山中行軍と雑談
温泉街イドラから続く山道は、その険しさで知られている。
苔むした岩肌が露出し、樹齢百年級の大木が複雑に根を張り巡らせるその道は普段であれば冒険者ですら慎重になる難所だ。
鳥たちのさえずりもどこか遠く、風が木々を揺らす音だけが静寂の中に響いている。
そんな山道を、スフィアたち一行は着実に進んでいた。
「ふう……」
先頭を歩くスフィアとブルは慣れた足取りで岩場を越え、木の根を跨いでいく。
彼らにとって、これくらいの山歩きは散歩の延長のようなものだ。
呼吸も乱れておらず、周囲を警戒する余裕すらある。
「この辺りはまだ平気だな」
ラファエルもまた、剣を携えながら軽快に歩を進めている。
王族とはいえ幼少期から行ってきた鍛錬と、エルセインとの旅路で培った体力は伊達ではない。
エルセインも長いローブを巧みに捌き、優雅さを失わずに歩いている。
長命種である竜の体力は底知れず、表情には微塵の疲労も浮かんでいない。
だが――。
「はぁ……はぁ……っ」
列の中央付近から、苦しげな呼吸音が聞こえてくる。
そこには疲労困憊で今にも倒れそうなピエールの姿があった。
彼の華美な冒険者風の衣装は既に汗でぐっしょりと濡れ、自慢の金髪も額に張り付いている。
足取りは重く、一歩進むごとに地面を引きずるような音がする。
「ピエールさん、大丈夫ですか」
最近ようやく山歩きに慣れてきたメリアが心配そうに声をかける。
彼女自身も決して体力がある方ではないが、今はピエールのあまりの消耗ぶりに自分が支えなければという使命感で動いているようだ。
そして、ピエールの両脇を支えているのはアレッタとゼノだ。
二人の護衛役は主君の重みをしっかりと受け止めながら、険しい道を一歩ずつ確実に進んでいる。
ピエールは強がって笑おうとするが、その顔は蒼白で引きつった笑みしか浮かばない。
「フッ……まだまだいけるさ。行こう! 我が冒険に敗北の二文字はない!」
「アレッタとゼノに両肩を貸してもらってなけりゃ、かっこいい台詞なんだけどな」
スフィアの言う通り、台詞だけはかっこいい。
だが実態が伴っていなければ無謀なだけだ。
実際、ピエールはほぼ二人に担がれている状態。
自力で歩いているとは言い難い。
「後ろにもメリアさんのサポートがあるしね……」
ブルも苦笑する。
アレッタとゼノ両名の献身、更にメリアが背中を押すようにして支えているおかげで、かろうじて前進できている状態だ。
「このままでは力尽きるな。休憩を入れよう」
ラファエルが見るに見かねて提案する。
無理をして倒れられては、それこそ元も子もない。
「賛成だ。急ぐ道中でもないしね。無理は禁物だよ」
エルセインも同意し、足を止める。
「いや、足手まといになるわけには……」
ピエールが弱々しく抵抗しようとするが、スフィアが容赦なく切り捨てた。
「何言ってんだ。魔獣が出た時にヘロヘロじゃ話になんねーぞ」
「というか、山道に慣れてないなら言ってくれないと……。ペース配分とか考えるよ?」
ブルが優しく諭す。
「どのみち、そろそろ休憩を入れる予定だった。多少休憩ペースが速くなる程度で迷惑にはならないぞ」
「慣れている組にも疲労が溜まってきていたしね。実は私も少し疲れが出ていたところだ」
ラファエルが気遣い、エルセインもそれに乗じて自分も休みたいと主張する。
彼らはピエールのプライドを傷つけないよう、言葉を選んでいるようだ。
「よーし、きゅうけーい!」
スフィアの号令と共に一行は少し開けた平らな場所に腰を下ろした。
「まだ余裕ある俺とブルとラファエルで警戒しつつ、他全員は装備を緩めろ。特に靴は脱いで、あと足も揉んでおけよ。血行良くしとかねーと後で響くぞ」
スフィアが的確な指示を出す。
山歩きのベテランとしての知識だ。
装備を緩めて休息の姿勢をとる。
これは、生き残るために不可欠な技術だ。
『常在戦場』――常に戦場にある心持ちでいろ、というのは聞こえはいい。
だが、四六時中ずっと気を張り詰めていては肝心な時に糸が切れて倒れてしまう。
真に隙のない立ち回りとは隙を見せるべき時と、見せてはいけない時の配分を管理することにある。
