第58話 均衡評議会、初採決の代償
血の匂いが、まだ残っていた。
ルクサリア北部の広場。
投票箱は倒れ、紙は泥にまみれ、祈りの布は踏みつけられている。
リュネの言葉で争いは止まった。
だが――
終わってはいない。
*
「再開します」
カミラが言った。
その声は迷いがない。
周囲の人々がざわめく。
「ここで止めれば」
一歩前に出る。
「暴力が勝ったことになる」
沈黙。
誰も反論できない。
*
リュネが静かに頷く。
「祈りは続くべきです」
エリアナはその言葉を見つめていた。
まだ震えは残っている。
だが――
「……やります」
小さく、しかし確かに言う。
「民に選ばせる」
その瞬間。
空気が変わる。
*
投票箱が立て直される。
紙が配られる。
列ができる。
恐る恐る。
だが確実に。
人々が動き始める。
*
その様子を、遠くから見ている影があった。
黒衣。
王弟グラントの側近。
「……止められなかったか」
低く呟く。
だがすぐに表情を消す。
「では、次だ」
*
レギオン。
均衡評議会。
「北部、投票再開」
報告が届く。
エルミナが息を吐く。
「市場は落ち着く」
サディーク。
「航路も維持できる」
カミラ。
「民意が戻る」
リュネは目を閉じる。
静かな祈り。
*
レオナが腕を組む。
「だが南は違う」
沈黙。
全員が分かっている。
グラントは拒否した。
そして彼は動く。
*
「報告」
新たな声。
「南部」
「王弟派、投票所を焼き払い中」
空気が凍る。
イリスの目がわずかに揺れる。
*
「……早いな」
レオナが低く言う。
「選挙を潰しに来た」
カミラ。
「民意を否定した」
エルミナ。
「市場も荒れる」
サディーク。
「資源も止まる」
リュネ。
「信仰も再び割れる」
すべてが逆流する。
*
カイエルが言う。
「選挙は成立しません」
静かな声。
だが重い。
「南部を除けば」
「正統性は半分」
それは致命的だった。
*
イリスはしばらく黙っていた。
そして。
「採決します」
全員が顔を上げる。
それは――
均衡評議会の核心。
*
「選挙を優先するか」
「軍事介入に移るか」
空気が張り詰める。
これは初めての選択。
制度か。
力か。
*
カミラが先に言う。
「選挙継続」
即答。
エルミナ。
「同意」
サディーク。
「同意」
リュネ。
「同意」
四票。
だが。
レオナは動かない。
*
「軍を入れる」
低い声。
全員が彼女を見る。
「ここで止めなければ」
「戦争になる」
それもまた事実。
*
カイエルは目を閉じる。
そして言う。
「選挙継続」
五票。
多数は決まった。
だが。
最後に。
全員がイリスを見る。
*
彼女はゆっくりと立ち上がる。
「私は」
一瞬だけ、迷いが見えた。
だがすぐに消える。
「選挙を続けます」
決定。
均衡評議会。
初の重大採決。
*
その瞬間。
レオナが立ち上がる。
「分かった」
短く言う。
「だが」
一歩前へ。
「失敗したら」
目が鋭くなる。
「次は私が決める」
それは宣言だった。
均衡の限界。
*
ルクサリア南部。
炎が上がる。
投票所が崩れる。
兵が進む。
グラントはその中に立っていた。
「民意など関係ない」
冷たい声。
「国家は力で守る」
その時。
一人の兵が駆け込む。
「報告!」
「北部」
「投票、再開」
グラントの目が細くなる。
そして。
「……面白い」
低く呟く。
「ならば」
一言。
「叩き潰す」
*
レギオン。
イリスは窓の外を見ていた。
静かな都市。
だが遠くで何かが壊れている。
「均衡は」
小さく言う。
「選択の連続」
そして。
「間違えれば」
一言。
「壊れる」
*
地下牢。
オルディスは笑っていた。
「いい」
低い声。
「選んだな」
そして。
「制度を」
目が光る。
「優先した」
静かな確信。
「なら次は」
一言。
「壊すだけだ」
均衡は、一歩進んだ。
だが同時に。
崩壊にも一歩近づいていた。
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