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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
―その声が届く日―
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102/116

蒼の季 向夏-20.音。

 王都に戻って、その足でリシェの店に向かう。

 ユアンたちは午後の予定をずらし、一緒に来ることになった。


 裏道にある店に着くと、屋根の上で休むラウラと目が合った。

 眠そうな目でこちらを眺め、そのまま目を閉じる。


「綺麗な魔獣だ……」


 ラウラを初めて見たユアンが、ため息のように呟く。

 ユアンの視線を感じたのか、うっすらと目を開けたが、すぐに昼寝を始めてしまった。

 陽なたぼっこをするには、あそこは最高だろう。



「おお、お嬢。昨日はリシェが世話になったみたいだな」


 中に入ると、こちらに気付いたザハルが手を止める。

 肩から掛けた布でしたたる汗を拭きながら、腰を伸ばすように立ち上がった。


「こんにちは。リシェはいませんか?」

「奥に居るが……今日は大勢だな。何かあったか?」


 ユアンとレイランの姿を見て、ザハルは表情を硬くした。

 2人は浅く会釈をし、苦笑いを浮かべる。


「あの……、ちょっとお話しておきたいことが……少し複雑な内容なので、先に説明をしておきたくて……」


 どこから話せばいいのか、正直分からない。

 陰陽の概念、霊素の存在もまだ知らないはずだ。


「リシェに作ってもらった石飾りに、特殊な効果があるようなんだ。それについて少し話を聞きたい」


 言葉に詰まっていると、ユアンが進み出て話し始めた。


 ザハルは一瞬顔をしかめる。

 その話題に触れるのは気が進まないのか、口をつぐんで視線を逸らした。


 しんとした店の中に、奥で作業をしている音が届く。

 その音に耳を傾け、ザハルは重たい口を開いた。


「……記憶の力は、もう知っているんだったか」


 表情は変えず、一段低くした声だ。


 ユアンが頷くのを見ると、こちらの意図を見定めるように視線を動かす。

 心配なのは当然だ。


 記憶の力も、獣人との混血であることも、今まで出さずに過ごしてきたのだ。

 父親というのは、どうやっても娘を守ろうとする。

 ザハルの顔が父と重なって、胸の奥が疼く。


「リシェの力が特別なのは分かる。だが、それはリシェにとって代償のようなものだ。あの子の意思以外で、使わせるつもりはない」


 まるで、父の言葉を聞いているようだった。

 ザハルから流れ込んでくる、ただ切な願いが胸に刺さる。 

 あのとき、父はこんな気持ちだったのだろう。


「……わたしの父も、きっと同じだったのだと思います。わたしはずっと、父に守られてきました。……まずは、話だけでも聞いて頂けませんか」


 ザハルが眉間の皺を深くし、視線を落とした。


「お嬢の……力のことは、知っているのか?」

「はい。理解して下さっています」


 ひとしきり考えたあと、再びルティナに向けられた瞳は、穏やかさを取り戻していた。


「……呼んでくる」


 それだけ言うと、彼は奥へと入って行った。



 奥から一緒に出て来たリシェは、浮かない顔のザハルとは対照的に、特に変わらない様子だ。


 「なんかよく分からないけど、フウとフェンの石飾りがどうかしたの?」


 ルティナの手を取り、全員の顔を見回す。

 後ろで聞くザハルにも分かるように、できるだけ嚙み砕いた表現で説明する。


 リシェは頷きながら、時折考え込むように頭に意識が向き、また戻って来る。

 自分が人の話を聞いているときも、こんな感じなのだろうと思うと、つくづく似た者同士なのを感じる。

 ザハルの方がよほど心が揺れていた。



「なるほど。面白いね」


 話を聞き終わると、リシェは嬉しそうに笑みを浮かべた。 


「この石、手に入れたのはずっと前なんだけど、どう扱ったらいいのか分からなかった。でも、ルティナの音を聞いて、これを思いついた」

「じゃあ、新しい技法……ということですか?」

「技法っていうほど決まった形があるわけじゃない。魔素の石には、属性ごとに相性のいい形があるけど、ほとんどが自分の感覚。この2つは、それとも違う。霊素? はもともと石に留まりにくいものだから、なるべくここに留まらせようとしたら、徐々にルティナやユアン様に近い音になったから、それを追いかけた」


 完全に、感覚から入る職人だ。

 感覚で捉えたものを、後から理解する。


 ルティナ自身もそれに近い。

 感覚で捉えたものを理解し、知識で補完することを繰り返すのがルティナの調合だ。

 知識を先に置く父とは真逆の進み方で、だから父は知識の必要性をしつこく言っていたのだと思う。


「これを作ることができるのは、リシェ以外にいると思いますか?」

「無理だと思う。リンネは記憶の力があっても刻めない。魔素との繋がり方が違う。リンネは魔素の意思を読み解く、受け取る力が強い。自分の意思を魔素に伝えて刻むのは、難しいみたい」

