第7話 城下町でのデート
どうして どうしてこんな気持ちになるの……。
でも、今なら分かる。
原作のエマは、結婚式で初めて見たフランシスに一目惚れをした。だから不幸な結婚生活であっても、いつかフランシスが振り向いてくれると信じて耐え忍んだのだ。
確かに見たこともないくらいのイケメンで、笑いかけられたらドキッとするけど。
彼は、私を殺す男なんだから。小説とは違う展開になるかも、なんて期待してはいけない。
私は静かに元来た通路を戻ると、裏庭への出口ではなく、客間へ帰った。蝋燭を持ったまま、姿見の前に立つ。
「ひどい格好。まさに、灰かぶりね」
シンデレラは、別名を「灰かぶり」という。埃まみれになった栗色の髪は灰色にくすんでいて、まるで王子に出会う前のシンデレラのようだった。
「シンデレラには王子様が来るけど、私には来ない。だから、自分だけの力で生き延びなくちゃ」
ブルーグリーンの瞳が、決意を秘めて、鏡の向こうから私自身を見つめ返していた。
後日改めて確かめると、本棚に隠されていた通路は、屋敷の主寝室と裏庭に続いていた。
それからというもの、どうやってここから逃げるかを考える日が続いた。
ただ逃げるだけなら簡単だ。でも、その後の生活のことも考えなくてはならない。
貴族の娘が一人で生きていくことなど、まず不可能だ。誰か、手助けしてくれる人を見つけなければならない。
実家は当てにできない。リンド家お抱えの医者にも一度会ったけれど、あれはダメだわ。
代々リンド伯爵家に仕えているというその男は、いつも酒の匂いをプンプンさせていて、ただの風邪以外の症状は診られないようだった。
原作で、シャーロットの生んだ娘をエマの娘だと偽証したのも納得の、絵に描いたようなクズ医者だ。
シャーロットと双子として生まれたフランシスは、その医者の父親がいなければ無事に生まれてこられなかったらしく、恩義を感じてクビにせずに雇っているらしい。
そろそろ、フランシスの友人のギルバートが結婚のお祝いに訪ねてくるはずだけど……まだかな。
ギルバートだったら、もしかしたら何か力になってくれるんじゃないかって期待している。
というより、他に助けを求められる人がいないのよ。
原作のギルバートはいわゆる善人としか言いようのない人で、真相を確かめようとするハロルドに手を貸していたくらいだから、きっと私の味方になってくれるはず。
フランシスはあの後、三日続けて夜に私の元を訪れた。
けれど私がミセス・ロブソンの薬湯を飲んで眠ったフリを続けていると、四日目からは来なくなった。
元々忙しい人で、屋敷の中でも顔を合わせることは少なく、夕食の席だけが、お互いの顔を見る唯一の時間となっていた。
「城下町、ですか?」
「ああ。君はまだ、この屋敷から出たことがないだろう? 良ければ、視察に一緒に行かないか?」
その日も気まずい沈黙の中で食事を摂っていたのだが、フランシスがいきなり口を開いたのだ。
今まで何度か、もの言いたげな視線を向けてきていたけれど、もしかしてこのことを言おうとしていたのかしら。
フランシスの美しい顔からは、私に対する熱は見えない。
だが、気まぐれでも良かった。城下町を散策できれば、逃げる時の逃走ルートを考えるのに役立つ。
「ぜひ、行ってみたいです」
「では、すぐに手配させよう」
翌日、フランシスは早速私を誘いに来た。エスコートされて玄関に出ると、用意されていたのは馬車だった。
「馬車に乗るのですか?」
「町までは、少し距離があるからね」
大げさではないかと思ったが、馬車で進んでも、門に辿りつくまでにかなりの時間がかかった。
リンド伯爵家の広大な敷地内には、屋敷と同じくらいの広さを持つ湖まであり、歩いて行くことなど到底できない距離だ。しかも街灯もない。夜に歩けば、湖に落ちてしまいそうだ。
逃走経路の下見のつもりで馬車の外の風景を観察していた私は、ふと視線を感じて顔をめぐらせた。
横に座るフランシスが、私の横顔をじっと見ている。
「どうかなさいましたか?」
問いかけると、フランシスはかすかに目元を染めた。
「君が、この土地に興味を持ってくれているのが嬉しいんだ」
はあぁぁぁ? なに、なんなの? いきなりデレた!?
