3-01『笠井綴の決意』
神紀5000年、冬至前54日。
僕ら日渡国神治首脳部は、濱竹国の浜松神社門前に延びる大通りを見下ろすように、浜松神社の3階テラスに座っていた。
大通りには濱竹国の水陸両軍が列を成し、ゆっくりと、厳かに歩いていた。
列の中央では、大きな棺が担がれている。
僕らの隣に座るのは濱竹国の神治首脳部らで、彼らは皆、正装に身を包んで暗い表情を浮かべそこにいた。
泣いている者も散見される。
井谷戦争の終結から7日が経った。
圧倒的な近代戦力で井谷を蹂躙した濱竹だったが、その犠牲もタダではなかった。
濱竹軍総長、中田島砂太郎将軍が、井谷国の臣、井川閑蔵と相打ちした。
濱竹の神、安久斗様は、長年軍総長を務めた彼を“歴代皇国軍総長の中でも最も偉大な将軍のひとり”として、その戦績を讃え国葬をすることを決めた。
それが今日、この瞬間なのだった。
安久斗様は、この国葬で次のような言葉を中田島将軍に贈った。
「砂太郎よ、お前がいなければ今頃まだこの国は戦争をしていただろう。お前の勇敢な行動が、井谷国を早期降伏へと導き、この国のこれ以上の犠牲を抑え、連邦に再び平和をもたらしたのだ。お前の死は実に悲しく、この国の優秀な統率者のひとりを失ったのは大きな代償やもしれん。だが、それでも、この国は勝利した。お前の死を代償に勝利した。勝ったのだ、井谷俣治との長き長き戦いに、今、ようやく勝ったのだ! お前のおかげだ、砂太郎! 俺はお前を誇りに思う。この国を守り抜き華々しく散ったお前を誇りに思うのだ! 長きに亘り俺に尽くし、この国に尽くし、この連邦に尽くしてくれたこと、心から感謝する。だから、休め。ゆっくり休め。ありがとう、中田島砂太郎。我ら濱竹国百万の民を代表し、お前の頑張りを讃え、ここに葬送の辞とする」
その言葉を濱竹軍は敬礼して聞いていたが、言葉が進むにつれてちらほらと敬礼が揺れる者が出始め、最後などは啜り泣く声が多方から聞こえてきた。
中田島将軍は、部下から慕われる軍総長だったのだろう。
かく言う僕らも、将軍の戦死報告を受けて辛くなかったわけがない。日渡国は少なからず将軍との関わりがあったため、この数日間は喪に服していた。濱竹は今日から10日に亘り喪に服すという。
僕らの喪中は濱竹本国よりも早く、そのことを耳にされた安久斗様には相当驚かれた。「他国の上層部がそんなに真剣に喪中などやる必要はないぞ」などとのお声をいただいたが、殊に臣である僕と親交があった手前、そこはしっかりと気持ちを表しておくべきだと考えた。
中田島砂太郎将軍の棺に、花束が手向けられていく。
陸軍、水軍、両方の長官がそれを行うことになっていたようだが、陸軍長官である笠井綴さんはこの国葬を欠席した。
その場合、次官の位に位置する陸軍参謀総長が担うとされたが、その地位にいる小松喜々音は戦争で重傷を負い、今は入院していると聞く。
仕方なく濱竹陸軍は、花束の手向けを第一師団の師団長に任せて、将軍を送った。
綴さんと将軍は、少なからず親交があったはずだ。
将軍も綴さんも、僕が最初に出会った濱竹軍関係者のうちのひとりだ。
そのときに聞いた話では、一緒にお酒を飲み交わすほどの間柄であったとのことだった。
彼女がなぜこの場にいないのか。将軍様を送ってあげないのか。それが気になった。
「安久斗様、ひとつよろしいでしょうか?」
国葬のあと、僕は安久斗様にお尋ねした。
安久斗様は「お前、そんなに世話焼きだったか?」と、呆れたように笑いながら、僕からの質問にお答えくださった。
僕は安久斗様からお聞きした情報を頼りに、ひとりでそこへ向かった。
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ーーー
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冬至前54日、夕暮れ時。こんな時間に珍しく客が来たと、家の下使のタケが言う。
国葬などという大層厳かな行事を欠席したことを、誰かが咎めに来たのかもしれない。
