四話
「おーつかれさまっす!」
「今日は早上がりの日でしたか」
「うっす。だから今日はパイセンとデート〜!」
そう言って、エプロンを脱ぐメイに、ディナーの献立を確認していたサミュエルが一瞬、書類から目を上げた。
「……今日も?」
細かい訂正だなぁとは思うが、メイは振り返る。
ポニーテールを解いて、サイドを緩く三つ編みにしていれば、少しネイルがはげていることに気づく。次は赤にしようかな、季節的にピンクや黄色といった明るい色がいい。
そんなことを思いながらサミュエルに「誘ったらパイセン、なんやかんや言いながら結構付き合ってくれるんで〜」と笑って言う。
サミュエルは数秒沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。
「……あの、怠惰なライオンがねぇ」
「含みのある言い方〜。サミュエルさんも来ます? ディナー時間帯まででも」
「いいです、ライオンに噛みつかれたら溜まったものじゃない」
「怒んないと思いますけどねぇ」
言っても、サミュエルは無言でひらひら手を振るだけだ。
まあ、メイも言ってみただけで、本当にサミュエルが来るとは思っていない。そういうタイプではないので。
代わりに、サミュエルは王都でまだ開店して間もないクレープ屋を教えてくれた。ついでに市場調査でもしてきてくださいとのこと。言い方に笑ってしまう。
メイは編み込みが終わると「よし、じゃいってきまーす!」とスカートをふわりとはためかせて、歩き出す。軽やかな足取りをサミュエルは横目で見送ってから、ふと水槽を見た。
水槽では、大きな魚から避けるように細々と小さな魚が群れになってうろちょろ動く。時折、魚同士が体を擦るように身を寄せているのを見て、軽くため息が出た。
季節は春。どいつもこいつも浮かれる季節である。
王都の中央通りは今日も賑やかだった。
露店。
大道芸人。
買い物客。
市場は歩いているだけで楽しい。
その中を歩くメイの足取りは今日も軽く、その数歩後ろにいるリヒトの足取りは怠そうだ。けれど、メイがそれを気遣うことはない。
市街パトロールと称して、リヒトを連れ出す。初日とは違い、一時間に満たない外出は気分転換として周りからも黙認されているらしかった。
「パイセン、ちょっとそこ立って!」
突然そう言われて、リヒトは眉をひそめた。
「あ?」
振り返れば、メイが手のひらサイズの薄い板をこちらへ向けている。
シャウム。
この世界で広く普及している通信端末だ。
元の世界で言う、スマホに似ている魔法機器。電話もできれば、写真も撮れる。元の世界のようなSNSも見れる。本当に、異世界だと言うのに繋がってるみたいに、元の世界と同じようなものがそこかしこに転がってるから感心してしまう。どこの世界も、人類が求め行き着くところは近いのかもしれない。
ちなみにメイが持っているシャウムは国が用意したものだ。異世界人の保護を目的として配布されている。名目はそうなってはいるが、実際は非常時以外はこれを使って国が何かするということはない。
渡された時は同意書を書かされ、リヒトに小難しい説明もされたものだが、メイは制限付きキッズケータイみたいなものだと思って気軽に使っている。
「はい、ポーズ!」
ぱしゃり。
慣れた手つきで端末を弄れば、小さな音が鳴った。
「おい」
「撮れた撮れた!」
「……おい」
「ライオン耳のイケメンとか映えの塊じゃん」
メイは画面を見ながら大笑いする。片手にはクレープを持って、すっかりご機嫌だ。
気軽に撮った写真をリヒトに見せるが、当のリヒトは煩わしそうにしながら、まともに画面を見ようとしない。
「ほら見て。超ウケる。パイセンめっちゃ顔険しい」
「……勝手に撮るな」
「減るもんじゃないじゃん」
「減る」
「何が」
「精神力が」
リヒトの容赦のない返しに、メイは大きく笑いながらもまたぱしゃりと軽快な音が立つ。
今度は完全に怪訝な顔をしていただろう。リヒトは盛大にため息を吐いた。
「お前はなんでそんな写真ばっか撮るんだ」
「んー?」
「証拠集めか?」
