ってもらえた気がします」

「そうだな」


 ここにはまた遊びに来よう。

 スヴェルフにも、フウを連れて会いに行ってみよう。


 人と居る時間が長いフウに、素に戻れる時間をもっと作ってあげたい。


 この旅は、きっとフウにとっても良い旅になる。

 そんな予感がした。




 緩やかな登りだった山道が落ち着き、平坦な道に入った。

 小さな峠になっているその場所からは、山の景色が見渡せる。 

 薄茶色一色だった景色に、こんもりとした木々の緑が見える。

 この岩山に点在しているいくつかの林は、鳥や動物たちが休むための憩いの場だ。

 

「案外早く着いたね。我が家だよ」


 リシェが林の方を指差す。

 道から外れて少し下ったところに、うっすらと煙が上がっている。


 リシェの家に続く道は、少し急な下り坂だ。

 アベリスの兵士は馬車から降りて、荷台を支えながらゆっくりと進む。

 道幅は、馬車がぎりぎり通れるほどだ。


 林に入ると、岩山とはまるで違う空気だった。

 この林そのものが家の敷地であるかのようで、ルティナたちは馬から降りた。


 乾いた風が木々の間を抜けて、やわらかな湿り気を帯びる。

 小さな動物や小鳥たちも、ここに集まっているようだ。


 地面が柔らかい。

 草を踏む感触が、硬い地面に慣れた足を包み込む。

 木々が自然の目隠しのように囲う奥に、いくつかの建物が見えた。


 林の中の広い広場は、真っ青な空の下にあった。


 自然の広場に建てられた家は、ルティナの家の空気と似ている。

 周りの景色に馴染んで、この山と共に暮らす家だ。


 2階建ての大きな母屋と、広い庭に面した別棟がいくつか建てられている。

 1つはアーグリンネたちの寝床だろうか。

 手前にあるのは、外用の調理場のように見える。

 調理場の脇には、自然の湧水が引かれた水場がある。


 そこには、女性の後ろ姿があった。

 リシェと同じ焦げ茶色の長い髪をひとつにまとめ、茶色の尾と耳が見える。


「ただいま」


 リシェが声を掛けると、その女性は振り向き、にっこりと笑顔を向ける。


「早かったのねぇ。ヤクモは大丈夫だったでしょ?」


 おっとりした話し方は、リシェとは似つかない。

 でも、その静かな空気は、リシェと同じだった。


「うん。フウとラウラと遊んでた」

「あの子はいた?」

「見に来てたけど、すぐ帰っちゃったよ」

「ジェイドがいなければ何もしてこないのよね」


 リシェの母は立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩いて来る。


 獣人にはあまり会ったことがないが、リンネ族はとても人に近い容姿だ。

 耳と尾が無ければ、人と見分けがつかないだろう。

 淡い褐色の肌に、アーグリンネと同じ灰色の瞳は、天然石のように澄んでいる。

 

 リシェの肌は母譲り、瞳は父譲りのようだ。


「皆さん、ようこそ。ここまで遠かったでしょう? お迎えできて嬉しいわ。母のミリアナです」


 浅くお辞儀をしながら、尾がゆらりと弧を描く。

 ラウラが機嫌がいい時と同じ動きだ。


「初めまして……ルティナと申します」


 なぜか……とても緊張している。

 ミリアナと目が合いそうになって、思わずうつむいてしまった。


「……お会いしたかったわ。ゆっくりお話をしたいけれど、まずは少し休んでからにしましょう」


 声と一緒に感じる感触が柔らかい。

 慣れないその感触に、身体の奥がむずむずしてしまう。


 顔が、上げられない。


「大勢で押しかけてしまって申し訳ありません。お心遣い感謝いたします。ユアンです」

「レイランです。こちらはセラ、身の回りの世話を任せています」


 ミリアナは小さく頷いて、それぞれに会釈を返す。


「まずはゆっくり休んで下さい。魔獣たちは庭で自由にさせて構いませんから。馬車を引いている子達も放してあげてね。リシェ、男の方たちは裏の家に案内してあげてくれる? 女性は母屋の客間に泊まってもらいましょう」