私も今年で37歳。いい歳をして、子どものように行きたくないものや見たくないものから目を背けていることに、きっと部下も、臣様も巫女様も、安久斗様だって呆れていることだろう。
私自身、この性格にはうんざりしている。
果たして誰が咎めに来たのだろうか。タケに来客が誰か尋ねると、それは意外や意外、日渡の臣だと言う。
日渡の臣、磐田大智。
彼は数年前、まだ臣という立場になかった当時、濱竹で起きた大規模な人類反乱の顛末を聞くべく使者として日渡より訪れ、私や喜々音、砂太郎、かささぎくんと関わった。
しかしながら、それ以来はっきり私個人と関わりを持ったわけではない。正直、他3者に比べたら良くも悪くも疎遠になりつつある関係性だろう。
お互い認知はしているが、それといって深く関わった間柄ではない。そのはずなのに、彼は今、どうしてか私を訪ねて来た。
「いきなり押しかけてごめんなさい」
彼はそう言って私に頭を下げた。久々に会った彼は随分と大人びていて、それも当然か、あの頃は15そこらの少年だったが、今となってはもう18の青年、それでいて一国の政を司る臣なのだから、服装も、礼儀も、それは見違えるほど……などと言うと失礼なんでしょうけど、小綺麗なものになっていた。
誰に私の家を訊いたのかと問えば、驚くべきことに安久斗様だと言う。
この磐田大智という男は、今まで見てきたどの国の臣よりも安久斗様との距離が近く思える。もしかしたら、濱竹の臣であるひくま様よりも近しい位置にいるかもしれない。
安久斗様を畏怖せず、臆せず、堂々とフランクに接していると聞いているし、そのように見える。
対して自国の神である萌加様と一緒にいるところはあまり見かけず、もはや濱竹国の神治幹部なのではないかと言わんばかりの立場にあるような気さえする。
しかし、奇想天外な奴としても名が通っていて、特に井谷討伐の直前は靜の三大神に対して歯向かう姿勢を見せたり、戦中には濱竹国そのものを乗っ取ったりと、とても小国の臣の判断とは思えないような、まるで上神種版安久斗様のような存在とでも言うべき行動を取る問題児にも見える。
だからこそ、安久斗様との距離が異常に近いのだろうし、安久斗様にも気に入られているのだろう。
問題事を嫌う、当の日渡国の権力者、萌加様や明様にどう評価されているのか気になるところであるし、心配なところでもあるのだけれど。
「それで、何の用?」
私が訊くと、彼は予想通り、
「今日、中田島将軍の国葬をご欠席されていましたよね。何かございましたか?」
と尋ねてきたので、
「説教なら、日渡国には関係のない話よ。安久斗様からの伝言があるならそれだけ受け取るわ」
と返したら、
「特段、それに関して誰かが怒っていることは耳にしませんでしたけどね」
と首を傾げながら返してきた。そのため私は「そう」と流すが、それならどうして彼がここに来たのか分からなくて、
「ならどうして?」
と尋ねる他になかった。
「僕自身、笠井長官がご欠席された理由が気になったからです」
彼は真っ直ぐ私を見てそう言う。なんだかため息が出そうなほど、面倒臭い予感がした。
「お節介な話ね。引き取って頂戴」
そう言ってみるも、やはり彼は「嫌です」と言ってきた。
「それを聞いて何になると言うの?」
「僕の自己満足ですよ。疑問に思ったままではモヤモヤしますし。それを解消したいだけと言えば、ただそれだけです」
あぁ、そう。噂に聞いていた通りの奴ね。
よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば知りたがり。そして一度決めたら頑なだし、融通が効くわけでもない。
相手のことを尊んでいる様子があまり見られないと、たしか喜々音がぼやいていた気がする。
確かにそうだ。私が今、彼を相手にしたくないことは彼には伝わっていないし、伝わる気もしない。
どう帰らせたものかと悩んでいると、彼は「あと、」と先ほどの理由に付け加えるように言葉を溢した。
