第8話 あなたを信じてみたい
その後も、私はフランシスと一緒に町を見て回った。フランシスは思いやり深く親切で、原作のことさえなければ、最高の夫だと錯覚してしまいそうだった。
「少し、顔色が悪い」
この町の特産だというチーズを見ていると、フランシスが心配そうに私の頬に手のひらを当てた。
「そうですか?」
「久しぶりの外出で疲れたのかもしれない。すぐに屋敷へ戻ろう」
「いいんですか? フランシス様も、何か買いたい物があったのでは?」
「掘り出し物のワインを見つけたから、満足だよ」
「それなら、いいのですけれど」
助けを求める手紙を出すための郵便局の場所はしっかりと把握したし、他に必要なものもなかったので、素直に屋敷へ戻ることにした。
帰りの馬車の中で、フランシスはずっと私を気遣ってくれた。
どうやら私のことを、シャーロットと同じように体が弱いと思っているらしい。夜もすぐに眠ってしまうと、信じているようだった。
シャーロットとは、あれ以来ほとんど会えていない。ずっと体調を崩しているとかで、部屋から一歩も出てこないのだ。
私の方も、フランシスたちの愛の言葉を聞くのは辛いので、裏庭に出る扉の場所を確かめた後は、秘密の通路を使っていなかった。
フランシスがシャーロットと愛し合っているというのは、本当なのかな。
確かにフランシスは妹を大事にしているけれど、私には、それ以上の気持ちを持っているようには見えないのだ。……私がそう思いたいだけかもしれないけど。
それがまるで運命だとでもいうように、行き着く先が破滅しかないとしても、私はフランシスに、どうしようもなく惹かれてしまう。
もう、認めよう。私はフランシスが好きだ。たとえ殺されるとしても、この気持ちだけは本物だわ。
――もっとも、ただで殺されたりなんか、しないけど!
確信はないけれど、原作とこの世界は、少し違う気がする。
フランシスとシャーロットの関係もどこか違うし、原作にはいなかった従兄のケインの存在もある。
ケインは毎日ではないけれど一緒に食事を摂るのを許されているから、使用人というよりは家族枠なんだと思う。
家族、か……。縁あって結婚したけれど、私とフランシスはまだ本当の夫婦ではなくて、フランシスの家族と言えるのはシャーロットだけだ。
私……このままでいいの? このまま、ずっとフランシスを避けて……。
「フランシス様」
「なんだい?」
「私……今夜は、ちゃんと起きてますから」
真っ赤な顔でそう言うと、フランシスも釣られたように赤くなった。こんな顔までイケメンとか……。
でも、認める。私はフランシスが好きだ。だから――あなたを信じます。
決心してフランシスの手を握ると、しっかりとした力強さで、握り返された。
屋敷に戻ると、いつものように夕食の時間になった。
珍しくシャーロットも席に着いていて、ケインも含めた四人での食事となった。私はこの後のことを考えて気もそぞろのまま食事を終え、部屋に戻って薬湯をこっそり捨てると、ドキドキしながらフランシスの訪れを待った。
――そこへ突然、フランシスが倒れたという知らせが届いた。
私は部屋を飛び出し、主寝室へと駆けつけた。だが、扉の前にはミセス・ロブソンが立ちはだかっていた。
「どういうこと!? 旦那様はどうなさったの!?」
「食当たりでございましょう」
「部屋に入れて。容態を確認したいわ」
「お医者様からは安静にと言われておりますので、今夜はお引き取りくださいませ」
「ちょっと待って!」
ミセス・ロブソンは冷たく言い放ち、主寝室の扉を閉めてしまった。
「もうっ、私はフランシスの妻なのよ! 神様の前で結婚式を挙げた、正式な夫婦なのよ。部屋から締め出される謂れなんてないわ」
踵を返した私の前に、突然、シャーロットが現れた。
「シャーロットさん?」
「気安く呼ばないで。私は、あなたをお兄様の妻だなんて認めていないから」
私を睨みつけるシャーロットは、現実感がないほど美しかった。警戒している私でさえ、思わず見とれてしまいそうになる。
そしてシャーロットは、挑発するように艶やかに笑った。
「ねえ、あなたは知っていて? 旧王家は、兄妹でも結婚できたのよ」
「……それは、どういう意味?」
シャーロットは私の問いには答えず、声を立てて笑いながら、伯爵夫人の部屋へと姿を消した。
「旧王家、ですって?」
旧王家は後継者に恵まれず、百年ほど前に途絶えたと言われている。
今の王家は傍系から興って続いているので、旧王家こそが正しい血統であると主張する者たちが、いまだにいるという。
あの秘密の通路を旧王家の王族が使っていたのだとしたら、もしかしてフランシスこそが、正統な王家の血統を持っている……?
