*やぶのなかにいる*・2
「……コロ。ほんとーのほんっとーに、間違いなく、発言者は俺なんだな?」
机から飛び降りたフルフルは、身を屈めた姿勢でコロの周囲をぐるりと歩き、頭からつま先まで仔細に検分した。
「間違いなくフルフルなの」
「断定した根拠は?」
「エリーザも一緒だったの」
「えっ?私もその場にいたの?」
「うん」
ジェスターの耳がぴょこりと立った。
「なぁなぁ!俺は?そこにいた?」
「うん」
「やっぱり!ふふん、俺様、判っちゃったかも。俺様の推理だと――」
「ジェスターはちょいと黙ってな。おい、コロ。その時俺が何と言ったか、メモリーから再生できるか」
コロは膨れ面のジェスターを鼻先でつつき、軽く宥めてから頷いた。
――航宙保安官Fに問われたる狐型人工知能Cの証言――
フルフルの声で再生するのは難しいの。録音じゃなくてテキストデータで保存してあるの。でも頑張るね。あ、あー。フルフルの声、上手に出せないの。
「別に俺の声をつくらなくていい」
そうなの?じゃあ読むね。
『コロは帝国に入り次第、子爵周辺の全ての回線に侵入、監視だ。あちらさんの動きをリアルタイムで掴む』
「上手だな!そっくりだぞ、コロ」
「確かに、聞き覚えがあるわ。コロ、念のため前後を含めて再現してくれる?」
うん、判ったの。
『知らなくても困らねぇよ。俺たちの任務にゃ関係ねぇ。コロは帝国に入り次第、子爵周辺の全ての回線に侵入、監視だ。あちらさんの動きをリアルタイムで掴む。エリーザとナイジェル、ジェスターは表向きの警護役だ。ジェスターは匂い、音で敵意が判る通信機みてぇな役どころだ』
「あー!覚えてるぞ!あの日も俺様の推理、フルフルに邪魔されたもん」
「エリーザが迎えに来て、外務省までパスポートを取りに行ったときだね」
「知らなくても困らないって、何かしら?」
フレデリコがラグランジュ連邦を知らないって言ったから、コロが教えてあげたの。ちっちゃい国なの。惑星ベゼルの国家群の一つなの。
「そら知らんわ。……すげー、既視感あるわぁこの展開」
「知らなくても困らねぇよ。じゃなくてだな。コロ、何故その指示がジルチナーダ・サーバーへの侵入に繋がるんだ。ここはまだ王国だ」
その定義じゃエラーになるの。以降の作戦行動に支障をきたすの。だからコロは再定義したの。
「んんんんんん?」
「フルフルさん、俺から聞き取りしてもいいっすか?コロとの会話に一番慣れてるの、俺っすから」
フレデリコは限界まで首を捻ったフルフルを退かせ、床にしゃがみ込むと、コロの頭を優しく撫でた。
――宇宙工学部生Fに問われたる狐型人工知能Cの証言――
「定義って大事だよな。自然数なのか、整数なのか、素数なのか」
それ全部実数だよ、フレデリコ。最初に定義すべきは実数か否かなの。
「はい、仰る通りで。で?コロはジルチナーダ・ステーションを帝国領だと思ってる?」
ううん。ジルチナーダは王国領域なの。でも今は部分的に帝国領域になってるの。その定義じゃないと、コロは命令を実行できないの。
「お、これはいきなり核心に近い感じじゃね?『部分的に帝国領域になってる』から、『帝国に入り次第』ってトリガーが引かれちまった?」
うん。だからフルフルに言われた通り、『子爵周辺の全ての回線に侵入、監視』を実行しただけなの。マヒルジャン子爵がまだすごく遠くにいるから、ジルチナーダ・サーバーを経由させてもらったの。どれが子爵関係の情報か判らないから、全部洗っただけなの。
「力技だなぁ。その定義じゃないと困る理由は?」
〈ルサールカ〉が法的に王国領域だから。〈ルサールカ〉に乗ってる限り、コロはずーっと、王国にいることになっちゃうの。ヴィレンに到着しても、コロは〈ルサールカ〉AIと連動してお仕事をするから、船から降りないの。帝国入りできないの。
「帝国入り」の定義をし直さないといけないの。こういう時、厳密に狭義の解釈をしなくちゃいけないの。AIによる拡大解釈は危険なの。「俺のものは俺のもの」から「お前のものも俺のもの」になっちゃうの。最終的に「全てのものは俺のもの」になっちゃうの。だから、コロは絶対にしないの。
「どーゆーこっちゃ。領域ってのも気になる……あれ?どーしたんすか、マッコイ提督、フルフルさんも。顔色悪いっすよ」
「コロが成長途中のAIだってこと、すっかり失念してたね……」
「法的に王国領域……うん、そうだよなぁ……悪ぃ……こいつぁ俺のミスだ……」
「そうなんすか?」
「ルサールカは今、動く大使館みたいな状態だからね。軍艦免除・旗国主義の原則、トドメにシュレディンガー『王家』からの全権委任状、最高位の外交特権に守られてる。コロの解釈――定義は極めて正しいのさ」