「将軍様にも、笠井長官がお見送りにいらっしゃらなかった理由が伝えられません。これは僕の勝手な推し量りなんですが、きっと将軍様は、笠井長官とお話ししたかったはずです。たとえ花束を渡されるだけだとしても、その一瞬だけでも、その時間に、何か通わせたい想いがあると思っていたので。それがどうしても、寂しかったんです」
寂しいという言葉の通り、彼は寂しそうな表情をしていた。
中田島砂太郎に、伝えたいこと。
当然、無いわけがない。
言いたいことが山のようにある。
訊きたいことも、恨み辛みも、何から何まで多々ある。
「……はぁ」
ため息が漏れた。彼はまだ顔を上げない。
「言いたいことは、勝手に墓参りにでも行って伝えるつもりよ。その方がゆっくり話せそうだし」
私が言うと、
「そうだとしても、見送ることも重要だと思いますよ」
薄情な奴だとでも言いたげに彼が言う。
「見送る、ね」
私はその言葉をため息混じりに繰り返す。そして彼を見て問いかけた。
「じゃあ訊くけど、砂太郎はそれを望むと思うかしら?」
「“それ”とは?」
彼はそう訊く。あぁ、そう。やっぱり面倒臭い奴ね。
「今の文脈で分からないの?」
思わずそう訊いてしまうが、彼は首を振って、
「いいえ。笠井長官の言葉が曖昧なんですよ。安久斗様や笠井長官、その他親交があった方々からの見送りなら、将軍様は望まれると思いますよ。でも、国を挙げての送別は、おそらく望まれないと思います。だから仮に“それ”が“見送り”のみを指すなら望まれると思いますし、“それ”が“国葬”を指すなら望まれないと思います」
と、そうはっきりと言った。
……そこまで分かっているのね。少し侮っていた。臣というのも伊達ではないのかもしれない。
私はひとつため息を吐いてから、彼に頷いた。
「同意見よ」
「それならどうして……!」
「だからこそ、私は欠席したの。国葬なんて、あいつはきっと、望まないだろうから」
彼は声を荒げたが、それに被せるように私が言うと、その言葉を引っ込めて話を聞いてくれた。
「国葬を実施するという安久斗様の決断は、私には賛同しかねるものだった。だから、私は欠席した。これは言うなれば、そうね……」
言いたい言葉は出てきているけれど、それを言ってしまって良いものか少し悩む。
濱竹国民として、喉から出かかった言葉はあまりにも非国民的で、それを言うのは憚られた。
しかし、すでに安久斗様の決断に同意しかねたことを言ってしまっている時点で今更何だと割り切って、私は言葉に出した。
「小さな叛逆心よ」
その言葉を聞いて、彼はどこかおかしそうに、しかし言わんとすることは分かったというように、小さく笑った。
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“小さな叛逆心”だと、笠井長官は言った。
安久斗様の決定は中田島将軍の意思に背いている。将軍様は国葬を望まれない。ある程度の関わりしかなかった僕でもそれはよく理解できる言葉だった。
ではなぜ安久斗様は国葬を実施されたのだろうか。
その答えは、なんとなく分かっている。
多大な犠牲を払いながらも長く対立してきた井谷との戦争に勝ったことを、国内外に知らしめる意義があったのだろう。
つまり安久斗様は、誤解を恐れず申すならプロパガンダとして将軍様の死を活用なされたのだ。
それに対し、笠井長官は不満を抱いたのだろう。
だから、国葬を欠席することでその意思を示した。そういうことだろう。
「お気持ちは理解しました」
僕のその言葉に、笠井長官は慎ましげな笑顔を見せるも、それと共に口からは「何か言いたそうね」という言葉が漏れ出た。
「そうですね」
遠慮などせず、僕はそう返してから、
「理解しましたが、それでも見送られなかったことは、僕の中で如何とも言い表せないような感情のまま残っていますね」
「言い表せないような感情?」
僕の言葉に対して、笠井長官は反復しながら聞き返してきた。その感情が何か、具体的に教えてほしいように見えた。
僕は自分の中にある感情を整理する。
将軍が望まないであろう国葬を実施なさり、その死をプロパガンダとして利用した安久斗様を非難するために欠席したという気持ちは解ったし、それについて僕はひとつの意思表示の方法として正しいものであると認識できている。