 リシェは頷いて、母屋の裏へと歩いて行く。

 ユアンとレイランはそれに続き、彼らの後ろから、荷物を下ろしていたアベリス兵がついて行く。

 セラも荷物を取りに馬車へと行ってしまった。


 ミリアナと2人になり、余計に言葉が出て来ない。

 身体が硬くなっているのが分かる。

 それが何故なのか、自分でもよく分からないのだ。



 無言のままうつむいていると、目の前に大きな影が飛び降りた。


 身体が跳ね上がり、息が止まる。


 その影は、ルティナの周りを回った後、身体を寄せて隣に座った。

 ルティナを見上げるのは、ラウラよりも色の淡いアーグリンネだ。

 落ち着いた様子も、纏う空気も、ミリアナにそっくりだ。


 頭を撫でると、手に吸い付くようなすべすべの毛並みだ。

 その感触で、どこかに浮いていた心が戻ってくるような気がした。


 大げさに尾を揺らして、安心させようとしているのが伝わって来る。


「ネフィというの。ラウラの母親なのよ」

「優しい子ですね」


 屈んで目を合わせると、ネフィはペロッと手を舐める。

 少し離れたところにいるフウの視線に気付くと、ネフィはフウの方に歩いて行く。


 様子を伺っているフウにすたすたと近付いて、フウの耳をペロッと舐めた。

 フウはぴゅっと飛び退き、背中の毛を逆立て身構える。

 ネフィはお構いなしに近付いていく。


 そこからはネフィの追い込み漁のようだった。

 フウが逃げるとすたすたとついて行く。

 走ったり飛び付いたりはしないが、ついて行くのを止めない。

 

 フウが屋根に登れば続いて登り、庭に降りれば後を追う。

 最終的に、フウはルティナの隣にぴたりと身体を寄せ、離れなくなってしまった。

 尾はルティナの身体にキュッと巻き付いている。


「フウちゃんは、押しに弱いのね」

「フウ、ネフィは歓迎してくれてるよ」


 きっとフウも分かっている。

 あまりにも唐突に距離を詰められて、驚いたのかもしれない。

 フウは、普通の魔獣と雰囲気が違うのか、相手から距離を取られることの方が多い。

 ネフィは、フェンと同じくらいぐいぐい行くタイプだ。


「ネフィと仲良くなっておけば安心ね。ジェイドはちょっと気難しいところがあるから……何かあっても、ネフィが守ってくれるわ」


 ネフィは、調理場の屋根に上がりこちらを見下ろしている。

 フウは耳だけをネフィに向けているが、視線には応えようとしない。

 今まで見たことがない、フウのおどおどした様子も新鮮だ。


「ルティナさんは、お料理が上手なのでしょう? 今ちょうど、山鳥を燻しているところなの。今日の夕飯を一緒に作ってもらえないかしら……?」


 調理場の隣には、小さな石積みの小屋がある。

 屋根の隙間から、独特な香りの煙が上がっている。

 

