蒼の季 向夏-22.陰陽石
「これなら、今のレンガほど熱を蓄えることもなさそうです」
「そうか。それなら、このまま進めよう」
エデュードは、ほっとしたように表情が緩んだ。
隣に立つナヴァンは、書類に目を滑らせながら、すでに別のことを考えている。
「今日から生産を始め、徐々に入れ替える作業を進める。作業に入るまでに、水路を引くルートなども相談したい。日程の調整をしてご連絡してもいいだろうか」
「分かりました。お待ちしております」
ナヴァンは頷いて、ディノと相談を始めた。
ルティナは、目の前に置かれたレンガに触れる。
「この新しいレンガに使っている石……なんとなく覚えがあるような気がするのですが……」
淡い色合いのレンガは、表面がざらっとした荒い砂のような質感をしている。
指先に伝わる冷えた感覚は、石の質感だけではない。
レンガ自体が、うっすらと陰を含んでいるのだ。
「このレンガは、焼かずに固めて作っている。先日ドワーフの洞窟に案内してもらった折に、その採掘場で出た廃石が目に留まってね。事情を話して少し譲ってもらったんだ。彼らの石に関する知識は素晴らしかった。焼かずに造るレンガの製法も、彼らの助言を参考にしたのだよ」
それで納得した。
洞窟の岩壁は、全体が淡い陰を含んでいた。
あれだけの数の炉を動かしても陽に傾かないのは、それだけの陰でバランスが取れているということだ。
「ドワーフたちの知恵ですね」
「ああ。入れ替えて出る大量のレンガをどうするか考えていたのだが、その扱いについても色々と教えてくれた。まだ小さな子供なのに、我々よりもずっと自然の仕組みを理解しているようだった」
浮かんだのはドトムの顔だ。
洞窟には、ドワーフの子供は多くなかった。
子供たちは、他の採掘拠点に向かうことがほとんどだそうだ。
身体ができていない子供のうちは、太陽を浴びられる場所でというのが、ドワーフの考え方らしい。
「10才くらいの男の子ではないですか? ドトムという名前の……」
「ああ、そうだ。あの子はとても可愛かった……もっと色々と聞かせて欲しかったが、時間がなくてね」
エデュードは、ドトムを思い出しているのか、嬉しそうに表情を緩めた。
確かに、ドトムはとても可愛い。
ドワーフの丸みを帯びた体つきが、子供の背丈だとより際立つ。
「王都に来たがっていましたから、頼めば来てくれそうですが……ドトムの弟のニドムも、ころころしてとても可愛いです」
「その子は、隠れてしまって顔を見せてくれなかったな……」
「エデュード様は怖がられていたのですよ。私とは話してくれましたから」
机の上のレンガを片付けながら、ファムは軽やかに笑う。
身体の大きい大人は、幼い子からするととっつきにくいのかもしれない。
「今度頼んでみよう。うちの子供たちとも歳が近い。学ぶことも多いかもしれん」
ドワーフと人が……異種族と人が、これだけ交流を持とうとするのは珍しいのではないだろうか。
エデュードが地の人だというのも、相性が良い理由かもしれない。
知識を渡し合い、協力して暮らせる未来を想像するだけで、身体が熱くなる。
異種族とは言え、同じ世界を生きる人だ。
お互いの理解が深まっていけば、良い関係が育つはずだ。
実務棟での打ち合わせを終えて外に出ると、強い陽射しに思わず目を伏せた。
雲の欠片もない空は、いっそう青が濃くなった。
雨の季節はそろそろ終わりだろうか。
「日傘を用意した方が良さそうですね」
空を見上げるセラが、恨めしそうに額に手を当てる。
この季節になっても、彼女が黒の上着を脱ぐことはない。
汗もかかず、涼しい表情をしているセラだが、この陽射しは堪えるらしい。
「わたしは特に気にしませんよ? このくらいの陽射しなら、森ではいつも歩き回っていますから」
「……せっかくの白い肌が焼けてしまいます」
「冬になれば戻りますから、大丈夫です」
ぴくっと眉を動かしたが、セラは目を伏せた。
こういう会話が噛み合わないことを察したのか、最近はあまり詰めて来なくなった。
だからと言って、諦めているわけではないのがセラらしい。
いつの間にか用意されて、セラが思うようにしているのを受け入れている。
最近では、丈の短い軽いマントが用意されていた。
ユアンが贈ってくれたものと同じ色合いで、美しい留め具は新しい方に付け替えてくれていた。
ルティナが大切にしていることを、ちゃんと汲んでくれているのだ。
「一度離れに戻りましょう。午後は何か予定はありますか?」
「本日は以上です。夕方前にはユアン様の任命式と、その後には夜会が催されるので、皆さまそれに向かわれるのでしょう」
「そうですか……では、わたしは書庫でのんびり過ごすのもいいですね」
アベリスの敷地に戻りながら、ふと、リシェのことを考えた。
あれから3日だ。
音に敏感なリシェにとって、聞こえることが辛くなってはいないだろうか。
四家の敷地内は、王都の中でも比較的静かだ。
人の多いところがあまり得意ではないが、ここなら楽に過ごせる。
