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異世界とギャル  作者: 田山 白
第二部 この世界とギャル
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13/16

十三話

リヒトに抱き締められたまま、芽依はしばらく動けなかった。

夢じゃない。

腕の力も、体温も、煙草の匂いも――全部、本物だった。


「……なんで」


やっと声が出る。


「なんで来れたの」

「知らなかったか?」


リヒトが苦笑し、わざとらしく肩を竦めた。


「俺とカストル、結構仲良いんだぜ」

「……嘘つけ。めちゃくちゃ相性悪そうじゃん」


芽依がなんとか息を整えながら、泣き笑いの顔で言えばリヒトも少しだけ崩すように笑う。

それから、懐を探って――おそらく、煙草を探したのだろう。けれどその手を一度止めて、リヒトは気を逸らすように空を眺めた。

空は、異世界と同じように青い。雲は夏ならば入道雲。冬ならば細切れの雲。それが、風に吹かれてのんびりと漂ってるだけだ。

リヒトが軽く目を細めて、それからまた、芽依に目を戻す。


「まあ……良くはねえよ」


酷く懐かしむような目線は、記憶よりもずっと柔らかく、甘い気がした。

なんだか座りが悪い気がして、メイは少し目を逸らす。らしくない、とは思うのだけど。


「ただ人を扱くのには立場上慣れてるんでね」

「……ん? つまりカストルさんに無茶振りして無理やりこっちきたってこと?」

「人聞き悪ぃな。あの研究バカも前代未聞の試みだなんだって最終的には乗り気だったぜ」


そう言うが、否定になっていない。

けれど、なんとなく二人が噛み合っているような噛み合っていないような会話をしながらも、あの雑然とした研究室で異世界の研究をしていた様が想像できてしまう。

夢物語のように、しかしそれを現実として求めた二人の男。ここにはいないカストルの顔まで、思い浮かび、胸がじんと熱くなった。


「まあ結局……お前が帰った後、四年かかったけどな」


リヒトが、少しだけ声を小さくして呟く。


四年。

その数字に息を呑む。

芽依にとっては半年。

けれどリヒトたちにとっては四年。――そうだ、芽依だってここにきた時に感じた。異世界とこの世界では時間の経過が違う。

その、四年という重みがリヒトに久々に会った時の違和感だったのだ。あの時よりも、落ち着いている。落ち着いて、そしてその上で選択して、また芽依の前に現れた。


「……正確に言えばカストルの異世界転移理論の構築に掛かったのは二年。残りの二年は自然魔力の発動タイミング、あとは魔力のエネルギー源が足りなかったらしい」

「らしいって」

「知らねえもん。カストは早口で説明してたがな」

「聞いてないじゃん!」

「聞いてた」

「絶対聞いてない!」


リヒトは平然と言う。

あえて肩を竦めて、軽い調子だ。絶対、軽いものなんかではないのに。

芽依も少しだけ笑う。

泣きそうだった顔が、ほんの少しだけ崩れる。

それを見て、リヒトも少し安心したようだった。


「魔力持ちの俺がこの世界には長くはいられない。カストルの予測だと、魔力源がない世界に居続ければ、魔力切れを起こして体に変調が出る。だから、一度の転移でいられる期間には制限があるが……まぁ、とにかく今はこっちに来れる。エネルギー溜めれば、俺は何度でもここに来れるし、帰れる」

