温泉街イドラ冒険者ギルド
――次の日。
温泉街イドラにある冒険者ギルドの支部は、朝から嫌な熱気に包まれている。
といっても、それはたった一人の酔っぱらいのせいだ。
「おう! もっと酒とつまみよこせ! こんなんじゃ足りねえぞ!」
日の出ている早い時間からジョッキを煽り、大声で怒鳴る男が一人。
背丈は二メートル近くあり、全身を黒く鈍い光沢を放つ金属鎧で固めている。
いかにも強そうな風貌だが、その顔は赤く染まり目は据わっていた。
「ええっと、お客様……他のお客様のご迷惑になりますので……」
「ああ? 俺を誰だと思ってるんだ? 準三位冒険者の『鉄腕』ガルド様だぞォ!?」
若い店員が困り果てた顔で近づくが、男は聞く耳を持たない。
ガルドと名乗る男はテーブルをドンと叩いて威嚇する。
周囲の冒険者たちは関わり合いになりたくないといった様子で視線を逸らしたり、小声で悪態をついたりしていた。
「チッ……ガルドの野郎、調子に乗りやがって……」
「『鉄腕』ってのも自称だろが……」
彼らが小声になるのも無理はない。
ガルドは確かにこのギルドの中では位が高く、実力もある。
鉄を魔力で鍛えた『黒鉄』の鎧に身を包み、その怪力で魔獣を叩き伏せるスタイルは純粋な戦闘力としては評価されているのだ。
しかし、その人格は最悪の一言。
粗暴で短気、自己中心的。
気に入らない相手には容赦なく暴力を振るうため人望は皆無である。
更に彼には決定的な汚点があった。
「イドラに竜が出た時に真っ先に逃げやがって……」
一人の冒険者が吐き捨てるように言う。
そう、先日この街を襲った竜の騒動。
街中がパニックになり、ギルドが総力を挙げて討伐隊を編成しようとしたその時にガルドはいなかった。
「急用ができた」と言い残し、とある遠方の簡単な依頼を受けてさっさと街を出て行ってしまったのだ。
本人曰く「入れ違いだった」「俺がいれば竜など倒せた」と豪語しているが、彼が戻ってきたのは近隣の街で「竜が討伐された」という噂が流れてからだ。
誰がどう見ても危険から逃げ出し、安全を確認してから戻ってきたとしか思えないタイミング。
そのため周囲からの評価は地に落ちているのだが、本人はそれに気づいていない――あるいは気づかないふりをしている。
「なんだァ? 俺に文句があんのかよお前ら」
ガルドがぎろりと周囲を睨みつける。
「い、いや……」
「そんなに文句があるなら俺の目の前で言ってみろよ、なあ!」
そうやって目の前で言えば、顔面が原型を留めないほどボコボコにされる。
言わなければ延々と圧をかけられ、言えば重傷。
まさに歩く厄介事だ。
そんな時、ガルドの背中に誰かがぶつかった。
「あ?」
ガルドは勢いよく振り返り、相手を睨みつける。
機嫌の悪いところに飛んで火にいる夏の虫だ。
格好の八つ当たりの相手を見つけた猛犬のように、背後の相手に彼は牙をむく。
「おいコラ。この俺にぶつかっておいてなんだテメエは? 俺はこのギルド最強の冒険者、『鉄腕』の……」
そこまで言ってガルドの言葉が止まる。
彼が見上げた先にあったのは、自分よりも遥かに巨大な「壁」だった。
「あ、すいません」
ぶつかったのは、ブルだ。
三メートルを超える巨躯に、禍々しい漆黒のフルプレートアーマーを纏ったミノタウロス。
兜の奥からは、野太い声が申し訳なさそうに響く。
ガルドは身長二メートル近い大男だが、ブルの前では子供同然だ。
しかもブルが着ている鎧は、ただの黒い鎧ではない。
光を吸い込むような深淵の黒色をしており、鋭角的なスパイクが全身を覆っている。
その威圧感は地獄の番人か魔王軍の将軍かというレベルだ。
「ヒェッ……」
ガルドの喉から情けない音が漏れた。
本能が警鐘を鳴らしている。
これは勝てる相手ではないと。
そこに、ブルの足元からひょっこりと小さな影が現れた。
