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異世界とギャル  作者: 田山 白
第一部 向こうの世界とギャル
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五話

ランチのピークが過ぎる頃には、店内はすっかり落ち着きを取り戻している。

先ほどまでの戦場のような繁忙さが嘘のように静かだ。

ランチ時間帯の回転率はとにかく早い。王宮出仕をしている者の半数は使うほどの盛況ぶりのため、本当に目が回るほどの忙しさなのだ。

とくに騎士団が来るようになってからは目まぐるしい。注文する量も多い上、彼らは食べるスピードが早い。厨房もホールもてんわわんやとなるのだ。料理を運び、注文を取り、会計をこなし、時にはクレーマーの相手までさせられる。

店側としたら、その忙しさこそ嬉しい悲鳴というやつだが、店員としてはランチが終わると毎回ぐったりとする。


カウンターの向こうではサミュエルが伝票をまとめている。

厨房からは洗い物の水音と、食器を重ねる音。


「今日は変な客はいませんでしたか?」

「クソ客とナンパしてきた奴はいたけど、まあストレス発散の範囲内で済んだかなぁ〜」

「結構」


気も強く、有能なウェイターを持つと大変助かる。

勤務当初はそれなりにメイの心配をしていたサミュエルだが、今では決まった問いをするだけで済んでいる。何せサミュエルを呼ぶまでもなく、彼女はクレーマーを撃退するのだ。

防護魔法のペンダントを掲げ、床に平伏すクレーマーに中指を立てながら啖呵を切っている彼女など、最早週一ペースで見る光景となっていた。

サミュエルとてクレーマーの出禁や、問題を起こす客の所属長への訴えなど出来ることはやっているが、温かくなると虫もクレーマーも湧いて出るのだ。性懲りも無く。

故に彼女のクレーマー対処方法を過剰と責める気など微塵も起きない。むしろ心の中ではスタンディングオべーションを送ってるほどだ。


客が帰ったテーブルを拭きながら、メイはふぅと息を吐いた。濾過装置の微かな駆動音。

そして魚たちが泳ぐ静かな世界。僅かな癒しである。

つい一時間前、味がいつもと違うといちゃもんをつけた上で料金を踏み倒そうとした客に、お盆をフリスビーのように操りながら素晴らしいコントロールで後頭部に直撃させ「一見様のお客様が何をおっしゃっているのやら。こちとら二度来たお客様の顔は全員覚えてるんですわよ、そしてお客様に二度目はないですけども!」とモップで男を叩き出した女とは思えないほど、彼女は気の抜けた顔をしていた。

