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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
―繋ぎ伝えるもの―
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蒼の季 向夏-25.笑顔の盃

 外に出ると、吹き抜ける風が髪を揺らした。

 今までとは明らかに違う。

 緑の匂いを運ぶ乾いた風は、軽やかに王都を巡る。


「雨の季節が終わるね」


 リシェは髪を手で押さえて、風の音を聞くように目を閉じる。


「あと……数日でしょうか」


 王都の雨の季節は二巡ほどで去っていくそうだ。

 抑揚のある風が数日吹き、本格的な夏を連れて来る。


「雨の季節が終われば、採掘も行きやすくなるよ」

「楽しみです」



 離れに戻って、フェンとラウラに鞍を乗せると、2頭は嬉しそうに身体を揺らす。

 フウはいつも一緒だが、フェンはあまり一緒に出掛けられていない。

 森に戻るまでは仕方がないが、本人は我慢しているのだろう。


「フェン、森に戻ったら、また一緒に採取に行こうね」


 鼻先をルティナの腕に押し付けて、大きく鼻を鳴らす。

 一瞬、リシェの心がかすかに揺れた。

 森へ帰る日のことを、思ったのだろうか。

 その意味を感じ取っても、何も言うことが出来ない。


 リシェはラウラを撫でながら、その感情を胸にしまった。


「行きましょうか」

「うん」


 フェンの手綱を取って、リシェと共に、西の裏門へと歩き始めた。




 ドワーフの洞窟は、陽射しを浴びて熱を持った肌に心地よい。


 いつもよりも人の気配が多い。

 岩壁から伝わって来る陽気な振動は、まるで洞窟が喜んでいるようだ。 


「なんでしょう、楽しそうな雰囲気が伝わってきます」

「戻って来てた採掘組がそろそろ出発する頃だから、見送りの宴会をしてるのかも」


 階段を降りていくと、街中から楽し気な笑い声が聞こえる。

 思い思いの場所に座り、普通の二倍はありそうな大きなコップに、溢れんばかりの酒を注ぎ合っている。


 先を歩いていたリシェが足を止め、大きなため息を吐いた。

 視線の先を追うと、バドゥの隣であぐらをかいて、喉の奥が見えそうなほど笑っているのは、紛れもなくザハルだ。

 ドワーフにも引けを取らない大きな体は、不思議なほどその場に馴染んでいる。


「休みだからって昼間から……」

「ふふっ、でもすごく楽しそうですよ」

「いい酒が手に入ったから、バドゥ爺に持って行くって言ってたけど……」

「行ってみましょう。ザハルさんに、リシェをしばらくお借りしますとお願いしないといけませんから」



 街の入口に近付くと、こちらに手を振りながら突進してくるのはドトムだ。


「ルティナ! リシェ姉! 今日は一日宴会だよ! まだ始まったばかりだから、ちょうどいい時に来たね!」


 ドトムに手を掴まれて、引っ張られるようにバドゥの元へと案内された。

 周りで盛り上がっているドワーフたちは、口々に歓迎の言葉をかけてくれる。


「リシェ姉、耳聞こえるようになったんだってね! すごいね!」

「うん、ドトムの声、思ってたよりずっと大きくて驚いてる」

「今日は周りがうるさいから、大きくしてるだけだよ!」

「あはは、そっか」

「リシェ姉、笑うと可愛い!!」

「あははっ、ありがとう」


 リシェの声も、釣られて大きくなる。


 3人で笑いながら歩いて行くと、ザハルがこちらに気付き、動きを止めた。

 ザハルの周りだけ、空気が止まったように見えた。

