蒼の季 向夏-24.輪の中で
離れに戻ると、ちょうどアベリスのメイドたちが出て来るところだった。
生活に困らないよう、食材や魔導石の補充などをしてくれている。
「いつもありがとうございます」
ルティナが声を掛けると、メイドたちは丁寧にお辞儀をする。
「新しい寝椅子をご用意しておきました。寝室が少し狭くなってしまいましたが……」
「寝椅子を……」
セラが気を利かせて、頼んでおいてくれたようだ。
すっかり頭から抜けてしまっていたが、さすがセラだ。
箱で買ってきたエールを冷やそうと保冷棚を開けると、中にはすでに数本のエールが冷やしてあった。
アベリスのメイドたちは、こちらの様子をよく分かっているらしい。
至れり尽くせりの心遣いだ。
夕食は、エールに合う物をいくつか準備した。
父が好んだ夏野菜のおろし和えは、リシェも気に入ってくれた。
「明日はどうするの?」
3杯目のエールを飲み干して、リシェは保冷棚へ向かう。
涼やかな目元も、雰囲気も、今日はまったく変わらない。
エールを注ぐ姿がとても似合うと思ってしまうのは、失礼だろうか。
「そうですね……バドゥ様に母晶というものをご存じか、聞きに行こうと思います」
「明日は休みだから、一緒に行ってもいい?」
「もちろんです。いてくれると心強いです」
リシェがいてくれるなら、詳しい話を聞けるかもしれない。
何より、一緒に出掛けられるだけで嬉しい。
「リシェは、自分で採掘に出ることもありますか?」
「たまにかな。雨の季節が終わったら、一度行きたいと思ってる。山で感じる風が渇いてきてたから、今年もそろそろかな」
「それは……何か準備が必要ですか?」
雛鳥の串焼きを頬張った口元を手で押さえながら、もごもごと動かす。
リシェの口には、一切れが大きかったかもしれない。
最近は食べてくれる人が男性ばかりだったので、いつの間にかそれに慣れてしまっている。
飲み込んだ後、エールを喉に通して、満足げに微笑んだ。
「動きやすい格好であれば大丈夫だと思うけど、場所によっては道が悪い所もある。いつもラウラと一緒に行くから困ったことはないけど、フェンは大変かもしれないね」
「そうですか……」
エルドポニーは、悪路でもそこそこ歩けるとはいえ、険しい山道はさすがに無理だろう。
ラウラの脚はかなり濃い魔素が巡っていた。
山で暮らす魔獣なら、適した能力を持っているのかもしれない。
「……行きたいの?」
「リシェが、どうやって採掘するのか見てみたくて」
「じゃあ、ラウラに一緒に乗って行く? それか……うちに遊びに来た時に、フェンを預けて歩いて行くとか……」
「リシェの家の近くに、採掘できる場所がありますか?」
「いくつか洞窟もあるし、天然石は鉱脈とは別の所で見つかったりするよ」
鉱石と天然石は成り立ちが違うのだろうか。
魔素の影響を継続して受ける場所と考えると、洞窟の中では条件が難しい。
そもそも、天然石とはなんなのだろう。
知らないことばかりで、興味が尽きない。
森には森の巡りがあるように、大地には大地の巡りがあるはずだ。
「もし、可能なら……行ってみたいです」
リシェに出会って、大地の巡りのことを考えることが多くなった。
森や平原、海、空、そして大地。
それぞれに違った巡りがある。
王都に来て、世界の見え方が変わったのだと思う。
見える景色が広がり、それぞれをもっと深く知りたくなった。
「わかった。父さんや母さんにも相談してみよう」
「ありがとうございます!」
「まずは、明日のドワーフから」
リシェは、自分よりずっと地に足が付いている。
考え出すと、心が宙に浮いてふわふわしてしまうのは悪い癖だ。
「そうですね」
先のことを考えるのが楽しい。
リシェと一緒に森に採取に出るのも、きっと楽しいだろう。
想像に胸を膨らませながら、ぬるくなったエールを飲み干した。
太陽に呼ばれるように、目が覚める。
隣から聞こえる穏やかな寝息は、同じリズムを刻んでいる。
近くに人の気配がする中で目覚めるのは、いつ以来だろう。
誰かと一緒に眠るのは苦手だったはずだ。
以前は、同じ部屋に人がいると、ほとんど眠ることが出来なかった。
気配を近くに感じ過ぎてしまって、落ち着かないのだ。
