蒼の季 向夏-18.友達
石と向き合うリシェは、感覚のすべてを使って指先に集中している。
人差し指に嵌めた使い込まれた指輪は、リシェの指から伝わる魔素を受け取って、黄褐色の紋様が浮かび上がる。
魔導具ではない。
指輪の中央にある石は魔導石でなく、魔素を受け止める核のような役割だろうか。
人差し指の先端には、針先ほどに細く、密度が高められた魔素が見える。
それを動かしながら、リシェは石の内部に直接何かを刻んでいる。
指の周りを漂う魔素は彼女の色に染まり、生きているように自由に動く。
この魔素の動きは、覚えている。
フウを助けてくれた、リンネの記憶の力だ。
午前中に王城でウィランの研究を手伝い、リュサールの畑にも足を運んだ。
ウィランの研究室は、以前の数倍散らかっていた。
熱意は相変わらずで、すごい数の陣を構築し、片っ端から試していた。
ひとつの魔法が、誰にでも扱える魔法陣として完成するまでには、早くても数季かかるのが当たり前だそうだ。
それをひとりで、たった数日で、複数の魔法を並行して進める。
彼の一日は人の数倍ありそうだと、会う度に思ってしまう。
リュサールの畑も、すくすくと育った茶葉で緑一色になっていた。
今は目下、虫対策に追われる日々だそうで、ウィランは試行錯誤しながらその対策も考えているそうだ。
何事にも動じないミオルが、虫だけは何とかしろとウィランに迫っているのが面白かった。
彼にも苦手なものがあったのだ。
今日の予定を午前中に終えて、リシェの店に遊びに来たのが今だ。
仕事をする姿を見せて欲しいと言ったら、恥ずかしそうにしながらも了承してくれた。
リシェと過ごす時間を取りたいと思った。
蒼の季の終わりには今のように会えなくなると思ったら、残っている時間が急に短く感じた。
ユアンが言った、リシェが森に来るという景色がずっと心に残っている。
自然に想像できるなら、そうなる未来もあるかもしれない。
今はそれを伝える勇気はないが、リシェと一緒に過ごしたいと望む自分の気持ちは、確かに強くなっていた。
店の中の空気が緩んだ。
意識を解いたリシェは、仕上がった石飾りを両手に包んで、目を閉じて確認している。
「……うん」
小さく呟くと、こちらに目を向けて立ち上がる。
「完成……ですか?」
「うん。昨日の夜から始めて、2つ一気に作ったから、さすがに疲れたかも」
疲れたと言いながら、石飾りを見つめる瞳は満足そうだ。
リシェは2つの石飾りを、柔らかい布が貼られた台に乗せて見せてくれた。
「石が……やっぱり変わっていますよね? 加工する前よりも、整っている気がします」
リシェの手は、いつも魔素が濃く集まっている。
作業の余韻が手に残るのは自分と同じだ。
「ルティナの感覚は本当にすごいね。魔素って、時間と共に少しずつ抜けてしまうの。魔素がそこに留まるように、石の中に記憶を刻むの」
「記憶の力……」
「うん。人にはできないし、リンネにもできない」
「リシェだけの力、ですね」
「……そう。自分である証」
この力を、どれだけ大切にしているか。
リシェに寄り添う魔素が、淡い光で応える。
彼女は、自分という存在をちゃんと認めている。
リシェにとってのこの力は、そう思わせてくれたものなのかもしれない。
ルティナにとっての、調律のように。
ラウラの石飾りは、首輪に飾りを取り付けるようになっており、外して鞍に付けることも考えられていた。
漆黒に見える石は、陽にあたるとその奥に濃い褐色を感じる。
淡い毛色に映え、アーグリンネの凛々しい雰囲気にもよく似合う。
「良さそうだね。ちょっと強いかと思ったけど、よく馴染んでる」
「ラウラ、かっこいいです」
リシェに付けてもらうと、ラウラは自慢げにその場でひと回りした。
ラウラは感情表現が豊かだ。
とても素直で奔放なのは、リシェがラウラの意思を一番に考えて接してきたからだろう。
「これからどこかに行くの?」