「どうしたブル。立ち止まって」
蒼い鎧を纏った小柄な猫獣人――スフィアだ。
彼は背中に純白の剣を背負い、不思議そうにブルを見上げている。
「あ、スフィア兄さん。いやこの人とぶつかっちゃって」
「よそ見してっからだろ。ちゃんと謝っとけよ」
「うん、ごめんなさい」
ブルが素直に頭を下げる。
その動作だけで風が起きそうなほどの迫力だ。
その時、周囲の冒険者たちがざわめき始めた。
「おい……あれ……」
「ブル……凶悪そうな鎧の牛獣人でブルっつったら……まさか『狂戦士』ブルズウルグス!?」
「じゃあ一緒にいる猫獣人は『肉喰らい』で『竜狩り』のスフィア!?」
冒険者たちの視線が畏怖と興奮に変わる。
「ここイドラで出た竜を倒したやつじゃねえか!」
「すげえ! 本物の二つ名持ち……しかも片方は複数二つ名持ちだ!」
この界隈では、二つ名は実力の証明だ。
一つ持っているだけでも一流の証だが、二つ以上持つということは、それだけ多方面で活躍し誰もが認める実績を残しているということ。
ほとんどの冒険者にとって彼らは英雄に等しい。
ガルドの顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
彼は目の前の牛獣人の鎧を凝視した。
一瞬、自分の「黒鉄」と同じかと思ったが、違う。
似た色だが材質の格が全く違う。
(な、なんだあの鎧は……!?)
ガルドの知識では素材の名前までは分からないが、長年鎧を着てきた経験が教えてくれる。
あの鎧はとてつもなく重く、そして硬い。
自分がもし着れば、その重量に耐え切れず数歩で潰れてしまうだろう。
それを、この牛獣人はまるで服のように軽々と着こなしている。
そして隣にいる猫獣人の蒼い鎧。
あれもまた、見たこともないような魔獣の素材で作られている。
水のような滑らかさと、鋼鉄以上の堅牢さを併せ持つだろう未知の素材。
(ヤバい……こいつら、本物だ……!)
ガルドは思わず冷や汗を流し、唾を飲み込む。
酔いなど一瞬で吹き飛んだ。
自分が「井の中の蛙」であることを、これ以上ないほど残酷な形で突きつけられた気分だ。
微動だにしないガルドに対し、ブルが心配そうに顔を覗き込む。
「あの……」
「い、いえ! こっちもぶつかってすいません……!」
ガルドは裏返った声で叫ぶと、深々と頭を下げる。
プライドも何もない。
ただ、この場から逃げ出したい一心での行動だ。
「あ、いえ。そっちもお話してたのにごめんなさい」
「いえ! なにも! 話も終わったとこだったんで……じゃ、失礼します! すいませんっした!」
ガルドは脱兎のごとくギルドから逃げ出した。
その後ろ姿は、かつて竜から逃げた時と同じくらい速かったという。
「なんだったんだろうな」
「さあ……急いでたのかな?」
スフィアとブルは顔を見合わせ、首を傾げる。
彼らは自分たちがどれほど恐れられているか、全く自覚がないのだ。
その後ろから、残りのメンバーがぞろぞろと入ってくる。
ラファエルは感心したように呟いた。
「やはりあの二人は凄腕だったな」
「今逃げた彼とは格が違うねえ」
エルセインがくっくと笑う。
ガルドの小物感を一瞬で見抜き、楽しんでいるようだ。
そこにピエールが大仰なポーズで入ってきた。
「おお! これがイドラのギルドか! 異国情緒だな!」
「ピエールさん目立ってます。声抑えて……」
メリアが慌てて注意する。
今日はいつもの執事やメイドたちは連れてきていない。
あくまで「一介の冒険者パーティー」として振る舞う予定なのだ。
「ほへえ……変わった内装……」
「やはりあの二人は凄いな……」
アレッタとゼノも、珍しそうにキョロキョロしながら入ってくる。
ギルド内の冒険者たちは、この奇妙な集団に釘付けになっていた。
「先頭の凄腕二人はわかるが、他は誰だ?」
