王都へ
数日前の冒険者ギルドでの一幕を経て――。
スフィアたち一行は現在、レナック王国の王都を目指す街道を進んでいた。
空は高く晴れ渡り、流れる雲がのんびりとした旅路を演出している。
街道を行くのはメリアが購入した自慢のゴーレム馬車だ。
規則的な駆動音が響く中、御者台で手綱を握るメリアが後方に向かって声をかける。
「いやー、まさかうちのお母さんの依頼とは……。主義を曲げてまで受けてくれてありがとうございます、スフィアさん、ブルさん」
彼女の声には申し訳なさと感謝が入り混じっている。
本来、スフィアは「食」に関わらない依頼には極めて消極的。
今回は完全にメリアの顔を立てる形での受諾であることは明白だ。
幌馬車の内部はそこそこ広く、シンプルな構造ながらもクッションの効いた座席が設えられている。
その座席を独占するように丸くなり、機嫌良く尻尾をゆらゆらと揺らしていたスフィアが億劫そうに、しかしぶっきらぼうな優しさを滲ませて答える。
「いーよ。お前の母ちゃんにも会ってみたかったしな」
「ロゼさんには挨拶したもんね。マーガレットさん? はどういう人なの?」
対面の席に座っているブルが尋ねる。
通常の馬車ならば彼の巨体では窮屈だが、このゴーレム馬車には小規模ながら空間拡張の魔法が掛けられているため意外と中には余裕があり、ブルの巨体でものんびり旅ができる仕様となっていた。
商人ロゼ。
以前、海上都市で出会ったメリアの父親であり、超美形の麗人。
あの一流商人が自分の商会の名前にするほど惚れ込んでいる母親とは、一体どんな人物なのか。
メリアは手綱を操作しながら少し声を弾ませて答えた。
「凄く優しいんですよ、お母さん! 強くて、かっこよくて、私大好きなんです!」
「へえー! メリアさんがそこまで言うなんて相当だね」
ブルが感心したように相槌を打つ。
メリアが手放しで褒めるあたり、良好な母娘関係が伺える。
だが、スフィアは片耳をピクリと動かして疑念の声を上げた。
「強いってなんだ……? 物理的にか? 剣でも使うのか?」
「あ、いえ。お母さんは魔術師なんですよ。その筋では結構有名らしくて」
「ほー? 魔術師ねえ」
スフィアは興味なさげに欠伸をする。
彼にとって魔術師といえば、最近出会ったエルセインの顔が浮かぶが、あのような人物なのだろうか。
「昔から、是非弟子にしてくれって人が屋敷に押し寄せてくることも多かったんですけど……」
メリアは少し言葉を濁し、苦笑い混じりに続けた。
「お母さん、魔法に関してはすっごいこだわりがあるみたいで。弟子入りした人は、だいたい数日で泣いて出ていっちゃうっぽいんですよね」
「……なあ。それ本当に優しいか? 大丈夫?」
スフィアのジト目が光る。
「泣いて出ていく」というフレーズに、穏やかではない響きを感じ取ったようだ。
スパルタなのか、あるいは人格に難があるのか。
「それ以外は普通に優しいと思いますよ? 私視点ですけど」
「ふーん。しかし強いのに護衛ってなんだ……? 魔術師として有名なら、自分の身くらい守れんじゃねえの?」
スフィアがもっともな疑問を口にする。
カジノ船の護衛。
それは通常、金はあるが武力のない人間が依頼するものだ。
自身が強力な魔術師ならば、わざわざ高額な報酬を払ってまで冒険者を雇う必要性は薄いだろう。
「そこら辺は何か事情があるのかなあ……? 有名人だから顔が割れてて動きにくいとか?」
ブルが腕組みをして推測するが、現時点では何とも言えない。
判断材料が少なすぎるのだ。
「ま、行けばわかるか」
スフィアが話を締めくくろうとした、その時。
「あれ、何でしょう。あの行列」
メリアが声を上げ、馬車の速度を落とす。
王都の外壁が見え始めるほどの距離まで近づいていたが、前方の街道が異常なほど混雑していた。