「……帰れるの?」

「帰れる。……お前を連れ帰ることも、できる。俺は、お前とあの世界で暮らしたいと思う」


それは、はっきりとした声だった。目も、逸らさない。

芽依が息を呑む。


「向こうもお前を受け入れる準備はしてる。……ただ、魔力がある俺とは違って、お前は世界を易々とは行き来ができない。もっと条件が煩雑になる」


リヒトは嘘をつかず、誤魔化さず、淡々と説明をする。

その、異世界にいた時からずっと続く誠実さに芽依は黙る。

嬉しい。

苦しい。

同じ強さの思いが同時に湧き上がる。

そんな芽依を見て、リヒトはゆっくり続けた。


「別に今すぐ答え出せなんて言わねえよ」


冬の風が境内を静かに吹き抜けていく。

裸になった木々の枝がかすかに揺れ、そのたびに乾いた音が空へ溶けた。

石畳には昨夜の霜が薄く残り、朝日を受けて白くきらめいている。

人影のない境内はひっそりとしていて、遠くで鳴く鳥の声だけが澄んだ空気に響いていた。

それに、静かに溶け込むような揺らぎのない声だった。


「今、お前が俺の手を取れなくても」


金色の瞳が真っ直ぐ向く。


「また四年後に来て口説きゃいい話だ」


芽依が息を呑む。


「……四年」

「お前の感覚だと数ヶ月か?」


少し笑う。


「なら忘れず待っててくれそうだな」


胸が痛い。

たまらなく痛い。


「……でもそれだと」


芽依は俯いた。


「パイセンばっか歳取っちゃうじゃないですか」


リヒトが一瞬きょとんとした。

それから肩を震わせる。


「老いぼれになったら、もうお前は俺に優しくしてくんねーのか?」


芽依は答えられなかった。

そんなことあるわけがない。

四年でも。

八年でも。

十年でも。

好きになった相手は変わらない。

リヒトはそんな芽依を見て、穏やかに笑う。


「会いに来たいから、俺から来る」


当たり前みたいに。

息をするみたいに。


「単純なことだろ」


その言葉は、ずるかった。

ずっと帰りたかった。

帰りたい気持ちを折らなかった。

そんな自分を肯定してくれた男が、今度は自分の気持ちを折らずに会いに来てしまった。


同じだった。

本当に、同じだった。

だから芽依は泣きそうになる。


「……まあ」


リヒトが周囲を見回した。

神社。

その周りにある住宅街。

境内を抜けた先の見慣れない建物。

電線。

自動販売機。

魔法のない、世界。


「それはそれとして、俺にもしばらく異世界を満喫させてくれ」


こんびに、だっけか?

リヒトが首を傾げさせる。

それは重苦しくなりかけた空気を優しく払う声。


枯れ枝の先で羽を休めていた小鳥が、一羽、ふいに飛び立った。

ぱさり、と軽い羽音が静寂を揺らす。白く曇る空へ向かって弧を描き、その後を追うように別の鳥も枝を離れた。

やがて小さな影は冬空へ溶けるように遠ざかっていく。


芽依は少しだけ泣きそうになりながら、それでもリヒトの気持ちを正確に受け取って、ぱしんとその胸を軽く叩く。

笑う。リヒトが好きで居てくれた顔で。


「異世界じゃないから!」


◇◆


それから――リヒトはこの世界にいた。

耳はカストル製の魔法道具で隠す。ライオン耳も尻尾もないと、同じただの人間のように見えて、なんだか妙に芽依は嬉しかった。あと、同じ人間として並ぶと更に顔の良さが際立ち、近所の間で静かなどよめきが起こる。

道路を挟んで斜向かいの田中のおばあちゃんは目を何度も瞬かせながら「はぁはぁ……えらいいけめんだけど、日本語も上手なんやねぇ」とリヒトをペタペタと触った。

リヒトは特に嫌がったりはしなかったが、田中さんが帰った後に芽依との出会いを思い出しながら「お前らの人種は警戒心がねえのか」と呆れた顔をする。芽依は少し首を傾げながら「国民性ってやつかなぁ?」と笑った。