しかし、なんだろうか。国葬への不満があったとしても、親交のあった将軍様を葬送されないのは、どこかもの悲しく思えてしまう。
……ふむ。最も近い感情は残念、次が不満、総じてやはり“悲しい”のだろう。
「将軍様を笠井長官がお見送りしてくださらなかったのが、やはり悲しいんです。どれだけそれが小さな叛逆心を呈した行為であって、その行動に対し理解できたとしても、出席されなかったという事実と、それに対する悲しみは、何ら変わらないんです」
僕がそう言ったら、笠井長官は呆れたようにため息を吐いて、
「“寂しい”の次は“悲しい”か。理由を理解しても尚感情に任せて物を言うのなら、これ以上話しても無意味なように思えるわね」
と、僕のことを面倒そうにあしらった。
「あはは」
帰れと言われているのは分かっているが、帰れと直接言われていないから気付かなかったフリをして笑った。
帰れと言われても簡単には帰らないけど。
そんな僕を細い目で見つめた笠井長官だったが、意外なことに「帰れ」と直接言ってくることはなくて、しばらくの沈黙の中で僕から視線を外して庭を眺めると、思い出したようにポツリと「死んだのよね、あいつも」と溢した。
僕は何も言えなかったが、庭を見たまま立ち上がった綴さんを視界に捉え続けていた。
彼女はさすが軍部の者と言うべきだろうか、姿勢良くキチリと歩くと、庭に続く戸を開けて降りていった。
「来なさい」
僕を見るわけでもなく、自分のことかも分からないから、確信が持てるまで行かずにおこうと思っていたが、召使に僕の靴を庭まで運ばせていたのを見て、これはと思って立ち上がった。
靴を履いて、庭に降りた。
落ち葉が溜まり、冬の茶色い地面があった。
5本ほどある大きな木々の、その細い枝々が風でかさかさと音を立てている。
笠井家というのは、かつての神社の跡地にあるようで、それ即ち、濱竹に滅ぼされる前までは一国の政の中心地であったわけで。敷地は神社時代からだいぶ小さくなったようだが、それでもまだ十分な広さがあって、特に冬の寂しい季節だからというのもあるが、がらんどうとしているように思えた。
「私は、この家で生まれ育ってきた。何の不自由もなく、上神種という地位に甘えて、いま職を得てここに立っているわ」
綴さんの横に立ったら、彼女はそんなことを言ってきた。
「砂太郎と出会ったのは、私が12の時だった。中級学校の学生時代、少し荒れていてね。上神種であることを良いことに、ちょっと調子づいて女の子たちを虐めている男子たちを懲らしめていたのよ。私の中の正義だったわ、それが。ほら、強いとみんな頼ってくれるじゃない。それがなんだか嬉しくてね」
彼女は肩を竦めながら小さく笑った。そして懐かしんだように言う。
「でも、そんな私を叱ったのが砂太郎だった。彼は当時21歳で、上級学校を卒業して間もないただの見習い兵だったけど、濱竹上神種家の集まりで顔を合わせた時、荒くれた私のことが問題として上がったみたいで。大きな図体で既に老け顔だった彼はとっても怖く映ったんだけど、屈んで目線を合わせて話してくれた。彼は、私の正義は自己満足のためにしかないと、そう教えてくれたわ」
そして、1つの切り株の横まで歩く。
切り株からは、細い枝が数本伸びていた。たくましい木だと思った。
長官は、その切り株を触りながら言った。
「そのとき、『殴って良いのは木だけだ』と彼が言うから、私は家に帰って、この木を殴ってみたの。そうしたらね、手の甲に木の皮が刺さって血塗れになったのよ。痛すぎて泣いたわ」
「そうなんですか」
彼女の中にある、懐かしい思い出を聞く。文脈的に、まだこの木が切り株になる前の話だろう。
殴って良いのは木だけ。確かに将軍様は誰かに暴力を振るうようなお方ではなかった。誰彼構わず能力戦はするけど。
「それで後日、痛かったから砂太郎に文句を言いに言ったの。木なんて殴ったら自分が痛いだけだって。そうしたら、彼、なんて言ったと思う?」
いきなり質問されて戸惑ったが、少し考えて僕は答えた。