なのに、何の苦も無く眠れた。
自分の感覚が変わったのか、それともリシェだからなのか。
リシェの寝顔はあどけない少女のようで、見ているだけで癒される。
足音を立てないように、寝椅子の横をすり抜けて部屋を出た。
身支度をし始めると、厩の方でフェンが足を鳴らすのが聞こえる。
朝ごはんのおねだりだ。
暑くなってくると体力を使うのか、よく食べるようになる。
食いしん坊のフェンに、今日は市場で美味しい果物でも買ってきてあげよう。
厩に朝ご飯を準備しながら、簡単に食べられる物を考える。
ミオルに届ける差し入れは何が良いだろう。
栄養があって、食べやすくて、食べる量が調節できるもの。
たくさんの種類の穀物があるし、久しぶりにミュズリでも作ってみようか。
あれならそのままでも食べられるし、ミルクに浸しても美味しい。
火床の戸棚から、数種類の穀物と押し麦、木の実を取り出した。
穀物と押し麦を、香りが立つ程度に炒って粗熱を取る。
木の実は軽く炒ってから、食感が残る大きさに砕く。
麦粉に、ひとつまみの塩を加え、炒った穀物と押し麦、木の実を混ぜる。
ミルクと蜂蜜を加えて練り、上手くまとまる硬さの生地を作る。
生地を休ませる間に、一緒に届ける干し果実の準備を進める。
王都で手に入る干し果実は、あまり種類が多くない。
先日たまたま見つけたアプリナと、ベリー、ブドウの3種類を、食べやすい大きさに切って瓶に詰める。
瓶に詰めた干し果実は、赤、紫、橙と鮮やかで、見た目にも可愛らしい。
休ませた生地を小分けにして薄く伸ばし、鍋に貼り付けるように焼いていく。
穀物と木の実の、とびきり香ばしい香りが鼻をくすぐる。
火床いっぱいに香りが広がる頃に、リシェが起きて来た。
「おはよう……なんか、すごく良い匂いがする……」
まだ頭がぼーっとしているリシェは、香りにつられてぺたぺた歩いてくる。
寝起きはわりとのんびりなようだ。
「ミオル様への差し入れを作っていました。リシェも朝に食べますか?」
「うん……食べる」
「身支度が整う頃に焼き上がると思いますよ」
「うん……ありがとう」
半分閉じた目をこすりながら、ふらふらと水床へと向かう。
朝に強いルティナと対照的な様子は、微笑ましく映る。
軽く焼き色が付いたら裏返し、両面が香ばしく焼き上がればミュズリの完成だ。
そのままかじれば、穀物の香ばしさの中に蜂蜜の甘みがほんのりと広がる。
保存も携帯もしやすく、森歩きによく持って出かけていた。
ミュズリを2枚ほど深皿に乗せて、干し果実とミルクを並べる。
着替えてすっきりと目が開いたリシェは、火床の卓に着いた。
目の前に並べられたミュズリを、珍しそうに眺めている。
「初めて見る……」
「ミュズリといって、穀物と木の実で作った軽食です」
リシェの前に置いたミュズリを、皿の中で細かく砕き、干し果実を乗せ、冷やしたミルクをかける。
「食感があるうちに食べても良いですし、ミルクが染み込むと柔らかくなってコクと甘みが増します。好みの硬さで食べて下さい」
リシェは、ミルクに浸ったミュズリを珍しそうに眺める。
用意した木製の匙で掬って、ゆっくりと口へ運ぶ。
パリッと良い音が聞こえる。
口を動かしながら、リシェの目は徐々に丸くなり、ふにゃりと顔が緩んだ。
「これ……すごく美味しい。優しい、甘い、食べやすい」
「ふふっ、良かったです。ミルクに蜂蜜を溶かしても美味しいですよ」
「甘い軽食って初めて。作り方教えて欲しい。うちで作ってあげたい」
「あとでメモにしてお渡ししますね」
リシェは干し果実を足しながら、嬉しそうに食べ進める。
案外、甘い物も好きなのかもしれない。
朝の鐘が鳴ってしばらく経った頃、ミュズリと干し果実を籠に詰めて、リュサールの執務室へ向かう。
入口に立つ兵士や文官たちにもすっかり覚えられたようで、最近では軽く会釈をするだけで要件も聞かれなくなった。
階段を昇ると、執務室の前で軽装のロイが誰かと話している。
緩く波打つ青藍の髪は、見覚えがある後ろ姿だ。
「あ……」
リシェが足を速め、後ろを向いたその人の腕に、そっと手を掛ける。
「ああ、先日の……体調は戻りましたか?」
振り向いたイアムはリシェの目をじっと見つめ、彼女の首元に手を当てる。