円柱型の巨大水槽の中では色鮮やかな魚たちがゆったりと泳ぎ、天井から差し込む光が水面に反射して店内へ青い揺らめきを落としている。

水槽の向こうを、小さな群れの魚が横切っていくのに、彼女は目を細めた。


青。

黄色。

銀色。


ゆらゆらと揺れる光。

まるで海の底にいるみたいだ。

目の前を通り過ぎた熱帯魚に向かって、何気なく指を振る。

魚は当然ながら無反応だった。


「振られましたね」

「照れてるだけっす、かっわいい女の子に」


軽口で返すと、サミュエルが呆れたように笑う。

午後の穏やかな光が、水槽越しに店内へ降り注いでいた。それは、束の間の平和な時間、


「あああああああああっ!!」


――のはずだった。


突然、遠くから威勢の良い叫び声が響くまでは。


場を切り裂くような奇声に、ウェイター姿のメイが振り返れば、眼鏡をかけた青年が、ものすごい勢いでこちらへ走ってきている。

頬は蒸気して赤い、そして鼻息が荒い。立派な不審者の突撃にメイが嫌そうな顔で体を引く。

どう好意的に見ても不審者である。

レジ前に立っていたサミュエルも、青年の方を見てあからさまに顔を顰めていた。


「サミュエルさんッ!!」

「げぇ……」


しかし呼びかけられてしまえば、露骨な無視もできない。サミュエルは少し気弱な人間が見たら途端怯む程度には露骨な嫌悪の顔を向けた。

基本的には外面を崩さないサミュエルにしては珍しい。そして、そんなサミュエルの様子に怯むことなく青年はずかずかと店内に踏み入ってくる。

その様子から、不審者はサミュエルの知人であることが見てとれた。

ペンダントにかけていた手をそっと外し、サミュエルを振り返る。


「誰?」

「面倒な人です」

「ひどい!」


青年は息を切らしながら二人の前で停止した。

二十代半ばくらいだろうか。

白衣に似た研究着を羽織り、胸には魔法士団の徽章。髪はぼさぼさ。細縁眼鏡の奥の目だけが異様に輝いている。

しかし意外にひょろりと背が高い。

耳は人間の耳ではあるが、少し尖っていた。


「……エルフ?」

「人間とのハーフのね」


サミュエルの声に従って、その風貌をまじまじと見る。よくよく見れば、思わず二度見するほど整った顔をしていた。

銀糸のような髪。長い睫毛。宝石を思わせる淡い翠の瞳。全てのパーツが非常に繊細で、人間離れした美しさを持っていた。

絵画や彫刻を見た時に抱く感覚に近い。造形そのものが美しいのだ。

正直、顔だけならリヒトより上かもしれない。

しかし――


「あのっ! 本当に異世界人なんですか!?」


開口一番だった。


「うわ近い」


メイは半歩下がる。

だが青年は止まらない。

つかみかかって来そうな勢いでメイを見ている。敵意は感じないが、火傷でも起こしそうな熱量である。


「言語体系は!? 文化は!? 重力は同じですか!? 文明レベルは!? 魔力非保有状態で生命活動を維持する理論は!? 食生活は!? 遺伝的差異は!?」

「待って待って待って」

「シャウムに近いものがそっちの世界でもあると聞きましたが、原動力はなんですか!? 魔石? 精霊? それとも未知のエネルギー!? 異世界のエネルギー工学ですか!? いや待て魔力がないなら化学反応!? 電気!? 電気って何ですか!? 雷の利用!? 雷を保存!?」

「早口すぎる」

「私の研究分野なんです!」

「知らんがな」


青年はハァハァ息を切らしながら続けた。


「異世界理論は現在学会でも仮説段階なんですよ! 過去事例が少なすぎるんです! そもそも世界間移動が可能なら空間座標の固定方法は!? 魂だけの転移ですか!? 肉体ごとですか!? もし肉体ごとなら質量保存則はどうなって──」

「なんでオタクくんって自分の得意分野の話になると早口になるの?」

「……ストップ。落ち着きなさい、カストルさん」


サミュエルが頭痛を堪えるように頭を押さえながら、呆れた声を出す。

青年はようやく姿勢を正した。


「……失礼しました。私は王立魔導研究所所属、カストル・クロイツと申します」


ぺこりと頭を下げる。

その動作だけは妙に礼儀正しかった。


「メイっす」

「お会いできて光栄です!」

「いやそんな大層なもんじゃないけど」

「異世界人ですよ!?」


サミュエルが魔法学と異世界に関してが彼の研究内容なんです、と補足する。

カストルはメイの手を取ってぶんぶんと手を握り「実際の異世界人に会えるのは初めてなんです!」と本当に嬉しそうにメイを見た。大歓迎である。

メイは苦笑した。


「ちょっと、落ち着きなよ。私別に逃げないし」


そう言って、彼の手を握り直すと驚いたようにカストルは目を瞬かせた。


「おや、優しいですね」

「私オタクに優しいギャルなんでぇ、仲良くしてあげまーす。てかサミュエルさんが冷たすぎるんでは?」

「そこの男は少食で、酒も飲まない。金を落とさない男に興味はないんですよ」


はんっと鼻で笑いながらサミュエルはまたレジ内の札束を数えていく。しかしそんなことを言いながらも追い出す様子がないところを見るに、仲は悪くないのだろう。

素直じゃないなぁと思いながら、メイは苦笑する。


一方でカストルが固まっていた。

メイをまじまじと眺めて、ぽつりと呟く。


「……オタクに優しいギャル……? あの幻の……?」

「都市伝説扱いされてる」

「実在したんだ……ということはツチノコもいる……?」

「失礼すぎません?」


サミュエルのツッコミを聞きながら、メイはこの世界においてもツチノコの存在があることに驚愕していた。

本当に何がどう繋がっているのかわからない世界線だ。しかしかろうじてその驚きを口に出さなかったのは正解と言えよう。さもなければ、彼はその情報だけでも大興奮してまたノンブレスで自分の仮説を喋り通しただろうから。