自分用に作った首飾りを付けながら、リシェはルティナを振り返る。
リシェの首飾りは、後ろ側に石が固定されるように作られていた。
髪の長いリシェだと、せっかくの綺麗な石が隠れてしまう。
「……リシェ、髪を結ったらどうですか?」
「え……、そういうの……面倒で……」
「分かります……わたしも苦手です。でも、せっかく綺麗な飾りが見えないのは残念な気がします」
緩く波打つような暗髪は、ラウラの首飾りの石のような色だ。
普段はほとんど黒に見えるが、光に透けると柔らかさを感じる暗い茶色になる。
自分の髪が白銀だからか、濃い髪色に憧れてしまう。
編み込んでも、結い上げても、リシェならどんな髪型でも可愛いに決まっている。
入口付近に立っているセラと目を合わせると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「今日だけでも結いましょう。せっかく作ったんですから。セラに頼めば、どんな髪型でも似合うようにしてくれます」
目だけでセラを見上げて、リシェは困ったように苦笑いを浮かべた。
セラが結った髪はリシェによく似合った。
こめかみから後ろへ、斜めにざっくりと編み込まれ、髪の束が前に来るようにまとめられている。
首の後ろにある石飾りはぴたりと首に沿い、細い首をより華奢に見せた。
「リシェ、可愛いです!」
髪をまとめると、顔立ちの印象が強くなる。
どこか物憂げな目は、いつもよりも大きく感じる。
褐色の肌も相まって、年の割に雰囲気に艶がある。
しなやかな豹のような、静かで凛とした空気だ。
「首が涼しくていいね。夏はまとめようかな……」
セラは、満足そうにリシェを眺めてから、扉の方に戻った。
「これからノルヴァに鞍を取りに行きます」
ノルヴァに頼んでいた鞍が仕上がったと、今朝連絡が来ていた。
石飾りを付けられるようにして貰ったのがどうなったのか、秘かに楽しみにしているのだ。
「そうなんだ。オーダーするなら、ノルヴァが安心だね」
リシェは作業場を片付けて、外に出していた看板を中へ入れる。
「……リシェ、今日はもうお仕事は終わりですか?」
「うん、今日は父さんも店には戻ってこないし、早めに閉めちゃう」
「じゃあ、一緒に夕食をいかがですか? 帰りに市場で食材を買って、何か作ります」
動きを止めて、怪訝な顔でこちらを見る。
「ルティナ、料理できるの?」
「普段食べるものは、だいたい自分で作っていますよ?」
「アベリスの家に住んでるのに?」
「わたしは離れで暮らしているので、食事は自分で作っています」
あまり信じていないような、疑いの空気が流れてくる。
「そうなんだ……じゃあ、一緒に作ろう。手伝うよ」
「……リシェ、信じていないですよね?」
「いや、なんていうか……ルティナって生活感がないっていうか。いや、でもなんでも作りそうだし、普通に考えれば料理もすごく上手そうなんだけど、想像がつかないっていうか」
慌てた様子で言い直すリシェが新鮮だ。
こうやって、今まで見たことがなかった部分を見ると、それだけで嬉しい。
今日はずっと、どこか心がふわふわしている。
ただ一緒に過ごすための時間は、少しだけくすぐったいものなのかもしれない。
離れに戻って、市場で買って来た材料を机の上に並べ、リシェと顔を見合わせる。
一緒に見て回るのが楽しくて、思うままに買ってしまった食材は、2人で食べきれる量ではない。
フェンと一緒で、荷物が運べる状況だったのも追い風だった。
「ちょっとやり過ぎだね」
「リシェはたくさん食べる方ですか?」
「どっちかというと、食べるのは苦手な方……」
それはルティナも同じだ。
「傷みやすい物から使おう。日持ちするのは明日に回してもいい」
「そうですね。リシェは何を作りますか?」
リシェが買ったのは、小ぶりな青魚だ。
身が締まっていて生でも美味しいと言われて、目を輝かせていた。
