蒼の季 向夏-30.静かな歓迎
朝陽が平原を染める。
夜に還り切らなかった陽の霊素は、朝陽を浴びて光を取り戻す。
大地から湧き立つ黄金色が、夏の暑さの源だと分かっていても……
この平原の景色は、目を奪われるほど美しい。
今日の風はいくらか穏やかだ。
山から下りる風を正面に受けながら、西にあるサンカの森へ向かう。
早朝に王都を出発し、平原を進むのは7人だ。
先頭を行くのは、今日の案内役をしてくれるラウラとリシェ。
その隣にリズとレイランが並ぶ。
リシェの右耳には、先日王城で受け取った白金の耳飾りが光っている。
ルティナと同じ形の、耳に掛けるタイプの耳飾りで、印章を兼ねたチャームには紋が刻まれている。
リシェの紋は、結晶と音の波紋が表現されていた。
今回も、耳飾りはナーシャが、紋はレスティアがデザインしたそうだ。
改めて印章の機能と仕組みを知り、感心してしまった。
アルデニアの貴族が持つ印章は、インクで押すものではなく、魔法陣で記すのだそうだ。
チャームに紋を映し出す陣が込められている。
紙や木、ガラス、陶器など、かざすだけであらゆる物に刻むことができる。
書庫の扉などは、その陣に反応して鍵が開く仕組みだ。
「リシェの紋は、とても彼女らしいですね」
隣を進むユアンは、意味ありげな淡い笑みを浮かべる。
「今回は、紋のデザインについてレイランが聞かれてたよ。レスティアにすごく怒られてた」
「なぜですか?」
「レイランって、案外そういうところが……なんていうか、深く考えないというか……言葉が足りないというか……」
ついこの前の言葉選びを思い出すと、レスティアが怒る姿も想像できなくはない。
あんなに紳士で完璧だと思っていたレイランの、唯一の苦手分野かもしれない。
「これからずっと使っていく、その人を象徴するものなのだからちゃんと考えなさいって、珍しく声を荒げてたよ」
その景色が目に浮かび、なんとも微笑ましく思える。
「ふふっ、レイラン様も大変でしたね。白金なのも、リシェに似合っています」
「それだけは、レイランが絶対そうして欲しいって願ってたな」
「そこは気になるのですね」
「銀や金じゃなく、白金が似合うって。確かに、その見立ては正しかったね」
今日のユアンは黄金色がいっそう強く感じる。
この旅に出られるのがとても嬉しいのが、全身から伝わって来る。
もともと自由に動き回るのが似合うし、それを望む人だ。
旅仕様の軽い装いは、リシアで過ごした日を思い出させる。
ルティナとユアンの後ろには、セラと馬車が続く。
2頭立ての馬車にはアベリスの兵士が2名乗っている。
最低限とは言え、やはり護衛を伴わずに出ることはできなかったようだ。
馬車に、野営の道具や全員の荷物を積んでくれているお陰で、かなり身軽な旅になりそうだ。
サンカの森に入ると、山からの風が木々の隙間から吹き抜ける。
こちらに語り掛けるように、葉を鳴らし、影を揺らす。
いちだんと緑が濃くなった森は、陽を遮る屋根のように道を覆う。
遠くに、スヴェルフの気配を感じた。
以前出会った彼らだろうか。
フウも、しきりに森の奥を気にしている。
フウの親ではないだろう。
それでも、彼らが姿を見せてくれることはないだろうか。
「歓迎してくれているようですよ」
前を行くレイランが振り返り、木々のざわめきに耳を傾ける。
ドリアードから贈られた囁木は、どんな声を彼に届けているのだろう。
「ここからしばらくは道なり。山の麓に着いたら、北に進んで山を登る」
リシェの視線の向こうに、まだ遠い山並みが見える。
平坦な日陰の道が続く森の中は、平原よりもいくらか涼しい。
「王都まで結構距離があるよな。毎日店に通うの大変じゃないか?」
「普段はここを通らない。ラウラなら岩山を越えられるから、ほぼ直線で王都に行けば、この道よりずっと早い。3分の1くらいの時間で着ける」
「ラウラは城壁も越えられてたもんな。さすがだな」
褒められているのが分かるのか、ラウラはひゅんっと尾を振る。
この子は本当に感情が豊かだ。