シャーロットの言う通り、旧王家では近親婚が盛んだった。おそらくそれが原因で、子供が生まれなくなってしまったのだろう。
でも、今さら旧王家って言われてもね……。
すでに時代は変わったのだ。末裔だと名乗り出たところで、王位が得られるわけでもない。
そっか。旧王家の末裔だから――それを理由に、シャーロットは実の兄を愛する気持ちを正当化しているんだ。
閉じられた扉を見ながら考え込んでいると、不意に、その隣の扉が開いた。出てきたのは、リンド伯爵家お抱えのあの医者だ。
「先生! フランシス様は大丈夫なのですか?」
「単なる過労ですね。ゆっくり休めば、すぐに良くなるでしょう」
「お見舞いに行きたいのですけれど……」
「いえ、おやめになったほうが良いでしょう。伯爵は今夜はゆっくりお休みになった方が良い。それでは」
医者は、何かに追い立てられるように玄関へと向かっていった。
「夕飯まではあんなに元気だったのに……一体、どういうこと?」
私は急いで客間に戻ると、扉にしっかりと鍵をかけた。蝋燭を手に秘密の通路へ入り、音を立てないように主寝室の隠し扉の前まで進んで、そっと耳を当てる。
「お兄様は大丈夫なの?」
すぐ近くで聞こえてきたシャーロットの声に、私はもう少しで声を上げてしまうところだった。
シャーロットが使っている伯爵夫人の部屋は主寝室の隣で、本来なら、こんなに近くで声が聞こえるはずがない。つまり――シャーロットは今、主寝室の中にいるのだ。
「それほど長くは効きませんので、もうしばらくすればお目覚めになります」
ミセス・ロブソンの声だ。
……効く? 何が?
「それならいいけど……お兄様が、この子を自分の子だと思ってくれればいいのだけれど」
「媚薬も混ぜてございますし、お嬢様のお姿を見れば、理性など保てるはずがございません。事を成してしまえば、旦那様は責任感の強いお方ですから、大丈夫でしょう」
「そうね。それに、子供の父親のケインはお兄様に似ているから、生まれた子供がどちらに似ても、バレる心配はないわね」
えっ……。子供って、アリスのこと?
原作でエマが死ぬ時期から逆算すると、この頃にはもう妊娠していてもおかしくないけど――父親が、ケイン? どういうこと?
「そろそろケインも始末しないと厄介だわ。子供のためにも結婚しようって、うるさくて。元は王族である私が、土地もお金も持っていない男と結婚するはずがないのに。なにを勘違いしているのかしら」
「さようでございます。あの男には、尊き血筋のお方に対する敬意がございません。お嬢様から一夜の情けを頂いただけでも僥倖だというのに、夫になりたいなどと、あつかましい」
ミセス・ロブソンは、いつもの淡々とした口調とは打って変わって、激しくケインを非難していた。
「あの者は王家の末裔といっても、傍流も傍流。お嬢様と釣り合うはずがないというのに」
「そうね。お兄様も、我が王家の因習をちゃんと理解してくだされば、こんなことまでしなくても良かったのに……。兄妹で契るのは正しいこと。それなのに、あんな女を妻に迎えるなんて……!」
「すべて、私にお任せください。お嬢様のご出産までには、必ずあの者も亡き者に」
「ありがとう。頼りにしているわ」
「そろそろ、イルマに命じて食事に入れた毒が効き始める頃でございましょう。ケインも、お嬢様の座を脅かすあの女も――王室の守り人であるこの私が、排除してさしあげます」