「燻製を作る小屋でしょうか……」

「火入れもできるし、燻すこともできるの。何かと便利なのよね。大物でも吊るせる大きさだし」


 狩りをするなら、鹿や猪なども手に入りそうだ。

 一度に食べきれなくても、燻製にしておけば日持ちもする。

 保冷棚に頼らずに保存できるなら、買いにくかった肉や魚も、もっと置いておけるようになる。


「いいですね……我が家にも欲しいです……」

「燻し終わったら、中を見てみたら? 気に入ったら、ザハルに頼めば作ってくれると思うわよ」


 森の家にぜひ欲しい。

 父なら作ってしまいそうだ。

 適した石さえ手に入れば、自分で作れるだろうか。


「森の家に欲しいなら、裏庭に作ればいいんじゃないか? 畑の隣なら置けそうじゃないか?」


 マントを外して身軽になったユアンたちが戻って来た。

 4人はそれぞれ、王都から運んできたお土産を持っている。


「お世話になります。アベリス家の護衛を務めております、ヒュースです」

「同じく、アディオンです。アディとお呼び下さい」


 彼らはミリアナの前に、いかにも重そうな箱を積み上げた。

 2箱はエールだ。


「どこに運べばよろしいですか?」


 残りの2箱は、ワインとシードルがいっぱいに詰められた箱が1つ。

 もう1つには、白桃、黄桃、エールに合わせる柑橘類。

 布に包まれているのは、珍しいバイソンの塊肉と、アーグリンネ用の骨付き肉だ。


「まぁ……すごいわね……!」


 ミリアナの視線は、明らかにワインとシードルの箱に向かっている。

 この辺りも、やはり親子だ。


「こんなに重い物を……ありがたく頂戴します。エールは今日飲み切ってしまいそうね。水場で冷やしておきましょう。果物とお酒はあちらの倉庫に。このお肉は……燻しながら焼きましょうか。ルティナさんにやり方を見せてあげるわね」

「森の家に燻製小屋を作るなら、リシアに行ってからも食べられるな」


 エールの箱を水場に運びながら、ユアンは燻製小屋をしげしげと眺める。

 好き嫌いなく何でも食べる彼だが、燻製は気に入ったようだ。


「何かすることはありませんか? 力仕事でもお手伝い出来ますが」

「男手が多いと頼もしいわね。じゃあ、燻し用の薪を割ってくれる? あっちの小屋に積んであるから」


 兵士たちは頷いて、腕まくりをしながら歩いて行く。


「ザハルがじきに帰って来るから、それまではゆっくりしていて。エールでも飲みながら」


 ユアンとレイランは顔を見合わせて、まんざらでもない表情を浮かべる。


「ルティナさんとセラさんとリシェは夕飯の準備ね。今日は人数が多いから、作りがいがあるわね」


 ミリアナは調理場に火を入れる準備を始める。


 広い庭では、フェンたちがのんびりと草を食んでいる。

 青かった空は、傾き始めた太陽に照らされ、橙に染まり始めていた。




 バイソンの肉は、ルティナの上半身と変わらない大きさだった。

 今日食べる分を3分の1ほど切り分け、残りには塩と香辛料を擦り込む。

 ルティナが使う森の香草とは違い、香辛料は数種類の木の実を砕いて混ぜ合わせたものだ。


「わたしが使う香草よりも、香りが強いですね……」

「燻す下準備に使うなら、少し強めの方が良いかもしれないわね。あと、保存性も高くなるの」

「なるほど……」


 確かに、燻すなら淡い香りでは負けてしまう。

 香辛料はあまり詳しくないが、使い分けられるようになれば料理の幅が広がりそうだ。


「香辛料の扱いはリシェも分かるから、興味があったら聞いてみてね。畑があるなら育てられるものもあるから……種を分けてあげるわね」

「嬉しいです!」


 森で育てられるなら、余計に燻製小屋が欲しくなる。

 この香りなら、普通に料理に使っても良いアクセントになりそうだ。


「このまま一晩寝かせて、塊肉を燻すのは明日ね。こっちの切り分けた方は、鉄板に乗せて香りを纏わせながら焼きましょう。キノコや野菜も一緒に焼けば、肉の脂がそのまま調味料になるわ」