お店の人がおまけしてくれて、3尾買ったはずが5尾入っていた。
「軽く酢で締めて、生で食べようか」
「塩じゃなくて、お酢ですか?」
「塩で締めてから、軽く酢で締める。さっぱりするし、暑い時期はその方が安心だしね」
「なるほど……」
半生くらいの仕上がりになるのだろうか。
それなら、パンではなく穀物を炊いた方が合いそうだ。
キノコと野菜を雑穀に炊き込んで、味も付けてしまおう。
それに冷やしたスープでもあれば、バランスの取れた食卓になりそうだ。
「じゃあ、わたしはご飯とスープを作ります」
「飲み物は……いつもどうしてる?」
「飲みやすく割ったお酒が多いですが……リシェはどうしていますか?」
「うちは父さんがお酒大好きだから、暑い時期はずっとエール」
そういえば、リシェがエールを買っていた気がする。
エールはほとんど飲んだことがない。
「エールを飲んでみたいです」
「じゃあ、おすすめの飲み方で用意するね」
火床に2人で立って、それぞれに調理を始める。
リシェは慣れた様子で魚を捌き始める。
それを見るだけで、リシェも料理が好きなのが分かる。
うっすらと微笑んでいる気がするのは気のせいだろうか。
肉よりも魚の方が、体質的に合いそうだと思う。
こってりした濃い味付けの物は好まないかもしれない。
スープは、多めの出汁で煮たジャガイモを滑らかに潰して、冷やしておこう。
鮮やかに色付いた甘唐辛子と、夏瓜、シメジ、小さく切った鳥肉を加えて炒めると、浅い鍋からいい香りが上がり始める。
暑い時期はなるべく火を使いたくないけれど、この香りを嗅ぐと暑さを我慢する気になれる。
乾燥ハーブがないので、今回もハーブ塩で代用することにした。
料理に使うハーブがなかなか手に入らないのだけが、王都での小さな不満かもしれない。
水洗いした雑穀を加えて更に炒めたら、水とバターを足してゆっくり炊き上げる。
あとは待つだけだ。
リシェを振り返ると、ちょうど飲み物を準備しているところだった。
コップの縁を小ぶりの柑橘で湿らせて、粗塩を纏わせている。
そこにエールを注いで、その柑橘をぎゅっと絞ってひと混ぜする。
「まだ出来ないよね? 先にエールで乾杯しよう」
冷えたコップを手渡すと、リシェは立ったままぐいっとエールを傾ける。
その姿が異様に絵になる。
かっこいいのだ。
さすがに立ったままは気が引けたので、火床に置いてある作業用の椅子に座り、グラスに口を付ける。
エールと一緒に、塩が口の中に流れ込む。
遅れて、爽やかな柑橘の香りが広がり、淡い炭酸が喉から下りていく。
後味はとてもすっきりしている。
エールはもっと苦いイメージだが、とても飲みやすい。
柑橘の香りと、この塩のお陰だろうか。
「美味しいです。爽やかで、この塩が効いていますね」
「暑い日には最高でしょ。父さんは、これだと1ダースくらいさらっと飲むよ」
ザハルなら飲みそうだ。
瓶をそのまま呷る姿が似合い過ぎる。
「リシェも強そうですね」
「あんまりお酒で酔ったことないかも」
笑いながら、すでにグラスはほとんど空だ。
これは、相当強そうだ。
リシェが2杯目を作り始めると、離れの戸口に人の気配がした。
「今日はそういう日? なんかいい匂いもしてる」
まだマントを羽織ったままのユアンは、いい匂いにつられて入って来る。
夜になると、来られる日はだいたい様子を見に来てくれるが、最近は食事を済ませていることが多かった。
「今お戻りですか?」
「うん、ちょっと遅くなったから、そのまま来た」
リシェは軽く会釈をすると、新しいコップに同じものを用意して、ユアンに持って来る。
「お疲れ様」
「ありがとう。今日の髪型も可愛いね」
「すごく涼しくて気に入ってる」
照れる様子もなく、エールを注いだコップをユアンに差し出した。
もう片方の手には2杯目のコップを持っている。
もしかしたら、リシェも相当飲むのかもしれない。