数分後。


ようやく落ち着きを取り戻したカストルは、店内の席へ案内されていた。

巨大な円柱水槽の傍。青い光がゆらゆらと揺れる席だ。

先程までの勢いはどこへやら、今は両膝の上にきちんと手を置いて座っている。


「……申し訳ありませんでした」


開口一番、深々と頭を下げた。


「いや別に」


メイは苦笑する。


「慣れてるんで」

「慣れてる?」

「オタクの相手に」

「悲しい言い方しないでください」


カストルが即座に反応した。

だいぶ元気になっている。

サミュエルはそんな様子を見ながら紅茶を置いた。


「それで、今日は何の用なんです?」

「はい」


カストルは眼鏡を押し上げる。

さっきまでの暴走っぷりとは打って変わり、その仕草には研究者らしい落ち着きがあった。


「改めてご挨拶と、ご協力のお願いです」

「協力?」

「異世界に関する聞き取り調査です」


メイは目をぱちくりさせた。

いかにも研究者といった風貌のカストルの格好をもう一度見る。白衣に眼鏡。ボサボサの髪に、薄い隈。メイが思う研究者のイメージそのものの姿だ。

王宮にも研究部門があることは聞いていた。王宮に招かれるほどだから、総じて優秀だとも。

そんな人間がわざわざメイに会いに来た理由が繋がる。


「そんなの研究してる人いるんだ」

「というより、私はその分野の研究者です」

「へぇ」

「もっと正確に言えば、世界間移動現象の研究ですね」


さらりと言われて、メイは首を傾げた。


「世界間移動?」

「異世界転移、異世界召喚、迷い人現象。呼び方は様々ですが」


そう言ってカストルは手帳を取り出した。

かなり使い込まれている。

端は擦り切れ、付箋だらけだ。


「過去数百年の記録を調べると、極稀に貴女のような事例が確認されています。そして、帰った例も」

「……え?」


その瞬間だけ、メイの笑顔が消えた。


帰る。


その言葉が、思った以上に胸の奥へ沈んでいく。日本。

家族。

友達。

学校。

……日常。


一瞬だけ浮かんだ光景を振り払うように、メイは瞬きをした。希望を、無理やり落ち着けるように。

そんなメイの様子に、カストルはゆっくり頷く。過度な期待も、突き落とすような絶望も、彼は口にしない。ただ、事実は告げる必要はある。それが研究者としての役割だった。


「もちろん確証はありません。伝承や記録の類も含みますから」

「でもいたんだ」

「いた可能性が高い」


静かな声だった。

さっきまでの早口とは違う。

研究者としての声。


「だから私は興味があるんです」


カストルは真っ直ぐメイを見る。


「貴女自身にも」


その言葉に悪意はない。

好奇心。

探究心。

純粋な知的欲求。

それだけだった。


「変わってるなぁ」


メイがぽつりと言う。


「よく言われます」

「否定しないんだ」

「事実ですので」


サミュエルが小さく吹き出した。

どうやら本人も自覚はあるらしい。

メイが頬杖をついて、まじまじとカストルを眺めた。その顔は、先ほど本人が言ったようにオタクに優しいギャルの目、そのものだった。

メイは、カストルのまっすぐな目を見ながら、少しだけ故郷の弟を思い出す。弟も、熱中するものを見つけるとすぐに早口になっていた。

年齢も見た目も何もかも違うのに、その懐かしさに目を細める。


「でもまあ、おもしろい人かも」


メイがぽつりと、そう零せば、カストルの目が少しだけ輝いた。


「本当ですか?」

「そこ食いつく?」

「研究者は承認欲求で生きてます。あと、悪意に驚くほど耐性がなく心が折れやすい」

「研究者っていうか、それカストルさんの特性では?」


メイが思わず突っ込む今度はサミュエルが声を上げて笑った。

水槽の中を魚たちが泳いでいく。

青い光が三人のテーブルをゆらゆらと照らしていた。


カストルは紅茶を一口飲む。

そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。


「……本当に、不思議だ」


まるで奇跡でも見るような眼差しで。

異世界から来た少女を見つめていた。


◇◆



「ん〜〜っ!」


