空からの襲撃
極彩色の翼を持つ捕食者が山道を睥睨するように見下ろしている。
その姿はあまりにも美しく、そして残酷なまでに強大な存在感を放っていた。
「不味いぞ。極楽鳥は肉食の魔鳥で、攻撃方法は確か……」
エルセインが警告の言葉を紡ごうとした、その刹那。
極楽鳥が翼を大きく広げ、その羽根の一枚が眩い光を帯びて明滅した。
「――っ!」
言い終わらないうちに、翼から光線が迸る。
それは魔力を収束させた熱線であり、触れるものを焼き尽くす一条の光。
「『魔力よ、形となれ――キューブ』!」
エルセインが咄嗟に叫び、杖を突き出す。
魔力で構成された透明な立方体が空間に出現し、こちらに向かって走る熱線を飲み込む。
立方体の内部で熱線の軌道が捻じ曲げられ、あらぬ方向へと逸らされた。
ジュッ!
逸らされた熱線が近くにあった巨岩をまるで豆腐のように容易く貫通し、焼き切った断面からは煙が上がる。
それを見てスフィアが茫然と呟いた。
「……マジかよ」
岩をも貫く熱線。
直撃すれば、いかなアダマンタイトやリヴァイアサンの鎧といえども無事では済まないだろう。
「スフィア! マッシュ・ボアが……!」
ラファエルの叫び声に、スフィアがハッとして視線を巡らせる。
極楽鳥の猛攻の隙を突き、あの黄金のキノコを背負った猪は短い足を必死に回転させて森の奥へと逃げ去っていくところだった。
「チッ、逃げられたか……!」
追いかけようにも、頭上には凶悪な捕食者が陣取っている。
極楽鳥の翼が再び輝きを増し次の攻撃の予兆を発した。
今度は先ほどよりも数が多く、密度も高い。
危険を察知したスフィアは大声で叫んだ。
「撤退!!」
この状況でまともに戦うのは自殺行為だ。
仲間たちの半数は幻惑に囚われたままであり、戦力として機能していない。
「全員さっきの休憩場に戻れ! 混乱してるやつは力ずくで退避させろ! 走れ!」
スフィアの号令一下、正気を保っているメンバーが一斉に動く。
「砂金だー! 金脈だー!」
「メリア、来い!」
スフィアはまだ地面を拝んでいるメリアの首根っこを掴み、米俵のように担ぎ上げる。
彼女は「ああっ! 私の金脈が! 離してください泥棒!」と叫んで暴れているが、スフィアは構わずに走り出す。
「お姉さーん! 待ってー!」
「ブル、行くぞ!」
ラファエルとエルセインは、未だに見えない美女の面影を追ってふらつくブルの両腕を強引に引き、その巨体を引きずるようにして動かす。
ブルは「離してよ! 今いいところなんだ!」と必死に抵抗するが、二人がかりでどうにか抑え込む。
「猪め! 勝負だ!」
「ピエール様! 撤退です!」
ゼノは岩に向かって「僕も戦う!」と叫ぶピエールと、それを応援するアレッタの手を引き無理やりその場から引き剥がす。
ピエールは「敵に背を向けるのか!?」と叫ぶが、ゼノは無言で彼を担ぎ上げる。
ヒュン! ヒュン! ジュア!
