王城への帰還
ちょっと長いですが分割すると半端なので。
レナック王国の王城。
その廊下は、いつになく重苦しい静寂に包まれていた。
磨き上げられた大理石の床を叩く二組の足音が規則正しく、しかしどこか急いたリズムで響いている。
歩いているのは赤髪の青年――ラファエル王子と、白髪の宮廷魔術師長エルセインである。
長い旅路から帰還したばかりの彼らの衣服には未だ旅の砂埃が微かに残っていた。
本来であればまずは湯浴みをし、旅装を解いて休息を取るのが筋だろう。
だが、城門を潜るや否や飛んできた伝令はそれを許さなかった。
「戻って早々、会議室に集合とはなんだろうな」
ラファエルが前を見据えたまま、低い声で問う。
その表情は硬い。
父である国王が息子の帰還を喜ぶよりも優先して会議を招集するなど、よほどの事態である。
「わからないが……ただ事ではなさそうだね」
隣を歩くエルセインもまた、眉間に浅い皺を刻んでいた。
「ああ。第一会議室は国家の存亡に関わるような緊急の案件がある場合のみ使われる場所だからな」
ラファエルが重々しく頷く。
第一会議室。
それは王城の奥深く、最も警備が厳重な区画に存在する鉄と魔法の防壁に守られた密室。
そこが開かれるということは、すなわち国が危機に瀕していることを意味する。
二人は無言のまま歩みを進め、やがてその重厚な鉄扉の前に立った。
扉の前には近衛騎士が二名、彫像のように直立している。
彼らはラファエルたちの姿を認めると無言で敬礼し、扉の解錠魔術を起動させた。
重い金属音と共に扉がゆっくりと内側へと開かれる。
「王子ラファエル、そして宮廷魔術師長エルセイン。両名入ります」
ラファエルが通る声で告げ、二人は部屋の中へと足を踏み入れた。
室内は窓がなく、魔道具の明かりだけが照らす閉鎖的な空間だ。
中央には巨大な円卓が置かれ、その上には王都の地図や数々の報告書が散乱している。
そして、円卓を囲むように国王と数名の重鎮たちが深刻な面持ちで座っていた。
「おお、ラファエル。よく無事で戻った」
上座に座る国王が、息子を見てわずかに相好を崩す。
だが、その目には隠しきれない疲労の色と焦燥がある。
「ご無沙汰しております、父上。ただいま帰参いたしました」
ラファエルは騎士の礼を取り、深く頭を下げる。
エルセインもそれに倣った。
「うむ。……して、聖剣と勇者は?」
国王の問いは単刀直入だった。
挨拶もそこそこに本題に入らざるを得ない、切迫した事情があるのだろう。
ラファエルは顔を上げ、苦渋の表情で首を横に振った。
「……残念ながら、そちらは目立った収穫はありませんでした。聖剣も既に遺跡から失われており……我々の手にはありません」
その報告に会議場がざわめいた。
重鎮たちが顔を見合わせ、不安げな囁きを交わす。
邪神竜に対抗するための切り札である聖剣が失われているという事実は彼らにとって絶望的な報せに等しい。
――実際は目の前にしながらニアミスしているのだが、それはともかく。
「静粛に」
エルセインが静かに、しかしよく通る声で場を制した。
「ただ、現場の状況から見て邪教団に奪われたものではないと思われる。結界は破られていなかった。おそらくは結界に拒絶されない清らかな心を持つ何者かが持ち出したのだろう。いつ持ち去られたかは不明だがね」
「邪教団の手には渡っていない、か。……不幸中の幸いと言うべきか」
国王が顎をさすりながら唸る。
「それと、もう一つ報告があります」
ラファエルが一歩前に出る。
「我々は旅の途中、温泉街イドラにて人為的な竜害に遭遇しました。そこで、今回の騒動の元凶と思われる邪教団の教主に接触、交戦しました」
「なっ……教主だと!?」
重鎮の一人が椅子を鳴らして立ち上がる。
国王も目を見開いた。
「詳細や根拠は、こちらの報告書にまとめてあります」
エルセインが懐から分厚い羊皮紙の束を取り出し、侍従に渡す。
報告書はすぐに魔法で複製され、出席者全員に配られた。
紙をめくる音だけが響く静寂の時間。
そこに記されているのは温泉街イドラでの激闘、教主ディオスと名乗る男の暗躍、そして彼が口にした恐るべき計画の一端だった。
