七話
「ご迷惑おかけしました! 子供みたいに泣き喚いたら吹っ切れました!」
救助されて野営地へ戻った翌日。
朝一番でリヒトの元でそう宣言したメイに、第三師団の面々は揃って微妙な顔をして群がる。
「本当に大丈夫なんですか?」
「昨日あれだけ泣いてたじゃないですか……」
「意外と引きずらないタイプ?」
「飴ちゃんいる?」
「……いいから散れ」
お菓子を出したり頭を撫でかけたり、とにかくここぞとばかりにメイに絡もうとする面々を雑にリヒトは捌く。
隊員たちは若干不満そうな顔をしていたが、渋々と従って散っていく。去り際、しぶとい一人は、ほとんどねじ込むようにメイの手を取って飴を握らせていたが。
幼児と思われてる? とメイは苦笑しながらも、飴を一度ぎゅっと握る。
そんなメイの頭を、リヒトはぐしゃりと乱暴に撫でた。
「わっ」
少し髪が崩れたけれど、メイは嫌がらない。
その様子に、リヒトは目を一瞬だけ細めた。だがメイが顔を上げる前に、いつもの気だるげな表情へ戻す。
「……図太いな」
「そりゃ私ですから!」
そう胸を張るメイは、笑っている。周囲から苦笑が漏れた。
ただ一人、リヒトだけは目を細めた。メイは、いつも通りに見える。最低でも、今、傍目には。
リヒトは首を掻きながら、ふっと息をつく。
「今度から迂闊な行動すんなよ」
メイはそれには神妙に頷いて、それから不意に思い出したようにぽつりと呟く。
真面目に、けれどどこかわざとらしいそれは、茶化すような意図もあった。
「……ていうかパイセン」
「なんだ」
「魔法マジでめっちゃ使えたんだね」
メイには魔法の良し悪しはわからない。けれど、あの時リヒトが繰り出した魔法が並大抵のものではないことだけはわかる。
メイが助け出された時のことを改めて言えば、リヒトは露骨に嫌そうな顔をした。
「面倒だから普段やらねえだけだ」
「……うん、ありがとう、ございます」
少しだけ、緩んだ笑顔でメイは言う。
あまり大袈裟にお礼を言われることを、リヒトが望まないことはわかっていた。
リヒトの尻尾が、ふるりと揺れる。それを見つめながら、メイはゆっくり口を開く。
「……図太いついでに、リヒトさんに一つお願いがあんですけど」
「なんだ」
「演習から帰ったら、カストルさんのとこ行くの付き合って欲しいんす」
リヒトが眉を顰めた。
「……カストル? あの変人研究者か?」
「その人!」
メイは勢いよく頷く。
そして少しだけ視線を落とした。
「……いいぜ、着いてってやる」
メイはぱっと顔を上げた。
「マジ!?」
「今さらお前一人で行かせる方が面倒だ」
「やったー!」
そう言って駆けていく背は、今までと何も変わらない。
リヒトはその後ろ姿を眺める。
変わらないように見えるだけで、変わっていないわけではないことを、彼だけが知っていた。
◇◆
演習終了後。
王都に戻り、真っ先にカストルのいる研究所へ向かう。
そしてその扉を開けた瞬間、メイは思わず足を止めた。
「うわ……」
部屋中が本と紙で埋まっていた。
本棚は壁際だけでは足りず、床にも積み上がっている。
机の上には分厚い論文束。開きっぱなしの専門書。何かの計算式がびっしり書かれた黒板。魔法陣の図面。謎の鉱石。半分食べかけの菓子パン。
端的に言って、汚い。まさに漫画などで想像する、ダメな科学者そのものなような有様だ。
「うわぁ……オタクの部屋だ……」
メイが思わず顔を顰めながら、ぽつりと呟く。
すると雑多な物の海の中からひょこりと顔を出したカストルが胸を張った。
「自慢の研究室です」
「オタクの部屋じゃん」
「研究室です」
「違いは?」
「税金で本が買えるかどうか」
「最低」
カストルの即答を、リヒトが鼻で笑う。
しかし――部屋の隅では魔力測定器らしき機材が淡く光り、壁には異世界転移に関する地図や年表が何枚も貼られていた。
過去の異世界人。
出現場所。
滞在年数。
帰還記録。
狂気的なほど調べ尽くされている。それを見て、リヒトの思わず眉が跳ねた。科学者と自称するだけはある。