「えっと。豪快に笑いながら、そんな真剣に殴れば痛いのも当然だ、的な感じですか?」
「ふふっ。確かに言いそうね」
その反応で違うことは分かったが、どうやら言いそうなことは言えたようだ。
彼女は答えを言った。
「彼はね、『それが今のお前の強さだ』と言ったわ。庭の、たった一本の木にも勝てない、血が出たくらいで泣いて怒る、まだまだみるい奴だって。そう言ったわ」
「なかなかなことを言いますね」
みるいとは、未熟者という意味のここら辺の言葉だ。
「当時は優秀な陸軍兵だったからでしょうね。このところはおちゃらけてばかりだったけど、本当は厳しい奴よ」
綴さんはそう言って、切り株に腰を下ろした。
「私はそのとき、彼に『喧嘩なら強いぞ』と言ったの。そうしたら彼は馬鹿馬鹿しそうに大笑いして、『上神種だから当然だ。そんなことで調子に乗るな』と言ったわ。それが凄く腹が立って、私は彼に殴りかかった。そうしたら、気付いたら天と地が逆さまになっていて、気が付けば視界に草しか映らなくなっていた。私は為す術なく、一瞬で地に倒されていたわ。あの強さは、初めて味わった感覚だった。同時に怖くなって、でも、すごく憧れる強さにもなった」
綴さんは、視線を家の方に向けて語った。その表情は非常に穏やかだった。
「それから私は、休日、彼の家に押しかけるようになったの。強くなりたい。もっと、誰にも負けないような強さがほしい。ただその一心で、中田島砂太郎の後を追い続けたわ」
「弟子みたいなものだったんですか?」
「いいえ。彼はそんな私を軽くあしらって、終いには『もう関わるな』と突き放したわ」
「えっ!?」
僕が驚いて声を上げると、綴さんは「いい反応」と笑った。
「それから上級学校を卒業するまで、私と彼は関わらなかった。私は漠然と強さだけを求めて木を殴り続けていたから、いつしかこの木は朽ちてしまったわ。だから切ったの。でも凄いわね、生命力って。今となっては新しい枝が生えてきたもの」
「殴りすぎて枯れてしまった、と」
「そうね。この子には可哀想なことをしてしまったわね」
綴さんは申し訳なさそうに笑って座った切り株を撫でた。
「それで、その後将軍とはどのようになったのですか?」
僕が訊くと、綴さんは「そうね」と言って、
「上級学校を卒業した私は、家庭内代表に選ばれなくて、ずっと父が濱竹の官職に就いていたわ。私は軍学校に入って軍事を学ぶことになったのだけど、その教師として中田島砂太郎の名があったのよ」
「え、教師だったんですか!?」
「そうね。彼も家庭内代表にはなっていなかったから、まだ濱竹の官職には就いていなかったのよ。それでも実力があったから、彼には軍学校の教師という職が与えられていたみたいね。私が21の時だから、そうね。彼は30歳かしら」
綴さん曰く、それで再び関わり始めたそうだが、それは飽くまで教師と生徒という立場だったそうだ。
しかし、ある話になって綴さんは言葉を詰まらせた。
「転機になったのは……言っていいのかしら」
言いかけて、渋って、考えて、言いかけて、渋って、考えて。何度か繰り返してから、彼女は決心したように僕を見て言った。
「黙っててほしいのだけど」
「は、はい」
その前置きに緊張した。綴さんからの言葉に備えた。
彼女は告げた。
「私、他者を殺したことがあるの」
「は、はぁ。そりゃ、陸軍長官となれば当然あることでしょう。僕もサハ戦争や渡海事変で……」
「そうじゃないわ! あの、平時に……。戦争とか、そういうの、関係なしに……」
弱々しく溢す綴さんは、なんだかとても小さく見えた。
「あっ……」
僕は意味を理解して、今まで捉えてきた意味が大きく違っていて、その発言の重さの意味を理解した。
「大丈夫です。誰にも言いませんし、僕だって、それと比にならないような悪さをしています。半年で16名もの神治幹部を粛清した悪名高き臣ですよ。自分のことを棚に上げて、笠井長官のことを悪くなど言える立場にありませんよ」
僕の心の傷が若干抉られた気がするも、それでも言わないという意思をしっかり示したくて、僕はそう言った。
