第60話 紅蓮の刃
「ひぃっ!」
巨大な嘴が、すぐ目の前まで迫ってきた。
思わず横に飛び退くと、砂地に深々と嘴が突き刺さる。
あと半歩遅ければ、私は串刺し……にはならないだろうけど、服をボロボロにされた挙句、丸呑みされていたに違いない。
「ムリムリムリムリかたつむり!」
私は反射的に叫んで、砂漠を駆け出した。
後ろからは重い足音が追いかけてくる。振り向かなくてもわかる。巨大な鶏さんが、本気で私を狙っている。
体力は女神様の加護で心配ないけど、だからといって速度で勝てる相手じゃない。
大きいくせに、速い!
その巨体からは信じられないほどの勢いで迫ってきている気配が、背中に張り付いて離れない。
「あと少し……!」
前方には、砂漠と硬い大地の境目が見えている。
そこまで辿り着けば、もう少し速く走れるはず。
そうすればもしかしたらワンチャン、振り切れる可能性もなくはないかも。というか振り切らせてください女神様。そう願いながら全力で駆け抜ける。
しかし、そう願った直後。
足が砂にとられて、前のめりに倒れ込んでしまった。
「しまっ――!」
顔を上げると、巨大な鶏さんの影が私を覆い尽くしていた。
真紅のトサカを揺らし、金色の瞳がまっすぐに私を射抜く。
嘴が振り下ろされる……!
絶体絶命だと思った、次の瞬間。
轟、と音を立てて炎が噴き上がる。
巨大な鶏さんの体が、突如燃え盛ったのだ。
羽毛の一枚一枚が火に包まれ、ただでさえ暑い砂漠の空気をさらに熱く変えていく。
「え、なに……!?」
熱風が押し寄せ、砂が舞い上がる。
思わず腕で顔を庇いながら、燃え上がる巨影を見上げた。
燃え盛る巨大な鶏さんが、砂の上でもがきながら絶叫する。
その鳴き声に混じって、どこか楽しげな声が聞こえてきた。
「おーおー、元気なこって。こりゃ魔石も期待できるぜ」
炎の向こうから、長い影がゆっくりと近づいてくる。
陽光を浴びて輝くオレンジ色の髪は、まるで炎の一部みたいに揺れていた。
肩に担いだ赤色の長剣は、熱を帯びた空気の中でぼんやりと光を反射し、刃先から立ち上る熱気が蜃気楼のように揺らめいている。
「あ、あなたは……?」
恐る恐る声をかけると、その男はニッと笑い、ギザ歯を見せて答えた。
「オレ様はロッシュ・ブレイズ。『紅蓮の刃』ってパーティー名で活動してるB級冒険者だ。今はソロだけどな」
そう言って彼が軽く剣を振ると、燃え尽きかけていた鶏さんの片足が音もなく切断され、砂の上にどすんと崩れ落ちた。
仮称で鶏さんとは呼んでいるものの、体が巨大なだけあって足も直径1メートルを優に超える太さだ。
そんな太さの足を剣の一振りで斬り落とすあたり、B級冒険者とは一般人とは隔絶した実力の持ち主なのだということがよくわかる。
たしか『黄金の風』パーティーのみんなも、大抵の冒険者はC級止まりだって言ってたっけ。年齢は私とさほど変わらなそうなのに、すごいものだ。
「おまえ、運がよかったな。オレ様がいなかったら今頃、ドゥルドゥーの腹の中だぜ?」
「……そうですね。助けていただき、ありがとうございました」
どうやら仮称・鶏さんは、ドゥルドゥーという名前の魔物だったらしい。
修道服をボロボロにされた挙句、丸呑みされる未来を回避できて本当によかった。
ロッシュさんには感謝してもしきれない。
「さて、んじゃ命を助けてやった代金をもらおうか」
「あ、あの……それなんですが……」
「ああん? まさか、払いたくねえってんじゃないだろうな? オレ様ぁ、そろそろA級も間近ってレベルのB級冒険者だぜ? しかも炎の属性持ちだ」
ロッシュさんは身を屈めて私の顔を覗き込み、低い声で呟くように言った。
さっきまでの明るい調子とは打って変わって、威圧するような雰囲気を出してくる。
全然話に関係ないけど、髪の色がオレンジなのに炎の属性持ちなんだ……という感想が頭の中をよぎった。赤じゃなくて。実際の炎は赤よりオレンジ色に近いからかな? 属性と髪の色は関係ないのかもしれないけど。
「そんなオレ様にタダ働きさせるたぁ……イイ度胸だな、シスター?」
「いえ、魔物から助けてもらって、そのお礼として代金を払うのは当然ですし、まったく異論はないのですが……」
懐から革袋を取り出して、ロッシュさんに差し出す。
彼はそれをひょいと私の手から取り上げた。
「異論がないなら、これはもらうぜ……って、おい、銅貨しか入ってねえぞ。しかも三枚」
「全財産です」
「……なに?」
「それが全財産なんです……」
「…………」
ロッシュさんは無表情で革袋を私に返すと、懐から小さな正方形の機械みたいなものを取り出して、無言でポチポチとボタンを押し始めた。
「それ、なんですか……?」
「ギルド連絡用の通信機。共和国製の最新機器だ。すごいだろ? オレ様は稼ぎ柱だから特別に持たされてる。んで、大物を仕留めたらこれで連絡すれば、冒険ギルドが運送から解体まで手配してくれんだよ」
そう言いながら彼は腰に下げていた銃のようなものを抜いて、空に撃った。
すると赤い煙が一直線に立ち昇る。発煙筒みたいなものらしい。
「これで待ってれば、運送業者が来る」
「便利ですね……」
「だろ? 最近の共和国はとんでもねえよな。数年経つだけで便利な魔道具とか機械をどんどん出しやがる」
「本当ですよね。何年か前に出た冷蔵庫なんて魔石の消費が前の型よりとても少なくなっていて、ビックリしました」
最近は共和国から技術を輸入して、王国でも魔石を動力にした機械工業みたいなものも一部で始まっているらしい。そうなると、技術の輸入元である共和国はもっと発展しているのだろう。ただで技術を提供しているわけはないだろうから。
「あー、わかるわかる。魔石は日々使うから、消費少ないのはマジ助かるよな。オレ様も昔は貧乏だったからよくわかるぜ。今は稼いでるから何も気にならねえけどよ」
「A級も間近ってレベルのB級冒険者ですもんね。すごいですねぇ……今日の宿代もない私とは大違い」
「…………」
「…………」
「……じゃ、オレ様は帰るから。お前も魔物に襲われないうちにさっさと帰れよ」
「待ってください!」
私は慌ててロッシュさんの袖を引っ張った。
彼は振り返ると、露骨に嫌そうな顔をする。
「なんだよ! オレ様は忙しいんだよ!」
「恵まれないシスターに愛の手を差し伸べませんか? 具体的にはお金を恵んでいただけると大変助かります!」
「おまえ嘘だろ!? 助けた相手から逆に金の無心をされるとか、いくら経験豊富なオレ様でも初めてだぞ!」
「銀貨一枚……いえ二枚……三枚でもいいので!」
「地味に枚数増やしてんじゃねえ!」
ロッシュさんが私の手を振り払う。
うーん、やっぱりダメか。助けてくれた相手にお金の無心はちょっぴり、図々しかったかもしれない。