この中に、メイが求める帰路への手がかりがあるのかもしれないと思うと、なんとも言えない気持ちが込み上げる。衝動は、靴の中で指先を丸めることで誤魔化し、リヒトは風通りの悪い窓へそっと目を背けた。
「それはさておき……ご無事で何よりです。 崖落下事故の報告書読みました!」
「そんなもんまで回ってくるんだ」
「研究対象ですから!」
「人権とかご存知?」
「知ってます!」
カストルは即答する。
その目は輝いていた。
メイの安否を心配しているというよりは、研究対象の傷を確認しているという目に近い。露骨だなぁと思いながらも、べたべたと心配されるよりはいいかとメイは切り替える。
カストルはその後、熱心にその時の状況や、メイの怪我の状態を確認していく。
そして――メイがなぜ、崖から落ちたのか。防護魔法が発動しなかったのかの動機についても話が及ぶ。
メイが後ろめたさから、珍しく声を小さくしながら正直に理由を話す。それを聞いたカストルは――憐れむでも怒るでもなく、ただ冷静に口を開く。
「死んだら帰れるか? その可能性は限りなく低いと思うよ」
ペンを指先でくるくると軽く回しながら、カストルは迷いなく言った。
それが、メイという人間を見る目ではなく、観察と推察をただ述べていくだけだったから――肩の力が抜ける。
カストルは顎に手をやりながら、何かを見据えるかのように遠くを見た。
「君が向こうの世界で死んだ状態――つまり転生状態で来たなら、まだ仮説は立てられる。でも君は違う。生きた状態で来ている。しかも転移時に大きな生命変化も確認できない」
「……つまり?」
「死んだから来たわけじゃない」
淡々とした説明だった。
研究者の目をしている。
感情ではなく事実を積み上げる声音だ。
だから自然、メイの背も伸びた。
「もっと違う条件なんだ。極端に言えば、雨雲が溜まって水が落ちるような自然現象に近い」
「自然、現象……」
「そう。君がここへ来た理由に、意味があるとは限らない」
メイは少しだけ、息を呑んだ。
物語性や、必然性を人は期待してしまう。けれど、研究者はそれを打ち砕く。当事者の心のどこかにある「自分は何かしらに選ばれしものなのではないか」という密かに抱く思いを、疑う。
それは当事者であるメイに寄り添ってはいるとは言えないけれど、反対に言えばメイにはできない視点を提示してくれるとも言えた。
ごくりと、メイが一つ息を呑む。
「この世界にも魔力なしと判定される人間はいる」
カストルは続ける。
「ただし、異世界人とは別物だ」
「別物?」
「魔力なしと言われる人間も、微量ながら魔力は持っている。ただ放出できるほどの量がないだけだ」
そこで彼は真っ直ぐメイを見る。
メイも、魅入られたようにカストルから目を逸らせなかった。
「君は違う。君は魔力を溜める器がそもそも存在しない」
沈黙。
リヒトも黙って聞いている。
「言い方が悪いが、君は石ころのようなものなんだ。この世界で人として、というより異物として認知すらされなかったんじゃないかな?」
「……言い方、失礼すぎね?」
思わずメイが突っ込めば、カストルははっとしたように慌てて「貶すつもりはないよ!」と慌てて言う。
研究者としての観察するような目がそこで剥がれかけて、メイは思わず吹き出した。
きっと、悪い人間ではない。ただ、熱中しすぎるところがあるだけで。
だが、だからこそ――信用ができる気がした。
気分を害した様子はなく、むしろリラックスした様子のメイにカストルも少し安心したように続ける。意図してか、少しだけ言い方は柔らかくなった。
「だから突風に紛れ、この世界へ流れ着けた。逆に強い魔力があれば弾かれていたかもしれない」
「なるほどねぇ」
「ただし、だから君にこの世界で価値がないという話ではないよ」
カストルが、区切りながらもはっきりといえば、メイが一度目を丸くした。それから、――ニッと笑う。
「もち! 私、自分のこと価値なしなんて思ったことありませ〜ん!」
胸を張りながら、堂々としたその返答に、カストルもリヒトも少しだけ笑った。
そしてメイは息を吸う。
