眠れる竜の娘
スフィアの力強い言葉にピエールが涙ぐむのと同時に、ラファエルがため息を吐く。
そしてスフィアは同意を求めるように、隣のラファエルを見た。
「いいだろ、ラファエル」
ラファエルは呆れたように、しかしどこか嬉しそうに頭をガシガシと掻く。
「ダメと言ってもやるんだろう? 短い付き合いだがわかる。お前はそういうやつだ」
「まーな」
スフィアは悪びれもせずに胸を張る。
ラファエルは立ち上がり、ピエールに向き直った。
「俺とエルセインも行くぞ。地雷をそのままにしておけるか。お前たちが暴走して怪我でもされたら、それこそ大問題だ」
「ラファエル王子……」
「ラファエルでいいさ。王子呼びを他に聞かれてもまずいしな。それに……」
ラファエルはスフィアの方を向き、少し気まずそうに視線を逸らした。
「そういやお前も王子だったんだよな……」
スフィアが改めて確認するように言う。
さっきの衝撃的な再会でさらっと流されていたが、こいつも王子なのだ。
「そうだな、この際だ。俺も白状しておこう」
ラファエルは姿勢を正し、スフィアとブル、そしてメリアに向かって頭を下げた。
「騙していたわけではないんだが、身分を隠していた。俺はレナック王国王子、ラファエル・バルド・レナックだ」
「マジかよ」
「すごいね……」
「なんとなくそんな気はしてましたけどね」
三者三様の反応だ。
スフィアは純粋に驚き、ブルは感心し、メリアは「やっぱり」という顔をしている。
彼の立ち振る舞いや装備の質、そしてエルセインという付き添いの存在から、ただの冒険者ではないことは薄々勘付いていたようだ。
「まあその、なんだ。人為的な竜害があっただろう? あの組織の調査というか……機密なんで詳しく話せないが、そういう任務で動いていたんだ。すまん」
ラファエルは申し訳なさそうに謝罪する。
国を守るための極秘任務。
それを一般人にペラペラと話すわけにはいかなかった事情はスフィアにも理解できる。
「オッケー。秘密任務で身分隠してたんだな。そんなら仕方ねえさ」
スフィアはあっさりと許した。
彼にとって重要なのは「ラファエルが良い奴かどうか」であって、肩書きや隠し事の有無ではない。
一緒に風呂に入り、卓球で汗を流し、同じ釜の飯を食った。
その事実があれば十分なのだ。
「……ありがとう」
ラファエルは安堵の笑みを浮かべる。
「というわけで、俺たちも同行する。なんとしても無事に帰国していただくためにな」
「ふふ、心強いよ」
ピエールもまた、晴れやかな笑顔を取り戻していた。
最後の冒険。
最高の仲間たち。
これ以上のフィナーレはないだろう。
部屋の空気が、湿っぽいものから熱気を帯びたものへと変わっていく。
メイドや執事たちも主人の決断を支持するように力強く頷き合っている。
そんな中、それまでのんびりとお茶とお菓子を楽しんでいたブルが、ふと口を開く。
「でもすごいねー」
彼は最後の一つのお菓子を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼しながら言った。
「物凄い上流階級的な人が、ここに四人もいるなんて」
「……四人?」
ラファエルが反応する。
彼は周囲を見渡し、指折り数え始めた。
「王子の俺、同じく王子のピエール王子、あと……ああ、宮廷魔術師長のエルセインか。これで三人だ」
「三人しかいないように見えるが」
ピエールも首を傾げる。
アレッタやゼノは平民だし、スフィアとブルも違う。
メリアは金にがめついだけの冒険者。
あと一人はどこにいるというのか。
ブルはきょとんとした顔で、メリアの方を指差した。
「こちらのメリアさんも実家がお金持ちなんですよ。マーガレット商会っていうんですけど、そこの娘さんで」
アレッタとゼノに貴族のあしらい方を講義していたエルセインが、ブルの言葉に顔を上げた。
「ん、マーガレット商会? 確か……商業連合で今、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長している、あの新興商会だね?」
宮廷魔術師長として国内外の情勢に明るいエルセインの耳にも、その名は届いている。
短期間で莫大な利益を上げ、いくつもの交易ルートを開拓しつつある注目の商会だ。
「おお、商業連合にいた時に聞いたな! 僕が外遊に出る少し前くらいから噂になっていた! なかなか有名どころのお嬢さんだったとは!」
「なんでこんなところにそんな商会の娘さんがいるんだ……?」
ピエールも膝を叩いて驚き、ラファエルが困惑の表情を浮かべる。
優秀な新興商会の令嬢がなぜ護衛もつけずに第六位の冒険者として活動しているのか。
理解が追いつかない。
場がわいわいと騒がしくなってきたところに、スフィアが何気なく爆弾を投下した。
「マーガレット商会の前は、グランディア商会っていうんだっけ? お前んち」
「ええまあ」
メリアが菓子をかじりながら、事も無げに肯定する。
その瞬間、誰かが息を呑む音が聞こえた。
そして沈黙が部屋を支配する。
室内に控えている、普段は鉄面皮で感情を表に出さないプロフェッショナルなメイドや執事たちさえ一斉に目を見開き、口を半開きにしてぎょっとした顔をしている。
スフィアとブルが、互いに顔を見合わせて首を傾げる。
「ん? なんだ?」
「みんな固まっちゃったよ?」
次の瞬間、皆の絶叫が響き渡った。