 その目は、ドトムと笑い合うリシェを見つめている。


 ザハルのその表情を、きっと忘れない。


 胸にぐっと入り込んできた感情は、切ないほどの喜びだ。

 眉を八の字にして、込み上げるものを必死で堪えながら、瞳はリシェから動かない。


 胸が熱くなる。

 リシェにも、ザハルにも、これだけ嬉しい感情を見せてもらえた。

 この幸せな景色が、何よりのご褒美だ。


「おお! リシェ! お嬢! お前らも来たのか!」


 ザハルはあっという間に表情を切り替えて、大きなコップを差し出す。

 あまりの大きさに躊躇すると、ドトムが小さいコップを持って戻って来た。


「女の子にそれはだめだよ! 2人はこっち!」


 なんて紳士な子供だろう。

 ドトムのこういう気遣いは、本当によく行き届いている。


 コップを渡すと、ドトムはまた走って行く。

 2つの小さな作業用の椅子を両手に持って、リシェとルティナの前に並べた。


「どうぞ!」

「ありがとう、ドトムは本当によく気が付きますね」

「皆が大雑把なんだよ!」

「ふふっ、今日はニドムはいないのですか?」

「……ずっと続いた火入れで、ちょっと疲れちゃったみたい。今、チノワと一緒に水場で休んでる。でも大丈夫!」


 ドトムはバドゥの隣に座り、自分は大きなコップを手に持つ。

 寂しそうに表情が曇ったのが、胸に残った。



「騒がしくてすまんな、今日はどうした? 何か用事があるんだろう?」


 バドゥはたっぷり蓄えた髭を酒で湿らせ、いつもより陽気な声を上げる。


「ちょっと伺いたいことがあったのですが、今日でなくても構いません。せっかくの宴会ですし」

「構わんよ。ドワーフの宴会は日常だ。ここのところやっていなかったが、これからはまたこうなる。お前さんたちのお陰で、また皆で酒を飲む気分になれた」

「わたしは何も……」

「何を言っとるか。まったく、まだ儂らの感謝が足りてないと見える。ドトム、ルティナに美味い酒を注いでやれ」

「うん! どれがいい? エール、ワイン……ザハル叔父さんの……なんか強いやつもあるよ!」


 机に並べられた瓶は、それはすごい量だ。

 よく見ると、そこかしこに積み上がった箱は、ほとんどに酒瓶が詰まっている。


 ドトムの言う、“なんか強いやつ”には見覚えがある。

 グラムという香り高い蒸留酒だ。

 父が嬉しいことがあるときに、大事そうに飲んでいたのを思い出す。


「じゃあ、なんか強いやつを下さい」

「お嬢! やっぱり飲める口か!」

「量が飲めないので、強いお酒は好きです」

「あーっはっはっはっは! なるほどな! 良い飲み方だ!」


 ドトムは、グラムの瓶を開けてルティナのコップにゆっくりと注ぐ。

 コップの三分の一ほど注いだところで、止めてくれた。

 こういうところまで、本当に気が利く子だ。


 ひと口含むと、甘いブドウの香りが広がる。

 そのすぐ後、喉を焼きながら胃へと落ちていく。

 さすがに、そのままだと喉にくる。

 でも、後味はすっきりして、香りだけが鼻の奥に残るようだ。


「美味しいです。香りが濃厚ですね」

「だろう? 割って飲んでもいいが、そのままでも充分美味い」


 ザハルはまだ、飲み始めのエールを楽しんでいるようだ。

 大瓶にそのまま口を付け、ぐびぐびと飲み干している。



「で、聞きたいことはなんだ?」


 バドゥはエールから次の段階へ進むらしく、美しい琥珀色の瓶を手に取り、栓を抜いた。


「バドゥ様、母晶という石をご存じですか? 母層から育つ結晶だと……本に書かれていたのですが……」

「母晶……」