少しだけ緊張した顔で。
「……今まで、言えなかったんだけどさ。帰れるなら帰りたいんだよね、私」
――研究所の窓から差し込む午後の日差しが、積み上げられた書類の端を淡く照らしていた。
魔力測定器がずっと起動することで僅かに揺れるテーブル。
紙を捲る音。
インクの匂い。
どこか埃っぽい空気。
雑然としているのに、不思議と静かな空間だった。
その中心で、メイが頭を下げている。
帰れるなら帰りたいのだと、そう、迷いなく口にしていた。
「また突風吹くように手伝って欲しい」
カストルは目を丸くして、ふっと笑う。
「もちろん!」
勢いよく立ち上がる。
「僕もこんなおもしろい実験対象ないからね!」
「人権とかご存知?」
「被験者が協力的な実験ほど滾るものはないなぁ!」
「聞いてねぇ」
メイは笑った。
肩の力が抜ける。
これで帰れるわけじゃない。
何も解決していない。
でも初めて口に出せた。
帰りたいと、諦めたくないとそれだけで、少しだけ前へ進めた気がした。
そして、その横顔を、壁際に寄りかかったまま、リヒトだけが無言で見つめていた。
◇◆
そうしてメイは――表向きは以前と何も変わらない日々を過ごしていた。
ウェイターとして働き、店に来るクレーマーという名の敵を追い出し、リヒトと街を歩き、カストルと帰還研究を続ける。
メイは今日も笑っていた。
誰よりも逞しく、誰よりも図太く、誰よりも楽しそうに。
だけど夜になるとスマホの電源が入らないことを知っているのに、何度もホームボタンを押してしまう。
もう映らない家族写真を見るために。
涙ぐむ日もある。けれどもう、無理して涙を止めようとは思わなかった。代わりに、あの日リヒトが生きろと言ってくれた言葉を何度も思い出して、唇を噛み締める。
元の世界に帰りたい気持ちは本当。
しかし、こっちの世界に愛着が湧いているのも本当。
生きること。
選ぶこと。
それを、今日も噛み締める。
――その日も、王都の夜は静かだった。
冬の空気は少し乾いていて、息を吐くたび白く霞む。
石畳を踏む靴音が、やけに遠くまで響いた。
通り沿いには魔法灯が並び、淡い橙色の光を落としている。その光に照らされた吐息は、すぐ夜の闇へ溶けていった。
閉店支度を始める店々。
窓から漏れる暖かな灯り。
香辛料を煮込む匂い。
どこかの酒場からは陽気な笑い声も聞こえる。
人の気配はあるのに、不思議と世界は静かだった。
見上げれば、雲ひとつない冬空。
澄み切った夜の向こうで、星々だけが冷たく瞬いている。
その下を歩きながら、メイはコートの襟元に顔を埋める。
ひゅう、と吹いた風が、隣を並んで歩く金髪を揺らした。
「最近、パイセン私の前でも遠慮なく煙草吸うようになりましたね?」
メイが何気なく言った。
ちょうどよく、煙草に手をかけようとしていたリヒトの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「……嫌か?」
低い声だった。
リヒトは止まる、そのまま歩くメイとの間には数歩の差ができた。
だから、メイは気付かず、前を向いたまま歩いている。
「嫌ではないんですけど、サミュエルさんが飲食店なのに匂いがついてるってぶつぶつ言うもんで」
「じゃあ店用に消臭スプレーでも寄付してやるよ」
「太っ腹〜」
少しだけ沈黙したあと、リヒトが静かに聞いた。
「……お前の日常生活では気にしないんだよな?」
「しないっすよ〜!」
メイはそこで、やっと振り返った。
満面の笑顔を、リヒトに向ける。
「なんか打ち解けたみたいでちょっと嬉しいかも!」
その翳りのない顔に、リヒトは一つ息を呑んで、顔を伏せる。そして、息だけで笑った。
伏せた顔が、本当はどういう顔をして笑っていたのかを、メイは見ていなかった。
ただ、「ばーか」と言った声だけがやけに低く、甘く耳を打って、なんだか妙にそれが気恥ずかしくて、頬を擦る。「へへ」と笑うと、リヒトがまた、笑う。
そうして、彼は煙草に火をつけて、メイと目を合わせないまま煙を燻らせた。




