蒼の季 向夏-20.音。
王都に戻って、その足でリシェの店に向かう。
ユアンたちは午後の予定をずらし、一緒に来ることになった。
裏道にある店に着くと、屋根の上で休むラウラと目が合った。
眠そうな目でこちらを眺め、そのまま目を閉じる。
「綺麗な魔獣だ……」
ラウラを初めて見たユアンが、ため息のように呟く。
ユアンの視線を感じたのか、うっすらと目を開けたが、すぐに昼寝を始めてしまった。
陽なたぼっこをするには、あそこは最高だろう。
「おお、お嬢。昨日はリシェが世話になったみたいだな」
中に入ると、こちらに気付いたザハルが手を止める。
肩から掛けた布でしたたる汗を拭きながら、腰を伸ばすように立ち上がった。
「こんにちは。リシェはいませんか?」
「奥に居るが……今日は大勢だな。何かあったか?」
ユアンとレイランの姿を見て、ザハルは表情を硬くした。
2人は浅く会釈をし、苦笑いを浮かべる。
「あの……、ちょっとお話しておきたいことが……少し複雑な内容なので、先に説明をしておきたくて……」
どこから話せばいいのか、正直分からない。
陰陽の概念、霊素の存在もまだ知らないはずだ。
「リシェに作ってもらった石飾りに、特殊な効果があるようなんだ。それについて少し話を聞きたい」
言葉に詰まっていると、ユアンが進み出て話し始めた。
ザハルは一瞬顔をしかめる。
その話題に触れるのは気が進まないのか、口をつぐんで視線を逸らした。
しんとした店の中に、奥で作業をしている音が届く。
その音に耳を傾け、ザハルは重たい口を開いた。
「……記憶の力は、もう知っているんだったか」
表情は変えず、一段低くした声だ。
ユアンが頷くのを見ると、こちらの意図を見定めるように視線を動かす。
心配なのは当然だ。
記憶の力も、獣人との混血であることも、今まで出さずに過ごしてきたのだ。
父親というのは、どうやっても娘を守ろうとする。
ザハルの顔が父と重なって、胸の奥が疼く。
「リシェの力が特別なのは分かる。だが、それはリシェにとって代償のようなものだ。あの子の意思以外で、使わせるつもりはない」
まるで、父の言葉を聞いているようだった。
ザハルから流れ込んでくる、ただ切な願いが胸に刺さる。
あのとき、父はこんな気持ちだったのだろう。
「……わたしの父も、きっと同じだったのだと思います。わたしはずっと、父に守られてきました。……まずは、話だけでも聞いて頂けませんか」
ザハルが眉間の皺を深くし、視線を落とした。
「お嬢の……力のことは、知っているのか?」
「はい。理解して下さっています」
ひとしきり考えたあと、再びルティナに向けられた瞳は、穏やかさを取り戻していた。
「……呼んでくる」
それだけ言うと、彼は奥へと入って行った。
奥から一緒に出て来たリシェは、浮かない顔のザハルとは対照的に、特に変わらない様子だ。
「なんかよく分からないけど、フウとフェンの石飾りがどうかしたの?」
ルティナの手を取り、全員の顔を見回す。
後ろで聞くザハルにも分かるように、できるだけ嚙み砕いた表現で説明する。
リシェは頷きながら、時折考え込むように頭に意識が向き、また戻って来る。
自分が人の話を聞いているときも、こんな感じなのだろうと思うと、つくづく似た者同士なのを感じる。
ザハルの方がよほど心が揺れていた。
「なるほど。面白いね」
話を聞き終わると、リシェは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「この石、手に入れたのはずっと前なんだけど、どう扱ったらいいのか分からなかった。でも、ルティナの音を聞いて、これを思いついた」
「じゃあ、新しい技法……ということですか?」
「技法っていうほど決まった形があるわけじゃない。魔素の石には、属性ごとに相性のいい形があるけど、ほとんどが自分の感覚。この2つは、それとも違う。霊素? はもともと石に留まりにくいものだから、なるべくここに留まらせようとしたら、徐々にルティナやユアン様に近い音になったから、それを追いかけた」
完全に、感覚から入る職人だ。
感覚で捉えたものを、後から理解する。
ルティナ自身もそれに近い。
感覚で捉えたものを理解し、知識で補完することを繰り返すのがルティナの調合だ。
知識を先に置く父とは真逆の進み方で、だから父は知識の必要性をしつこく言っていたのだと思う。
「これを作ることができるのは、リシェ以外にいると思いますか?」
「無理だと思う。リンネは記憶の力があっても刻めない。魔素との繋がり方が違う。リンネは魔素の意思を読み解く、受け取る力が強い。自分の意思を魔素に伝えて刻むのは、難しいみたい」
「それは、陰陽石だけじゃなくて、天然石に記憶を刻むこと自体が……リシェにしかできないってことで合っていますか?」