「北に登っていくと、途中にヤクモの縄張りがあるから、そこだけちょっと注意かな。ラウラの父親といつもケンカしてる子がいると、面倒かも」
スヴェルフは山でも木が多い場所で暮らしているが、ヤクモは岩場の方で生活をするのだろうか。
会えるのなら、一度でいいから会ってみたい。
「ヤクモは好戦的なのですか? あまりそういう印象ではないのですが……」
「すごく大人しいよ。他のヤクモは絡んでこないし。あの子とジェイドだけがいつもバチバチやってる」
面倒だと言いつつも、リシェは思い出しながら笑っている。
魔獣同士の本気の縄張り争いなら、笑っていられる状況だとも思えない。
「仲が良いってことじゃないのか? いつもってことは、決着をつける雰囲気じゃないってことだろ?」
ユアンの言うことも一理ある。
「お互いたまにけがしてるけど。ヤクモって、けがが治るの早いみたい。そういう力があるのかも」
「けがが……治る……」
治癒能力があるとは思えない。
本で見つけたヤクモには、属性の記載が何もなかった。
フウが持っている霊素のことを考えても、ヤクモは霊獣だと思う。
治癒とは違う、何か……それに近しい能力だろうか。
「ルティナ、考えるのは良いけど、しっかり前を見てね。頭に籠るなら、アウリスに一緒に乗ってもらうよ」
はっとしてユアンを見ると、肩を揺らしてくつくつと笑っている。
からかわれているのが分かっても、言い返す言葉が浮かばない。
「大丈夫です。まだ籠っていません」
「まだ、ね」
完全に面白がっている。
でも、肩の力が抜けた彼を見るのは久しぶりな気がする。
リシアで過ごしていた頃のようには、王都では振る舞えない。
ユアンの立場も、置かれている状況も、以前よりは分かるようになったつもりだ。
だからこそ。
今こうして自然体で過ごせているのが、とても貴重で、大切な時間なのだと思う。
「山に入る前に休憩しよう。水場があるから」
気付けば陽が高くなっている。
道を覆っていた木々がまばらになり、強くなった陽射しが肩に落ちる。
遠くから見ていたヒウブの山の濃い緑が、もうすぐそこだ。
水場から景色を眺めると、西側と北側でだいぶ色が違う。
西は、木が生い茂り山肌を覆う緑の山。
頂上付近には、空からの光を受け止めるカルデラ湖がある。
北側は薄茶色の岩肌が広がり、その合間に緑の林が点々としている。
滾々と湧く水は、この暑さの中でもひんやりとしている。
エンの森の湧水に似ている。
霊素を多く含んだ水は貴重なのだと、森を離れてから知った。
当たり前だったことに、改めて感動できるのが旅なのかもしれない。
「これ、めちゃくちゃ旨い……」
水場から少し離れた木陰で腰を下ろし、用意した軽食を頬張るユアンが、感嘆の声を上げる。
保存食作りで大量に焼いた平パンに、ハナノメを使った具材を挟んだものだ。
マルコに頼まれて試作したものが好評だったので、パンに挟みやすく具材を細かくして作ってみた。
茹でたハナノメと、みじん切りにした丸ネギ、焼いた鳥肉のほぐし身、細かくしたラヴネをハーブ油で和えただけだが、これがなかなか美味しい。
味付けはシンプルにハーブ塩だが、ラヴネを加えるとコクが出る。
冷やして食べてもいいし、具材を増やしてボリュームを出せば、メインの料理にもなる満足度だった。
大喜びのマルコには、今後もよろしくと念を押されてしまった。
「外で食べると、美味しさに磨きがかかる気がします」
「この開放感が、何よりのご馳走だな」
休みながら、これから向かう山を眺める。
岩肌がむき出しの山は、いくつもの山稜を連ねながら空へと続いている。
手前に見えるのがアズラム山。
遥か遠く、山頂にうっすらと雪が見えるのが、イグドラとの国境付近にあるウェナ山脈だろうか。
「ここからしばらくは緩い登り。馬車が通れるくらいには整備されてるけど、家に着くのは、のんびり進んで夕方頃かな」
リシェはラウラに跨り、山へ続く道へ足を向ける。
この水場に来てからずっと、フウの様子が落ち着かない。