生物のパフォーマンスには必ず波がある。
その「ブレ」をまず認めた上で、休息時には徹底して力を抜いて底まで落としてリラックスさせ、戦闘時には爆発的なパフォーマンスを発揮する。
それこそがペース配分というものだ。
スフィアは、その極意をこれまでの経験と天性の勘で理屈抜きに理解していた。
「ああ、それなら私が簡易結界を張ろう。若干の迷彩効果と防御性能付きだ。魔獣除けにもなるし安心して休めるだろう」
エルセインが杖を地面に突き立てる。
淡い光のドームが一行を包み込み、周囲の風景に溶け込むように気配を遮断した。
「魔術師がいるの助かるなあ。さんきゅー」
「これは警戒の必要もないかな? じゃあ僕も装備外そうっと」
スフィアが素直に礼を述べ、ブルも安心して重い鎧の一部を緩める。
アダマンタイトの鎧は強力だが、長時間着続けるのはやはり負担がかかるようだ。
結界の中は静かで、外の風の音も少し遠くに聞こえる。
ピエールはその場にへたり込み、荒い息を整えていた。
「はあ、ふう……不甲斐ない……」
彼は膝に手をつき、悔しそうに呟く。
馬車頼りで体力をつけていなかったことが口惜しいのだろう。
しかし、今更言っても仕方ないことだ。
「ピエールさん大丈夫ですか? 疲労回復薬飲みます?」
メリアが懐から小瓶を取り出し、ピエールに差し出す。
商業連合で仕入れた即効性のある回復薬だ。
「いただこう……すまないね」
ピエールは震える手で小瓶を受け取り、栓を抜いて一気に煽った。
喉が鳴る音が響く。
「……なあピエール、それ美味い?」
スフィアが興味深そうに尋ねる。
彼にとって「口に入れるもの」は、すべからく味の評価対象である。
ピエールは口に含んだ薬を飲みこんで、顔をしかめながら言った。
「マズゥイ……」
その表情は苦虫を噛み潰したどころか、苦虫の大群を口に含んだかのような凄まじいものだった。
王族がしていい顔ではない。
「マズイのかあ……」
スフィアは露骨にがっかりした顔をする。
「こういう薬って、美味しくできないものなのかな?」
「どうでしょう。美味しい薬ってあんまり聞かないんですけど。良薬口に苦し、と言いますし」
ブルが素朴な疑問を述べ、メリアも首を傾げる。
確かに、どうせ飲むなら美味しい方が良いに決まっている。
「ユグドの薬は美味かったけどな」
スフィアが以前ルミナからもらったユグドのジュースを思い出す。
あれは濃厚な甘みと酸味があり、極上の味わいだった。
それを聞いたエルセインが解説を始める。
「ああ、それならわかるよ。薬というものは原則的に、過度に美味しくしてはいけないんだ」
「そうなのか? 美味しい方が飲みやすいし売れると思うんだが」
ラファエルが不思議そうに尋ねる。
「嗜好品ならそれでいいが、薬だからね。一口で済むものを美味しいからとゴクゴク飲まれては困るだろう? 過剰摂取による副作用の危険もあるし、何よりいざという時に在庫がなくなってしまう」
「あー、確かにそれは困りますね。高価な薬だったら目も当てられません」
メリアが納得する。
子供が甘いシロップを飲み過ぎてしまうのと同じ理屈だ。
「だろう? なのでわざと不味く作る……ということまではせずとも、味の調整は行わないことが多い。素材の苦みや渋みをそのまま残すのが一般的さ。よほどひどくて飲めないものなら別だけどね」
「なるほどー。それでピエールさんの飲んだ薬は美味しくないんだね」
ブルが感心したように頷く。
「物凄くすっぱくて苦かった……舌が痺れるようだ……」
ピエールは涙目になりながら、水筒の水を飲んで口直しをしている。
味の調整が行われていない純粋な薬効成分の味は、飲み慣れていない王族の舌には刺激が強すぎたようだ。
「でも結構効くはずですよコレ。即効性は折り紙付きです」
メリアが励まし、ブルがふと思いついたように荷物を取り出す。
「口直しにこれ、どうかな?」
ブルが大きな荷袋をごそごそと漁り、何かを取り出す。
それは大人の握り拳二つ分ほどのサイズの茶色のパン。
「どんぐりパンだよ。この前の竜退治の時、エルセインさんと一緒に拾ったどんぐりを粉にして焼いてきたんだ」