熱線が背後の地面を抉り、木々を焼き払う音を背後に聞きながら彼らは必死に山道を駆け下りていった――。
◆◆◆◆
「『清浄なる光よ、精神の枷を解き放て――キュア』!」
エルセインの詠唱と共に柔らかな光が一行を包み込む。
休憩場に戻った彼らは、ようやく一息ついたところだ。
光が消えると同時に、幻覚に囚われていた者たちの目から虚ろな色が消えていく。
「あれ? 綺麗なお姉さんは?」
ブルがきょろきょろと周囲を見回す。
彼の記憶の中には、運命的な出会いをした牛獣人の美女がまだ残っているらしい。
「最初からいないぞ……。これで全員、正気に戻ったか?」
ラファエルが疲れ切った声で確認する。
幻覚に囚われた大の大人たち――しかも一人は巨漢だ――を引きずって逃げるのは、並大抵の労力ではなかった。
「なんとか全員無事みてーだな」
スフィアがメリアを地面に下ろしながら息を吐く。
「……あ」
メリアは自分の手が泥だらけであることに気づき、そして自分が何をしていたのかを把握して顔を真っ赤にした。
「ご、ご迷惑をおかけしました……。私としたことが、泥を拝むなんて……」
彼女は申し訳なさげにうつむく。
金への執着が生み出した恥ずかしい幻覚。
穴があったら入りたい心境だろう。
「あの猪が……岩だった? 本当かい?」
ピエールもまた、信じられないといった顔で自分の剣を見つめている。
岩に向かって振るったために、わずかに刃こぼれした剣先が現実を教えているかのようだ。
「そういえば手応えが……妙に硬くて、岩っぽかったような……」
アレッタも記憶を手繰り寄せ、青ざめる。
自分たちが必死に応援し、戦っていた相手がただの岩だったとは。
「その時点で気づかないものか?」
ゼノが不思議そうに首をかしげる。
確かに岩を斬った時点で手応えが妙だと気付きそうなものだが、エルセインはそれを否定する。
「無理だろうね。眠っている際に夢を現実と誤認するように、状況判断力を奪う効果もあるようだ。どんな不自然な幻覚でも、脳がそれを『真実』だと認識させられてしまう。それが幻惑系の魔法や毒の恐ろしいところさ」
「妙だと思ったんだ」
ラファエルが腕を組んで思い返す。
「マッシュ・ボアは臆病で、危険を感じたら胞子を出すという話だった。俺たちが接敵した時には既に胞子が充満していたということは、おそらく俺たちが来る前に極楽鳥に追われていたんだろう」
「そんで、マッシュ・ボアを追ってきた極楽鳥が、胞子の幻覚で俺たちをマッシュ・ボアと誤認したってとこか?」
スフィアが付け加える。
極楽鳥にとっても、スフィアたちは新たな獲物に見えていたのかもしれない。
あるいは単に邪魔な競争相手として排除にかかったのか。
「むう……しかし、あんな強敵が出ては……」
ピエールが悔しそうに拳を握る。
最後の冒険を成功させたかったが、今回は相手が悪すぎる。
空からの爆撃に加え、幻覚のフィールド。
まともに戦える状況ではない。
「ピエール様……」
アレッタが心配そうに主君を見つめる。
このまま諦めて帰るしかないのだろうか。
そんな重苦しい空気が漂い始めた時、スフィアは言った。
「はいはい。重苦しいのは一旦置いとけ。メリア、紙とペン」
「あ、はい。どうするんです?」
メリアは鞄から筆記用具を取り出し、スフィアに手渡す。
スフィアはサラサラと何かを書き留めると、それを折りたたんでブルに渡した。
「ブル。俺が一筆書くから、一足先に山を下りてギルドに極楽鳥が出たってことを報告しろ」
「わかった」
ブルはメモを受け取り、重い鎧を鳴らして立ち上がる。
「……マッシュ・ボアを諦める、ということか……?」
ラファエルが沈痛な面持ちで尋ねる。
ギルドに報告するということは自分たちの手には負えないと判断し、討伐隊の派遣を要請するということだ。
それはつまり、今回の依頼の失敗を意味する。
「……まあ、その判断も致し方なし、かな」
エルセインも同意する。
相手が悪すぎるし、状況も最悪だ。
命あっての物種である。
「……そんな」
ゼノが肩を落とす。