「火照りはなさそうですね。顔色も良くなっていますし、安心しました」
「昨日はありがとう……見つけてくれて、とても助かった」
「身体の不調とは違うようでしたので、お役に立てたかは分かりませんが……」
「ううん、あなたが魔素を流してくれて、とても楽になった。ありがとう」
「そうですか……」
イアムは、観察するようにリシェを見つめている。
彼も魔素に敏感な人だ。
何か感じることがあるのかもしれない。
「耳……でしょうか」
わずかに首を傾けながら、イアムは独り言のように呟いた。
人の身体を診続けていると、魔素の流れに違いを感じるのかもしれない。
リシェは、尋ねるようにこちらに視線を向ける。
助けてくれたイアムには、きちんと話したいのだろう。
頷きを返すと、ほっとしたように言葉を続けた。
「……生まれつき耳が悪かったんだけど、最近聞こえるようになった。それにまだ慣れていなくて、音に酔ってしまったんだと思う」
「なるほど……」
イアムは目だけをこちらに動かし、納得したように頷いた。
勘の鋭さに、思わず視線を逸らしてしまう。
「慣れるまではしばらく時間がかかりそうですね。辛い時は、1つの音に集中すると良いかもしれません。何かに意識を向けると、他の気配は薄れるものですから」
「分かった、気を付ける」
リシェの横をすり抜けて、イアムはルティナの横で止まった。
「ルティナ殿、いつでも構いませんので、お時間をいただけますか? お話したいことがあります」
「……はい、いつでも……」
どうやら、彼の興味はこちらに向いたようだ。
きっと……、リシェへの施術について、詳しく知りたいのだ。
イアムは満足そうな笑みを浮かべ、急ぎ足で階段を降りて行った。
今日もアベリスの執務室だろう。
「ルティナ様、リシェさん、書庫は楽しまれたようですね」
ロイは、街に出かける時の軽装だ。
ようやく都下の治療が落ち着き、四家で試していた茶も好評だと聞いた。
本格的に茶葉作りを始める頃だろうか。
「……はい、お陰様で……あの、ミオル様はいらっしゃいますか?」
「中におります。ようやく一段落して、しばらくゆっくりできると言っていたのに、今日から書庫の整理を始めると……兄様は仕事の虫です」
耳が痛い。
明らかに巻き込んだのはこちらだ。
隣でうつむいているリシェも同じ気持ちだろう。
「ロイ様、実はわたしたちが無理なお願いをしてしまったのです。急ぎではありませんから、身体の負担にならない程度に……」
「そんなことだろうと思いました。兄様はルティナ様に甘いですから。でも、とても楽しそうに話しておられましたから、本人もやりたいのだと思います。夜会を抜けて正解だったとまで言っていましたよ」
ロイの言葉に、兄へのささやかな呆れを感じながら、持って来た籠を差し出した。
「今朝作ったものなのですが、これならミオル様も召し上がりやすいと思います。お渡ししても構いませんか?」
「どうぞお入りください。私もぜひ見せていただきたいです」
パッと顔を明るくして、ロイは執務室の扉を開ける。
眼鏡を外したミオルが長椅子にもたれかかっている姿は、あまりにも新鮮だ。
今日は、久しぶりにのんびり過ごせる日だというのが伝わって来る。
「おや、おはようございます。さすがにまだ、書庫の整理はしていませんよ?」
緩い空気のミオルだ。
眼鏡を外しているときは、いつもよりも距離感が近くなる気がする。
「今日くらいはお休みになって下さい。急いでいる訳ではありませんから」
「今休んでいますよ。書庫は午後から取りかかる予定です」
休むことに対する意識の低さは、どうやったら変わるのだろうか。
もともと線が細い彼だが、少し痩せたような気がする。
「ミオル様……夏は苦手ですか?」
「そうですね、涼しい方が好きです」
「体重が落ちると体力も落ちますから、維持するくらいには召し上がって下さい」
「毎年のことなので気にしていませんでしたが……あなたが言うなら……気を付けましょう。ルティナ殿の食事を知ってしまうと、どうしても普段の食事が重く感じてしまってよくありませんね」
やけに素直だ。
だが、視線はこの籠に向いている。
目が合うと、彼は大げさに笑顔を作る。