「……そうだったわね。忘れていたわ」
綴さんはそう言うと、
「私が殺したのは、酔った勢いというか、酔いが覚めた勢いというか。私、本当に誰かに身体を触られるのが嫌で仕方なくて。それで、酔った勢いで身体を求めてきた男を2、3者殺めてしまったわ」
これに似たような話を、どこかで聞いたことがあると僕は思った。
何故だろうか。その場所に、なんとなく心当たりがあった。
「それは……将軍様と一緒に行ったバーとかだったりりますか?」
僕はそう訊いた。すると彼女は目を見開いて、
「……なんで、それを知っているの?」
と、かなり訝しんだ目で僕を見てきた。
「え……。あ、いや。実は昔、将軍様に目の怪我についてお聞きしたことがあって。そのとき確か、似たようなお話を彼から聞いた覚えがあって。ふたりでバーに行って、酔った綴さんが男の方から誘われて、でも酔いがすぐに覚めたことで色々問題が生じた、と。そのお話のことかと結びついて、お聞きした次第です」
僕が答えると、綴さんは「はぁぁ」と深い息を吐いた。
「……そうよ。その時のこと。彼の目を潰してしまったのも私なの」
そう言うと、
「もう知っているなら、手短に言うわ。軍学校3年生の冬、お世辞にも頭が良いとは言えなかった私は、担当教師であった砂太郎と話し合うことになったの。能力も全然活用できないし、ただ単純な戦い方しかできなかった私に、このまま軍兵としての道を歩み続けるのは得策ではないかもしれないと、彼はそう提示してきた。砂太郎行きつけのバーだったけど、真面目な話をして。それでも喧嘩しか取り柄のない私が他に何かできるとも思えなくて、彼に必死に、ならば強くなる方法を教えてくれとせがんだ。でも彼は、それは誰かから教わるものではないと言うし、教わってできるようになるなら今ごろ出来ているはずだとも言う。彼には、きっと最初から私の限界が見えていたのだと思うし、私を遠ざけることで、力に固執した価値観を捨てさせたかったのだと思うけど、生憎と私はそうならず、彼を追い続けて軍学校にまで入ってしまった。きっと彼は、学校に入ってきた私を見てがっかりしたと思うわ」
将軍から、バーで無言で過ごしていたと聞いていたが、実際は無言だったのではなく、内容が重大だっただけでとても盛り上がれる案件ではなかったというようだ。
綴さんは続ける。
「最終的には、もう少し学校を頑張ってみるということで落ち着いて、客も増え始めてきたから、彼はそれで常連客と連みはじめて、私もまた客に絡まれるようにして飲んで。まぁ、楽しかったわね。でも、そうね。事件は私が店を出たところで起きたわ。お酒を飲んで良い気になった私は、男たちに連れられてお店を出たけど、お店を出ると冬の寒さに当てられてすぐに酔いが覚めちゃって。周りの知らない男が私の身体を触っていることに恐怖を覚えて、そのまま殴ってしまったの。そうしたら殴り合いに発展して。加減を知らない私は、その男たちを殺めてしまったの。騒ぎを聞いて店を出てきて、仲裁しようとしてくれた砂太郎も、私のヒールが直撃して重傷を負ってしまって。気付いたら、店の前は血に塗れていたわ」
「なかなか、聞く限り酷い状況ですね」
「そうよね。それで、駆けつけてきた警邏兵に状況を聞かれることになったんだけど、その時に砂太郎が、『この案件は現場にいた俺が処理する』と、自分も被害者なのに全て引き受けたの。そして彼が取った行動は……」
綴さんは少し間を置いて、僕を見て笑った。
「事件なんて、なかったことにしてしまったの」
「え、も、揉み消したんですか?」
「えぇ、そうよ」
話を聞くと、
「彼は次の年、軍学校の教員を辞したわ。辞して、濱竹軍総長になっていたの。それで事件なんて初めからなかったことにしたわ」
「け、権力に物を言わせて、全て消したってことですか!?」
「そうよ。それが中田島砂太郎が軍総長になった理由よ。全ては私が起こした殺傷事件を揉み消すため。あぁあ、大変な迷惑をかけてしまったと、私はもう彼に足を向けて眠れなくなってしまったわ」
「えぇぇ……」