気配を探ってみたら、そう遠くないところに数頭の魔獣の群れがいるようだ。
フェンが気にしていないところを見ると、敵意は無いのだと思う。
ただ、こちらを意識しているのは感じる。
「……リシェ、ヤクモは8頭くらいの群れかな?」
ユアンも目を閉じ、感覚を広げている。
「だいたいそのくらいかな。避けて通る道はないから、注意して進もう」
「今のところ動きはなさそうですね。わたしが少し先行しましょうか」
レイランの言葉に、ユアンは首を振る。
「いや、いいよ。多分、このまま進んで問題ないと思う」
ルティナもそう感じた。
彼らの雰囲気なら、近付いたら離れてくれそうだ。
意識の向け方が、狙っているというよりは警戒に近い。
本来のヤクモは、争いを好まない気質なのではないだろうか。
馬車がすれ違えるほどの道に入ると、ほどなくして緩やかな登りになった。
地面の質感が徐々に硬くなっていく。
草木が一気に少なくなり、陽射しを浴びた地面から熱が上がる。
大きな岩が多くなるにつれて、山は静けさを増す。
葉擦れの音や鳥の声もなくなり、聞こえるのは自分たちの足音と、小石が跳ねる音くらいだ。
いくつかの気配が、山の中で動いている。
おそらく、ここはもうヤクモの縄張りなのだ。
かなり近い距離に、何かの気配がある。
近いはずなのに、輪郭がぼやけて掴み切れない。
フェンの足元を歩いていたフウが、地面を蹴った。
先頭を行くレイランの前に降り、道を塞ぐように前を見る。
全員がその場で止まった。
「近くにいるようです……けど……」
敵意は感じない。
フェンの耳も前を向いているが、警戒する様子もなく落ち着いている。
その気配の主は、岩の影からゆらりと姿を現した。
足音もなく、姿は犬よりもキツネに近い。
独特の静けさだ。
気配を消しているというより、この場の空気に紛れている。
フウよりもひと回り小さい魔獣には、2本の尾が見える。
「ヤクモ……」
全身に、うっすらと陰を纏っている。
体内よりも、身体の外側に陰を感じる。
ゆらりと歩く姿は、影のような余韻を残す。
ふさふさとした尾を揺らすと、しっかりと視界に収めているのに見失いそうになる。
不思議な感覚だ。
ヤクモは、ゆらりゆらりと、少しずつフウに近付いてくる。
その興味は、フウに向いているようだった。
「想像よりかなり小さいな」
ユアンの小さな呟きは、好奇心で弾んでいる。
「フウよりも若そうです」
ルティナはフェンから降りて、ゆっくりとフウの方へ歩く。
後ろから、何のためらいもなくフェンがついて来る。
フウはヤクモの動きに合わせて、右へ左へと蛇行しながら、徐々に距離を詰めていく。
2頭は鼻先がもう少しで届く距離にまで近付くと、ぴたりと動きを止めた。
互いに視線を合わせ、じっと見つめ合っている。
並んだ姿を見ると、2頭はあまり似ていない。
フウの姿は、スヴェルフを強く受け継いでいる。
だが、フウの薄茶色の毛色は、ヤクモに近い。
ヤクモは背中が薄茶、お腹側が灰色という珍しい毛色をしている。
フウと同じく、目の上には眉のような斑点もある。
フウの白い毛色を灰色へ変えたら、ちょうどヤクモと同じ色合いになりそうだ。
ルティナがレイランの少し前に出たところで、フウが尾を振った。
足元を這うような風からは、“そこで止まれ”という意思を感じる。
「……姿は似ていないのに、空気はそっくりだ」
気付くと、ユアンもすぐ後ろで2頭を観察している。
フウが引いた線から出ないように、ルティナはその場で姿勢を低くした。
「はい……フウと同じように、陰を纏っています」
「なんで、この1頭だけ出てきたんだろう? 好奇心かな」
「どうでしょう。それもあるかもしれません。若い方が行動が素直なのは、魔獣も人も変わりませんね」
近寄っても良いのかと、うろうろしながら様子を伺っているのはヤクモだ。
動かないフウは、尾を揺らめかせてヤクモの動きを目で追っている。
フウの後ろから、鼻をくんくんと動かし、匂いを嗅ぎたそうに頭だけ前に伸ばす。
