第9話:悪の代償(中編)
第三章
数年が経った。
生きる甲斐であった息子を失い、灰色の日々を過ごす洋貴。
もし、あの男たちがいなかったら…今頃は隼人と凛さんは結婚し、孫も授かっていたかもしれない。
しかし、そんな未来は全て閉ざされてしまった。
仕事から帰宅した洋貴は、テレビのリモコンに手を伸ばした。
隼人が死んでからというもの、在宅中は常にテレビを点けっぱなしにしていた。
誰の声もしない静寂が、彼には耐えられなかったのだ。
テレビが点くと、無機質なニュース番組の音が、静まり返った部屋に広がった。
「――次のニュースです。過去に重大事件で処分を受けた男性らが投稿した動画が、SNS上で物議を醸しています」
洋貴の指が止まる。
画面には、ぼかしの入った若い男たちが、クラブのような場所で、シャンパンタワーを囲みながらグラスを掲げている。
「この動画は、当時主犯格だった少年Aによって撮影されたものと見られます。動画は現在削除されていますが、ハッシュタグには“#再出発”“#過去は過去”“#人生リスタート”などと記されていました」
テロップが映る。
#再出発
#過去は過去
#前向きに生きる
#人生リスタート
#人生勝ち組
#アンチ歓迎
胸の奥が、ざらりとする。
「男性らは当時未成年であり、法的な処分はすでに終了していると主張しています」
法的な処分は終了…?
終わっている……!?
洋貴は、崩れるようにソファに沈み込んだ。
ニュースは次の話題に移っていたが、もう彼の耳には届いていなかった。
スマートフォンを取り出し、震える指でワードを打ち込む。
すぐに、転載された動画が見つかった。
第四章
煌びやかなシャンデリア。
光り輝くシャンパンタワーの前に、一人の男が立っている。
「はい、どうもー。元少年Aでーす。なんか、俺らの過去ほじくり返してる人いるらしいけどさ、一言言いたくて投稿してみましたぁ」
画面の中の男は、ニヤつきながらグラスを掲げる。
「俺らも、家庭環境とか色々あって、可哀想な境遇だったんだよね。社会が悪いってやつ? そういうの、ガキにはキツいんだって」
背後で、仲間たちの含み笑いが映る。
シャンパンの泡が弾ける音。
「そんな所で、幸せの絶頂!って感じの二人見たらムカついちゃう気持ち、分かるでしょ?まあ若気の至りってヤツだよね」
若気の至り…?
洋貴の視界が揺れる。
隼人が運び込まれた安置所。
白い蛍光灯。
冷たい床。
「当時は未成年だったし、ちゃんと罪は償ったんだから、もうノーカンっすよね?今は普通に働いて社会の一員だし。人生、勝ち組ってやつ?」
シャンパンが傾けられ、美味そうに飲み干す。
「はい、そういうわけで俺たちもう更生してんで。批判?どうぞー。再生数伸びるなら大感激っす。ちなみに、当時の過激なこと聞きたい人の為に、今度限定公開で動画出すから、サブスク登録よろしくお願いしまっす!」
仲間たちの嘲笑が響く中、動画の再生が終わった。
動画の下には、あのタグが並んでいる。
#再出発
#人生勝ち組
#アンチ歓迎
人生勝ち組、アンチ歓迎……?
呼吸が浅くなる。
喉の奥から、何かが込み上げる。
怒りなのか、悲しみなのか、それすらもう分からない。
テレビは既に別のニュースに切り替わり、リポーターの明るい声が、はるか遠くで響いている。
部屋の空気だけが、ひどく冷たい。
スマホを握る指先が白くなる。
――終わっていない。
終わっているはずがない。
胸の奥で、何かが音を立てて壊れた。
俺があの日以来、涙すら枯れ果てた絶望の中で生きているのに……あいつらは笑いながら、死に追いやった隼人たちの尊厳すらも弄んでいる…!