居候という形で、リヒトは日野原家に滞在した。リヒトが異世界から来たという説明に、家族は各々の受け止め方したようだ。

祖父とは意外なほど相性が良かった。

朝早く起きる。働く。口数が少ない。

境内のちょっとした修理や保善をリヒトは進んでやり、祖父もそれを見守った。

工具を持って一つ一つ丁寧に直していく姿に祖父が「魔法だなんだ、使わないのか」と聞けば、リヒトは「手でやった方が速いし、確かめられる」とだけ返す。

祖父はそれに何度か頷いて、リヒトの肩を叩いた。どうやら気に入ったようだ。

似た者同士なところがあるのだろう。


祖母には初日から気に入られていた。


「まあまあ、男前」


祖母は一番自然にリヒトに話しかけ、夕食の支度も自然と手伝う流れになった。年の功だなぁと思わず芽依は感心する。


「まあまあ、手際がいいこと」


日本家屋の天井が高くない台所の中、少し窮屈そうに身を屈めながら作業をするリヒトを見て、祖母が感心したように笑う。

リヒトは返事をする代わりに、包丁で野菜を刻み続けた。動きに迷いがない。皮を剥き、切り分け、鍋の具材ごとに分けていく作業が妙に板についている。


「料理、よくするの?」

「騎士団入ったら下働きから始まるからな。慣れだ」


そう淡々と答えながら、リヒトの手は止まらない。危な気な様子もない。


「雑用も炊事も洗濯も一通りやる。誰かがやってくれるとは限らねえからな」


そう言って今度は鍋の様子を確認する。

祖母はへえ、と目を丸くした。


「騎士様ってもっと偉そうにしてるのかと思ったわ」

「偉そうにして飯が出てくるなら楽なんだけどな」


珍しく冗談めかした返答だった。

メイが吹き出す。

リヒトは小さく鼻を鳴らした。


「野外演習も多いしな。火起こしも飯作りも覚えといた方が困らねえ」

「しっかりしてるのねえ」


リヒトは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。

褒められることに慣れていない子供みたいな顔だ。

祖母から渡された人参を黙って受け取る。

その様子を見て、祖母はますます楽しそうに笑った。



響也だけは警戒を解かなかった。


「……姉ちゃんに変なことするなよ」

「しねえよ」

「信用できない」

「ひでえな」


本当にひどい顔をしていた。

居間には微妙な空気が流れていた。

芽依はお茶を飲み、その向かいにはリヒト。そして壁際には響也。

物理的にも精神的にも距離が空いている。


野生の猫みたいな顔をしながら、用心深くリヒトを見ている。その目はほとんど睨んでいるといってもいい。

だが、行方不明だった姉がやっと帰ってきたと思ったら、その姉を追って異世界から男がやってきたのだ。

むしろ警戒しない方がおかしい。だから何も言わない。


ただ黙って湯呑みを傾ける。

一方の響也も黙っていた。

けれどどうしてもちらりと、視線が揺れる。

家の中では魔道具を解除しているため、リヒトのライオンの耳。それがぴくりと動くたびに、そわ、と体が動いてる。

更に追うように、リヒトの腰の辺り――明確に揺れる尻尾を見る。たまに、ぱたりと畳を叩くと目が煌めく。


芽依は内心でため息を吐いた。わかりやすい。警戒しているくせに興味津々である。

まあ、……異世界とか魔法とか大好きだもんなぁ、そういうアニメや漫画ばっか勧められたし、と思いながらたまらず声をかける。


「めっちゃ見てるじゃん」

「見てない」

「見てるって」

「見てない」


見ていたくせに。話してみたいくせに。

変な意地を張るなと芽依がため息をついて響也を呼ぶ、その前にリヒトが湯呑みを置く。


「魔法見たいのか」

「べっ……べっつにー!?」

「そうか」


そう言いながらリヒトは指先を軽く動かした。

ぽう、と、小さな光が掌の上に灯る。

蝋燭の火ほどの大きさ。

けれど炎ではない。

淡い金色の光球がふわりと浮かんでいた。

響也の目が見開かれる。リヒトは何でもない顔で、その光を空中へ放り投げた。

光球は天井近くまで浮かび、ゆっくりと部屋を巡る。

まるで生き物のようだった。


「うわ!」


思わず響也の声が漏れる。そんな弟の様子に、芽依が吹き出すとはっとして響也が「こんなん! マジックみてーなもんじゃん!?」と顔を赤くしながら叫ぶ。

しかし視線だけは素直で、光球から離れない。

リヒトは少しだけ口元を緩めた。


「触るか」


光球を響也の方へ寄せる。

響也は一瞬ためらったが、結局は好奇心が勝った。

恐る恐る指先を伸ばす。

触れた瞬間、光がふわりと広がる。

温かい。

冬の日向みたいな温度だった。


「……すげえ」


小さく呟く。

その声に警戒心は混じっていなかった。

しばらくそれを弄っていたが、そんな響也を見つめるリヒトと、光球越しに目が合う。

存外柔らかい目で響也を見ていたその目に、驚いた顔をしてから、慌てて顔を逸らした。


「……やっぱり信用できない」


そう、強がるように響也は呟いて居間を出ていく。その一瞬、芽依をちらりと振り返りながら。

芽依はそのなんとも言えない顔に、首を傾げた。


「……なんかごめんね、パイセン。あいつちょっと反抗期でさー」

「……いや、いい」


芽依が苦笑いを漏らすと、リヒトは軽く息をついた。それから、だらりと天井を見上げる。

独り言のように「まあ、警戒するだろうさ」と呟く。

芽依が首を傾げると、仕方なさそうにリヒトは緩く笑い、芽依の髪を少しだけ弄った。


◆◇


放課後、学校からそのまま向かって働いたバイト終わり。

もう月が高く上っている空を見上げながら店の外に出ると、当然のようにリヒトが立っていた。


「遅え」

「……過保護じゃない?」


そう言いながら、自然に手を繋ぐ。隣で歩き、同じように息を吐く。当たり前に、白い息が二つになるのが、こそばゆくて嬉しかった。


休みの日には二人で街を歩いた。

リヒトは魔法がないのに発展はしている現代社会に目を丸くして、科学の発達にいちいち驚く。その様子はちょうどよく外人が観光で日本に驚いてるように見えるらしく、周りからは大分微笑ましく見守られていた。「イケメン可愛い〜」だの黄色い声で女性たちから言われていた時は、流石に顔を顰めていたが。

二人で街を歩き、ご飯を食べに行きスマホで写真を撮る。

何枚も。

何枚も。

異世界では見られなかった写真。

今度はちゃんと見られる写真。

異世界にいた時は写真嫌がったのに、と言ったら肩を小突かれた。


笑った。


軽口を言い合った。


隣で歩いた。


その時間は、ゆっくりと芽依の心を満たしていった。

埋まらないと思っていた穴が、少しずつ――本当に少しずつ埋まっていく。

埋まっていく間にも、時間は過ぎていく。

二つの世界を跨いだ時間。

リヒトは何も言わなかったが、時間経過が違うのだ。こんなにゆっくりこの世界で過ごすことは、本当はとても特別なこと。

芽依はリヒトの物言わず待つ優しさを感じ、時折そっと拳を握った。

いつまでも、モラトリアムに甘えてはいられない。決意を、決断をしなくちゃいけない。


そうして――不意に見上げた空だけは、同じだった。あの世界で見上げた青と、少しも変わらない。

その事実が、少しだけ嬉しく、そして勇気づけられた。


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