色とりどりの幌を被せた商隊の馬車、旅人の一団、農作物を運ぶ荷車。
それらが長い列をなし、完全にストップしている。
まるで巨大な蛇が街道に横たわっているかのようだ。
「ん? 事故か?」
スフィアが窓から顔を出し、前方を覗き込む。
最後尾の馬車までずらりと並んでおり、遅々として進む気配がない。
メリアは馬車を路肩に寄せると、前方から歩いてくる疲れ切った様子の行商人に声をかけた。
「すいません、この行列はなんでしょう? 何かあったんですか?」
声をかけられた行商人は、額の汗を拭いながら足を止めた。
「ん? ああ、なんでも検問が強化されているらしいなあ」
「検問?」
ブルが窓から顔を出す。
「ああ。何だか知らんが、今日だけの厳戒態勢だそうだ。昨日までは普通に入れたんだがなあ……今日は荷物をひっくり返しての大捜索だよ。おかげでこの有様さ」
行商人はやれやれと肩をすくめ、自分の馬車の方へと戻っていった。
「そうなんですね……ありがとうございます」
メリアが礼を言うと、行商人は手を振って去っていった。
「なんなんでしょうかねえ。王都で何か事件でも?」
「少しずつしか進まないとなると暇だな……」
スフィアが不満げに鼻を鳴らす。
彼は待つことが嫌いだ。
特に、食べ物が絡まない「おあずけ」は退屈という名の猛毒である。
馬車は数メートル進んでは止まり、また数分待って数メートル進むという牛歩戦術を強いられることになった。
「せっかく時間が半端に空いたし、やりましょうか!」
突然、メリアがポンと手を打って立ち上がった。
ごそごそと荷台にある荷物を漁り始める。
「何を?」
ブルが不思議そうに問う。
メリアは荷物から使い込まれた、しかし手入れの行き届いた数種類のブラシを取り出した。
獣毛ブラシ、ラバーブラシ、そして金属製のスリッカーブラシ。
獣人にとっては見慣れた、しかし極上の快楽を約束する道具たちだ。
「ズバリ、ブラッシングです!」
メリアが高らかに宣言する。
「忙しいとなかなかできませんしね。カジノ船に行く前に身だしなみを整えておくのも重要です。それに、この待ち時間は絶好のチャンス!」
「おおー! いいねえ!」
ブルが嬉しそうに目を輝かせる。
身体が大きい彼は自分で背中の手入れをするのが難しい。
普段はスフィアに頼むこともあるが、スフィアはすぐに飽きるか雑に終わらせてしまうことが多いのだ。
まあ小柄な猫獣人に牛獣人の巨体をどうこうしろという方が無茶なのだが。
「僕の背中大きいけど大丈夫かな?」
「行列もなかなか進みませんしねえ……やれるとこまでやりましょうか。ブルさんは毛が硬めだから、まずはこの金属ブラシで……」
メリアは手際よく準備を整える。
そして一時間ほどが経過した。
太陽の位置が少し傾き、馬車の列はまだ半分ほどしか進んでいない。
周囲の旅人たちが退屈とイライラで殺気立っている中、スフィアたちの馬車だけは別次元の穏やかな空気に包まれていた。
「ふあぁ……すっきりした……」
ブルが恍惚の表情で座席に突っ伏している。
その広大な背中は、メリアの手によって丁寧にブラッシングされ、漆黒の毛並みが艶やかに輝いていた。
毛の生え変わり時期が近いためか驚くほどの抜け毛が取れたが、それもまた快感の一助となっているようだ。
聞くところによると、抜け毛が溜まっているとムズムズして不快らしい。
「次はスフィアさんですね。ほら、じっとしててください」
メリアは御者台に座り、横に寝そべったスフィアの背中にブラシを入れている。
馬車が少し進むたびに作業は中断するが、それ以外はずっとスフィアの毛並みを整え続けている。
シャッ、シャッ、シャッ。
リズミカルな音が心地よく響く。