「物騒すぎね? その発想……引くわぁ」
メイがわざとらしく肩を引くと、リヒトは軽くその頭を叩く。痛いって! とちっとも痛くなさそうな顔でメイが大きく口を開けて笑う。
それから、クレープを一口また頬張ってから、少しだけ声を小さくして呟く。
「写真があれば、思い出が鮮明になるでしょ」
そう言って画面を見つめる。
そこには露骨に嫌そうな顔をしたリヒトが映っていた。
「いつか見返した時にさー、この時こうだったなーとかすぐ思い出せるじゃん」
「覚えてればいいだろ」
「忘れるんだって、意外にさぁ」
そう言って、シャウムに保存された写真を見るメイの声が少しだけ、潜められる。
その横顔が寂しそうに見えた。
だからリヒトは、それ以上文句を言うことができなくなってしまったのだ。
◆◇
昼時になり、二人は適当な食堂へ入った。
木造の小さな店だ。
焼いた肉の匂いが漂う。
「うまそー!」
メイは席につくなり目を輝かせた。
「パイセン何頼む?」
「適当」
「人生つまんなそう」
「余計なお世話だ」
そんな軽口を叩きながら、注文した料理が届くまで、メイはさっき撮った写真を見返していた。
一枚。また一枚。
変顔をする自分と不機嫌そうなリヒトのツーショット。
食べ物。
空。
猫。
よくわからない看板。
街並み。
本当に統一感がない。
けれどそれを見つめるメイの顔は笑っている。
それを真正面から見つめていたリヒトは、何かおもしろくないものを感じて、セットされていたカトラリーを手持ち無沙汰に弄った。
カチャン、と静かな銀食器の音がして、メイは潔く顔を上げる。リヒトは頬杖をついて行儀悪くフォークをメイに向けた。
「おまえのパイセンて呼び方なんだ?」
「……は? 今更それ聞く?」
メイは長いまつ毛を瞬かせる。リヒトはじっとりとした視線を向けて、口を引き結んだ。
最初に「パイセン」などとふざけた呼び名をされた時は、あまり気にもかけなかった。最初に保護はしたのは自分の隊ではあるが、それ以上関わることはないと思っていたからだ。しかし予想に反し付き合いは続いている。
メイは割とその場のノリで人の名前を呼ぶところはあるが、今のところリヒトに関してはパイセンで固定だった。
確かに今更と言われれば今更な疑問。
深い意味など、確かにない。不可解だなとは思いながらも、わざわざ聞かなかった程度のもの。
シャウムに目を向けるメイの視線がこちらに向いたことに満足した。
どうせ大した理由もないのだろうと思っての質問だったが、予想に反しメイは少し考えるように顎に手をやる。少しだけ沈黙した後、彼女は背もたれに体を押し付けて天井を仰ぎ見た。
「ここ来てちょっとしてかな? 第一師団だか第二師団だか忘れたけど、どっかのパイセンたちと仲の悪い騎士団の隊員が"縄張り争いに負けて追い出されたライオンが後見なんて可哀想になぁ"って頭悪い絡み方してきたことあってさぁ」
顔を顰めたリヒトに、メイはへらりと笑う。
騎士団同士は基本仲が悪い。隊長格までいけばそこまで悪くは無いのだが、隊員同士のくだらない小競り合いはしょっちゅうだ。血の気が多い。
メイは最初から相手にもしていなかったし、傍にいたリヒトの部下はすぐにガラの悪い他隊員を追っ払ってくれはした。だが、その後に少し声を潜めて言われたのだ。
隊長には、何か言ったり聞いたりしないでくださいね、と。
それを聞いて、悪意はあるもののそれが客観的な事実なのだと知った。
リヒトはメイの話を黙って聞いて、それから深く息をつく。
その時、ちょうどよく店員が頼んだプレートを運んできて、少しだけ重苦しい空気が逃げていく。運ばれたメニューは同じ。大盛りか小盛りかの違いのみ。
メイは顔を綻ばせて、「冷めないうちに食べましょ」とフォークを手に取る。リヒトもそれに倣いながら、綺麗なナイフ捌きで切り分けた肉を口に放り込む。
基本的にリヒトの所作はいつだって気だるげな割には綺麗だ。育ちがいい。
「……これでも地方貴族の次男でね。思ったよりも器用貧乏でなんでもできちまうから、嫡男様に嫌われた。で、追い出されたもんだから王都に来て今は騎士団長。それだけだ。他隊からは陰口叩かれてるようだけどな」