なんというか、驚きだ。確かに会話のキャッチボールはできないし、どこか短絡的でせっかちな印象もあるけれど、だとしても自分が濱竹軍のトップに立つことで全てを無かったことにしようとしただなんて、驚き以外の何でもない。
自分も怪我を負っているのに。
「私はもう、あの時……いや、本当はずっと前から憧れだったし……好きでもあったのよ。だから……今まで少し嘘を言っていたのだけど、関わるなって言われたのは、追いかけすぎたからよ。交際を申込みすぎて、鬱陶しく思われていたのよ。それでも、そんな私をなぜ守ってくれたんだと訊いたら、彼は真っ直ぐ、『自分の学徒を守れずして、何を守ることができようか』と言ったわ。『守るべきものには優先順位がある。公平だとか、そういうことより、俺は俺が守りたいものを守って生きていきたい』と。それが不公平で、あまりに我儘であることも理解していたみたいだけど、それでも彼は、私を犯罪者にしなかった」
「どうやって揉み消したんですかね?」
僕が訊くと、綴さんは首を傾げながら「さぁ、知らないわ」と言った。そうですか。
「それで、綴さんはどうして陸軍長官になろうと思ったんですか?」
僕がそう訊くと、
「彼の下で働きたかったからよ」
そう返ってきた。
「彼が軍総長になって、私も軍学校を出て。ちょうど当時の陸軍長官が次の試験ではその地位を手放すらしいとかいう噂を聞いていたから、少し狙ってみようと考えて、家族で相談したの。家族も、私が昔から砂太郎に惚れていることは知っていたから応援してくれて。晴れて私は軍兵の才はないものの陸軍長官の地位を手にすることができたわ。昔の私だったら、きっとこれで彼に認めさせて交際を申し込んだのだろうけれど、この頃の私は既に彼から社会的地位を守られてしまっていた手前、交際なんて烏滸がましすぎて申し込めなかったけど。彼も彼で、その地位に就いてから調子良い親父らしくなって、昔のあの厳しい中田島砂太郎は消えてしまったわけで、私の中でも彼への好意は薄れていって、今では本当に、ただの良い上司、恩師という感覚になったわね」
そう言ってから僕を見て、
「その後に、かささぎくんや喜々音のような後輩ができて、その出会いもまた砂太郎を陽気な親父へと変えていったような気がするわ。特にかささぎくんとか、それこそよく一緒にバーに行ったんだけど、男組は卑猥な話ばかりするから、心から嫌になるわよ。私も私で、お酒を飲んで酔いが覚めると暴れてしまう性格だから、散々迷惑はかけてしまっているのだけど。砂太郎なんて、何回も私に殴られているはずよ」
「あはは。まぁ、殴られて失明したとか言ってましたけど……」
僕がそう返したら、綴さんはクスッと笑いながら訂正を入れてきた。
「それは事実じゃないのよ。正確には蹴りで失明したわけで。ほら、事件を揉み消してしまったから、私たちも色々な方面に嘘を吐いて隠さないといけないから。かささぎくんや喜々音であっても、真実は話していないわ。砂太郎の失明の話は、笑い話へ変えるために色々と付け足したから。時系列とかも動かしたし、話の流れもちょっと変えたし。ごめんなさいね、嘘ばかりで」
「いえ、沽券に関わるので良いと思いますよ」
謝られたが、それは謝ることではないと僕は思う。
自身を守るために、必要な嘘だと思うから。
僕だって、当初は繋ぎの臣でしかないと思っていたから、散々なことをやってきたけど、そうして生まれてしまった悪名を無かったことにしようと、神治首脳部であれやこれやした過去がある。
小林氏の処刑後だって、日渡は濱竹批判に便乗しないように小林氏に対する印象操作を行なったし、そもそも萌加様を神格化する時にだって、まるで嘘の、でっち上げた神話を国民にばら撒いた。
結局、この世界なんて嘘だらけなんだ。
誰がどこでどうやって失明したかだなんていう嘘は、全くもってちっぽけなものだろう。
「沽券なんて。そんな大層なもの、私には元々ないのよ」
綴さんは僕の言葉を受けてそう言うけれど、
「ありますよ」
僕は素直にそう思った。
綴さんは、まるでそう言われることが分かっていたかのように微笑んで、
「陸軍長官だから?」
と訊いてきた。