「言い切れないけど、母さんは出来ないって言ってた」
その場の空気が、自分たちを除いてどんどん重くなっていくのを感じる。
でも、リシェと自分の感覚は通じていた。
楽しいのだ。
分からないことを理解していくこと自体が、この上なく楽しい。
「なるほど……魔素を遮断しているように思えるのですが、それは違いますか?」
「もともと魔素を拒絶する石だから、石が安定して、それが強くなっているのかもしれない」
「リシェがそう加工したのかと思っていました……」
「普通、石の力って内側に向くの。振動も石の中で響いて、持っている人だけに作用するのが多い。でも、陰陽石は他の石と違って、力が外に向く。だから、その力を石の中で回るように方向を整えた……に近いかな」
見えていないし、感じているのは音だけのはずだ。
それなのに、石を介して間接的に霊素を導いているということだ。
「すごいです……」
「この石の、もっと純粋な力が……ルティナの力だって思うと納得する」
リシェの手に、力が入る。
自分がやっていることが理解できると、それは理解する前より研ぎ澄まされる。
それは、とても嬉しいものだ。
「ぶわっはっは。おいおい、ちょっと手加減してやれ。そこの2人が置いてかれてるぞ」
黙って聞いていたザハルが、豪快に吹き出した。
その声に促されて2人を見ると、呆れた目でこちらを眺めている。
「それにしても、お嬢はリシェ側か。まぁ、見りゃ分かるか。お前さんはそっちだろうな。……で、それをどうするかが、お前たちなわけだな」
ザハルは笑いを収めて、ユアンたちの前に立った。
威圧にも近い、試すように2人を見据える。
「俺たちの考えは変わらない。リシェの力は稀有なものだ。今はまだその価値が理解されていないが、今後はどうなるか分からない。彼女をどう守るのが良いか、一緒に考えていきたい」
「もちろん、今までのように暮らすことを選んでも構いません。強制もしませんし、縛ることもないとお約束します。その上で、彼女の意思で協力してくれるなら嬉しいですが」
ユアンとレイランの答えは、エンの森でルティナに言ったことと変わらない。
自分が普通にやっていることは、周りからの見え方が分かりにくい。
きっとリシェも、あまりできる人が多くないと理解していても、それほど大きなことだとは思っていなかったのだと思う。
「リシェ。お嬢の話を聞いて、お前はどう思うんだ?」
ザハルはごつごつした大きな手を、リシェの肩に置いた。
喉の奥で止めている言葉はたくさんあるだろう。
リシェの心に迷いはない。
ザハルを見上げて、まっすぐに言葉にした。
「自分が、必要だと思うときに使いたい。チノワを助けられたのなら、これからもそういうことがあるかもしれない」
「……隠さずに生きるってことだな」
「自分から進んで言うつもりはない。でも、知られても大丈夫な人がいるのも分かったから」
「そうか」
ザハルはルティナに向き直り、手を差し出した。
その手は、ルティナの手をすっぽりと包み、温かい。
「よろしく頼む。耳の件も、リシェに任せてある。望むようにしてやってくれ」
「はい」
ザハルから伝わる感情に、胸が詰まる。
彼が言わずに止めた言葉を、知りたいと思った。
それは、父が自分に言おうとしたことと同じである気がした。
「ユアン、レイラン。お前たちを信頼するが、この信頼は貸しだ。父親ってのは娘のためなら何でもする。しっかり、見させてもらうぞ」
言葉とは裏腹に、ザハルの目は疑いなど微塵もなく、彼らに向けられた。
2人は美しい敬礼を示し、その思いを受け取った。
アルデニアなら大丈夫だ。
この国の人たちは、こちらの意思をないがしろにしない。
リシェにとっても、彼女に負担がないように配慮してくれるはずだ。
ザハルの後ろで、その様子を見つめていたリシェが小さく息をつく。
彼の腕に頭を寄せ、深い感謝を込めて、静かに微笑んだ。
ユアンたちは王城へと向かった。
リシェと陰陽石の話は、きっとそれなりに大きなことだ。
リシアに向かう準備をしている今、彼らが更に忙しくなるのは申し訳ないが、こればかりは仕方がない。
「お嬢は……ひとり、なのか?」
ユアンたちを見送って店の中に戻ると、ザハルは目を泳がせながら口を開く。
「はい。わたしも生まれが特殊で……両親の顔は知りません。育ててくれた父も、去年の夏の終わりに亡くなりました。今はリシア近くの森で、ひとりで暮らしています」
「言いにくかったら言わないでいい……お嬢は、人ではない……よな?」
「……はい。分かる人もいるのですね。バドゥ様にも見抜かれました」
「バドゥ爺は……ちょっと化け物じみているからな」
ザハルは顔を斜めにして、にやりと口を歪めた。