 ミリアナは、バイソン肉を鉄板の中央に乗せる。

 小さなナイフ一本で、手に持った野菜の皮を剥き、そのまま切り分けていく。

 机に置かずに、鉄板の前に立ったままだ。


「かっこいい……」

「ルティナのかっこいいは簡単だね」


 リシェは笑いながら、ミリアナと同じようにナイフで切り分けていく。


「これなら、野外でも料理しやすいですね」

「あまり硬い物は無理よ? けがしないように注意してやってみたら?」


 ミリアナに渡された小さなナイフは、よく研がれている。

 力を入れたら曲がってしまいそうに薄い刃だ。


「こんなに薄くて軽いナイフ……」

「すごく切れるから、気を付けてね。リシェもよく手を切っていたから」


 借りたナイフを、見よう見まねで使ってみる。

 驚くほど切れる。

 根菜の皮も、薄い刃だと滑らせるだけできれいに剥けていく。

 力を入れる方向がずれるだけで、身の方に食い込んでしまう。


「難しい……」

「ナイフの方じゃなくて、野菜の方を動かしてみて」


 言われるまま、野菜を回すように動かし、刃の角度だけを調整すると上手くいく。


「そうそう、上手ね」


 褒められると、背中がむずむずする。

 思い返してみれば、こういう日常の中ではあまり褒められた覚えがない。

 父はあまり言葉にする方ではなかった。

 何も言わないのが、認めているという表現だった気がする。


 母親というのは、父親とは感触が違うものなのだ。


 もやもやと考えながらナイフを滑らせると、注意されたばかりなのに、あっけなく指先を掠めた。

 鋭い刃は容赦なく指先を切り、赤い血が玉のように溢れて来る。


「あら、切っちゃった?」


 ミリアナはルティナの手を引いて、水場で洗い流す。

 指先からは赤い血が止めどなく流れて来る。


「大丈夫です。このくらいなら、すぐに治りますから」


 手を引っ込めようとすると、目の前に光が灯った。

 彼女の周りに浮かぶ魔素が、ミリアナに寄り添い、彼女の色に合わせて染まる。


「ちょっと動かないでね」


 ミリアナは、身体の巡りを強くする。

 ルティナの指先を中心に、山吹色に染まった魔素が遊ぶように舞う。


 記憶の力――。

 リシェが見せてくれたのと同じ。

 連鎖するように、魔素がルティナの身体に寄って来る。

 身体の上を飛び跳ねる光の粒が、ルティナの存在を確かめるように動く。


 指先の傷が、消えた。



「これでいいわ」

「ありがとう……ございます……」


 見ていた全員が呆気に取られている。

 ミリアナは、皆の視線を不思議そうに受け止める。


「記憶の力は、知っているんじゃなかったかしら?」

「知っています……が、人には効かないと……」


 すぐそばに腰を下ろしていたユアンが、ルティナに駆け寄って指に触れる。


「治ってる……」


 ユアンの瞳は震えている。

 彼から溢れ出す感情が、ルティナの心に押し寄せる。


「ルティナには……治癒魔法が一切効かないんです。傷も、病も、自己治癒に任せるしか方法がないと……」


 瞳の震えが、声を、握った手を、感情までも震わせる。


 ユアンの言葉を静かに受け止め、ミリアナは視線を落とした。


「……そうなのね。この力は、普通の人には効かないわ。でも、ルティナさんの記憶はとても深い。彼女にとっては、治癒魔法よりも高い効果があるかもしれない。記憶の力は、術者の技量もだけれど、対象の記憶に強い影響を受けるの」


 ミリアナは、淡い笑みを浮かべてリシェを見つめる。


「ルティナさんはきっと、この世界に強く結びついているのね。私でも、ルティナさんの深層には届いていない。何かあったときに助けられるのがこの力なら……リシェはもう少し頑張らないとね」


 リシェは、ミリアナの胸に飛び込んだ。

 ミリアナはリシェを抱き止めて、そっと頭を撫でる。


 リシェから、ユアンから、レイランから。

 その場にいる人たちから溢れた空気が、ルティナを包む。


 その温かさが心地よい。



「うん。頑張るよ。ずっと一緒にいたいから」



 ミリアナの腕の中で零れたリシェの言葉が、ルティナの胸の奥底で、波紋となって響いた――。



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