「でも、自隊からは愛されてるじゃん」
「人徳だな」
そう言って肩を竦めながら肉を食べている姿は、いつもと何も変わらないように思う。いつもの皮肉、いつもの気怠げさ。
強く、捕食者の頂点と言っていいライオン獣人。
メイは少し目を細めてリヒトを見てから、スープを飲んだ。優しい、溶き卵の味。
「じゃあパイセンっすね、って思ったんですよ」
「何がだ」
「追い出された仲間の」
ニシシ、とどこかいつもより悪戯っぽい笑顔で、メイがいう。
リヒトはその言葉の意味を理解するまで少し時間がかかった。
思わず手を止め、まじまじとメイを見る。
故郷。
家。
家族。
全て――もう失ったものだ。
優秀だったから疎まれた。補佐することさえ意味深に捉えられ、追い出された。
つまらない故郷だと見切りをつけることでしか、前に進めなかった青く苦い記憶。
今はもう、恨みも未練もないが、胸の奥に傷跡はある。疼きはしなくとも、あの時に受けた傷は醜く残り続けている。
だからこそ、こんな風に笑い飛ばされると思わなかった。
誰もがリヒトと面と向かっては口を噤む。隊員は気を遣う。それさえも鬱陶しいと思いながらも、わざわざ口にするのも嫌で、知らないふりをして封じ込めた過去。
「……お前」
「故郷から、ここで生き場を自分で見つけて立ってんの、カッケーなって!」
そう言って明るく笑う顔に、呆気に取られる。
仲間だという少女に、お前の方が深刻だろう、と言いかけて――すんでのところで飲み込んだ。
メイが苦笑する。
飲み込んだ言葉を察したらしい。
――所詮それでも、リヒトが捨てた故郷はこの世界の地繋ぎだ。まだ故郷があることを知っている。行こうと思えば帰れもする。リヒトの意思と決断で、自分の生きる場を再度見つけて歩き出した。
だが、メイはそうではない。いきなり放り出されるようにここに来た。常識や人種、世界線さえも違う場に飛ばされたのだ。意思も決断も何もなく、年端もいかぬ少女が。
今更それを強く感じて、リヒトは息を呑み損ねる。
そんなリヒトの目線に、メイは揺るがなかった。それどころか、肉にフォークを突き刺す。揚々と、元気に。
「不幸の度合いなんて、他人と比べるもんじゃないっすよ。私は自分が一番不幸だなんて思わないし、一番苦労してるだなんて思わない」
少しだけ、言い聞かせるような響きもある声だった。
カチャカチャと、小さく食器の音が鳴る。メイの視線がちらりと向けられる。食べないの? と言われてる気になって、リヒトは促されるように肉を口に含んだ。
何度か来ているはずの料理店の、いつもの味のはずだ。けれど今日は、噛むたびに違う味が広がっていく。
「……だから、パイセンなんです。追い出されても図太く生きてるパイセン」
その声は静かだった。
けれど、いつもの軽さが少しだけ消えている。
店内にはほどほどの喧騒。穏やかな店員の見守るような目。香ばしい匂い。整えられた空調。居心地のいい雰囲気。
ここにいる誰もが感じる、あくびが出るほどの平和の中で、この少女だけが本当は異質なはずだった。この世界にいるはずのない存在。
けれど、それを感じさせない。ここにずっといるのだと錯覚させられるような根の張り方。
肉を噛む。飲み込む。
動揺を悟らせないために、食事を何の気ない顔で続けようとする。だけれど、それだけの動作に、リヒトはずいぶん苦労した。
対するメイは、本当に美味しそうにご飯を食べ進めていく。
「……お互い、苦労しますね〜! ま、がんばりましょ! パイセン!」
メイは笑う。
いつものように。
その瞬間、リヒトは返事を忘れた。
強烈に眩しくて、目を思わず細める。メイの明るい金髪がさらりと揺れて、それが余計目に痛くて何度も瞬きした。
押し黙ったリヒトに、メイが少し首を傾げる。リヒトは無理やり視線を逸らすことで、胸に湧き上がった強烈な何かを誤魔化した。
なんでもねえよ、と呟いてフォークを動かす。
そうすれば、いつもより美味しく感じて、思わず顔を顰めてしまった。