「赤髪の剣士と白髪の魔術師は腕が立ちそうだが……」
「あの金髪の派手なのは? 貴族冒険者か?」
「金髪と一緒にいる銀髪の子可愛いな」
「後ろの二人は護衛か? それとも荷物持ちか?」
「『肉喰らい』と『狂戦士』が貴族冒険者の護衛? いや、対等に話してる?」
「護衛にしても、あんなに戦闘要員いるか……?」
冒険者たちは首をひねるばかりだ。
まさかこの集団の中にレナック王国の王子、宮廷魔術師長、魔法国メギストスの王子、そして怪物商会の令嬢が混じっているとは誰一人として想像もつかないだろう。
わかったら心臓が止まるレベルのVIP集団である。
受付カウンターでは若い女性職員がガチガチに緊張して待っていた。
有名な高位冒険者が二名、それも竜を倒したイドラの英雄が目の前にいるのだ。
「よ、ようこそイドラ冒険者ギルドへ。準二位スフィア様、第三位ブルズウルグス様。ご、ご依頼の選定でしょうか」
「いや、狩る相手はもう決めてる」
スフィアはビシッと指を立てた。
「『マッシュ・ボア』……いるよな?」
そう、彼らがこの街に来たばかりの時、ギルドの前で見かけた美味しそうな魔獣だ。
あの時はメリアに止められたが、今は違う。
竜は倒され、そして全ての制約――主に温泉に対するストレス――から解放され、自由に狩りができるのだ。
「は、はい。ございます。最近、非常に珍しい『王冠個体』が見つかったらしく狩猟依頼を出しておりました。報酬は肉の一部と金銭となっております」
「それだ。俺たちはその狩猟依頼を受けるぜ」
スフィアが即決する。
肉の一部が報酬というのは、彼にとって願ってもない条件だ。
本来、初めて訪れたギルドで高難易度の依頼を受けるには、本当に受注できるだけの実力があるか審査や手続きが必要だが、準二位と第三位という圧倒的な階級、そして竜討伐の実績がある彼らにはそんなものは不要だった。
ほとんどフリーパスで受注が決まる。
「了解いたしました。それでは……」
受付嬢が書類を取り出し、ペンを構える。
「こちらに、チーム名のご記名をどうぞ」
スフィアはきょとんとした顔をした。
「……なにそれ?」
「はい。イドラは山地ですので、基本活動範囲は視界の悪い山中となります。高位冒険者ならともかく、山慣れしていない者や低位冒険者が山中で単独活動を行うのは遭難や孤立のリスクが高く、何かあった時に仲間も呼べず死が見えますし……イドラの冒険者は基本はチームで活動し、ギルドもチーム単位での一括管理を行っているわけです」
「なるほど。この人数で動くなら一時的でもチームとして登録したほうが管理しやすいってことか」
ラファエルが納得して頷く。
軍隊の小隊編成のようなものだろう。
「はい。決めにくければこの場だけの仮名でも結構です」
受付嬢がフォローを入れる。
元々拠点にしているギルドではなかった制度だが、場所が変われば細かいルールが違うことはよくあることだ。
「じゃあ……」
スフィアが顎に手を当てて考え込む。
全員の視線が彼に集まる。
このメンバーを統率するリーダーとして、バシッと決めてくれるはずだ。
「『美味しいご飯を食べ隊』でいんじゃね?」
「却下」
ラファエルの即決で却下が決まった。
「それだと俺たちまで食いしん坊になってしまうだろう……」
「事実だろ?」
「否定はしないが、名前として締まらない」
「じゃあ他になんかあんのかよー」
スフィアが口を尖らせ、ラファエルが提案する。
「そうだな……『スフィアと楽しい仲間たち』とか」
「俺の名前をチーム名に使うな。それ『ラファエルと楽しい仲間たち』だと思ってみ? 嫌だろ?」
「……俺は嬉しいが」
ラファエルは真顔で答えた。
彼は王子ゆえに友達が少ないので、こういう名前に憧れがあるのかもしれない。
「……そう」
スフィアは少し引いた。
ひどい。
「『王国守護隊』はどうかな」
