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異世界とギャル  作者: 田山 白
第二部 この世界とギャル
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10/13

十話


ぼんやりと見上げた空は青く澄んでいる。


木々の隙間から差し込む木漏れ日。

風に揺れる葉擦れの音。

遠くから聞こえる蝉の声。


その全てに覚えがあった。


上半身を起こす。

石畳。

鳥居。

拝殿。

見慣れた神社の境内だった。


メイはしばらく呆然と座り込む。


ついさっきまで、本当にさっきまで――リヒトがいた。

夜の崖の上で、風が吹いて、泣きそうな顔で自分を見た男。


『――こんな気持ち抱かせて、お前は俺を置いていくのか』


耳に残る低い声は、確かに現実だったのに――今、目の前にあるいつもの風景がそれを否定している。


二年間。

王宮のレストランで働いて、走って、駆けて、サミュエルとまかないを食べた。

騎士団に振り回されて、おだてられ、時に喧嘩して、それをリヒトに怒られた。

突拍子もないカストルの実験に付き合い、たまに怪我をしそうになりながらも、一生懸命帰還の方法を二人で考えた。


みんなで笑って、助け合いながら生活した日々。

全部、現実だったはずだ。

それを、手に握るシャウムだけが証明してくれるようで、思わず強く握りしめる。


夢にしては鮮明すぎる。

胸の奥が痛すぎる。

だから、立ち上がった。


震える足で神社の境内を見回す。

見慣れた、いつもの景色。

だけど、ふとして気づく、違和感があった。


夏だった。

しかし、メイの記憶に残る現実世界の最後の記憶は、春だ。桜の花びらが散った後の、新緑が優しく吹き揺れていた時期。だから今の格好も、長袖のカーディガンにブレザーだ。

夏の日差しの下では暑い。汗がこめかみを伝った。


異世界では約二年の時を過ごし、季節は冬だった。

何もかも、季節が噛み合っていない。

暑いはずなのに、背筋が冷たくなる。


芽依は駆け出した。

神社を飛び出し、坂道を下り、住宅街へ向かう。

見慣れた道。

見慣れたコンビニ。

見慣れた交差点。


全部そのままだった。

二年も経っているようには見えない。

きょろきょろと辺りを見渡しながら、息を切らし街を歩く。そして神社へ引き返し、併設された家へ向かう。


幼い頃から育った、祖父母と弟と住む家だ。全力疾走したせいで、足が少しがくがくとする。それでも、突き動かされるように玄関へ向かう。

そして、震える指でインターホンを押した。

数秒後、呆気なく――扉が開く。


「はいはい、今出ますよ――」


祖母だった。


そして、芽依と目を合わすと祖母は固まった。

芽依も、その懐かしさに視界が揺れて、動けなくなる。


「……ばあちゃん?」


ゆっくりと、小さな声で沈黙を壊す。

それをきっかけに、祖母の目が見開かれた。


「芽依……?」


かすれた、確かめるような声。

そして次の瞬間、祖母が駆け寄ってきた。


「芽依!!」


息が詰まりそうなほど強く、ぎゅうっと抱き締められる。

祖母の肩が震えていた。


「芽依……芽依っ……! 三ヶ月も、どこに行ってたの!?」


いつも気丈でお茶目なはずの祖母が、惜しげもなく泣いていた。縋るように芽依の背中に回した手を握りしめる。

その手は小さくて細いのに、力は強かった。

その必死さに圧倒され、抱き返すこともできず、芽依が固まっていると、奥から足音が聞こえる。


祖父だった。


厳格で滅多に感情を見せない、この神社の神主。

その祖父も玄関で立ち尽くした。

何かを言おうとして口を開き、結局何も言えなくて閉じるを何度か繰り返す。

祖父の体が、細かく震え出した。

伏せたその目は、赤かった。



その日の夕方。

学校から帰ってきた弟は、玄関で固まった。


「……姉ちゃん?」

「お、オタクくん! 久しぶり!」


反応がない。

もっと驚くか、あるいは怒り出すかと思ったのに、弟の響也はじっとこちらを見ている。そのまま、よろよろと芽依の元にやってきて、信じられないものを見るようにその手を握った。確かめるみたいに。