「ふむ……邪教団教主ディオスか……」
国王が報告書から目を離し、重い溜息をつく。
「強力な魔術師でしたが、現地で居合わせた冒険者と協力し撃退しました。かなりのダメージを与えたかと」
ラファエルが報告する。
もちろん、その「現地の冒険者」というのが規格外の猫獣人と牛獣人、そして商魂たくましい少女であることは伏せている。
彼らを巻き込まないための配慮であり、また、説明するにはあまりに事態が荒唐無稽すぎるという理由もあった。
「それは朗報だ。敵の首魁に痛撃を与えられたのは大きい」
国王が頷く。
しかし、その表情は晴れない。
まだ何やら重い事情があるように見える。
「それで、父上。何故こちらの会議室に? 報告だけならば、ここを使う意味は薄いと思われますが」
ラファエルが核心を突く。
敵の親玉と遭遇したとはいえ、それは既に終わった事案だ。
第一会議室を使うほどの「現在」の危機ではない。
「うむ。緊急の案件だ」
国王は一度言葉を切り、ラファエルとエルセイン、そして場にいる全員を見回した。
「邪教団の本拠地を発見した」
「……! 本当ですか!」
ラファエルが身を乗り出す。
長年、王国の影に潜み、尻尾を掴ませなかった邪教団『黒き翼』。
その本拠地が見つかったとなれば、これまでの劣勢を一気に覆す好機となる。
「ああ。お前たちが勇者を探す間、こちらもただ黙って見ていたわけではない。各地の不審な物資の流れ、人の失踪、魔力の淀み……それらを諜報部が死に物狂いで追いかけ、妙な物資や人の流れを探し当て、ようやく見つけたのだ」
「それで、どこに?」
エルセインが鋭く問う。
辺境の荒野か、未踏の森林か、あるいは断崖の洞窟か。
国王は、まるで鉛を吐き出すかのように重苦しく発言した。
「この王都だ」
「な……!?」
ラファエルの思考が停止した。
エルセインでさえ、目を見開いて息を呑む。
「バカな!! 王都の真ん中に、奴らの拠点が!?」
灯台下暗しと言うにはあまりにも大胆すぎる。
王国の心臓部に癌細胞が巣食っていたというのか。
「まことだ。王都の古い商会のひとつ、ミザリー商会というところを詳しく調査したところ、本来の流通より多い物資が長年運び込まれ、その記録が改ざんされていたことが発覚した」
国王が卓上の地図の一点を指差す。
それは王都の下町に近い、古くからある倉庫街の一角。
「表向きは古美術や骨董を扱う商会だが、その実態は空殻に近い。運び込まれていたのは大量の食料、武器、そして……魔法触媒だ」
エルセインが記憶を手繰り寄せる。
「ミザリー商会……聞いたことがある。確か、先代の会長が亡くなってからは目立った活動をしていないはずだが」
「そうだ。そこが隠れ蓑になっていた。そして決定的なのは場所だ」
国王が地図上の別の紙を広げる。
それは王都の地下構造図だった。
複雑に入り組んだ水路や地下道が記されているが、ミザリー商会の地下には奇妙な空白がある。
「ミザリー商会の地下付近には古い下水道が走っており、現在稼働している下水道とは独立しているらしい。古すぎて公的な記録からは抹消されていたが、古い文献と照らし合わせた結果、巨大な地下空間が未だ存在することが判明した」
「……そこに、奴らが」
「ああ。邪教団は恐らくそこにいる。教主ディオスも傷を癒しにそこへ戻っている可能性が高い」
ラファエルは固く拳を握りしめる。
足元に敵がいた。
自分たちが外の世界に目を向けている間、敵はずっと自分たちの足元で息を潜め、爪を研いでいたのだ。
その事実に戦慄すると同時に、ラファエルの脳裏にふと、ある者たちの言葉が蘇った。
あの破天荒で、食い意地が張っていて、しかし時に恐ろしいほど核心を突く友人たちの言葉が。
――温泉街での夜、教主の陰謀について語り合った時のことだ。
スフィアは、あぐらをかいて欠伸をしながらこう言った。
『つーか、テロっつってもこんなとこで暴れさせる意味がわかんねー。温泉街っつっても山の中だぜ? 被害出すならもっと大きい街じゃねーの? 王都とかさ』
あの時は単なる思い付きの発言だと思っていたが、あの野生の勘は正しかったのだ。
敵の本命は最初から王都だった。
