ピエールの話②
『龍泉閣』の最上級スイートルーム。
その一角でエルセインによる即席の「対貴族講義」が始まっていた。
アレッタとゼノは正座し、メモを取る勢いでエルセインの話に聞き入っている。
彼らにとって、これは今後の人生を左右する命綱のような講義だ。
エルセインは指を一本立てて貴族の常套手段を解説する。
「さて、君たちを利用しようと考えた場合、まず出てくる手は『後ろ盾になってあげよう』だね。あるいは『養子縁組』のパターンもあるが、どちらであっても断るように」
「何故です? 良い話なんじゃ……」
アレッタが不思議そうに尋ねる。
孤児で後ろ盾のない自分たちにとって、有力な貴族がバックについてくれるというのは一見すれば渡りに船の良縁に思える。
だが、エルセインは冷ややかに笑って首を横に振った。
「この場合の『後ろ盾』とは『人形師の人形になれ』と同義だよ」
「人形……ですか」
「そう。自分の言いなりになる人形が欲しいだけさ。甘い言葉で取り入り、君たちを恩義や契約で縛り付け、ピエール王子の動向を探らせたり、あるいは意のままに操ろうとするだろうね。『良い思いをさせてやるから王子を裏切れ』と言い換えるとわかりやすいかな」
「……そんなことはできない」
ゼノが即座に否定する。
彼らにとってピエールは恩人であり、敬愛する主君だ。
裏切るなど論外である。
「そうだろう。なのでこの場合は断る一択だ。だが……貴族相手にただ断ったら断ったで『無礼だ』と難癖を付けられて敵視されるだろうね」
「どうしようもないじゃないですか……」
アレッタが頭を抱える。
受ければ裏切り、断れば敵視。
まさに八方塞がりだ。
「大丈夫だ。解決策はある」
だが、そんなアレッタをエルセインは穏やかに諭す。
「君たちはピエール王子と親しい。つまりこの場合、既に『王子が後ろ盾になっている』という事だ。だから、こう答えると良い」
そしてエルセインは模範解答を口にする。
「『大変ありがたいお話ですが、自分一人では決められません。良いお話ですので、主人であるピエール王子にお伺いを立てます』とね」
「……どうなるので?」
ゼノが首を傾げる。
ただ王子に相談すると言っただけだが、それで解決するのだろうか。
「ピエール王子に隠れてこそこそ接触してくるのは、王子に知られたくないからだ。この返答は、貴族語で翻訳すれば『お前のことを王子にバラすぞ』という意味になる。王子に対して何かしら含みがあるやましい者は、それだけで逃げるだろうね」
「へえー」
アレッタが感心したように声を上げる。
断るのではなく、上に相談するという姿勢を見せることが最大の防御になるわけだ。
「逆に、王子に対しても堂々とそう言ってくる貴族は王子と親しく、友好的で敵意もない貴族だろう。その場合は王子と相談してどうするか決めると良い」
「……何故、言いつけると脅しただけで逃げるんだろう。その程度で逃げるものなのか?」
ゼノが素朴な疑問を口にする。
貴族ならばもっと強硬な手段に出たり、口八丁で言いくるめたりしそうなものだが。
「貴族はプライドが高いからね」
エルセインは苦笑交じりに解説する。
「加えて、彼らは平民は頭が悪く騙しやすいと高をくくっている。なので『貴族である自分の言う事に従うだろう』とか、『よく考えず喜んで受けるだろう』とか、あるいは『プライドがあるなら主人に言いつけるような真似はしないだろう』と勝手に考えているのさ」
彼らにとって平民とは教養がなく、目先の利益に飛びつく浅はかな存在だという偏見がある。
だからこそ「王子に相談して判断を仰ぐ」という理性的かつまっとうな対応をされると想定が崩れて狼狽するのだ。
「……その、貴族って思ったよりアホなんでしょうか」
アレッタが恐る恐る本音を漏らした。
「一部はそうだね。だがそうじゃないのもいるから油断は禁物だ。次はもっと具体的に、難癖をつけられた時の対処法といこうか――」
そうやって、エルセインの講義は続いていく。
それは、これから魔法国という伏魔殿に足を踏み入れる二人の若者にとって何よりも得難い武器となる知識であった。
その講義と同じ空間。
異国情緒あふれる空間でスフィアは渋い緑色の湯呑を両手で包み込むように持ち、猫舌らしくフーフーと息を吹きかけてから、ちびちびと茶を啜った。
「ん、うめえ」
適温になった茶が喉を通り、胃の腑を温める。
スフィアは満足げに息を吐くと、コトリと湯呑をテーブルに置いた。
「ほんで、だ」
スフィアが切り出す。
その金色の瞳は、真っ直ぐにピエールを見据えていた。
「この国に来た理由と、冒険者になった理由は分かった。ガキの頃からの夢だったんだろ? それはいい。だが、お前がさっき廊下で元気なかった理由がまだだぜ? 何があったんだ?」
「そうだね。あまり吹聴することではないので、ここだけの話にしてほしい」
ピエールはそう言ってラファエルを見る。
そして、その視線に対してラファエルは腕を組み、重々しく頷く。
「今からの会話は他言無用」と、そういうことだ。
ピエールは深く息を吸い込み、意を決したように口を開いた。
「……父が、倒れたんだ」
「なに……!?」
思わぬ情報にラファエルが身を乗り出す。
「メギストスの現国王が、か!?」
「ああ」