「陰陽石は、その母晶に、陰と陽が留まった石のようなのです」


 バドゥは瓶に口を付け、小さく喉を鳴らした。


「確かではないが、母層近くに出来る鉱液の結晶のことかもしれん」

「鉱液の結晶……」

「今まで何度かしか目にしたことはないが、曇りのない透明な結晶だ。母層に近すぎて、我らは触れようとは思わんが」

「……そうですか」


 母層を大切にするドワーフなら、母層を傷付ける可能性があるなら触れたくないだろう。

 陰陽石を探すなら、母晶の近くが良いと思ったが、難しいのかもしれない。


「探しとるのか?」

「……はい。でも、母層に負担がかかるなら、別の方法を探します」

「ルティナ、我らを誰だと思っとる。もっと頼れ」


 バドゥは、ニヤッと口元を上げて瓶を傾ける。


「あの……、母晶が欲しいのではなく、陰陽石が欲しいのです。おそらく、霊脈の近くにある母晶に霊素が蓄積するのだと思って……母晶がある所なら探しやすいのではないかと……」

「……大地の中は、徐々に変化している。母層は徐々に動き、地層が大きくズレたりもする。魔脈や霊脈も、常に同じところを巡っている訳ではない。探すなら、もともと母層があった場所がいいだろうな。母層に沿った霊脈がそこに残っているなら、結晶がその場に残され、霊素を蓄える条件も揃う」


 なるほど、それなら母層に近付きすぎることもない。


「だが、ドワーフに陰陽石ははっきり見分けがつかん。チノワがいれば見つかることもあるが、それも偶然であることが多い。本気で探すなら、見分けがつくやつが行く方が確実だ」

「ルティナは行きたいみたい。ルティナが行くなら、ラウラと一緒について行く」


 リシェは、バドゥとザハルに視線を送る。


「ちょうど、母層が離れた洞窟を採掘している奴らが戻って来とる。北にあるアズラム山の麓だったはずだ。あの辺りなら、行けなくもない」


 バドゥは視線だけでザハルに問い掛ける。


「家から一日ってとこか。本気で行くなら、家に一泊して早朝に出発、洞窟付近でも泊まることになるだろうが……それでもお嬢は行くか?」


 自分だけでは決められない。

 ユアンに相談してみないことには何とも言えないが……

 でも、行きたい。


「行きたいです。ユアン様に相談してみます」


 頷いたバドゥは、穏やかに笑んだ。


「ドワーフはお前さんたちなら歓迎する。それは、どこでも、誰でも同じだ」

「家はいつでも歓迎だ。お嬢に会いたいと騒いでいるのもいるしな」


 温かい人たちだ。

 この人たちがいれば、不安など感じないほど心強い。


「帰ったら、すぐにユアン様に話してみます。ありがとうございます」


 手に持ったコップに口を付ける。

 喉を通るグラムの感触も、なぜだか和らいで感じる。



 皆が楽し気に騒ぐ中、ドトムが食事をよそった器を持ち、歩いて行く姿が見えた。

 ドトムが向かうのは、きっと水場だ。


 さっき見たドトムの表情が思い浮かぶ。

 笑ってはいたが、きっと不安なはずだ。


 ルティナは立ち上がり、ドトムの後を追う。

 隣で伏せていたフウも同時に立ち上がり、一緒に歩き出した。




 街よりも、空気がひんやりとしている。

 ここは、陰が濃い。


 ニドムは、以前チノワが休んでいたところで横になっていた。

 横には、ぴたりと寄り添うチノワがいる。


「あ……ルティナ。ごめん、気になった?」


 ドトムは申し訳なさそうに下を向く。


「いいえ、少し涼みに来ただけです。ニドムは熱があるのですか?」

「うん、火照りが強いみたい」


 目を閉じてじっとしているニドムを見ると、子供とはいえ巡りが速い。

 偏りが強く出てしまっている。

 