ピエールの最後の思い出作りが、こんな形で終わってしまうとは。
みんなが沈痛な表情を浮かべる中――スフィアとブル、そしてメリアの三人だけは、きょとんとした顔で顔を見合わせていた。
「何言ってんだ?」
スフィアが不思議そうに言う。
「え?」
「諦めるなら、一筆書く必要ないですよね?」
ブルが苦笑しながら説明する。
「僕が山を下りるのは、僕らが極楽鳥を狩る間、危険だからこの近隣に他の冒険者が近寄らないように手回ししてもらうためと……万一全滅したら極楽鳥の存在が知られなくなって危険だから、保険として情報共有するためですよ?」
「つーか、よお」
スフィアの口元から、じゅるりとよだれが垂れた。
その金色の瞳は獲物を狙う肉食獣のように爛々と輝いている。
「極楽鳥はクソ美味いんだ。前に食ったことがある。あのとろけるような肉、濃厚な旨味……」
スフィアは夢見心地で語る。
「マッシュ・ボアと極楽鳥が一緒にいるとか、最高の状況じゃねえか。肉とキノコのフルコースだぞ? 諦めるわけねえよ」
「そう言うと思ってました」
メリアがやれやれといった風に肩をすくめる。
彼女は最初から分かっていたようだ。
この食いしん坊が、目の前の御馳走を見逃すはずがないと。
「混乱してる連中もいたし、意思統一や状況整理も兼ねて今は一時撤退しただけだ。俺たちはマッシュ・ボア単体を狩るつもりで来たからな。次は極楽鳥も出ることを想定して準備し直す。いいな?」
スフィアが全員を見回して確認する。
撤退は敗走ではない。
勝つための戦略的再配置だ。
「しかし、勝てるのかい?」
ピエールが不安そうに尋ねる。
「あの鳥は黒鉄牛よりどう見ても獰猛だし、リヴァイアサンの時は周囲に人がたくさんいたが……今はこの人数だろう? しかも相手は空を飛ぶ」
まともな対空手段を持たない彼らにとって、空からの攻撃は脅威だ。
ましてや、あの熱線を防ぐ手立ては限られている。
「おいおい、いつになく弱気じゃねえかピエール」
スフィアは不敵に笑い、ニカっと歯を見せた。
「俺たちは辺境の出だぜ? 鳥の魔獣の狩り方はわかってる。余裕すぎるくらいさ」
その言葉は根拠のない自信ではなく、経験に裏打ちされた確信があった。
辺境で生きる彼らの知恵。
地を走る魔獣を狩り、鳥の魔獣を仕留め、湖の魔魚すら捌く。
何代にも渡って継承されてきた知恵と経験。
それが多少強い鳥ごときに負けるとでも?
「つーわけで、ブルはギルドに行って……ついでにこれ買ってきてくれ」
スフィアはもう一枚のメモ――買い物リストをブルに渡す。
「おっけー。極楽鳥は例の戦法だね」
ブルはリストを一瞥し、ニヤリと笑う。
どうやら彼らの間では既に作戦の共通認識ができているようだ。
「手っ取り早いからな。メリアは金くれ」
「何買うんです? ……ふむふむ、まあこれなら安いしいいかな」
メリアは買い物メモを覗き込み、納得したように頷くと財布をブルに預ける。
彼女はスフィアの戦法を知らない。
しかし、彼が提案するという事は勝算が高い。
メリアはそう判断し、命の次に大事な財布を預ける。
「俺は身軽だし山にも慣れてる。ちょっと巣がどこにあるか偵察してくらあ。詳細詰めるのは巣の場所次第だからその後だな。帰りを待っててくれや」
スフィアは立ち上がり、軽く準備運動を始める。
「本当に狩れるのか?」
ラファエルが念を押すように尋ねる。
極楽鳥は空を飛び、熱線を操る。
軽く見た限りではかなり強力な魔獣のはずだ。
だが、スフィアはそれを一笑に付すのみ。
「正面からぶつかるだけが戦いじゃないんだぜ? まあ見てな」
スフィアは獰猛な笑みを浮かべ、背中の剣を担ぎ直す。
「狩人の戦いってもんを見せてやる」
言い残すと同時にスフィアの姿が掻き消えた。
木々の枝を蹴り、音もなく森の奥へと消えていく。
その小さな背中は、どんな強大な魔獣よりも頼もしく見える。
彼らが見せる「狩人の戦い」とは一体どのようなものなのか。
不安と期待が入り混じる中、彼らはスフィアとブルの帰りを待つこととなった――。