恐らく温泉街イドラで暴れる竜に目を向けさせ、王都の戦力を地方へ向かわせる。
そうやって地方で魂を回収しつつ、最終的には戦力の派遣で無防備な王都を狙う、といったところか。
極めて周到で悪辣なやり口だ。
そして、メリアの言葉。
彼女は元商家の娘として大都市の脆弱性を指摘していた。
『大きな街って警備の目は多いですけど、それ以上に流通も人の出入りも多いんです。毎日何千という馬車、何万という人が行き交うんですよ? いちいち全部調べてなんてられませんって』
物資の隠蔽。
人の移動。
それらを隠すには閑散とした田舎よりも、膨大な情報と物が溢れる大都市の方が都合が良い。
『木を隠すなら森の中』というわけだ。
さらに、ブルの言葉。
マッシュ・ボアの討伐の際、彼は魔獣の生態についてこう語っていた。
『ついでに言えば、外敵から視認されにくくして身を守りやすくするためでもありますかね。地面の中に巣を作る獣は臆病で慎重なので』
地下に潜る。
それは外敵から身を隠し、安全を確保するための生物としての生存本能。
邪教団という組織もまた、一つの巨大な「獣」として王都の地下という見えない場所に巣食っていた。
(……全部言い当てていたのか)
ラファエルは戦慄にも似た感嘆を覚えた。
彼らは専門家でも軍略家でもない、ただの冒険者だ。
しかし、その研ぎ澄まされた感覚と経験則は、時に宮廷の賢者たちをも凌駕する真実を捉える。
王都を拠点にしていれば王都を真っ先には狙わない。
灯台下暗しの心理を利用し、他所から被害を出すことで目を逸らさせる。
そして膨大な物資や人の流通を大都市の喧騒で覆い隠し、地下深くという誰からも見えない場所に潜伏する。
それが、奴らのやり方であったのだ。
「なるほど。彼らの言葉は的を射ていた、ということか……」
ラファエルが思わず呟く。
「彼ら?」
国王が怪訝そうに聞き返す。
「……いえ、あとで説明します。今は拠点をどうするかですが」
ラファエルは思考を切り替える。
今は感心している場合ではない。
敵の居場所がわかった以上、次の一手が重要になる。
「うむ。ミザリー商会への突入作戦を立案中だ。騎士団の精鋭を集めて包囲し、一気に勝負をかけるつもりだが……」
国王の作戦は王道だ。
拠点を特定したなら、包囲殲滅。
数で押し潰すのが最も確実な戦法である。
だが、ラファエルの脳裏に再び警鐘が鳴る。
今度は心優しき巨漢の戦士の言葉がよぎった。
『たぶん出入口は逃走用に複数あると思います。地下に潜むなら逃走ルートは複数用意するもんですからね。獣の巣ってのはそういうもんです』
「獣の巣」――。
邪教団の拠点はまさにそれだ。
地下を利用している以上、彼らは必ず逃げ道を確保しているはず。
それも一つや二つではないだろう。
ミザリー商会はあくまで表向きの入り口に過ぎない。
広大な地下水道網を使えば、王都のどこへでも出られる可能性がある。
いや、王都の外へと続く抜け道さえあるかもしれない。
もし正面から攻め込めば、奴らは蜘蛛の子を散らすように地下水道へ逃げ込み、闇に紛れて拡散してしまうだろう。
そうなれば二度と捕まえることはできない。
それどころか、逃げた先で自暴自棄になった信者たちが無差別なテロを起こす危険性すらある。
「いえ、父上。ミザリー商会だけでは足りません」
ラファエルは強い口調で遮った。
「ほう?」
「一気に勝負をかけるのは賛成ですが、おそらく奴らは他にも逃走用のルートを確保しています。下水道の広がる全域と……先ほど現在稼働中の新下水道とは独立しているという話ですが、そちらにも通路を繋げて逃走経路を作っている可能性がある。下水全域に網を張るべきです」
ラファエルは地図上の地下水路を指でなぞる。
それは王都の地下に張り巡らされた、巨大な迷宮だ。
「しかし、王都全域に兵を配置するわけには……」
重鎮の一人が難色を示す。
王都は広い。
すべてのマンホール、すべての排水口を監視するには、兵力がいくらあっても足りない。
それに、そんな大規模な展開をすれば突入前に敵に感づかれてしまう。
「全域を埋め尽くす必要はありません」
ラファエルは冷静に反論した。
あの時、自分たちはどうやってマッシュ・ボアを追い詰めたか。