リシェの店は、裏通りとは言え市場の近くにある。
あの賑わいに慣れるには、かなり時間が必要なはずだ。
離れに向かうと、戸口の前に人影が見えた。
手を取って向かい合っているのは、リシェとレイランだ。
耳は聞こえるようになっていたはずだ。
それなのに手を取っているということは、もしかしたら上手く巡りが維持できていないのかもしれない。
気持ちが逸り、無意識に歩みが速くなる。
近付くごとに感じるのは、笑い合う2人の和やかな空気だ。
表情を見る限りでは、何かあったとは思えない。
こちらに気付くと、リシェはパッと笑顔を見せた。
「ルティナ、会えて良かった」
「リシェ、耳は大丈夫ですか? 何かありましたか?」
「早く会いたくて、約束してないけど来ちゃった」
「それは全然構いませんが……聞こえて……いますよね?」
「うん。だいぶ慣れたよ。さすがに、市場はまだ駄目だったけど」
「でも……手を取って話していたのは……」
「……その方が慣れているから、レイランが合わせてくれただけ。大丈夫、ちゃんと聞こえてる」
触れていなくても、リシェと会話が出来ている。
不思議とリシェに触れたくなるのは、手を取って会話するのは安心なのだと、リシェに教えてもらったからだ。
レイランが手を取りたくなる気持ちが、よく分かる。
「……わたしも、リシェと手を取って話したいと思ってしまいます」
「うん、でも、普通はしないって、さっき教えてもらった」
「確かにしないかもしれませんが……その方が落ち着くのは、リシェと話すようになって知りました。手は、とても相手のことを伝えてくれますから」
「うん。お互いに、伝わってしまう。それを嫌がる人が多いのも知ってる」
リシェは声を小さくして、肩をすぼめた。
だからリシェは、必要以上に人と関わらなかったのかもしれない。
「リシェは強いですね。わたしは……相手の心が入ってくるのが苦しくて避けていましたが……リシェは相手のことを思って、距離を取っていたのですね」
「違うよ。相手が嫌だって思うことに、気付きたくなかっただけ」
それはリシェの優しさだ。
嫌だと思わせてしまったことが苦しい。
相手に不快感を与えたことに傷付く。
きっと、それが何度も積み重なったのだ。
人に心が伝わることが嫌だと思う人には、それなりの理由がある。
その理由までもこちらが察するのは無理だし、その必要もない。
リシェは同じように、自分も伝えている。
自分だけが一方的に読んでいるわけではない。
隠さずに伝えられるのは、その必要がないほど澄んでいるからだ。
「手を取らなければ感じないのと違って、ルティナは自分の意思とは関係なく分かってしまうんでしょ。その方がずっと辛いよ」
「わたしの場合は、相手には気付かれませんから。自分が気にしなければ、それは無かったことになります」
一瞬の沈黙のあと、リシェは一歩進んだ。
今までと同じように手を取って、目を合わせる。
「ルティナに会えて、声が聞けて、手を取って会話できて、嬉しい。ありがとう」
手と、言葉と、瞳。
全部で伝えられた、心からのありがとうは、自分の中に入りきらないほど大きかった。
「わたしも、リシェに出会えて、心から嬉しいです」
どちらの心にも入りきらない感謝は、その場を満たすように、そこにある空気に溶けていった。
「では、わたしは戻ります。……セラ、リシェが帰るときには送って行って欲しい」
レイランがセラに視線を送ると、彼女は小さく頭を下げた。
「レイラン様は、これから任命式と夜会でしょうか?」
「はい。帰りは遅くなりそうなので、今日はこちらには顔を出せないと思います」
「そうですか、わたしのことはお気になさらず……ユアン様にもそうお伝えください」
「……わたしよりも憂鬱そうな顔をしていましたから、明日にでも時間を取っていただけると……」
「……ふふっ。何か美味しいものを、用意しておきます」
華やかな場所が似合う人だと思うが、きっと周りが気になって疲れてしまうのだ。
いつも人に囲まれて、楽し気に振舞っているように見えるが、ユアン自身が楽しめているかというのは別問題らしい。
「レイラン……ありがとう」
「ああ。慣れないうちは無理するなよ」
「うん、気を付ける」
「……じゃあな」
レイランの背中を追うリシェの瞳が、寂しげな色を落とす。
その横顔が可愛くて、思わず抱きしめたくなった。
「リシェ? 今日は泊まっていきますか?」
「え、と。……父さんが心配してそうだから、一度戻って伝えてからでもいい?」
「もちろんです。わたしも一緒に行きます」
店では、案の定ザハルがそわそわしながら待っていたようだった。
2人で戻って来たのを、心底ほっとした様子で迎え入れる彼は、過保護な父親だった。
強面だが、情に厚く、涙脆い。
あまり見ることが出来ないそんな一面も、彼を温かい人だと感じさせてくれる。
ザハルにも、とても丁寧に感謝を伝えてもらった。
王都に来てからというもの、こういうことが増えた。
理解をしようとしてくれる人が、ここにはたくさんいる。
