第57話 夢の中で
王都の東門付近に近づくと、整然とした光景が目に飛び込んできた。
数多くの王国軍兵士が街道の両側に並び立ち、中心の道を綺麗に空けている。磨き上げられた鎧が朝日を受けて鈍く光っており、全員がピンと背筋を伸ばして整列しているせいか、私も少し身が引き締まった。
やがて東門の前まで来ると、その中央に立つ人物が目に入る。
端正な顔立ちに気品を湛えた金髪碧眼の第二王子、マティアス殿下だ。
「お待たせしてしまいすみません、マティアス殿下」
「いえ、門の外では先発隊がまだ準備中ですので、問題ありませんよ。いずれにせよ、まだ待つ必要があります」
マティアス殿下は穏やかな笑みを浮かべながら、東門の向こうへと視線を向けた。確かに門の向こう側では、騎兵たちが馬の準備をしている姿が見える。
「それよりもリシア様、教会からの聖女認定、王国の事情により公表できないものとなってしまい……申し訳ございません」
「いえ、大司教様からも事情は聞いていますし、私は大丈夫です」
一番大事なのは王国からの正式な使者として聖教国に行くことだし、大司教様はちゃんと教皇様に渡す手紙に私が聖女だということを書いてくれたらしいから、何も問題はない。
むしろ変に聖女と騒ぎ立てられなくて、よかったとすら思っている。
「そうですか。そう言っていただけると、こちらとしても助かります。……ジャン!」
マティアス殿下が手を挙げると、スラム街での案内役をしてくれていたジャンさんが私の背後からやってきた。
……いつから私の後ろにいたんだろう。全然気がつかなかった。
もしかして結構前からつけられてた?
「リシア様が乗る馬車の御者はジャンに任せます。気心知れた者のほうが良いでしょうから」
「お気遣いありがとうございます。よろしくお願いしますね、ジャンさん」
マティアス殿下の背後に控えるジャンさんに話しかけると、彼はキリッとした真剣な表情を、いつもの人懐っこい笑顔に変えて返してくれた。
「こちらこそ、道中よろしくお願いします。聖女様の旅にご同行できて光栄です」
その笑顔を見た瞬間、私はほんの少しだけ違和感を覚えた。
いつもの明るさに、わずかな陰りが混じっているような……。
「ジャンさん、もしかして……体調でも悪いんですか?」
「えっ……?」
ジャンさんが目を丸くして驚いた。
その反応を見てマティアス殿下は心配そうに眉を寄せ、彼に問いかける。
「ジャン、そうなのかい?」
「い、いえ……」
「無理をしてはいけないよ。大事な聖女様の護送任務だ。もし体調が悪かったら、別の者に変えようか?」
じっと見つめるマティアス殿下の視線を前に、ジャンさんは一度目を伏せ、短く息をついた。
そして何かを振り切って、意を決したように顔を上げる。
「……いえ。やります。やらせてください。体調は悪くありません。ただ、かなり長い間スラム街にいたもので、少し感傷的になっていただけですから」
「そう? でも無理はしないで良いからね。御者をできる兵士は他にもつけておくから、何かあったら遠慮しないで頼るんだよ」
「はい。お心遣いありがとうございます」
ジャンさんは深々と頭を下げた。その仕草は誠実かつ実直で、マティアス殿下に忠誠を誓っている兵士そのものだ。街道の左右に整列した兵士たちと同じくカッチカチに整っていて、背中に金属の棒でも入っているのかと思うぐらい。
さすが本職の軍人さん。とても格好いいと思う。
でも私にはその背筋の硬さが、どこか無理をしているようにも映った。
スラム街で見せていた気楽さや人懐っこさと比べると、今の彼は鎧を一枚余分にまとっているみたいで、少し胸がざわつく。
「ああ、先発隊の準備ができたみたいだ。ジャン、リシア様を案内して差し上げて」
「了解です。ではリシア様、こちらへ」
「はい」
ジャンさんの後ろ姿を追って歩き出す。
左右に並んでいる兵士さんたち全員に見送られているみたいで、少し緊張する。