芽依はそれに少し苦笑して、「なんだよ、照れくさいなぁ」と言いながらも振り払うことはしなかった。弟は、ポカンとした顔を徐々に歪ませていく。

その、不細工な顔に芽依はカラカラと笑ってやる。

そうすることで、姉の顔を保つことで、本当に現実に戻ったのだと思えた。そうやって、家族がゆっくりと、芽依を現実に引き戻したのだ。


◆◇


それから数日は芽依の周りは慌しかった。警察の事情聴取、学校への説明。病院での検査。

芽依は家族には笑われようともいいと、荒唐無稽でしかない異世界転移の話をして、その他の機関には適当に意識が混濁していて何をしていたか覚えていないで話を通した。

とくに警察は不審がったが、芽依が何も言わないこと。外傷がないことで事件性はなしとして処理をしたようだ。

そして、やっと一息つけたのは、一週間も過ぎた頃だった。

友人にも散々心配され、事情を聞かれたがやはり真実なんて話せるわけもない。軽口のように異世界転移してたなんて口に出したりもしたが、却って怒らせたり、呆れられたくらいだ。

まあ、そんなもんだろうなと思う。

芽依の話を神妙な顔をして聞いたのは、家族だけだった。

やっと普通に学校に通えるようになったが、その隣には今日も弟がいる。


朝の住宅街は穏やかだった。

通学時間帯の道路には制服姿の学生たちが行き交い、自転車のベルや遠くの踏切の音が時折風に乗って届く。澄んだ青空の下、街路樹の葉がさらさらと揺れ、その隙間から零れる陽光がアスファルトにまだらな影を落としていた。