ピエールが力なく肯定し、スフィアが首を傾げながら、しかし事の重大さを肌で感じ取ったように低い声で尋ねる。
「俺はよくわかんねーけどよ。大国の王様が倒れたらやべーんじゃねえのか」
「ああ、かなりヤバいな」
ラファエルが即答した。
その表情は険しく、既に最悪の状況を想定している。
「メギストスは魔法技術の最先端を行く大国だ。その王が倒れたとなれば国内の貴族派閥の争いはもちろん、近隣の諸国もどう動くかわからない。隙ありと見て侵攻を企てる国も出るだろうし、同盟関係の見直しを迫られる可能性もある。この情報が下手に流れれば、戦争が起きかねないほどヤバい」
「戦争……」
スフィアの毛が逆立つ。
彼の想像していた「ヤバい」を遥かに超えるスケールの話だった。
王の体調一つで多くの血が流れる可能性がある。
それが国というものの重さなのだ。
室内の空気が凍りついたように張り詰める。
だが、その重苦しい空気を払拭するようにピエールが手を振った。
「安心してほしい。ひとまず命に別状はないそうだ。過労と心労が重なったことによる一時的な発作のようなもので、現在は容体も安定している。少なくとも、父が死んでどうこうという話にはならないよ」
「っ……それはよかった」
ラファエルが心底安堵したように息を吐き、ソファの背もたれに身体を預ける。
最悪の事態、つまり崩御による権力空白と混乱は免れたようだ。
スフィアも脱力し、再び湯呑に手を伸ばす。
「そりゃよかったけどよ、そんなことがあったら国に戻らないといけなくね?」
「まさにそれだよ、スフィア君」
ピエールの声が再び沈む。
彼は膝の上で拳を握りしめ、悔しさを滲ませるように俯いた。
「外遊期間は本来一年だった。だが、父が倒れたことで状況が変わった。王族として父の補佐や派閥の抑え込みに動かねばならない。本来あと二ヶ月ほどあったはずの自由な時間は……ここで終わりだ」
ピエールは顔を上げ、寂しげな笑みを浮かべる。
「僕は国に戻らないといけない。冒険者生活という、僕がずっと夢見ていた時間は……もう終わるんだ」
「……」
誰も言葉を発せなかった。
そこには抗いようのない義務と宿命の重さがあったからだ。
「国に戻れば、次期王としての本格的な教育と公務が待っている。それを投げ出すわけにはいかない。王族として生まれた以上、覚悟はできていたつもりだったんだけどね……」
ピエールは天井を見上げる。
その瞳には外遊期間にあった冒険の記憶が映っているようだ。
「あまりに唐突で少し落ち込んでしまったんだよ。まだ、やりたいことはたくさんあったのに」
「ピエール……」
スフィアの脳裏に、楽しげに冒険者として生活する賑やかなピエールの姿がよぎる。
黒鉄牛に勇敢に挑んでは転がされ、馬鹿げた変形馬車を自慢し、釣り針の虫に悲鳴を上げ、それでも仲間と共に笑い合っていた、あのイキイキとした姿。
それが、国に帰れば王族という仮面の下に封じ込められてしまうのだろう。
「冒険者登録も消してもらわないといけないな……」
ピエールは懐から厚手のカードを取り出した。
第六位冒険者の証。
彼が身分を隠し、冒険者として活動した記録だ。
「王族が冒険者のままではまずいだろうしね。せめて見習い扱いの第六位から、一人前の冒険者である準五位に上がりたかったが……贅沢だな、これは」
ピエールはプレートを愛おしそうに指でなぞり、自嘲気味に笑った。
その笑顔はあまりにも寂しく、そして諦めに満ちていた。
その時。
スフィアが勢いよくソファから立ち上がった。
「まだだぜ、ピエール。お前の冒険者生活はまだ終わってねえ」
「え?」
ピエールが驚いて顔を上げる。
スフィアは仁王立ちになり、腰に手を当てて不敵に笑っていた。
その金色の瞳には、諦めの色など微塵もない。
むしろ、これから悪巧みをする子供のような、強い光が宿っている。
「ピエール。まだもうちょい時間はあるよな? お前の父ちゃんが倒れたっつっても命に別状ねーんだ。すぐに帰らないと国が滅ぶってわけじゃねーんだろ? 数日……そうだな、二、三日帰国を遅らせても大丈夫だろ?」
「それは……」
ピエールは少し考え込み、頷いた。
「確かに緊急の呼び戻し命令が来たわけではない。父の容態の連絡から僕の判断で急遽帰国を決めただけだ。数日程度なら準備や移動の手配という名目で言い訳は立つが……」
「なら決まりだ!」
スフィアはビシッとピエールを指差した。
「大物を狩ろう」
「えっ」
「冒険者として……『冒険者ピエール』の、最後の冒険に行こうぜ」
スフィアの提案に、その場にいた全員が息を呑む。
この状況で、さらに冒険をするというのか。
「これからお前は王様になるんだろ? だったら、一生分の自慢話になるような、でっかい思い出を作ってから帰れよ」
スフィアはニカっと歯を見せて笑った。
「……これから大変なお前の人生に、友達として最高の冒険の思い出を贈らせてくれ」
その言葉は、どんな高価な宝飾品よりもピエールの胸に深く突き刺さった。
王族としての責務、将来への不安、夢が終わる悲しみ。
それら全てを吹き飛ばすような温かく、力強い提案。
「スフィア君……」
ピエールの目元が潤む。
彼は友人の顔を直視できず、袖で目元を拭うのであった――。