「やあ、あの時のどんぐりか。仕事が早いね」
エルセインが嬉しそうに目を細める。
あの激戦の後で二人でのんびりと拾い集めた大量のどんぐりだ。
「宿の厨房を少し借りて、アク抜きして粉にしておいたんだ。保存も利くし、腹持ちもいいからね」
「どんぐり……?」
ピエールは恐る恐るパンを受け取ると、少しだけ千切って口に運んだ。
「……!」
独特の香ばしさと、どんぐり特有のコク。
噛みしめると、ほのかな苦みの後に小麦粉の甘みがじわりと広がっていく。
「おお……素朴だが、滋味深い……! 口の中に残っていた薬の嫌な味が木の実の香りで洗われていくようだ!」
ピエールが感動の声を上げる。
口の中がパンの味に塗り替えられていき、表情に生気が戻っていく。
「よかった。兄さんも食べる?」
「おう、もらうわ」
スフィアもパンを受け取り、ガブリとかじる。
「ん、うめえ。香ばしくていい匂いだ」
基本肉食のスフィアだが、穀物やこうした木の実系の味は嫌いではないらしい。
口をもごもごさせながら満足そうに頷いている。
「アク抜きが完璧だね。手間がかかっただろう?」
エルセインもパンを一口食べ、その丁寧な仕事ぶりを称賛する。
どんぐりはアク抜きを怠ると渋くて食べられたものではないが、このパンからは嫌な渋みは一切感じられない。
「えへへ、まあね。水に晒して、茹でて……大変だったけど、美味しくできてよかったよ」
ブルは照れくさそうに笑い、メリアやラファエル、アレッタたちにもパンを配っていく。
山の中での小休止にパンの素朴な香りが優しく漂う。
「しかしピエールも体力付けねえとなー。王様になるなら体力勝負なとこもあるだろ?」
「普段は馬車で移動してたから、長時間の徒歩は経験がないんです、ピエール様は」
「……俺たちは孤児院の依頼で山に入っていたから平気だがな。慣れの問題もあるだろう」
パンを食べながらのスフィアの指摘に、アレッタとゼノが主君を弁護する。
彼らは普段から足を使っているため、この程度の山道は苦にならない。
ちなみに、今回は山道が険しいため馬車はお留守番だ。
道幅はともかく、地面の隆起があり車輪に負担がかかってしまう。
スフィアが、以前見た豪華な馬車を思い出す。
「あの馬車すげえよな。ピエール号だったっけ」
「凄いですよね。似たようなの無いかゴーレム馬車買った時に探したんですけど、あのゴーレム馬車が限界でした。今思えば魔法国の最新技術でできた馬車だったんですね」
メリアも同意する。
彼女のゴーレム馬車も高級品だが、ピエール号の多機能ぶりには遠く及ばない。
「水の上も走れるもんね、あの馬車」
「しかも大容量ですもんねー。たくさんのメイドさんと執事さんが出てきたの見て、私とゼノも何事かと思いましたもん」
「最初に見た時は貴族の馬車は凄いと思ったが……魔法国の王子様の馬車なら納得だな」
ブルが商業連合での出来事を懐かしみ、アレッタとゼノも初めて見た時を思い出すように語る。
あの小さな車体から十数人が出てくる光景は、何度見ても圧巻だ。
わいわいと馬車の話をしているスフィアたち。
その会話を黙って聞いていたラファエルとエルセインの表情が、徐々に険しくなっていく。
ラファエルが信じられないといった顔で呟いた。
「……水の上を走る? 馬車がか?」
「不可能ではないね。水上歩行の魔法もあるし、人員の話は空間拡張魔法かな? 高度な魔法だが、魔法国の王族専用車両なら搭載されていてもおかしくはない」
エルセインが冷静に分析する。
理論上は可能だ。
だが、それを実用化し、馬車に組み込むコストと技術力を考えると魔法国メギストスの底力に戦慄せざるを得ない。
「おそらく車輪や馬具に恒久的な水上歩行の魔法を付与しているんだろう。流石に大国の馬車……」
「馬車が船に変形するの見た時は、なんだあの超技術はって思いましたもんね」
「ちょっと待ってくれ」
エルセインが感心しているところにメリアが何気なく爆弾を投下した。
冷静沈着な彼の仮面が音を立てて崩れ落ちる。
なにそれ。
「……船? 変形?」
ラファエルの思考も停止する。
馬車が、船に?