籠に掛けていた布を外し食べ方の説明をすると、ミオルもロイも同じように興味津々だ。
「これはまた……穀物とは思えない香りですね」
「このままでも美味しくて保存も効くので、森に出るときの軽食として持ち歩いていました。ミオル様ならミルクに浸して、少し柔らかくした方が食べやすいと思います」
ミオルは1枚取り出し、指先で半分に割る。
半分をロイに渡し、ひと口サイズにしたミュズリを口に入れた。
パリッと乾いた音が執務室に響く。
人がミュズリを食べる音は、やけに良い音だ。
「充分食べやすいです。ほのかに甘いのも嬉しい」
「穀物と木の実、干し果実で栄養も糖分も補給できます。食べ方も色々で、蜂蜜を足したり、生の果実を混ぜたり、塩気が欲しいときはミルクスープに浸しても食べやすいです」
「蜂蜜をミルクに溶かしたら、すごく美味しかった」
思い出すように、リシェが頬に手を当てる。
よほど気に入ってくれたようだ。
「パンよりも栄養が取れて、胃にも軽い穀物と考えれば良いでしょうか。……ミルクスープは試してみたいですね。夕食には温かいものを食べたくなりますから」
ミオルは細かく割りながら、半分を食べきっている。
「これ、間に硬めのクリームやチーズを挟んだら、遠征にも持って行けそうですね」
ロイが考えるのは実用的な食べ方だ。
確かに、チーズなら日持ちもしそうだし、適度な塩気も取れる。
クリームを挟んでしっとりしたミュズリも、きっと美味しいだろう。
「発酵乳を絞ったラヴネも合いそうだね」
「ラヴネ……初めて聞きました」
リシェはルティナの知らない料理や調理法を知っている。
「アルデニアでは見たことないね。イグドラではよく食べるものみたいだよ。発酵させたミルクを布に包んで、一晩水切りするだけなんだけど、硬いクリームみたいになる。酸味が強いから好みが分かれるけど、蜂蜜とまぜたり、木の実油とハーブを混ぜたりもするよ。エールにも合う」
たしかに、それならコクがあってきっと美味しい。
甘い果物にも合いそうだ。
「ルティナ、今度作り方を教えに来てあげたら? そのときに一緒に教わりたい。元の粉をトウモロコシの粉にしたり、もっと柔らかく焼き上げたり……これ、もっと色々な料理になりそうだよ」
リシェの言葉に、身体を乗り出すのはロイだ。
彼にとって、これ以上の提案はないだろう。
「お願いできるのなら、日程を調整いたします!」
張り切ったロイの声は高く響き、リシェが隣で吹き出した。
気まずそうに口を抑えて、ロイと目を合わせて微笑む。
確かに、面白いかもしれない。
リシェは、ルティナに馴染みのない調理法も知っていそうだ。
一緒に考えたら、自分では思いつかない新しい料理が生まれるかもしれない。
「色々試しながら作るのも……楽しそうです」
ロイとリシェが、タイミングを合わせたように頷いた。
人が1人加わるだけで、こんなにも雰囲気が変わるものだろうか。
今までとは違う方向に話が進んでいく。
「リシェ、しばらく離れに泊まりませんか? 一緒に料理を作ったら、美味しいものがたくさん作れそうです」
「ルティナがいいなら、荷物をまとめて持ってくるよ」
想像が膨らむ。
リシェと料理をし、誰かに喜んでもらえるなら、こんなに楽しいことはない。
離れの広さなら、6人が限界だろうか。
「……それは、とても楽しくて美味しそうな場所ですね……私もご一緒したいところです……」
「ロイさんに、エールの飲み方を教えてあげる。きっと好きだと思う」
「それは楽しみだ」
「ミオル様は……香花酒に梅干しかな。甘酸っぱいの好きそう」
「ご馳走になりたいものです」
リシェは、こんなに笑う子だったのだ。
感情が穏やかなことは変わらない。
それでも今は、自然と輪の中で笑っている。
リシェが聞こえるようになって欲しいと願うのは、自分の勝手な思いかもしれないと、随分考えた。
でも、今の楽しそうなリシェの姿は、自分のしたことを認めるには充分だ。
「じゃあ、ザハルさんが許してくれたら、ぜひそうして下さい。わたしも嬉しいです」
空気が弾けるほど、リシェは華やかに笑った。
その姿を眩しそうに見つめるロイと、この場を見守るミオルの温かさが心地良い。
その輪の中にいられることを、ルティナはこの上なく幸せに感じた。