「それは、陰陽石だけじゃなくて、天然石に記憶を刻むこと自体が……リシェにしかできないってことで合っていますか?」

「言い切れないけど、母さんは出来ないって言ってた」


 その場の空気が、自分たちを除いてどんどん重くなっていくのを感じる。

 でも、リシェと自分の感覚は通じていた。


 楽しいのだ。

 分からないことを理解していくこと自体が、この上なく楽しい。


「なるほど……魔素を遮断しているように思えるのですが、それは違いますか?」

「もともと魔素を拒絶する石だから、石が安定して、それが強くなっているのかもしれない」

「リシェがそう加工したのかと思っていました……」

「普通、石の力って内側に向くの。振動も石の中で響いて、持っている人だけに作用するのが多い。でも、陰陽石は他の石と違って、力が外に向く。だから、その力を石の中で回るように方向を整えた……に近いかな」


 見えていないし、感じているのは音だけのはずだ。

 それなのに、石を介して間接的に霊素を導いているということだ。


「すごいです……」

「この石の、もっと純粋な力が……ルティナの力だって思うと納得する」


 リシェの手に、力が入る。

 自分がやっていることが理解できると、それは理解する前より研ぎ澄まされる。

 それは、とても嬉しいものだ。



「ぶわっはっは。おいおい、ちょっと手加減してやれ。そこの2人が置いてかれてるぞ」


 黙って聞いていたザハルが、豪快に吹き出した。

 その声に促されて2人を見ると、呆れた目でこちらを眺めている。


「それにしても、お嬢はリシェ側か。まぁ、見りゃ分かるか。お前さんはそっちだろうな。……で、それをどうするかが、お前たちなわけだな」


 ザハルは笑いを収めて、ユアンたちの前に立った。

 威圧にも近い、試すように2人を見据える。


「俺たちの考えは変わらない。リシェの力は稀有なものだ。今はまだその価値が理解されていないが、今後はどうなるか分からない。彼女をどう守るのが良いか、一緒に考えていきたい」

