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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第九話 カジノ船の依頼

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指名依頼

時計の針を数日だけ巻き戻す。

そして場所はスフィアたちの拠点の街へと移る。


温泉街イドラでの騒動を終えたスフィアたち一行は、無事に角笛亭のある拠点の街へと帰還していた。


街の空気は相変わらず活気に満ちている。

露店から漂う串焼きの匂い、鍛冶屋から響く槌の音、行き交う冒険者たちの喧騒。


スフィアたち三人は、いつものように馴染みの冒険者ギルドの扉へ手をかけた。

重厚な木製の扉を押し開けるとムッとするような熱気と、酒と汗と脂の匂いが混じり合った独特の芳香が鼻をつく。


「ただーいまーっとくらあ」


スフィアが適当に声を上げながら中へ足を踏み入れた、その瞬間。


「あーん! タマちゃん久しぶりぃぃ~~! 会いたかったんでちゅよぉぉ~~~!」


カウンターの奥から茶色の髪をした人影が砲弾のように飛び出してきた。


「ニ"ャ"ァ"ァ"ァ"ァ"!!」


スフィアの絶叫がギルド内に響き渡る。

人影――ギルド受付嬢のマチルダは、スフィアの胴体に強烈なタックル気味の抱擁を決め、そのまま頬ずりを始めた。


「離れろよ! うっとおしいな! 暑苦しいんだよ!」


スフィアが爪を立てて抵抗するが、マチルダの抱擁は強力だ。

彼女は愛の力と冒険者ギルド職員としての身体能力で、暴れる猫獣人をがっちりとホールドしている。


「だってぇ~~! タマちゃんたち全然帰ってこないんだもん! 寂しかったんだからねっ!」


マチルダはスフィアの首元の毛に顔を埋め、深呼吸をするように匂いを嗅ぐ。


「はぁ~~、猫吸い……至高……」


「キッショいこと言ってんじゃねえ! 俺は吸いもんじゃねえぞ!」


「私も温泉行きたかった~~~。それでタマちゃんと一緒にお風呂入りたかったぁ~~」


「来るな! ていうか入ってたまるか!」


スフィアの必死の抵抗をよそに、マチルダは至福の表情を浮かべている。

その光景に周囲の冒険者たちは「またか」といった生温かい視線を送り、一部の常連は「マチルダさんのあんな顔、スフィア以外には見せないよな」と苦笑している。


「来ても一緒に温泉は入れなかったと思いますけどね」


「普通に男女別れてるからね。混浴じゃないし」


メリアとブルが呆れたようにツッコミを入れる。


もっとも、マチルダのことだ。

スフィアと入るためなら女湯にスフィアを連れ込むくらいのバイタリティはありそうだが。

普通に獣人女性のご迷惑なのでやめてほしい。


「ところでマチルダさん、その頭の猫耳はいったい……?」


ブルがふと気になった点を指摘する。


マチルダの茶色の髪の上には普段は見慣れない装飾品が乗っていた。

黒いフェルト生地で作られた、三角形の耳。

猫耳カチューシャだ。


「ああ、これ?」


マチルダはスフィアを抱きしめたまま顔を上げ、頭の猫耳を指差した。


「タマちゃんがいなくて寂しいから、少しでも近づけるようにって着けてみたの。……ねえタマちゃん、どう? 可愛い?」


彼女は上目遣いでスフィアを見つめ、小首を傾げてみせる。

受付嬢としての愛嬌と、計算されたあざとさが融合したポーズだ。

普通の男なら撃沈する破壊力があるかもしれない。


だが、相手はスフィアだ。


「いや別に……猫耳とか毎日鏡で見てて見慣れてるし」


スフィアは冷めた目で一蹴した。

彼にとって猫耳は身体の一部であり機能的な器官だ。

それがファッションアイテムとして可愛いと称される感覚が根本的に理解できないのだろう。


人間の方は猫獣人が「今日は人間耳付けてみたのっ! 可愛いでしょ!」と言う様を想像していただきたい。