リシェの生まれを聞いたのに、自分のことはまったく話していなかったことに、今更ながらに気付いた。
「わたしは……精霊族です。育ててくれた父は、アマヒトでした」
リシェとザハルは同時に表情を固めたが、すぐに納得したように頷いた。
「……なるほどな、お嬢もなかなか大変だな。神話の世界から降り立ったと言われてもピンと来ねえが、不思議と納得しちまうのは、そういう空気を感じてるってことだ」
「うん。人だって言われる方が、信じるの難しいかも」
立ち上がったリシェはルティナに目を合わせ、静かに口を開いた。
「耳の治療って、どうすればいい? 何か準備をすることがある?」
彼女の心は、一点の曇りもなく澄んでいる。
迷いも、不安も、すべてが心に溶けて、あるのはひとつの光だけだ。
「いいえ、何も必要ありません」
「時間は……かかる?」
「そうかかりません。ただ、リシェがその感覚に慣れるのに、時間がかかると思います。今まで閉じていた感覚が開きますから、敏感なリシェには辛い違和感かもしれません」
「そう……」
目を伏せて、リシェからふわりと伝わってきたのは、心にあった光だと思う。
「声を、聞きたいの。自然の音は身体に伝わって来るけど、人の声だけは、どうしても届かない」
リシェの両手が熱を帯びる。
心に灯った光を、そのまま手渡すように言葉を紡いだ。
「皆の声を、言葉に込めた思いを、こぼさないように、聞きたい」
「リシェの願いが叶うように、尽くします」
「泊まりに行くのは、また今度にしてもいい? 慣れるまでは、静かな場所で過ごした方が良いと思うから」
「いつでも」
ザハルからは、ひとかけらの不安を感じる。
それを振り払うように、ザハルは床を鳴らして店の入口へ向かい、看板をしまった。
「今日はもう閉める。リシェ、終わったら帰るでいいな」
「うん、ありがとう」
リシェに椅子に座ってもらい、ルティナは後ろに立つ。
「ザハルさん、帽子や耳当てのような……耳を覆うものがあると過ごしやすいかもしれません」
「それなら、鉱石を加工する時に使う耳当てがある。用意しておく」
ルティナは心を落ち着けて、深く呼吸をする。
身体の中を巡る白銀の光を感じながら、自分の意識を沈めていく。
「では、始めますね」
小さく頷き、リシェは目を閉じた。
何も言わなくても、彼女は自分の身体に集中している。
巡りは一定の速度で、乱れなく流れる。
今までの誰よりも、彼女の心は静かだった。
暗い中で、感覚を澄ます。
身体に浮かび上がる白銀の気素は、青みが薄れ、光が強くなった。
ひと粒ひと粒の動きまでも、手に取るように分かる。
感覚が……深まっている。
リシェの両肩に指先を当て、身体の中へ意識を向ける。
とても穏やかで、ゆっくりと巡る。
黄褐色だったはずの魔素は、今は淡い黄色だ。
リシェの身体を巡る気素を、自分の内側で感じる。
感じ方が変わっている。
眺めているようだった相手の巡りを、自分の身体が映し出すように。
はっきりと、より明確に捉える。
肩から首へ、そこから耳の後ろへ繋がる道が塞がっている。
それとは別の道が、首から後頭部へと繋がり、とても強く流れている。
きっとこれが、リシェの感覚の核だ。
自分が額に集中して霊素を視るのと同じように、リシェはこの部分で音を感じている。
道を繋げてしまっていいのだろうか。
自分の巡りを思い返す。
視覚と額の道はひとつに繋がっている。
違和感があれば戻せるが、できればそれはしたくない。
ルティナは深く集中する。
もっと深く、もっと研ぎ澄ます。
リシェの身体を自分自身のように。
耳の巡りに集中すると、自分の感覚に、気素の巡る道が浮かぶ。
その道は、首から耳の奥へ繋がり、後頭部の強い流れに合流する。
彼女の気素が、それを望んでいるように。
そう流れたいと、意志を持っているように。
ルティナに伝えてくるようだ。
身体が望む流れなら、きっとそれが自然だ。
指先でそれを辿り、道を繋げていく。
まだ一度も繋がったことがないはずなのに、驚くほど素直に繋がる。
右から、左へ。
左から、右へ。
交差するように繋がる2本の道。
石飾りのちょうど真上、強い流れへと繋がった。
瞬間、リシェの身体に何かが響いた。
ゆっくりだったリシェの巡りが、ほんの少し速度を上げた。
淀みなく流れるリシェの気素は、どこまでも澄んで、清らかだった。
巡りを収め、手を離す。
視る限り、リシェの気素は素直に巡っている。
小さく息を吐く。
静かに、リシェの横に回る。
目を閉じたまま、静かな呼吸で肩が揺れている。
ルティナはザハルと目を合わせ、ただ頷く。
「……リシェ」
躊躇いを含んだザハルの声は、低い音で響いた。
その声に、リシェの睫毛が、わずかに震えるのだけが見えた。