「もちろん、今までのように暮らすことを選んでも構いません。強制もしませんし、縛ることもないとお約束します。その上で、彼女の意思で協力してくれるなら嬉しいですが」


 ユアンとレイランの答えは、エンの森でルティナに言ったことと変わらない。


 自分が普通にやっていることは、周りからの見え方が分かりにくい。

 きっとリシェも、あまりできる人が多くないと理解していても、それほど大きなことだとは思っていなかったのだと思う。


 「リシェ。お嬢の話を聞いて、お前はどう思うんだ?」


 ザハルはごつごつした大きな手を、リシェの肩に置いた。

 喉の奥で止めている言葉はたくさんあるだろう。


 リシェの心に迷いはない。

 ザハルを見上げて、まっすぐに言葉にした。


「自分が、必要だと思うときに使いたい。チノワを助けられたのなら、これからもそういうことがあるかもしれない」

「……隠さずに生きるってことだな」

「自分から進んで言うつもりはない。でも、知られても大丈夫な人がいるのも分かったから」

「そうか」


 ザハルはルティナに向き直り、手を差し出した。

 その手は、ルティナの手をすっぽりと包み、温かい。


「よろしく頼む。耳の件も、リシェに任せてある。望むようにしてやってくれ」

「はい」


 ザハルから伝わる感情に、胸が詰まる。


 彼が言わずに止めた言葉を、知りたいと思った。

 それは、父が自分に言おうとしたことと同じである気がした。


「ユアン、レイラン。お前たちを信頼するが、この信頼は貸しだ。父親ってのは娘のためなら何でもする。しっかり、見させてもらうぞ」


 言葉とは裏腹に、ザハルの目は疑いなど微塵もなく、彼らに向けられた。

 2人は美しい敬礼を示し、その思いを受け取った。


 アルデニアなら大丈夫だ。

 この国の人たちは、こちらの意思をないがしろにしない。

 リシェにとっても、彼女に負担がないように配慮してくれるはずだ。


 ザハルの後ろで、その様子を見つめていたリシェが小さく息をつく。

 彼の腕に頭を寄せ、深い感謝を込めて、静かに微笑んだ。




 ユアンたちは王城へと向かった。

 リシェと陰陽石の話は、きっとそれなりに大きなことだ。

 リシアに向かう準備をしている今、彼らが更に忙しくなるのは申し訳ないが、こればかりは仕方がない。


「お嬢は……ひとり、なのか?」


 ユアンたちを見送って店の中に戻ると、ザハルは目を泳がせながら口を開く。


「はい。わたしも生まれが特殊で……両親の顔は知りません。育ててくれた父も、去年の夏の終わりに亡くなりました。今はリシア近くの森で、ひとりで暮らしています」

「言いにくかったら言わないでいい……お嬢は、人ではない……よな?」

「……はい。分かる人もいるのですね。バドゥ様にも見抜かれました」

「バドゥ爺は……ちょっと化け物じみているからな」


 ザハルは顔を斜めにして、にやりと口を歪めた。

 リシェの生まれを聞いたのに、自分のことはまったく話していなかったことに、今更ながらに気付いた。


「わたしは……精霊族です。育ててくれた父は、アマヒトでした」


 リシェとザハルは同時に表情を固めたが、すぐに納得したように頷いた。


「……なるほどな、お嬢もなかなか大変だな。神話の世界から降り立ったと言われてもピンと来ねえが、不思議と納得しちまうのは、そういう空気を感じてるってことだ」

「うん。人だって言われる方が、信じるの難しいかも」


 立ち上がったリシェはルティナに目を合わせ、静かに口を開いた。


「耳の治療って、どうすればいい? 何か準備をすることがある?」


 彼女の心は、一点の曇りもなく澄んでいる。

 迷いも、不安も、すべてが心に溶けて、あるのはひとつの光だけだ。


「いいえ、何も必要ありません」

「時間は……かかる?」

「そうかかりません。ただ、リシェがその感覚に慣れるのに、時間がかかると思います。今まで閉じていた感覚が開きますから、敏感なリシェには辛い違和感かもしれません」

「そう……」


 目を伏せて、リシェからふわりと伝わってきたのは、心にあった光だと思う。


「声を、聞きたいの。自然の音は身体に伝わって来るけど、人の声だけは、どうしても届かない」


 リシェの両手が熱を帯びる。

 心に灯った光を、そのまま手渡すように言葉を紡いだ。


「皆の声を、言葉に込めた思いを、こぼさないように、聞きたい」

「リシェの願いが叶うように、尽くします」

「泊まりに行くのは、また今度にしてもいい? 慣れるまでは、静かな場所で過ごした方が良いと思うから」

「いつでも」


 ザハルからは、ひとかけらの不安を感じる。

 それを振り払うように、ザハルは床を鳴らして店の入口へ向かい、看板をしまった。


「今日はもう閉める。リシェ、終わったら帰るでいいな」

「うん、ありがとう」


 リシェに椅子に座ってもらい、ルティナは後ろに立つ。


「ザハルさん、帽子や耳当てのような……耳を覆うものがあると過ごしやすいかもしれません」

「それなら、鉱石を加工する時に使う耳当てがある。用意しておく」



 ルティナは心を落ち着けて、深く呼吸をする。

 身体の中を巡る白銀の光を感じながら、自分の意識を沈めていく。


「では、始めますね」


 小さく頷き、リシェは目を閉じた。


 何も言わなくても、彼女は自分の身体に集中している。

 巡りは一定の速度で、乱れなく流れる。


 今までの誰よりも、彼女の心は静かだった。

 



 暗い中で、感覚を澄ます。


 身体に浮かび上がる白銀の気素は、青みが薄れ、光が強くなった。

 ひと粒ひと粒の動きまでも、手に取るように分かる。

 感覚が……深まっている。


 リシェの両肩に指先を当て、身体の中へ意識を向ける。


 とても穏やかで、ゆっくりと巡る。

 黄褐色だったはずの魔素は、今は淡い黄色だ。


 リシェの身体を巡る気素を、自分の内側で感じる。

 感じ方が変わっている。

 眺めているようだった相手の巡りを、自分の身体が映し出すように。

 はっきりと、より明確に捉える。


 肩から首へ、そこから耳の後ろへ繋がる道が塞がっている。

 それとは別の道が、首から後頭部へと繋がり、とても強く流れている。


 きっとこれが、リシェの感覚の核だ。


 自分が額に集中して霊素を視るのと同じように、リシェはこの部分で音を感じている。


 道を繋げてしまっていいのだろうか。

 自分の巡りを思い返す。

 視覚と額の道はひとつに繋がっている。


 違和感があれば戻せるが、できればそれはしたくない。


 ルティナは深く集中する。

 もっと深く、もっと研ぎ澄ます。

 リシェの身体を自分自身のように。


 耳の巡りに集中すると、自分の感覚に、気素の巡る道が浮かぶ。

 その道は、首から耳の奥へ繋がり、後頭部の強い流れに合流する。


 彼女の気素が、それを望んでいるように。

 そう流れたいと、意志を持っているように。

 ルティナに伝えてくるようだ。


 身体が望む流れなら、きっとそれが自然だ。


 指先でそれを辿り、道を繋げていく。

 まだ一度も繋がったことがないはずなのに、驚くほど素直に繋がる。


 右から、左へ。

 左から、右へ。

 交差するように繋がる2本の道。

 石飾りのちょうど真上、強い流れへと繋がった。


 瞬間、リシェの身体に何かが響いた。

 ゆっくりだったリシェの巡りが、ほんの少し速度を上げた。


 淀みなく流れるリシェの気素は、どこまでも澄んで、清らかだった。



 巡りを収め、手を離す。

 視る限り、リシェの気素は素直に巡っている。

 小さく息を吐く。


 静かに、リシェの横に回る。

 目を閉じたまま、静かな呼吸で肩が揺れている。


 ルティナはザハルと目を合わせ、ただ頷く。



「……リシェ」


 躊躇いを含んだザハルの声は、低い音で響いた。



 その声に、リシェの睫毛が、わずかに震えるのだけが見えた。




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