敵の生態を利用し、要所を抑え、逃げ場をなくしたのだ。
「下水の出入り口は限られています。主要な排出口、川への合流地点、そして古井戸。そこに兵を重点的に置けば人数は最小限で済みます。エルセイン、探知魔法で地下の魔力の流れを監視することは可能か?」
話を振られたエルセインが、ふっと笑って頷く。
「可能だね。地下での大規模な魔力移動があれば、すぐに感知できるような結界を王都全域に薄く張ろう。ネズミ一匹逃がさないよ」
「ありがとう。あとは……下水から地上に上がって、一般市民に紛れて逃げる可能性も考え、検問を張りましょう」
「検問か。だが市民と信者をどう見分ける?」
「匂い、です」
ラファエルは断言した。
「どれほど魔法で隠蔽しようとも、長期間地下に潜伏し、下水道を通って逃げてきたのであれば独特の湿気た臭いや汚水の臭いが染みついているはず。それを目印にします」
嗅覚の鋭い軍用犬や、鼻の利く兵士を検問に配置する。
あるいは、汚れの目立つ服装の者を重点的にチェックする。
それだけでも敵にとっては大きなプレッシャーになるはずだ。
「なるほど……。物理的な封鎖だけでなく、逃走の痕跡すら許さない構えか」
国王が感心したように頷く。
これまでのラファエルならば正攻法の突入作戦を支持していただろう。
だが今の彼には敵の裏をかき、泥臭い手段も辞さない柔軟さと狡猾さが備わっている。
「よし、その案を採用とする。……しばらく見ぬ間に随分と頼もしくなったな、ラファエル」
国王の言葉に重鎮たちも同意の眼差しを向ける。
ただ守られるだけの王子ではなく、国を守る将としての顔つきになっていた。
ラファエルは照れくさそうに笑い、頭を掻いた。
「いえ、旅の間に出会った友人の助言ですよ。彼らなら、きっとこう考えただろうと真似ただけです」
「そうか。その話はあとでゆっくりと聞こう……皆、配備を急げ! 作戦開始は今夜だ!」
「はっ!」
国王の号令一下、重鎮たちが慌ただしく動き出す。
会議室は一気に戦場の指揮所のような熱気に包まれた。
ラファエルは会議室を出た後、大きくため息を吐いた。
緊張が解け、肩の力が抜ける。
「つくづく彼らに助けられてばかりだ」
壁にもたれかかり、苦笑する。
スフィア、ブル、メリア。
この場にいない彼らの言葉が、知恵が、今もこうして自分を支えてくれている。
彼らとの出会いがなければ自分は単純な突撃を繰り返し、敵を取り逃がしていたかもしれない。
「ふふ。では事態を収束させてから、改めて礼をしなくてはね」
エルセインもまた、穏やかな笑みを浮かべていた。
彼もまた、あの奇妙で愛すべき友人たちのことを思い出していたのだろう。
「ああ、そうだな。……全部終わったら一番高い肉でも奢らせてもらおうか」
「それは喜ぶだろうね。厨房が空になる覚悟が必要だが」
二人は顔を見合わせて笑い合うと決意を新たに王城の廊下を歩き出した。
その足取りは軽く、迷いはない。
友から託された知恵という武器を携え、彼らは最後の戦いへと向かう。
◆◆◆◆
一方その頃。
王都の地下深く、淀んだ空気が支配する空間。
邪教団『黒き翼』の本拠地。
粗削りな石壁に囲まれた教主の間は、重苦しい沈黙に包まれていた。
壁に掛けられた松明の炎が、教主ディオスの苦渋に満ちた表情を揺らめき照らし出している。
彼の身体には先日の戦いで受けた傷の痕がまだ生々しく残っている。
だが、今の彼を苦しめているのは肉体の痛みではない。
もたらされた凶報だった。
「ふむ……良くない流れですな。こちらの逃走ルートが潰されている、か」
ディオスは手元の水晶球を見つめ、低く唸った。
王都中に張り巡らせた斥候からの報告によれば王国の兵たちが不審な動きを見せているという。
主要な下水道の出口が封鎖され、川沿いには見張りが立ち、要所要所に関所が設けられつつある。
その配置は明らかに地下からの脱出を想定した包囲網だ。
「気づかれたか。ミザリー商会が割れたとなれば、ここも長くは持たん」
ディオスは唇を噛む。
王国の動きが予想以上に早い。
そして何より、その手が的確すぎる。
まるでこちらの思考を読んでいるかのように逃げ道を塞ぎに来ている。