「リシア様」
後ろから呼ばれて、なんだろうと思いつつ足を止めて振り返る。
「表立って応援できず、申し訳ありませんが……帝国との和平、どうかよろしくお願いします」
マティアス殿下は右手を左胸に当て、深々と礼をした。
大勢の兵士たちが整列する中で、彼の声だけがまっすぐに私へ届いてくる。
「……はい。必ず」
短くとも、自分にできる精一杯の言葉を返す。
マティアス殿下は顔を上げ、納得したように微笑を浮かべる。
私は踵を返し、再びジャンさんの背中を追った。
〇
東門を出てスラム街の人たちに旅立ちの挨拶をした後。
街道を少し歩いたところで、私は専用の馬車に乗せてもらった。
車体はしっかりとした造りで、外装、内装ともに帝国の皇太子殿下が乗っていた馬車と比較しても大した差はないぐらい綺麗だった。
座席の柔らかさでわかる。これは相当、良い馬車を用意してもらえたみたいだ。ありがたい。屋根なし馬車の荷台に直座りだった『黄金の風』パーティーとの旅とは雲泥の差だ。旅そのものは楽しかったけどね。
やがて馬車がゆっくりと動き出す。
周囲には六騎の騎兵が付き従い、前方に二騎、左右に二騎、後方に二騎という完璧な布陣を組んで進んでいく。
道端を歩いていた人々が振り返り、物々しい雰囲気にざわめく声を上げるのが窓越しに見えた。
これではまるで国家級の要人みたいだ。
……いや、聖女だから『みたい』じゃなくて、実際に要人か。公表なしで何も変わらないから、実感が湧かないけど。
街道をしばらく進むと、王都から遠ざかるにつれて人の姿が少しずつ減っていき、やがて誰一人いなくなった。
さっきまでの喧噪が嘘のように静まり返り、馬車の車輪が土を踏みしめる音と、蹄の規則正しい響きだけが辺りに残る。
ふと気になって、私は窓越しに街道の後ろを振り返った。
けれども、そこには誰の姿も見当たらない。
「いかがなされましたか?」
声に驚いて振り向くと、馬車の右側を並走していた騎兵さんが、私の様子を窺っていた。
騎兵さんの兜は目元以外を覆う形になっており、その表情はよく見えない。
「あ、いえ……すみません、なんでもありません」
慌てて手を振り、私はすぐに馬車の中へ顔を引っ込めた。
後続が見えないのは問題ない。わかってはいる。
この馬車は帝国側に余計な警戒心を抱かせないよう、先行しているのだ。
スラム街の人たちや、他の王国軍の方々は距離を置いて、あとから街道を進むことになっている。
だから私が一人きりで先に進んでいるように見えても、それは予定通り。
わかってはいるんだけど……なんだろう、なんだか胸がモヤモヤする。
うーん、この落ち着かない感じ、原因がはっきりしない。
馬車が先行していること自体は理解しているし、不安に思う理由はないはずだ。
だとすると……今日、スラム街でレイスさんが見つからず、お別れを言えなかったのが心のどこかに引っかかっているのだろうか。
私と違って出発の準備で忙しかっただろうし、仕方ないと思って納得したつもりだった。
でも、その『つもり』があんまり上手くいってない……とか?
まあでも、これは過ぎたことだし、考えたところで結果は変わらない。
帝国との和平が無事に済んだらまた王国に戻ってくる予定だし、そのときに改めて顔を合わせて話せるだろうから、何も問題はないはず。
だから今は、目の前の旅路に集中しよう。
まだ先の話にはなるけど、聖教国の教皇様と何を話すのかとか、帝国の皇帝陛下と何を話すのかとか、考えておくことは山ほどある。
私は目をつぶり、馬車の揺れに身を任せた。
規則的な車輪の音と蹄の響きが、子守歌のように耳へと心地よく染みこんでくる。
深呼吸を繰り返しているうちに、頭の中の雑念がだんだん遠ざかっていく。
こうして私は、聖教国での会談や帝国での謁見、和平がうまく進んだあとの未来まで、あれこれ考えを巡らせるのであった。――夢の中で。