メイは大きく両腕を広げる。

森を抜ける風はひんやりとしていて、王都よりもずっと涼しかった。土と草木の匂いが鼻をくすぐり、遠くでは鳥の鳴き声が聞こえる。

思い切り息を吸い込めば、肺の奥まで澄んだ空気が満ちていくようだった。


「山! 大自然!」


そう言って、メイが思いっきり伸びをするのを、リヒトが呆れたように眺めた。

前には隊を組んで歩く騎士団の面々。今回は第三師団合同のため、大所帯である。装備も物々しく、ガチャガチャと音を鳴らして歩く姿はどこか物々しい。

そんな中を通常運転と言わんばかりに歩くメイだけが軽かった。一応は迷彩服のジャージといういつもよりは地味な格好をしているが、彼女がいる周りだけがどこかポヤポヤしている。

そんなメイをチラチラ見る面々の視線も生ぬるい。

リヒトはそっと息をついた。


「はしゃぐなバカ。こけるぞ」


そう言って、頭を軽く叩く。

メイは少し苦笑してから、リヒトを見上げた。


「それはそれとして、……前回も思ったんすけどぉ……なんで非戦闘員の私がキャンプ演習に参加しなくちゃいけないんすか?」


荷物を抱え直しながら聞けば、隣を歩くリヒトが面倒そうに答えた。


「非戦闘員だからこそだ。野営時の対応、魔物襲撃時の避難、応急処置、食料管理。最低限覚えておいた方がいい」

「へぇ〜」

「納得してないな」

「本音は?」


リヒトは数秒黙った。


「むさ苦しい男所帯に一人でも可愛い女がいると、一部のやる気が爆増する」

「草」


身も蓋もない即答だった。


「最低じゃん」

「否定はしない」

「騎士団ってもっとこう、誇り高い集団かと思ってた」

「半分……五分の一くらいは誇り高い」

「……終わってない?」

「終わってるな」


そんな会話をしながら演習地へ向かう。


王都から半日ほど離れた森の外れ。

すでに大量の天幕が張られ、騎士や魔法士たちが慌ただしく動き回っていた。


森の中をしばらく進むと、視界が一気に開けた。


「おぉ……」


思わず声が漏れる。

木々に囲まれた広大な空き地。地面は綺麗に均され、周囲には大小様々な天幕が並んでいた。

白い炊煙が空へ昇り、あちこちで騎士たちが荷物を運んでいる。


剣を振るう音。

怒号にも似た号令。

鎧がぶつかる金属音。

王都では見られない光景だった。

まるで小さな軍の駐屯地だ。


「うわぁ……」


メイはきょろきょろと辺りを見回した。

遠くには障害物が並べられた訓練区画。

弓の的が並ぶ射撃場。

さらに奥には魔法士団用らしい巨大な魔法陣まで見える。


「思ったより本格的なんすけど」

「演習だからな」


リヒトは当然のように答えた。


「私はてっきりみんなでカレー作って終わりかと」

「何の行事だ」

「キャンプと言えばカレー」

「お前の世界の常識をこちらに持ち込むな」


その時、訓練場の中央付近から歓声が上がった。

振り向けば、大柄な騎士が木剣を振り下ろし、その一撃を別の騎士が受け止めている。

鈍い衝撃音。

周囲から拍手と野次が飛んだ。


「おぉ〜!」


思わず見入ってしまう。

ゲームや漫画では見たことがあるが、実際に目の前で見ると迫力が違う。

地面を踏みしめる音。

汗。

息遣い。

筋肉の動き。

全部が生々しい。当たり前だが、現実は迫力が違う。


「なんかこういうの、少年漫画みたいでテンション上がる」

「意味は分からんが楽しそうだな」

「楽しいっす」


風が吹き、木々がざわりと揺れる。

土の匂い、草の匂いを運ぶ。

それに誘われるように遠くで鳴く鳥の声が聞こえた。


そして演習地全体を包む熱気。

胸の奥が少しだけ高鳴った。

異世界に来てからもう随分と時間が経つ。

それでも、まだ知らない景色はたくさんある。


「よし!」


メイは拳を握った。


「せっかくだし楽しも!」

「遊びに来たわけじゃないんだが」

「細かいことは気にしない!」


そう言って歩き出したメイを見て、リヒトは小さくため息を吐く。

けれどその口元は、ほんの少しだけ笑っていた。

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