『先手を打たれたな。勇者ラファエルめ、小癪な真似をする』
脳裏に直接響く、重厚で冷徹な声。
邪神竜ヴァルノスの念話だ。
その声には怒りよりも、むしろ感心したような響きすら含まれている。
「申し訳ありません、ヴァルノス様。これでは……」
ディオスは膝をつき、祭壇の上の宝玉に向かって頭を垂れる。
「これでは、魔獣や教団員が下水道を通って地下から一斉に地上へ現れ、王都各所の戦力を分散させつつ大被害を狙う最終作戦『百鬼夜行』は不発に終わりますが……」
彼らが計画していたのは王都の地下から無数の魔物と信者を一斉に解き放ち、街をパニックに陥れる作戦だった。
混乱に乗じて王城へ攻め込み、あるいは多くの民を虐殺してその魂を回収する。
だが、出口を塞がれてしまえば彼らは地下という袋小路に閉じ込められることになる。
地上に出る前に各個撃破されるか、あるいは地下で燻り出されるのを待つだけだ。
作戦の変更は免れない。
撤退か、あるいは籠城か。
いずれにせよ当初の計画通りの大量殺戮は不可能になった。
だが、ヴァルノスの声はあくまで平坦だった。
『構わぬ』
「は……?」
ディオスは顔を上げる。
作戦が失敗するというのに構わないとはどういうことか。
『出口が塞がれたのなら、中で殺し合えばよい』
ヴァルノスの冷酷な笑い声が、ディオスの脳内に響く。
『王国軍が攻め込んでくるのであろう? ならば好都合だ。狭い地下通路で我が配下の魔物どもと王国の精鋭たちをぶつけ合わせよ。逃げ場のない殺し合いだ。さぞや濃密な死が満ちるだろう』
「し、しかし……それでは教団員たちも全滅する恐れが……」
『それがどうした?』
ヴァルノスの言葉には、一片の慈悲もなかった。
『そもそも魂は、王国兵でも教団員でも変わりはせん。……わかるな?』
ディオスは息を呑んだ。
そうだ。
この御方にとって、敵も味方も関係ない。
必要なのは「死」と「魂」というエネルギーだけ。
王国兵が死ねば糧になる。
教団員が死んでも糧になる。
地下という閉鎖空間で凄惨な殺し合いが起きれば、そこは巨大な『壺』となり、溢れ出た魂はすべてヴァルノスの元へと吸い寄せられる。
むしろ地上で散発的に殺すよりも、地下でまとめて殺し合わせた方が効率が良いとさえ言える。
「……なるほど、道理ですな」
ディオスは震えながらも、その恐るべき合理性に感服した。
自分たちすらも薪としてくべる、その徹底した冷酷さこそが邪神竜たる所以。
「では、その方向で調整いたします。地下通路を要塞化し、侵入してくる王国兵を迎え撃つ『死の迷宮』へと作り変えましょう。我が命尽きるまで、一人でも多くの兵を道連れにし、貴方様の糧として捧げます」
教主ディオスは深々と頭を下げる。
その瞳には狂信的な光が宿っていた。
信者たちも偉大なる復活のための礎となれるのなら本望だろう。
『うむ。期待しているぞ、ディオスよ』
「はっ!」
教主ディオスが部屋を去っていく。
その足取りには迷いがない。
命を道具として扱うもの特有の暗い高揚感に満ちていた。
誰もいなくなった祭壇の間。
宝玉の明滅が心臓の鼓動のように速くなる。
ヴァルノスの独り言が虚空に溶けていく。
『先手は譲ったが、次はこちらの番だ』
彼の意識は地下のさらに奥深く、王都の地下深くに張り巡らされた魔力ラインへと向けられる。
王国側は逃走ルートの封鎖に気を取られている。
それが、彼らにとっての致命的な隙となる。
『そもそも策とは、破られた場合の次善策も用意するものだからな』
彼らは知らない。
この地下拠点が単なる隠れ家ではないことを。
かつてこの地が古代の魔力集積地であったことを。
そしてヴァルノスが、この地下空間そのものを魂を集積する巨大な魔法陣として書き換えていたことを。
地下で多くの血が流れれば流れるほど、その術式は完成に近づく。
包囲網など、むしろ好都合。
袋のネズミになったのは教団ではない。
王都そのものだ。
『さあ、始めようか。宴の準備は整った』
くくくくく……ははははは!
邪悪な哄笑が誰にも聞かれることなく地下の闇に反響し、やがて静寂へと吸い込まれていった。
決戦の時は、刻一刻と迫っていた――。