メリアの手つきはプロの職人のように滑らかで、スフィアの背中の筋肉の流れに沿って、的確にブラシを走らせていく。
「んぐ……そこ……もうちょい右……」
「ここですか?」
「あ"~……そこだ……」
スフィアは完全に脱力して喉をゴロゴロと気持ちよさそうに鳴らしている。
普段の態度はどこへやら、今はただの巨大な猫と化している。
「やっぱ人間の手は器用でいいよなあ……。爪がない分、当たりが柔らかいっつーか……」
「ねー。僕の背中とか兄さんがやったら半日はかかっちゃうよ。それに兄さん、すぐ爪立てるし」
ブルがけだるげに同意する。
どうやら様々な道具を使いこなし、指先の繊細な感覚を持つ人間のブラッシングは獣人同士でやるブラッシングと比べて格別らしい。
「単純に大きさが違うせいだと思いますけどね、それ……」
メリアは苦笑しながら、スフィアの腰のあたりをブラシで重点的に解きほぐしていく。
スフィアの尻尾が、嬉しそうにパタパタと御者台を叩いた。
そうこうしているうちに、ようやく巨大な門が目の前に迫ってきた。
厳つい鎧に身を包んだ憲兵たちが、鋭い眼光で通行人をチェックしている。
いつもの検問よりも明らかに人数が多く、殺気立っているのが遠目にもわかった。
「よし、次の者!」
「あ、呼ばれましたね」
メリアは名残惜しそうにブラシをしまい、姿勢を正す。
スフィアも瞬時に「だらけきった猫」から「冒険者」の顔に戻り、御者台から身を乗り出した。
「やっとか……。まあ毛並み整えられたし良いけどよ」
馬車をゆっくりと進め、憲兵の前に停止させる。
「よし、では王都への滞在目的は?」
憲兵の声は事務的だが、その目は油断なく馬車の中を観察している。
「ギルドの依頼ですね。こちらが控えです」
メリアが懐から依頼書の写しと、身分証代わりの商会証を差し出す。
第六位の冒険者カードも添えるが、ランクが低いので商会証のついでのようなものだ。
さらに、スフィアとブルの冒険者カードも添える。
「拝見する。……ふむ、カジノ船の護衛か。……ん?」
憲兵はカードの文字を見て一度動きを止め、それからまじまじとスフィアの顔を見た。
「……この『準二位』冒険者スフィアというのは?」
「あ、俺だ」
スフィアが軽く手を挙げる。
「君が? ……いや、失礼した。確かにカードの反応は本物だ」
憲兵は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにプロの顔に戻る。
準二位といえば、王国内でも指折りの実力者だ。
それがこんな若い、しかも猫獣人であることに意外性を感じたのだろう。
だがカードの偽造は不可能であり、その実力はギルドが保証している。
「では照合する。少し待て」
憲兵は手元の石板のような魔道具の上にカードを置いた。
淡い光が明滅し、登録情報との照合が一瞬で完了する。
犯罪歴や指名手配の有無を確認する手続きだ。
すぐにカードが返される。
「次は荷を改めさせてもらう。構わないね?」
「いいぜ。やましいもんは入ってねえよ」
スフィアが許可を出すと「協力感謝する」と短く礼を言い、数名の部下が馬車の荷台へと回った。
彼らの動きは迅速かつ丁寧でプロの手際だ。
食料袋の中身、予備の武器、着替えの入った鞄。
それらを一つ一つ確認していく。
「……隊長。荷を確認しました。冒険道具各種に食料、あとは多少の娯楽品……」
部下の一人が少し言いにくそうに報告する。
「本当にただの冒険者のようです。あと、ブラシと大量の抜け毛が」
「……そうか。ご苦労」
憲兵隊長は小さく咳払いをした。
高ランク冒険者の馬車にブラシと抜け毛というのは締まらないが、怪しいものではない。
むしろ、犯罪者の馬車がそんな呑気な状態のはずがないだろう。