お判りいただけるだろうか。


「むぅ~~! タマちゃんのいけずぅ~~!」


マチルダは頬を膨らませ、スフィアを抱きしめたままその場でくるくると回転し始めた。


「可愛いって言え~~! 言いなさい~~! 受付のお姉さんの精一杯のオシャレを褒めなさい~~!」


「うっぜえええええ! 回るな! 目が回るだろバカ!」


遠心力で振り回されるスフィアの毛が逆立つ。


「人間さんって猫耳好きだよね。なんでだかわかる? メリアさん」


その様子を眺めながら、ブルが不思議そうに首を傾げる。


獣人にとっては当たり前のパーツが、なぜ人間にはこれほどまでに好まれるのか。

牛獣人である彼には、牛の耳と角付きカチューシャをつけた人間が「モー」と言ってきても多分困惑しかしないだろう。


「持たざる者のロマン……ですかね?」


メリアが遠い目をして答える。


「自分にないものへの憧れ、あるいは庇護欲をそそる形状、非日常の象徴……グッズを扱う商会でも獣人風グッズは一定の需要がありますから」


「ロマンかあ……奥が深いね」


ブルは感心したように頷く。


「あーもう! 離せっての!」


スフィアが渾身の力でマチルダを引き剥がし、ようやく自由の身となった。

乱れた毛並みを整えながら恨めしそうに受付嬢を睨む。


「仕事の邪魔すんじゃねえよ。俺たちゃ依頼受けに来たんだぞ」


「むぅ。タマちゃんのケチ。……まあいいわ、お帰りなさい」


頭の猫耳はそのままだが、マチルダはようやく業務モードに切り替えてカウンターの中へと戻った。


「それでマチルダさん。依頼なんか良いのあります?」


メリアがカウンターに身を乗り出す。


今回の遠征でもかなりお金は稼いだが、旅費や装備のメンテナンス、そして何よりスフィアの食費で出費も嵩んでいる。

稼げるときに稼いでおくのが商人の鉄則。

お金はあればあるだけ良いものなのだ。


「そういえば、珍しくタマちゃんたちに指名依頼があったのよ」


マチルダが書類の束の中から一枚の封筒を取り出した。

上質な羊皮紙で作られたそれは、見るからに高級感が漂っている。


スフィアは毛づくろいを中断し、片方の耳をピクリと動かした。


「指名依頼? 俺らに?」


――指名依頼。


それは通常の、掲示板に張り出されて早い者勝ちで受注する依頼とは一線を画す。

依頼主側が「この冒険者に頼みたい」と、特定の個人やパーティを指定して発注する特別な依頼だ。


基本的には、依頼主と過去にコネクションがある場合や、その分野で卓越した実力を持つ高ランク冒険者に送られることが多い。

例えば、アレッタとゼノがピエールに雇われる前、彼らの出身孤児院から優先的に護衛や害獣駆除の依頼を受けていたのがこれに当たる。


「珍しいな。俺たち、そんなお偉いさんに媚び売った覚えはねえけど」


「イドラの評判が、どっかの貴族の目に留まったのかな?」


ブルが推測する。

竜や極楽鳥を討伐したし、それが評価されたのかもしれない。


「にしちゃ早くねーか? まだあんま経ってないだろ」


スフィアが首を傾げる。

情報伝達速度を考えてもイドラでの功績が遠方の依頼主に届き、そこから指名依頼が来るには少々早すぎる気がする。


「お二人ともランクは高いですけど、まだ半年ちょいの冒険者歴ですしねー」


メリアも不思議そうにする。

スフィアたちは実力こそ折り紙付きだが、冒険者としての活動期間は短い。

ギルドを通じて冒険者同士の知名度はあっても、指名を受けるほどの信用や実績が積み上がっているとは言い難いのだ。


「えっと、これね」


マチルダが封筒から依頼書を取り出し、カウンターに広げる。

そこに記されていたのは、驚くべき内容だった。


「カジノ船……?」


スフィアが眉をひそめる。


「ええ。魔法国から出航している巨大豪華カジノ客船が近々レナック王国の王都港に停泊するのよ。その際に乗り込んで、洋上で船が回遊してから次に王都へ戻るまで一週間、船内の治安維持と依頼主の護衛をしてほしいって内容ね」