「「「「なにィィィィィッ!?」」」」
まず立ち上がったのはエルセインだ。
普段の冷静沈着な賢者の姿はどこへやら、彼は立ち上がってメリアを凝視している。
「かつて商業連合のトップ……『三大商会』の一角と呼ばれながら、一夜にして謎の崩壊を遂げた、あのグランディア商会か!?」
グランディア商会。
圧倒的な資金力とコネクション、そして先見の明で商業連合の頂点に君臨していた怪物商会。
それが突如として破産し、消滅した事件は各国の経済界を揺るがしたのだ。
エルセインが頭を抱える。
「ということは、マーガレット商会はグランディア商会の後継だったのか!? その情報が流れたら市場がひっくり返るぞ!!」
「いえ、別にひっくり返ることはないと思いますが」
メリアの冷静な言葉はピエールの言葉にかき消される。
「ちょっと待ってくれ! 世間知らずの僕でも知っているぞ!? メリア君がそこのご令嬢!? 初耳なんだが!?」
「なんでそんなところのご令嬢がこんなところで冒険者やっているんだ!? おかしいだろうどう考えても!! 地雷がまた増えた気分だ!!」
ピエールも目玉が飛び出るほど驚き、ラファエルが叫ぶ。
――王侯貴族の彼らが何故これほどまでに狼狽しているのか、その理由を説明せねばなるまい。
巨大商会、つまり強大な経済力というのは、ともすれば一国の国力を上回る場合があるのだ。
この世界には、こんな逸話がある。
とある国の話だ。
ある時、その国は野心溢れる二つの国に同時に攻め入られ国家存亡の危機に瀕した。
兵力差は歴然、敗北は必至。
追い詰められたその国の王は、最後の手段としてその国を拠点としていたある強大な商会に助けを求めた。
拠点にしている国の危機、すなわち商圏の喪失を危惧した大商会は重い腰を上げ――本気を出した。
出しすぎるほどに、出したのだ。
圧倒的な財力によって、矢一本、パン一つ尽きることのない無尽蔵の兵站を。
圧倒的な財力によって、各地から集められた精強かつ信頼性の高い最高の傭兵団を。
圧倒的な財力によって、当時最新鋭の魔法兵器と最高級の装備を。
一方的な蹂躙になると思われたその戦争は、攻め入られたはずの国が圧倒的戦力で反撃し、逆に二国を併呑するという歴史に残る一方的な結果で終わった。
そう、『圧倒的財力』は『圧倒的兵力』を抱えるに等しいのである。
このことから強大な商会は時に、危機に瀕した際に目覚める『眠れる竜』とも呼ばれ、貴族や王族でさえも無視できない、あるいは下手に刺激してはならない強大な勢力として扱われることがあるのだ。
商業連合が他の国から独立し、独自の地位を保っているのはそのためだ。
彼らは自分たちが脅かされれば即座に反撃し、骨まで売り物としてしゃぶりつくすだろう。
なお実際にしゃぶりつくされた国が過去あったらしい。
その連合のトップの一角をかつて担っていたとなれば、どれだけヤバいかが伝わるだろうか。
落ち目になったとしてもトップの手腕は健在であり、伝手も残っている。
今のマーガレット商会はいわば『深い手傷を負って名を変えて埋伏中の竜』というわけだ。
エルセインやラファエル、ピエールといった国の中枢にいる者たちが、かの怪物商会の令嬢という存在に戦慄したのは、まさに彼女の背後にその竜の影を見たからに他ならない。
王子が二人いて、宮廷魔術師長がいて、さらに怪物商会の令嬢がいる。
この部屋の人口密度に対する重要人物の比率がおかしすぎる。
地雷原どころか火薬庫の中でキャンプファイヤーをしているようなものだ。
ヤバいかヤバくないかで言えば死ぬほどヤバい。
「私たちでも知ってるんですが!? 超有名どころじゃないですか!!」
「俺は何度も支店に行ったことあるぞ!! 品揃えが良くて愛用してたんだ! いきなりなくなって驚いたんだが……まさか、そこの娘さんが!?」
アレッタが悲鳴を上げ、ゼノも普段の冷静さを失っている。
一般庶民である彼女たちにとってもグランディア商会は雲の上の存在だったらしい。
部屋中が阿鼻叫喚の渦に包まれる中、スフィアとブルだけが、のんびりとメリアと話していた。
「……お前んちって、思ったよりすごかったのか?」
スフィアが素朴な疑問を口にする。
彼の中では「メリアの実家=ちょっと金持ちの商人」くらいの認識だったのだが、周囲の反応を見る限り、どうやら認識を改める必要がありそうだ。
メリアは、騒ぎ立てるラファエルたちを眺めながら、満足そうに頷いた。
「うーん、まあ……でもこれなんですよねえ。最初に会った時に、私がスフィアさんたちに期待したリアクション」
そう、かつて彼女がグランディア商会の名を出した時にスフィアとブルが「知らん」と一蹴した時である。
「知らないって言われて、結構ショックでしたからねえ」
「田舎者でなんかごめんなさい」
ブルが申し訳なさそうに謝る。
「まあ、今となってはどうでもいいことですけどね」
メリアはからっと笑った。
実家の威光など関係なく自分自身を見てくれる仲間たち。
それが今の彼女にとって、何よりも価値のある財産なのだから。
そして。
阿鼻叫喚が収まり、全員が正気を取り戻すまでには、まだしばらくの時間が必要だった――。
たぶん今回の話を踏まえても「大商会って言ってもどう凄いのかピンと来ない」という人が多数だと思います。
ファンタジー作品の商人って基本あんまり強くないですからね。
まあ、おいおいね?