「こちらも受注依頼と冒険者の照合を確認した。問題ない。通って良し」
憲兵隊長が道を開けるように指示を出す。
「えらい厳重ですけど、何かあったんですか?」
メリアが馬車を発進させながら世間話のついでといった風情で尋ねた。
行商人から話は聞いていたが、やはり気になる。
憲兵隊長は一瞬、言うべきか迷うような素振りを見せたが、相手が素性の確定した高ランク冒険者であることを考慮したのか、声を潜めて答える。
「ん、ああ……ちょっと色々あってな。今日は少し大きな捕り物があるんで検問を敷いているんだ。君たちは運が無かったな。普段ならこんなに待たせることもないんだが」
「へえー。大変だな、おっさんらも」
スフィアは他人事のように相槌を打つ。
「では、後ろが詰まっているのですまんが進んでくれ。良い旅を。……次の者、前へ!」
憲兵の合図と共にメリアはゴーレム馬車を進ませた。
車輪が石畳を噛み、馬車は王都の大通りへと入っていく。
しばらく進み、検問所から十分に距離が離れたところで、メリアが口を開いた。
「大きな捕り物ですって」
「ブル、どう思う?」
御者台の後ろから、スフィアがニヤニヤしながら問いかける。
「ラファエルさんたちの極秘任務絡みだったりして」
ブルが即答する。
このタイミングでの厳戒態勢。
そして、イドラでラファエルとエルセインと別れ、王都へ戻っただろう直後の出来事。
多分当たりだ。
スフィアは肩をすくめる。
「だろうな。あいつら、帰って早々仕事かよ。真面目なこって」
「でもさ、イドラでは言い出さなかったけど極秘任務ってかっこいいよね」
ブルが目を輝かせて、身を乗り出した。
「うん?」
「王都の裏に潜む悪の組織を倒すべく、極秘に組織された治安維持を目的とする秘密組織! そこの敏腕エージェントの二人が悪の組織を調査して陰謀を阻止する! そこに立ち塞がる敵の幹部たち! みたいな!」
ブルは興奮気味に腕を振り回し、ポーズを決める。
彼の脳内では夜を背景にラファエルが黒いロングコートを翻し、エルセインが暗闇から身を潜めて魔法を放つシーンが再生されているに違いない。
男の子のロマンが詰まっている。
「いや、あの二人は王子と宮廷魔術師長だったはずですが……」
メリアが冷静に訂正する。
彼らは秘密組織どころか、国のトップオブトップだ。
公人中の公人である。
秘密組織と関係ないというか、その上司の更に上司あたりだろう。
「言われてみると……かっちょいいな! 極秘任務!」
しかし、スフィアはブルの妄想に乗っかった。
彼の感性もまた、ブルほどではないが多分に少年的だ。
「だよね! 秘密組織の秘密エージェントとかいいよね! 『ここは俺に任せて先に行け』とか言うんだよきっと!」
「きっと魔法で移動とかするんだぜ。こう、空間にヒビ入れて、パリーンって割れたところから移動すんの! 『遅かったな』とか言って!」
スフィアが小さな手で空間を切り裂く仕草をする。
エルセインの魔法は自然系と治癒系が主体だが、スフィアの中ではもっと派手でかっこいい空間転移魔法使いになっているらしい。
「かっこいい~~! 憧れるなぁ~!」
「だよなー! 俺も一回やってみてえ、『お前の野望はここまでだ』とか!」
獣人二人は、キャッキャと妄想で盛り上がっている。
王都の地下で繰り広げられているであろう血なまぐさい攻防や駆け引きなど知る由もなく、ただただ「かっこいいヒーローごっこ」の空想話に花を咲かせている。
メリアは、やれやれとため息をついて手綱を握り直した。
「……まあ、あの二人が楽しそうだから良いか」
平和だ。
王都は捕り物で緊迫していようとも、この馬車の中だけは平和そのものだ。
メリアは少しだけ笑みを浮かべ、馬車を港の方角へと向けたのだった――。