 陰の濃いこの場にいれば和らぐだろうが、落ち着くまでには時間がかかりそうだ。

 チノワが陰を集めているが、陽の霊素と違って、外側からでは効果が薄い。

 陰は内側に流さないと、なかなか調わないのだ。


「火入れは……相当暑かったのでしょうね」

「うん、3日ずっと頑張ってたから……僕もニドムくらいのときは、よくここで寝てたんだ。だから大丈夫なのは分かるんだけど、辛いのも知ってるから……」


 ドトムはしっかりお兄ちゃんだ。

 宴会の空気を壊すまいと、明るく振舞っていた。

 それでもずっと、心にはニドムのことが引っかかっていたのだろう。


 こんなに物分かりが良いと、見ていて苦しくなってしまう。


「ドトム、少しだけ……ニドムに触れても構いませんか?」

「え……? うん、もちろん」


 ルティナは、そっとニドムの手を握る。


 目を閉じて、身体の中心に意識を集める。

 小さい律月ルオルを、身体の奥に浮かべる。


 以前よりも、時間がかからなくなっている。

 自分の霊核に感じる霊素の量も、随分多くなっている気がする。


 指先から白銀の霊素を送り出し、手のひらへ淡黄の霊素を引き寄せる。

 速くなった身体の巡りを、徐々にゆっくりと鎮めるように。

 呼吸に合わせて、ニドムの身体を本来の状態へと調えていく。


 ドワーフは、中庸よりも少しだけ陰に寄っている。


 巡りが落ち着くと、抑えられていた体内の魔素が美しく光り出す。

 ドトムと似ている……鮮やかな黄色の魔素だ。


 手を離しニドムを見る。

 強く出ていた顔の火照りも収まり、呼吸も落ち着いたようだ。


 受け取った陽の気素は少ない。

 これだけの量でも、子供の身体には辛いのだ。



「これで、だいぶ楽になると思います」


 呆気に取られ、ドトムは口を開いたままニドムを見つめている。


「え、……え?? あれ……?」

「わたしは、ちょっと不思議な薬草師なんです」

「……薬草なんて使ってなかったよ?」

「確かに……使いませんでした……」


 ドトムには、誤魔化しが効かないのは分かっている。

 いつも、見たままを正しく受け取る子だ。


 しばらくドトムと見つめ合って、どちらからともなく笑いが込み上げる。


「ふっ……あははっ、だから不思議な薬草師なんだね」

「ふふっ、そうですね」

「ありがとう、よく分からないけど……ニドムを楽にしてくれたのは分かるよ」


 ドトムはまっすぐに目を合わせた。

 小さな右手を胸の前で握り、甲に左手を被せる。


「ドワーフの礼だよ。心からありがとうっていう意味なんだ」


 説明がなくとも、その姿と、ドトムから溢れる感謝はしっかりと届く。


「心を、ここに受け取りました」


 ルティナは立ち上がり、両手を胸の前に重ね、ゆっくりと膝を折る。

 アマヒトの礼は、全てを受け取り、祈りを返す礼だ。


「わたしの……感謝の礼です」

「綺麗な礼だね……」


 ドトムは瞳をきらきらさせて、にっこりと笑った。



 ニドムが目を覚ますのを待って、皆の元へ戻る。

 ペースを落とすことなく、ドワーフたちは飲み続けている。

 彼らは陽気で、豪快で、酒好きな種族だ。

 

「爺さま、ニドムが元気になったよ」


 ドトムの後ろから出て来たニドムが、バドゥの膝によじ登る。

 バドゥはニドムの額に手を当て、ちらりとザハルを見た。

 ザハルはただ、頷きながら視線を返すだけだ。


 言葉を探しながら、バドゥは声を小さくする。


「また、世話になった……だが、あまり無理をするな。自分のことを、ちゃんと守れ」

「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です」


 理解してくれる人がたくさんいる。


 何より、自分がやりたいと望むことを、もう迷いたくない。



「ルティナは、ちょっと不思議な薬草師なんだよ! ちょっと不思議なだけ!」


 その言葉に、ぶわっと全員が笑い出す。

 ドトムは本当に……いつも場の空気を和ませてくれる。



 ここにいたドワーフたちには、きっと――

 “ちょっと不思議な薬草師”と、覚えられたに違いない。



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