「キコクシュギ?外交特権は判るんすけど」
「ああ、それなら――」
旗国主義の原則とは、船体に掲揚される国旗によって、船や航空機の国籍が決まるというものだ。公海的宙域において、船内は旗国の排他的管轄権が及ぶ空間として扱われる。これは「国際法に反しない限り」という前提に基づくものであり、当然ながら航行中の宙域そのものに対して、船籍国が領有権を持つわけではない。
他国の領域内においては、その国の権利を害しない範囲で、と条件が付いた上で引き続き旗国の管轄権が行使される。ただし、基本的に対象は船内秩序に限られ、犯罪者を匿おうものなら、乗り込まれても文句は言えない。
しかし軍艦は、単なる船舶とは一線を画す。それは所属国の主権の顕現――すなわち「国家そのもの」の象徴だ。それゆえに国際法に基づき、「主権免除(軍艦免除)」という強力な特権を享受する。
たとえ外国の港に停泊していても、軍艦の内部は旗国の不可侵な権限下に置かれ、他国の警察権や司法権は一切及ばない。万一、艦内で問題が発生したとしても、他国が強制的な権限を行使することは許されず、あくまで外交的解決や退去勧告に留められる。これが主権の壁、軍艦免除の基本理念である。
特権を有するからこそ、軍艦による他国宙域への出入りは、両国家による事前の調整が必須となる。
なお、管轄権とは「法的強制力を伴う判断を行う権限」だ。
さて、この長ったらしい「法的強制力を伴う判断を行う権限」とは何か。
仮に「手を三十秒繋いだら罰金」という法が存在する国があったとしよう。その国の船籍を持つ客船が公海上を航行していた。その船に乗った他国の夫婦が、法を知らずに三十秒手を繋いだ。船長は夫婦に対し、即座に罰金を命じた。支払いを拒否した夫婦を拘束し、個室に閉じ込めた。ちなみに船長は裁判官でも警察官でもない。
ここで船長が行使したものこそが「管轄権」である。
法律がやばい国の旅客機や旅客船には、最初から乗るべきではない。
「……っていうのが旗国主義の原則だよ、フレデリコ」
「ナイジェル大先生の講釈もひっさびさだわ……やっべぇ、分からん単語が無いのにまるで頭に入ってこねぇ……けどかなり強い権限だってのは判った。その罰金、やばすぎんだろ」
「国際法の範疇だって。徴兵期間中に講義でやってたじゃないか」
「講義でやっただけで頭に入るかそんなん。もともと軍事マニアだから知ってたんだろ?ここぞとばかりに怒涛のごとく語りやがって」
「僕は軍事マニアじゃない、「「軍艦マニアだよ」」。……仲いいね、二人とも」
ナイジェルの言葉に声をハモらせて被せたフレデリコとジェスターは、にしし、と笑った。
「お蔭で思い出したぜ、ナイジェル。『軍艦は動く領土に等しいと考えろ。我々は常に、国家主権の守護者であり、象徴でもあるのだ』って、フレミング艦長が説教のたびに言ってたやつ」
「もう艦長じゃなくて提督だよ」
「……ずいぶん偉くなっちゃったよなぁ、あの人」
チーグル共和国の軍艦が王国宙域において問答無用で攻撃されるのは、『侵略行為』と判断されているからであり、管轄権とは無縁の話だ。
王国宙域内に侵入したチーグル艦の内部で殺人事件が起きたとしても、その事件に対する捜査権や逮捕権を王国は持たない。これが主権免除(軍艦免除)である。
「コロは最初、『帝国入り』を『自分の体が帝国の管轄領域に入ること』と認識してたんだね」
「『郷に入っては郷に従え』なの。そうしないと、合法ぎりぎりがわかんないから」
「理由が酷いな、おい」
「イゼゼが付けてくれたサブプロセッサユニットが、そう定義してるの」
「AI研のイゼゼか。いかにもあいつが言いそうなこった」
フルフルは知己である技術者の顔を思い浮かべ、大いに納得した。
「だから合法かどうかを見極めるために、コロはコロに影響する管轄権を正確に把握する必要があるの。サイバー攻撃はぎりぎりを狙うものなの」
「そうね、全くその通りだわ」
「エリーザさんじゃねーだろうな、コロにそんなこと教えたの」
「サスペンスドラマで言ってたの」
「俺の純粋で可愛いコロがー!」
フレデリコが天を仰いで嘆いた。
「神は死んだ!」
「生死の概念があるの?」
もはや見慣れた光景に、コロと本人以外の全員がスルーする。
ナイジェルはふむ、と顎に手を当てた。
「そのままじゃルサールカに乗ってる限り、命令の起動条件は永遠に満たされない。コロは今回の任務でかなり重要なポジションだし、命令と状況の矛盾を放置出来なかったんだね。……あれ?『部分的に帝国領域』になってるってことは――」
ナイジェルはマッコイに詰め寄った。