マチルダの説明にスフィアは即答した。


「パス」


「判断はやっ」


ブルが突っ込む。

報酬額としては、かなりの高額案件だ。

普通の冒険者なら飛びつくような内容だがスフィアの拒絶に迷いはなかった。


「だってこれ、食い物の気配あんましねえもん。何か獲物を狩れってんなら別だけどよ、船の上で警備だろ? 退屈そうで肩も凝りそうだ」


スフィアの判断基準は常に「食」だ。

狩りならば獲物がそのまま食材になるが、護衛任務では食事は基本的に支給となる。

カジノ船のことはよく知らないが、金持ちの船なら量が少なくて上品で気取った料理ばかりだろう。

スフィアが満足できるとは思えない。


「ギルドとしては指名依頼受けてほしいんだけどなあ……ほら、これを受ければ昇級も早くなるし、ギルドへの貢献度も上がるわよ? どう?」


マチルダが上目遣いで勧誘する。

有望株であるスフィアたちがさらにランクを上げればギルドの評価も上がるのだ。


「昇級とかクソほどどうでもいい」


スフィアは鼻を鳴らした。


「元々ランク低いと舐められやすいから適当なとこまでランク上げようとして荒稼ぎしてたわけだしな。今はもう『準二位』だ。舐められることもだいぶ減ったし、そこまで昇級にこだわってねーよ」


彼が冒険者ランクを上げたのは、あくまで快適な食事ライフのためだ。

低ランクだと良い依頼を受けられず、質の良い食材を買う金も手に入らない。


だからランクを上げた。

だが、ある程度の地位とお金が手に入った今、名誉のために働こうという気はさらさらない。


「うーん、僕もちょっとこの依頼は無しかなあ」


ブルも難色を示す。


「だって船でしょ? 僕が暴れても大丈夫なやつ?」


彼は自分の身体を指差す。

身長三メートル近い巨躯に、総重量が凄まじいアダマンタイトの鎧。

巨大豪華カジノ客船だとしても、床が抜けたりしないだろうか。


「船酔いはしない自信あるけど床を踏み抜いたり、揺れた拍子に壁を突き破ったりしそうで怖いよ。海の上じゃ逃げ場もないし、責任取れないなぁ」


「私も船は詳しくないけど……船だしねえ……タマちゃんたちの暴れっぷりに耐えられるかは微妙かも……」


マチルダも船が壊れるビジョンが浮かんだのか、強くは推せなくなってしまった。


「ていうか、そもそも誰だよ依頼主。知り合いにカジノ船に行くような金持ちのやついねーぞ」


スフィアが依頼書を指で弾く。

ピエールは王族だが彼は帰国したばかりだし、こんな回りくどい依頼を出すタイプではない。

ラファエルやエルセインも極秘任務とやらで忙しいだろう。


「ああ、依頼主の名前はここに書いてあるわ」


マチルダが依頼書の末尾を指し示す。

そこには、流麗な筆記体でサインが書かれていた。


『依頼主:マーガレット』


「マーガレット……? あれ、どっかで聞いたような」


ブルが首を捻る。


どこかで聞いた響きだ。

確か商会の……。


その時、横で依頼書を見ていたメリアが依頼主の名前を確認し、小さく声を出した。


「あ」


彼女は思わず依頼書を手に取り、衝撃の事実を告げる。


「私のお母さんです、これ」


「「「え?」」」


スフィア、ブル、そしてマチルダの声が綺麗に重なった。

時が止まったような静寂がギルドの一角を支配する。


かくして、スフィアたち一行はメリアの母がいるカジノ船へ赴くことになったのであった――。

ついにお母さん登場。

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