「私たちは政略による結婚で、まだお互いのことをよく知らない。それでも、こうして縁あって夫婦になったのだから、少しずつ歩み寄っていきたいと思う」
少し照れながら言うフランシスに、前世でも男性に免疫のなかった私は、ただ赤面して固まるしかなかった。
フランシスはそっと私の手を取り、今まで見たことがないほど優しく微笑んだ。
その微笑み、破壊力ありすぎ。
フランシスがそっと体を寄せてくる。私は身を固くしたまま、近づいてくる綺麗な顔を見つめることしかできない。まだ心の準備が……!
だが、フランシスの唇が触れる寸前、ガタンと音を立てて馬車が止まった。
「閣下、到着いたしました」
「……分かった」
離れていくフランシスに、私は止めていた息をそっと吐いた。
あっぶなかった! 思わず流されるところだった。
先に馬車を降りて手を差し伸べるフランシスの顔は、つい見惚れてしまうほど美しい。
ダメだ。フランシスは私を殺す男なんだから、いくらイケメンでも好きになっちゃダメ。
――そう自分に言い聞かせなければならないほど、私は強くフランシスに惹かれていくのを、止められなくなっていた。
初めて訪れるリンドの町は、城下町というだけあって活気があった。石畳の通りには露店が並び、行き交う人々の声が明るい。
「何か買いたいものがあるかい?」
「そうですね……では、銀のスプーンが欲しいです」
「銀のスプーン? 銀食器ならば、屋敷に揃っているが……」
不思議そうに目を瞬くフランシスのあまりの美しさに、遠巻きにしていた町の女性たちが、控えめながら黄色い声を上げるのが聞こえた。これだから国宝級のイケメンは……。
「銀のスプーンをお守りとして持つと、幸せになれるらしいんです」
「それは知らなかった。では、見にいこう」
「はい!」
ふっふっふ。これでミセス・ロブソンが私に毒を盛ろうとしても、すぐ分かるというものだ。
今まで薬湯に入れていたのは睡眠薬だけみたいだけど、あれから思い出したの。原作のエマはヒ素で殺されている。だから、いつか必ずヒ素を使うはず。
ヒ素は水に溶けやすく無味無臭なので、食事に混ぜられても分からない。でも、銀のスプーンなら黒く変色するので、気づくことができる。
「妻にプレゼントしたいので、銀のスプーンを見せてくれないか」
食器を扱う店に入るとすぐに店の主人がやってきて、トレイに載せた銀のスプーンをいくつか持ってきた。
「君は、どれがいいと思う?」
スターリングシルバーで、持ち手に透かし模様が入ったスプーンはどれも美しい。私は悩んだ末に、百合のモチーフのスプーンを選んだ。
百合は、原作でエマの弟が「姉の好きだった花」だと言っていた花だ。姉の墓前に百合を供えて黙とうするハロルドの姿が、強く印象に残っている。
「百合が好きなのか?」
「そうですね。……好きです」
エマ・リンドになった絵麻には過去の記憶の全ては戻っていないが、ふとした瞬間に、エマの記憶がよみがえることがある。
百合のモチーフに心惹かれたのも、この世界のエマの亡くなった母が、百合を好んでいたからだ。
私が高橋絵麻なのか、エマ・リンドなのか――もう、どうでもいい。大事なのは、生き残ることだ。今はただ、それだけを考えよう。