エルセインが穏やかに提案するが、ラファエルが渋る。
「なんだかレナック王国の直属部隊に聞こえるな。ピエール殿もいるのにそれはまずいだろう」
「俺は別に王国守ろうとかそういう気はねえんだよな……」
スフィアとしても不評なようだ。
その時、ブルが自信満々に素早く手を上げる。
「ハイ!」
「はいブルどうぞ」
ラファエルが指名し、ブルは元気な声で答えた。
「『†暗黒黒翼騎兵団†』!」
「却下」
スフィアが即答した。
ダメらしい。
「暗黒と黒翼で黒が被っているな……語呂が悪い」
「何故騎兵団? 誰も馬に乗っていないと思うが」
ラファエルは分析し、エルセインがもっともな指摘をする。
「かっこいいと思って……」
「……全員歩兵の騎兵団はダメじゃないか?」
エルセインのツッコミに、ブルは言い返せない。
騎兵とは騎獣に乗っているから騎兵なのだ。
「ふっ、ここは僕の出番かな?」
ピエールが本命とばかりに前に躍り出る。
「おお、なんか案ある?」
「『ロイヤル・クレセント・ゴッデス・レインボウ・シャイニング・クロステッド・ユニゾン……』」
「長すぎだろ。却下」
スフィアが最後まで聞かずに切り捨てた。
受付嬢の書類の記入欄に入りきらない。
全員が困り果ててアレッタとゼノを注視する。
常識人枠の彼らなら、まともな案を出してくれるはずだ。
――はずだ!
「え、私たちも提案するんですか……?」
アレッタが戸惑う。
雇われの身で、そんな重要なことを決めていいのか。
全員の視線を浴びながらアレッタは恐る恐る口を開いた。
「えっと……『灰猫狩猟団』ってのはどうでしょう……? スフィアさんが中心ですし」
ラファエルが感心する。
「おお、一番真っ当なのが出てきたな」
「悪くないね。シンプルで分かりやすい」
「ナイスだアレッタ! 流石だ!」
エルセインも同意し、ピエールも絶賛する。
だが、スフィアは腕を組んで唸った。
「悪くねえけど、もうちょいワンポイントねえかな。地味じゃね?」
「……では」
ゼノが少し考えて言った。
「『輝く灰猫狩猟団』でどうか」
「光らせんな! 俺を!」
スフィアが抗議する。
ブルとラファエルとエルセイン、そしてピエールとアレッタは輝くように光るスフィアを想像して思わず噴き出した。
議論は平行線をたどり、だんだん収拾がつかなくなってくる。
よって、一応この場のリーダーであるスフィアが提案した。
「こうなったらじゃんけんで決めようぜ。一発勝負な」
なるほど。
公平かつ迅速な解決策だ。
ラファエルが受けて立ち、ブルも気合を入れる。
「いいだろう、望むところだ」
「後から文句なしね」
「もう何でもいい気がするが……」
エルセインは苦笑するがピエールはそれに反論する。
「何を言う! かっこいいチーム名は士気に関わるぞ! 僕が勝ったら『シャイニング・ピエール団』とする!」
「負けられねえ……!」
スフィアがやる気を出した。
一応自分が大方針を出しているのに、団の名前がピエール名義になるのは思うところがあるらしい。
「……あ、私たちも参加ですか、そうですか」
「……煌めく星の、にしたほうがよかっただろうか」
アレッタも巻き込まれ、ゼノがまだ悩んでいる。
全員が集まって円陣を組んだ。
「最初はグー! じゃんけん……!」
熱い掛け声が響く。
その頃。
「あ、チーム名は『スフィア一行』って仮名でお願いします」
「了解しました。『スフィア一行』っと」
受付カウンターの端で、メリアがちゃっかりと受付を済ませていた。
当然、後からブーイングが起こったのだった。
こうして『スフィア一行』はマッシュ・ボアの王冠個体を求めて温泉街イドラ近隣の山中へと足を踏み入れることとなる。
ピエールの冒険者としての最後の舞台が、今幕を開ける――。
どうでもいい話ですが、じゃんけんで勝ったのはブルでした。