「帝国の軍艦が停泊してるんですね?どれですか?やっぱり七十八番の白いやつですか?擬装っぽいですよねあれ。それとも十四番の青いやつですか?怪しいなって思ってたんです」
「Schnauze! ナイジェル。あんた、査問待ちだってこと忘れて浮かれてるんじゃないよ。……コロ、あんたの再定義は、『ルサールカの管轄領域が帝国管轄領域と接触したら、コロは帝国入りという条件を満たす』、これで合ってるかい?あんたがデッドロック状態を自己解決するなら、このあたりが限界だろう。『普通なら』拡大解釈に当たらないからね」
マッコイは〈ルサールカ〉周辺の変化を、管轄領域の変動に置き換えて推測した。
「うん。これでフルフルの指示通りに動けるはずだったの。でも国境宙域を越える前に、帝国領域と接触しちゃったの」
「隣の係留スポットの派手なやつ! あれか! ……くっ、想定外だ、ノーマークだった……!」
本気で悔しがるナイジェルに、フレデリコが控えめに声を掛けた。
「ナイジェル、おーい。戻ってこーい。今そこ重要じゃねーぞ」
「……言っとくけど、そいつは帝国の船じゃないよ」
「えっ?」
はぁ、とマッコイはこれ見よがしに溜息を吐いた。片手を伸ばし、呆気に取られるナイジェルの額を指で弾く。
「痛っ」
「ありゃあ、ミュージカルで有名な劇団さ。帝国でのツアーを終えて、ハイゼンベルク領に戻るところだとか言ってたね。あんなケバケバしい擬装なんかするわけないだろ。そこは常識的に考えな」
「……?反対側に停泊してるのは、第三艦隊のフリゲート艦で思いっきり身内じゃないですか」
「なんで停泊位置の隣接だと思い込んでるんだい。管轄領域同士が接触してないだろ。ああ面倒くさい、もう先に言っちまうが、ヴィレンに納入する貨客船、あれに『帝国の治外法権』と『警察権』が、ワダツミ社員の振りして乗り込んでるのさ」
やれやれ、とマッコイは肩をすくめてもう一度ナイジェルの額を軽く小突いた。
「あ痛っ」
「ジルチナーダで船籍の切り替え手続きを済ませたから、そのタイミングで命令の『起動条件』が完全に整っちまったんだ。帝国籍の船に、帝国の法執行人。ヴィレンには帝国の出張登記所がないから、しょうがないね」
「そうなの」
「ややこしいっすね。不等号にイコールが付くか付かないかみたいな」
「厳密に言えばもう一声ややこしいよ。船籍を変えても、貨客船の所有権はまだあたしらにある。あたしらの縄張りの内側に『帝国の縄張り』が突如発生した、とでもイメージしな。要するに状態としては『管轄領域の接触』が成立したってわけさ」
「ミディラがいれば解説してくれそ……あ、俺たちの友人で、法学生なんすよ」
「もっと話が横道にそれて、ばんばん専門用語が飛んできてたと思うよ」
「それもそうか」
なんとも呑気な学生たちの遣り取りを眺め、マッコイは額を押さえた。
「……コロ。あんたからの聞き取りは以上だ。ただし、」
「判ってるの。コロは守秘義務を理解できるの。お口にチャックなの」
「コロは現時点を持ってフルフルの指揮監督下に入れ」
「拝命したの」
「コロぉ~……」
びしっと尻尾で敬礼したコロに、フレデリコが縋り付く。だばぁ、と擬音が聞こえそうな勢いで涙腺が崩壊していた。
「……別にコロの所有権が俺に移行したわけじゃねえよ。泣くな、鬱陶しい」
「コロはずっとフレデリコのヴァルペキュラなの。それは絶対変わらないの」
「ううっ、コロぉ~……なんか俺、コロの手のひらでころころ転がされてる気分……」
「コロに手のひらは無いの」
コロへの「査問」が終了したと見て取ったナイジェルとジェスターは、そわそわというよりはうずうずと、マッコイからの指名を待った。
答え合わせをしたくて仕方がない様子だ。
「……じゃあ査問はこれにて終了で」
心底うんざりした顔でマッコイが宣言すると、二人は不満の声を上げた。
「そんな!俺様たち、ずっと順番待ってたのに!」
「Schnauze! 査問ってのはね、楽しみに順番待ちするようなもんじゃないんだよ!」
「マミィ、今までのあれ、査問だったの?」
「査問ってもっと、偉そうなおっさんとおばさんに囲まれーの、ねちねち虐められてーの、みたいなやつじゃないんすか?コロと一緒に昼ドラで見たやつは――」
「ああもう!喧しいよあんたたち!終わりったら終わり!」
マッコイは投げやりな態度で手を振り、腰掛けていた机から腰を上げた。
ナイジェルとジェスターがその前に立ちはだかる。
「いけません。きちんと査問にかけるべきです、マッコイ提督」
「……査問にかけられる側が進言することじゃねぇだろ……」
精神的に疲弊しきったフルフルが、エリーザにブラシを掛けられながらぼそりと呟いた。




