第9話 そして私たちは本当の
ちょっと待って。今、イルマって言った? イルマは私の味方じゃないの!? 毒を入れたって……でも、毒なんて……。
そこで、ハッと思い出した。今日、町に出かけて銀のスプーンを買ったと話した時、イルマの様子が、いつもと違っていたような気がする。
「今日のお茶にたっぷり入れるよう言いつけましたので、今頃は冷たくなっているかもしれません」
じゃあ、あの時イルマの様子がおかしかったのは……。
私は、蝋燭を持っていない方の手で胸を押さえた。
今日は紅茶をかき混ぜる時に、買ったばかりの銀のスプーンを使った。変色しなかったから飲んだけれど――もし毒が入っていたなら、あのスプーンが教えてくれたはずだ。
それとも、イルマは毒を入れられなかったのだろうか。
どちらにしても、私はスプーンのおかげで命拾いしたのだ。
「さあ、お嬢様。そろそろお支度をいたしましょう」
「そうね。いよいよお兄様の花嫁になるんですもの。最高に美しい私を見せなければ」
扉の開閉する音がして、静寂が戻った。
……つまり。原作に出てきたアリスは、シャーロットとフランシスの子供ではなく、シャーロットとケインの間にできた子供だった。
ただ体を重ねたという事実だけではなく、子供という枷でフランシスを縛ろうとしたのだ。
なんてひどい!
薬を盛られて眠らされたフランシスは、目覚めた時に隣で眠っているシャーロットを見て、自分が過ちを犯してしまったと誤解する。
きっと原作のフランシスは、シャーロットと関係を持ってしまったことで思い悩んだだろう。
とはいえ、既に結婚した妻がいるのに、妹を事実上の伴侶にするほど無責任じゃないはず。
だけどその一度の過ちでシャーロットに子供ができてしまったら……?
私の知るフランシスならば責任を取ろうとするだろうし、子供の将来のためを思って、私との実子ということにするだろう。
シャーロットは、フランシスの子供だと偽るために、秘密を知るケインをミセス・ロブソンに命じて殺す。
だから、原作の開始時点でケインが存在しなかったんだ。
物語は、私の覚えている通りの道をたどっている。だがその裏にある真実は、決して同じではなかった。
どうにかして、フランシスを起こさなくちゃ。
私は隠し扉の取っ手をつかんだ。通路側からしか開けられない扉は、思ったよりもスムーズに動いた。
薄暗い部屋の中央に、天蓋付きの大きなベッドがあった。そこには、まるで眠れる森の美女のように美しく眠る、フランシスがいた。
これじゃあ、どっちがヒロインか分からないわね。
苦笑しながら、私はまず、伯爵夫人の部屋との間の扉に鍵をかけた。これでシャーロットは、こちらの部屋に入って来られない。
主寝室の外側の扉も閉まっているし、フランシスの部屋との間の扉も、主寝室側から鍵がかけられるようになっていた。
なるほど。旧王族が伯爵夫人との逢瀬のために忍んで来た時、この主寝室は全て内側から鍵を閉められるようになっていて、誰にも邪魔ができない造りだったということか。
今みたいな状況ではラッキーだけど、旧王族、最低ね!
「フランシス様……起きてください」
声を潜めながら、フランシスの体を揺する。だが、一向に目覚める気配はない。私はフランシスの耳元に口を寄せた。
「フランシス様、起きてください!」
「う……」
「フランシス様、起きましたか?」
「エマ……? なぜ……ここに……。私は、夢を見ているんだろうか」
フランシスはどこかうっとりとした様子で、私の手を取って自分の頬に当てた。指先に、温かい肌が触れる。
「君は覚えていないだろうけれど、私は、君がデビュタントに参加した時のことを覚えているよ。白百合のように清楚で、凛としていて――なんて美しい人だろうかと思ったんだ。だから、他の縁談をうまくいかないようにして、やっとあなたを迎えられた。エマ……。あなたを、愛しています」
頭が、真っ白になった。
そこへ突然、頭痛が襲った。この世界で目覚めた時と同じ、割れるような痛みだ。
そして、私は思い出した。
結婚式の夜、ミセス・ロブソンに薬を盛られて意識を失いかけたこと。
その時に前世の記憶を取り戻し、この世界が読んでいた小説の世界だと知ったこと。
そして同時に――今日結婚式を挙げたばかりの夫が愛しているのは、実の妹のシャーロットなのだと「知って」しまったこと。
そのショックで、この世界のエマは記憶を封印し、前世の絵麻の人格が表に出てきたのだ。
そして今。私の中で、今世のエマと前世の絵麻が、一つに混ざり合い、重なった。
絵麻は、エマになったのだ。
「覚えているわ……。デビュタントのホールで、光り輝いていたフランシス様を。こんなにも美しい人がこの世にいるのかと、驚いたの。きっと……その時に、私もあなたに一目惚れしたんだと思う」
「てっきり、君は嫌々結婚したのかと思っていた。では……僕たちは、両思いというわけだね」
「私」ではなく「僕」と言うフランシスが、心を許してくれているようで嬉しかった。
「ええ。私も……フランシス様を、お慕いしております」
私の告白に、フランシスはふわりと微笑んで、そっと私の体を引き寄せた。抱きしめられた私は、静かに力を抜いて、目を閉じた。
そして私は、本当の意味で、フランシスと夫婦になった。
夜半――。
ゆっくりと目覚めた私は、一瞬、ここがどこだか分からなかった。ふと横を見ると、隣には乱れた髪のフランシスがいて、幸せそうな顔でこちらを見ていた。
「フランシス!?」
「その……体は、辛くないかい?」
「体……?」
そうだ……私たち、本当の夫婦になったんだ……。
私は恥ずかしくなって、シーツで顔を隠した。ダメ。恥ずかしくて顔が見られない。
昨夜、意識のはっきりしてきたフランシスは、ミセス・ロブソンに睡眠薬を盛られたのだという私の言葉を、疑わずに信じてくれた。
私と結婚してからというもの、夜になると具合が悪いと騒ぐシャーロットと、それに同調するミセス・ロブソンに、フランシス自身も懸念を覚えていたのだそうだ。
「シャーロットは生まれた時から体が弱くて、その上、シャーロットを生んだ後に母が、それからしばらくして父が亡くなったこともあって、際限なく甘やかしてしまった。ミセス・ロブソンはその前から我が家に仕えてくれていて、シャーロットの具合が悪い時には、実の母のように献身的に看病してくれたんだ。だから信頼して、シャーロットの教育を任せてきた。……まさか、旧王家の復活などという馬鹿げた考えを植え付けられていたとは」
「ミセス・ロブソンと、話したのですか?」
「昨夜、その……君が眠った後に、扉を開けようとする音がしたから、なんだろうと思って扉越しに話したんだ。シャーロットは、王家の復活のために自分と夫婦になるべきだと言い張っていて、ミセス・ロブソンは、そんなシャーロットを煽っていた」