しかし、僕は違うと思う。偉さとか位とかじゃなくて、それ以前に、
「いいえ。綴さんは、綴さんだからです」
根本的な存在に、守られる理由があると思う。
綴さんはぽかんとしていた。
「綴さんは、将軍様が守ろうと思えるような女性だったんですよ。きっと彼の中で事件の正当性を追うよりも、あなたの存在価値を守ることの方がよほど価値があることだと思われたんだと思います。その時点ではまだ陸軍長官ではなかったのであって、それは笠井綴という存在に価値があったと認められるべき証拠だと思います。だから……」
「もういいわ」
綴さんは僕の言葉を遮ってそう言った。俯いた顔がどんな表情をしていたのかなんて僕には分からなかったけれど、その顔を上げてくれることはなかった。
黙って下を向き、切り株に生えた枝をポキリと折って、僕の顔を見ずに渡してきた。
「これを、砂太郎の墓前に」
僕がその枝を手に取った直後に、綴さんは低い声で、
「帰りなさい」
と、僕に言った。
「はい」
僕は素直に、その言葉を受け入れなければならないと思った。
そうして笠井家を後にして、僕は手に持った枝を中田島砂太郎の墓に供えるべく、暗い濱竹の町を歩いた。
月明かりだけが、僕を見ていた。
ーーーーー
ーーー
ー
「綴。次の軍総長をやってくれないか?」
砂太郎が死んだ後、安久斗様にそう言われた。
でも私は、それを引き受けることができなかった。
砂太郎に救われて今ここに立っていると言うのに、砂太郎の死後、なんの苦労もせずにその地位へと登るのは嫌だった。
丁重にお断りをした結果、安久斗様は別の者を探すと仰った。
しかし、その前に「お前より適任者は見当たらないが」というお言葉を付けられていらっしゃったけれど。
いいや、いるはずだ。
私よりも適任者が、必ずどこかにいるはずだ。
こんな私が、何の苦労もせずに彼と同格の地位に登るなどあってはならない。
他に誰か、きっと適任者がいる。
それが誰かは分からないけど、いるはずだ。もっと統率がしっかりと執れるような、頭の良いような、砂太郎のように強くカリスマ性を備えた奴が、絶対に。
……そうね。そうよね。
やっぱり、私は誰かの上に立つなんて向いていないのよ。
もう、追うべき背中はそこにいなくなってしまった。
私の前から、永久に消えてしまった。
どうしたら良いかなんて、正直何にも分からないけれど、ひとつだけ分かることがある。
「安久斗様」
磐田大智と話して、少しだけすっきり出来たのかもしれない。というよりも、踏ん切りが付いた。
執務室でお仕事をなさっていた安久斗様だったが、そのお手を止めて私をご覧ずる。
「私は、今期限りで濱竹陸軍長官の職を、辞したいと存じます」
その申し出に、安久斗様は頬をお掻きになると、
「気にせずとも良いのだが……。分かった、今までご苦労だった」
意思を受け入れてくださった。
私のやりたかったこと。
それは、中田島砂太郎の下で働くこと。
彼から教わって、彼を追いかけて。
でももう、彼はいない。
独り立ちをしろと言うかもしれないけれど、それはできそうもない。
今はただ、彼を失った焦燥を、胸の内だけで噛み砕きたい。
それが終われば、またいつか。
「綴」
安久斗様に名前を呼ばれた。振り返ると、あのお方は和やかに笑われて、
「心の整理が付いたら、いつでも戻って来い。お前は強い。そして、もっと強くなれるはずだ」
そのお言葉に、涙が溢れた。
「はい……!」
何も意識せずとも、肯定的な返事が口から漏れた。
その声は妙に明るくて、自分でも驚くものだった。
ねぇ、砂太郎。
荒れ果てていた私をここまで導いてくれて、ありがとう。
これからは神様のために生きていけるように、やり直してみるわ。
『ようやく気付いたか、バカ者め』
そんな言葉が聞こえてきそうな気がした。
そうね、私はバカ者よ。
上神種たる者、須く神に尽くすべし。
そんなことに、今まで気が付いていなかったのだから。
……これも全て、盲目的な恋のせいなのかしらね。
私は涙を拭って顔を上げ、神社を後にした。
冬の風が痛くて、心の中を洗い流してくれているようだった。