言葉の意味が理解できない。
馬車と船って違う乗り物では?
「凄かったよね。馬車の後方からジェット噴射が出て、海に向かって射出して」
ブルが身振り手振りで説明する。
そう、バシュゥゥゥン!!という勢いで海に飛び出して驚いたものだ。
馬車が。
「……射出?」
エルセインの声が裏返る。
馬車が空を飛んだということだろうか?
後方からジェット噴射が出て。
いやそんな馬鹿な話があるはずがない。
きっと。
「そこにメイドや執事たちのオーケストラだもんな。唖然としちまったよ」
スフィアが遠い目をする。
あの時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
BGM付きの変形シーンなど誰が予想できただろうか。
「あのオーケストラ、私たちがきっかけでやるようになったんですよ」
アレッタが少し恥ずかしそうに、しかし誇らしげに言う。
「変形中に暇そうにしていたから、音楽でもどうだとちょっと口に出したら皆ノリノリでな……不慣れながら作詞を手伝った」
「あれお前らが作詞したのかよ……『ロイヤル・チェンジ』とか……」
ゼノが照れくさそうに頭を掻く姿に、スフィアが呆れたようにツッコむ。
わいわいと楽しそうに馬車の話をしているスフィアたち。
しかし、それを聞いているラファエルとエルセインは宇宙を垣間見た猫のような顔になっていた。
理解の範疇を遥かに超えた情報量に頭の処理が追いつかないのだ。
「すまない。……馬車の話をしているんだよな?」
ラファエルが、確認するように恐る恐る尋ねる。
自分が知っている「馬車」という概念と、彼らが語っている「馬車」が、同じものを指しているとは思えない。
馬車は普通、船に変形しないし飛ばない。
――だよね?
「馬車の話をしてるんだけど?」
スフィアがきょとんとして答える。
「……魔法国の馬車は、変形するのかい?」
エルセインが助けを求めるようにブルを見る。
「してたんだよね……」
「してたんですよねえ……」
ブルが頷き、メリアもしみじみと同意する。
していたのである。
事実は小説よりも奇なり。
「そうか……していたのか……」
「……世界は広いな……」
エルセインとラファエルは虚空を見つめて呟いた。
王族として他国を調べていても、または三百年生きていても知らないことはまだまだあるらしい。
魔法国メギストスの技術力、恐るべし。
「休憩終わり! そろそろ行くぞ!」
スフィアが立ち上がり、パンパンと尻の砂を払う。
彼の号令で全員が装備を整え直す。
ピエールも回復薬の効果か、顔色がだいぶ良くなっていた。
「ああ、行こう。冒険の再開だ!」
ピエールは力強く立ち上がったが、その足はまだ少し震えている。
しかし、その目には再び冒険への情熱が宿っていた。
そして一行は再び、険しい山道へと足を踏み出すのだった――。