洋貴の指が、スマホを握り潰すほど強く締まる。
その時ーー。
まるで虚空から現れたかのように、漆黒の手紙が机の上に置かれていた。
第五章
洋貴は錆びついた扉を開け、漆黒の館へと足を踏み入れた。
「藤塚洋貴様……ですね。お待ちしておりました。私、ノワールと申します。どうぞお掛けください」
シャンデリアの煌めきの下、洋貴は虚ろな声で呟いた。
「……男手一つで、息子を…隼人を育てて来ました。素直に、まっすぐ育ってくれた自慢の息子でした。本当は、今頃凛さんと結ばれていたはずなのに……半グレの奴らは、その全てを壊していきました……」
アンティークのテーブルに顔を伏せ、絞り出すかのように続ける。
「二人は、遊び半分で惨たらしく殺されたのに、奴らは未成年だったというだけで、反省もせずに人生を謳歌している!……私はあの日以来時が止まったままなのに、こんな理不尽……ありますかっ!?」
「なるほど。半グレたちにとって、息子さんたちの殺害は、ただの『娯楽』に過ぎなかったのですね」
ノワールはヴェールの奥で、微かに目を細めた。
「いいですか、洋貴さん。暴力を当然と思っている者に、人間的な感情は意味を成しません。むしろ彼らは、殺害の経歴すら誉れと認識している事でしょう……。獣のような連中と対峙するには、どの道を選んでも茨の道が広がっております。覚悟の程は、よろしいですか?」
洋貴は無言だが、力強く頷いた。
第六章
「……では、私から三つの道を指し示しましょう」
闇の中で、真鍮の羅針盤が低い不協和音を奏でた。
「一つ目は、法的制裁。侮辱罪や名誉毀損を理由に民事訴訟を起こすのです。貴方は勝訴し、彼らは相応の賠償金を命じられるでしょう。ですが……それは彼らの自由を奪うにはあまりに軽く、失われた命の重さには到底届きません」
「二つ目は、忘却。情報の海を遮断し、彼らの存在を記憶から消し去るのです。……もちろん、貴方にそれが可能であれば、の話ですが」
「そして三つ目……『連鎖』。暴力には、法の手すら届かない上位の暴力を。彼らが弄んだ『法』という盾を内側から溶かし、彼らを丸裸にして奈落へ突き落とす道です」
「三つ目を……! 賠償金なんて紙切れで、隼人と凛さんの無念が晴らせるものか! あいつらを地獄へ落とせるなら、この命、どうなったって構わない……!」
洋貴は拳を固く握りしめた。爪が手の平に食い込み、血が滲む。
「……よろしい。それでは今夜、貴方は『猛毒』の運び屋となっていただきます。さあ、夜の帳が下りる前に、審判の準備を始めましょう」
ノワールがヴェールの奥で妖しく微笑む。
「…今夜? 待ってください、運び屋って、一体――」
「地獄の門が開く瞬間に、猶予などございませんよ。詳細は、現地へ向かう車中にて……。成功を、お祈りしております」
流れるようなノワールの手酌に促され、洋貴は館の前に停められていた漆黒のセダンへと押し込められた。
ドアが閉まった瞬間、外界の音は遮断され、高級な革シートの匂いが鼻を突く。
隣に座る黒スーツの従者が、滑らかに車を発進させた。
第七章
「……あの、どこへ向かっているんですか?私は、一体何をすれば……?」
洋貴の問いに、従者は前を見据えたまま、センターコンソールのタブレットを操作した。
画面に映し出されたのは、夜の街に聳え立つ、ある高級マンションの立体図面だった。
「グランドテラス鈴峰……?このマンションが、何だっていうんです?」
「ここが、今夜の『審判の地』でございます」
従者の声は、まるで精密機械のように淡々としていた。
「貴方にはこれから、1104号室へ潜入していただきます。そこは、広域指定暴力団『黒龍会』組長の愛人宅。クローゼットの奥に隠されたアタッシュケース……それこそが、半グレたちを葬るための『猛毒』でございます」
「…ぼ、 暴力団……!?」
恐怖で、洋貴の喉が引き攣った。
言葉の重みが、心臓を圧迫する。
「待って下さい! そんな危険なことをして、あいつら……あの半グレどもと何の関係があるんですか!? ヤクザを怒らせて、私が殺されるだけじゃ…」
従者は一度だけ、バックミラー越しに洋貴の瞳を射抜いた。
「全ては繋がりますよ」
従者が淡々と、冷徹な声を響かせる。
「貴方がその猛毒を、地下駐車場にある組長の愛車――ベントレーへと仕込むのです。彼らは自ら、その猛毒を求めて『虎の尾』を踏みにやって来る。欲望という名の、逃げ場のない檻の中へね」
従者が差し出したバックパックには、一本のマスターキーと、車のスペアキー、そして作業員の服装一式が入っていた。
「……22時ちょうどに、我々が用意した『舞台装置』によってボヤ騒ぎが発生します。パニックに乗じて、貴方は全ての作業を迅速に終えてください。マンション内は監視カメラもございますので、帽子とマスクもお忘れなく。……間もなく到着致しますよ」
洋貴は、震える手でその冷たい鍵を握りしめた。
遠く、『審判の地』となるマンションが見えて来た。
窓から漏れる平和な灯りが、今はひどく遠く、呪わしいものに見えていた。