「これは……エール?」
「そう、うちの飲み方」
ユアンは冷えたエールをひと口飲むと、驚いたようにグラスを眺める。
塩が残っているところに飲み口を変えて、一気に飲み干した。
「これ……最高だ」
手で口を拭いながら、目を丸くしている。
よほど気に入ったようだ。
リシェはそれを見て、満足そうに頷いた。
「今日は夕食は終えられましたか?」
「まだなんだけど……」
「ご一緒に召し上がりますか?」
ユアンは、遠慮がちな視線をリシェに送った。
「今日は軽く締めたアオと、炊き込みだよ」
当然一緒に食べるだろうという返事に、心が浮いた。
リシェは、ユアンにも心を許しているのだ。
「それは……ぜひ食べたい。着替えてから戻って来ても間に合う?」
「ちょうど炊き上がる頃だと思います。ユアン様だけですか?」
「どうだろう。レイランはまだ戻ってなかったみたいだけど、居たら絶対ついてくると思う」
「じゃあ、そのつもりで準備しておきます」
ユアンを見送り、卓を整え終わる頃には、鍋からくつくつと音が鳴り始めた。
火を止めて蓋を開けると、勢いよく上がる湯気が火床に立ち込める。
ふっくらとした雑穀には、鳥と野菜の出汁が染み込み、香りだけで味が想像できる。
届いた香りを吸い込んで、リシェも鍋の方に寄って来る。
2杯目のエールを飲み終わりそうなコップを片手に、ぴたりと身体を寄せて鍋を覗き込む。
「……美味しそう」
リシェの雰囲気が柔らかい。
酔ってはいないが、いつもより力が抜けてリラックスしている。
感じる体温が近い。
人との距離が近いのはあまり得意ではなかったはずだが、不思議と違和感がない。
フウやフェンとくっついているのと同じような、ふわふわとした心地よさだ。
何よりも、緩んでいるリシェが可愛い。
心を許し始めた猫のようで、思わず頭を撫でたくなる。
「あんまり嗅いだことのない香りがする」
「ハーブでしょうか。森に暮らしていると色んなハーブが手に入るので、よく使うようになりました」
「ルティナの柔らかい空気は、その森に近いのかもね」
飲み切ったコップをすすぎ、リシェは3杯目を作り始める。
これは……
食事を摂るのが苦手というより、お酒を飲むから食べられなくなるのではないだろうか。
きっと夕食は、軽いつまみ程度で充分というタイプだ。
「リシェも手慣れていて驚きました」
「家では母さんと交代で作るから、毎日作ってるとさすがに慣れるよ」
火床の椅子に腰掛けて、残っていた緑色の柑橘を八つ切りにした。
これがなくなるくらいは飲むということだ。
エールは足りるだろうか。
火床の端に目をやると、しっかりエールが箱で置いてある。
「リシェのお家では、おつまみでお酒を楽しむ夕飯ですか?」
「そう。父さんたちが飲み始めるから、一緒に飲みながら夕飯を作る」
「楽しそうです」
「誰かと一緒に作るのも楽しい。いつも小瓶を片手に作る側だから。ルティナの家はどんな感じ?」
「我が家は、父の故郷の習慣が強いので、だいぶ雰囲気が違いますね」
「今度教えて。ルティナの日常にも触れてみたい」
こうやって、日ごとに食事の雰囲気を変えながら暮らすのも、きっと楽しい。
それを思い浮かべると、そこには自然とリシェがいる。
でも、それを思うのはわがままな気がしてしまう。
リシェには家族が待つ家があることも実感してしまった。
「ルティナ?」
「……じゃあ、明日はわたしが腕を振るいますね」
自然に口から出た言葉に、空気がしんと静まった。
「明日……うん。明日も遊びに来るね」
リシェはルティナに身体を寄せて、髪に顔をうずめた。
ふわりとセージの香りが鼻に届く。
適度に体温が上がったリシェの身体は、今の時期にはちょっと熱い。
でも、その熱さの分、心が温まる。
「えっと……お邪魔だったかな……?」
戸口に立っていたユアンとレイランは、その光景を遠目に眺めて、なんとも言えない温かい視線を向けていた。