後ろ足をぎりぎりまで伸ばして、必死に身体を伸ばす姿は、好奇心に勝てない子供のような仕草だ。
見かねたように、フウがその場に座った。
それで安心したのか、ヤクモはすぐそばまで身体を近付けて、念願叶ったとばかりに匂いを嗅ぎ始めた。
「集まって来てるね」
ユアンの言葉に周囲の気配を探ると、確かに近くの気配が増えている。
「うん。でも、大丈夫そう。こんなに近付いてくるのは珍しいよ」
「フウに繋がりがあるのでしょうか」
リシェとレイランも、見守るように見つめている。
周囲に感じるヤクモの気配も、こちらを遠目で観察しているような空気だ。
「ヤクモが、この辺りの山にどのくらい残っているのか分かりませんが……無関係ではないのかもしれませんね」
ちらほらと、視界に入るヤクモが増え始めた。
フウの隣にいるヤクモは、リラックスした様子でじゃれつき始めた。
フウは一緒に遊ぼうとしない。
嬉しそうに目で追い続けるものの、ただ眺めているだけだ。
「フウって……ああ見えて人見知り?」
遠目に見ていると、ヤクモは遊ぼうと誘っているように見える。
嫌がっているようには見えないが、フウは動こうとしない。
「遊び方が分からないのかも。ずっと山で一人だったなら」
リシェの言葉に納得しつつも、それを思うと胸が痛む。
つい最近まで、フウはヒユイの山で孤独に過ごしていたのだ。
横でラウラがうずうずしている。
リシェになだめられて辛うじて留まっているが、前足が時折動き出しそうだ。
「ラウラが行ったら、他のヤクモが怒りますか?」
「どうだろう。せっかくいい感じに意思疎通してるみたいだから、邪魔しない方が良い気もする。ラウラは身体も大きいし……じゃれ方が激しいから」
「大丈夫じゃないか? ラウラだって手加減するだろ」
レイランの言葉に、ラウラは尾を振ってアピールする。
フェンも行きたそうに耳を向けているが……ヤクモはおそらく肉食だろう。
さすがにフェンは行かせられない。
「ラウラ、フウに遊び方を見せてあげて下さい」
「やり過ぎちゃだめだよ。あの子が出てきたら面倒だから」
リシェが手を離すと、後ろ足のひと蹴りでフウの隣に着地する。
ヤクモは弾かれたように後ろに飛び退き、ラウラに向き直る。
フウも反射で飛び退き、少し距離を取った。
ラウラとヤクモは、互いに低く身構え見つめ合う。
だが、空気は弾んでいる。
ラウラがヤクモに飛び付く。
ヤクモは斜めに躱してラウラの後ろに回り、土を蹴って背中に飛び掛かる。
身を翻したラウラは尾を器用に使って、ヤクモの頭をピシャリとはたいた。
転がったヤクモはなんとか踏ん張り、砂煙を上げながら後ろ足を滑らせる。
身体の大きさは倍くらい違う。
ラウラは手加減しているのだろうが、それでもヤクモが体勢を崩すくらいの衝撃はあるようだ。
ヤクモはそれでも向かって行く。
よく見ると、ラウラは適度に跳ねながら相手の動きをいなしているものの、ほとんどその場から動いていない。
ラウラの前足がヤクモの身体を捉える。
飛び掛かった勢いそのままに弾き返され、ヤクモが大きく吹っ飛ぶ。
――思わず息を飲む。
見守っていたフウが、すかさず尾を振り抜いた。
背中から岩壁にぶつかる寸でのところで、鋭い風がヤクモの身体を押す。
ヤクモは180度向きを変え、垂直の壁を蹴って着地した。
「やるな、フウ。いいサポートだ」
気付けば全員、すっかり観戦モードだ。
魔獣同士の本気の遊びは見ごたえがある。
ラウラは四肢に濃い地の魔素を集めて、強く地面を蹴ったり、地を掴んで踏ん張ったりしている。
まだ幼いヤクモは、思うままにじゃれついている感じだ。
今のところ、ラウラの方が1枚も2枚も上手といったところだろうか。
ヤクモが静かに、ラウラから距離を取った。
「お、来たか?」
ユアンが見上げる崖の上に、大きな影が揺らめいた。
姿が見えているのに、気配を探ろうとしても、うまく存在を捉えられない。
5本の尾をゆったりと揺らめかせ、その視線はフウに向いているようだった。