通い慣れた坂道。

見慣れたコンビニ。

角を曲がれば小学校の校庭が見える交差点。


二年前と何も変わらない景色。……いや、現実世界では、三ヶ月の時しか経っていないのだ。

異世界で過ごした二年という時間は、こちらではたったの三ヶ月だった。時間の流れが違うのだと理解した時、芽依は呆然とした。今も、うまくその事実が飲み込めない。

だって、芽依の体は確かに二年分成長している。二年の間で伸びたり切ったりした髪の長さは違うし、日にも焼けた。体だけ、この身だけは確かに二年の時を過ごしたのに。


胸がずきずきと痛みかけ、目をそっと伏せた。

隣では弟が眠そうに欠伸を噛み殺している。

肩に掛けた通学鞄が歩調に合わせて小さく揺れた。


朝の柔らかな風が頬を撫でる。

メイは誘われるように空を見上げた。

異世界にはなかった電線が空を横切り、その上に止まった雀たちが賑やかに鳴いている。

どこにでもある平凡な朝だ。


「……なんか、じいちゃんさ」


ふと、ずっと気になってたことを口にする。

眠そうな弟の目が、こちらに向いた。


「ちょっとやつれた? 私いない間、病気とかした?」


沈黙。

響也の表情が固まる。


「……それ、本気で聞いてるのかよ?」

「え?」

「三ヶ月も姉ちゃんがいなかったんだぞ?」

「たった三ヶ月じゃん」


響也の目が見開かれた。

それから、わなわなと体全体を震わせる。怒りと、悲しみ、どちらも含んだ真っ赤な顔。あ、地雷を踏んだ、とすぐに分かるも、言葉を探すよりも先に響也が爆発した。


「三ヶ月も! だよ!!!」


怒鳴り声が響いた。

芽依は思わず肩を震わせる。

響也は涙目だった。


「警察だって探した! 学校だって騒ぎになった! じいちゃんもばあちゃんも毎日探してたんだぞ!」


震える声。

怒りと悲しみと安心、全部がぐちゃぐちゃに混ざっていた。


「オレだって……」


弟が唇を噛む。


「オレだって、もう会えないと思ったんだよ……」


その言葉で、ようやく理解した。

芽依にとっては二年だった。

けれどこの人たちにとっては違う。

ある日突然家族が消えた。


「……ごめん」


そう、初めて響也に対して謝る。

響也は顔をぐしゃりと歪めて、唇を噛み締めた。それで、ようやく気づく。

帰ってきてから弟は絶対に一緒に朝登校をしたがった。シスコンだなぁと思ったことはあれど、前はそこまでじゃなかった。

そもそも高校と中学ではそこまで距離も近くない。それでも、響也が一緒に登校するようになったのは、芽依がいなくならないように。

いきなり異世界に連れて行かれないように。


弟の、まだ僅かに芽依より小さい体を見る。

――三ヶ月前より、視線は近くなった気がした。

メイにとっては二年が圧縮された三ヶ月。けれど、家族にとっては地獄のように長い三ヶ月。しっかりと、確かに時が流れていたのだ。


「……ごめんね」


芽依がもう一度言う。響也は黙って、辛そうに頷いた。






夜。

縁側に座った。


虫の声を何気なく聞いていると、祖母がそっとお茶を持ってきた。

隣に腰を下ろす。


しばらく二人とも黙っていたが、やがて祖母がぽつりと呟く。

少し、困ったような顔をして笑っていた。


「……芽依は例の……両親の交通事故に居合わせたじゃない?」

「……覚えて、ないけどね」

「うん。少し、買い物に行くだけだったのよね。それを後ろから追突されて……響ちゃんはまだ小さいから、私たちがちょうど預かってたから、よかったけど」


祖母の手が、芽依の手をそっと撫でた。

メイは顔を上げると、いつのまにか傍らには祖父も立っている。祖父も、目が合うとゆっくりと隣に腰を下ろした。


帰ってきたら、祖父には怒られると思っていた。心配をかけたこと、突然いなくなったこと。でも実際は、祖父は怒りもせずに、芽依の異世界の話を聞いた上で「そうか、……おかえり」と一言だけ伝えてきただけだった。

いつも通り、必要以上の言葉は掛けられない。だけど、どれほど心配をしていたか、響也と話してやっと理解した気がした。


祖母は、お茶を啜りながら、ぽつりと零す。


「一時は、芽依も生死の境を彷徨ったんだよ」


それは、知らなかった話だ。事故のことを、祖父母はあまり語りたがらなかった。凄惨な事故だったと、娘夫婦を亡くした二人は口を噤みがちだったから。


祖母は静かに笑うと、ちょうど夜風が吹く。

掛けてあった風鈴が、ちりんと涼やかに鳴った。


「それで私たちの元に引き取られて、神社住まいになったから……少し、この世との境界が曖昧になっちまったのかもねえ」


芽依が息を呑むと、祖母はそっとメイを抱き寄せた。


「おかえり」


優しい声だった。


「……うん」

「帰ってきてくれてよかった」


祖母の肩に顔を埋める。

慣れ親しんだ、線香が染み付いた匂い。それが、とても落ち着いた。


「芽依、……異世界とやらは、辛くはなかったか」


祖父が、そっと口を開く。

一番現実主義者で、頑固な祖父。それでも、祖父は帰ってきた芽依の話を一度も嘘だと断じなかった。空想の話だと切り捨てなかった。

今も、――本当の話として、聞いて、過去の芽依を心配してくれている。それに、少し涙腺が緩んで慌てて鼻を啜る。


「親切にしてくれる人がいて、……結構、楽しかったよ。恋もしちゃった」

「そうか、……図太い孫を守ってくれたその相手に、礼を言いてえな」


そう言って、芽依の頭をぐしゃりと、少し強いくらいの力で祖父は撫でる。

夏の虫が鳴いた。

異世界では聞かなかった、この世界にしかいない虫の声。それに集中するように、芽依は目を閉じた。

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