ラウラとフウを連れて歩くと、行き交う人の視線は釘付けだ。
珍しい魔獣が2頭一緒にいると、どうしても目立つ。
嫌な視線は感じないが、やはり落ち着かない。
当の本人たちはまったく気にせず、ラウラはどこか得意げに歩いている風だった。
早々に市場を抜けて、四家の敷地に入るといくらか人の目は減った。
「やっぱり……目立ち過ぎるでしょうか……」
後ろを歩くセラを振り向くと、何とも言えない表情で目を逸らされた。
出来ればやめて欲しいと、顔に書いてある。
「ルティナは今日何をするつもりだったの?」
静かになって落ち着いたのか、リシェの緊張もほぐれたようだ。
「わたしは、書庫で本を探そうかと思っていました」
「書庫……」
リシェの目が輝く。
やはり、リシェも同じだ。
この反応を見るだけで、なぜだか胸が躍る。
「とても大きな書庫があって、時間がいくらあっても足りないのですが……リシェも本が好きですか?」
「好き……でも、入れるのかな……」
「確か、登録が必要だと仰っていました。わたしの鍵で入っても良いか聞いてみましょうか」
「無理しないで。ルティナが書庫に行くなら、離れで待ってるよ」
「一緒に行きたいです。聞いてみましょう」
ちょうどリュサールの門が見えたところだ。
任命式がもうじき始まるなら、ミオルやロイはいないかもしれない。
入口の前に差し掛かると、セラが足を止めた。
いつもとは雰囲気の違うロイが、足早に通り過ぎようとしている。
リュサールの正装らしく、藍鼠の上着に肩布を掛けた姿はとても凛々しい。
ちらりとこちらに目を向けると、何かを察したように方向転換して走って来る。
「ルティナ様、何かありましたか?」
口調はいつもより急いている。
「すみません、お伺いしたいだけです。書庫に、わたしの知り合いを連れて入るのは問題がありますか?」
ロイは隣にいるリシェを見ると、気付いたように会釈をする。
「ショウさんのお隣で……確か石飾りのお店をされている方ですね?」
「そうです、ご存じでしたか?」
「何度かお見掛けしたことがあるくらいですが……では、今日は私の予備をお渡ししておきますので、後日返していただけますか? 必要であれば今度登録にご案内します」
懐から鍵を出して、リシェの前に差し出す。
慌てて両手で受け取った彼女は、ロイを見上げて頭を下げる。
「ありがとう……」
ロイは爽やかな笑顔をリシェに返した。
「初めまして、ロイと言います。お名前をお伺いしても?」
「リシェ、です」
「リシェ……さん、明日にでもルティナ様と一緒にお越し下さい。鍵をお作りします」
リシェは、戸惑うようにこちらを見る。
ルティナ自身も、正直驚いた。
こんなに簡単に、リュサールの建物に出入りする鍵を渡すものなのだろうか。
「ロイ様、よろしいのですか?」
「事情は聞いています。今後、ルティナ様と同じく、協力をしていただくことになる方だと」
「なるほど……」
言葉に詰まる。
すでに、ユアンたちの話がロイにまで伝わっている。
リシェは不安に感じないだろうか。
思わずリシェの方へ視線をずらすと、ロイは気遣うように言葉を繋げた。
「あ、えと……あまりお気になさらず。まだ小耳に挟んだ程度ですので……本がお好きなのなら、ぜひ役立てて下さい。……すみません、そろそろ失礼します。実は遅れそうなのです」
思い出したように振り返り、一度止まってお辞儀をしてから、ロイは全力で走って行った。
「……忙しい人だね」
リシェは小さく笑い、受け取った鍵を大切そうに握っている。
「とても信頼できる人です。ショウさんをわたしに紹介して下さったのも、ロイ様なのですよ」
「そうなんだ。うん、すごく綺麗な人だった」
ふわりと笑うリシェは、とても落ち着いている。
この子は、相手が誰かということをあまり気にしていない。
リシェにとって、その人の音から感じるものが、一番信頼できるものだ。
余計な気を回すよりも、心配をするよりも、判断はリシェに任せればいい。
「行きましょうか。石の本を調べたいと思っていたのです」
「石の本? ルティナが?」
「はい。陰陽石について書かれている本が見つかったら、どこで手に入るか分かるかもしれません」
ドリアードへの贈り物にしたいと考えていたが……
それとは別に、欲しいと思う理由ができた。
「ドワーフに頼めば手に入ると思うけど……急いで手に入れたいの?」
「そこまでではありませんが……贈り物をしたいのです」
「ドリアードにじゃなくて?」
「それももちろんです。最初はそのつもりだったのですが……ユアン様が心地よいと思うのは、陰の石だと思って……」
「ああ、確かにね」
「リシアへの赴任は大きな節目になりそうですから、何かお渡ししたくて……」
「うん、じゃあ頑張って調べよう」
弾む声で答えたリシェは、ルティナの手を取って歩き始める。
リシェはよほど嬉しいのか、自分よりも張り切っているように見える。
石に関して、彼女よりも頼りになる人はいない。
この手を取ってくれる安心感は、きっとリシェからしか得られないものだ。




