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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第八話 最後の冒険の思い出

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タッキュー①

「ガアアアアアアッ!!」


宿の遊戯室に、魔獣の咆哮にも似た野太い雄叫びが轟く。


狭い室内の空気が震え、床板がミシミシと悲鳴を上げた。

その発生源は、巨漢の牛獣人ブルである。


彼は両の手にそれぞれ一本ずつ、木製のラケットを握りしめていた。

通常であれば片手で持つべき遊戯道具を、あろうことか双剣の如く構えているのだ。


ブンッ!!


丸太のような腕が振るわれるたび、ラケットが風を切り裂く音が鋭く響く。

放たれた球はもはや球体としての残像を留めておらず、白い弾丸となって空間を抉り進む。


「シャアッ!!」


対するは小柄な猫獣人スフィア。

彼は卓球台の上に身を乗り出し、獣特有の柔軟性を極限まで発揮していた。


その手には右手に一本、左手に一本。

そしてなんと、長くしなやかな尻尾の先にもう一本のラケットを巻き付けるように保持している。


計三本のラケットが風車のように回転しながらブルの放つ剛球を迎え撃つ。


カァン! カンッ! ガギン!


木と球が衝突する音とは思えない、硬質な打撃音が連続して室内に木霊する。


これは遊戯ではない。

死闘である。


「実況は私、メリアがお送りしております! さあご覧くださいこの攻防! 両者ともに一歩も譲らない! 温泉宿の夜に、なんという激しい勝負が繰り広げられているのでしょうか!」


卓球台の横ではメリアがラケットの柄を握り拳ごとかざし、拡声の魔道具に見立てて熱く叫んでいる。

その表情は真剣そのものであり、完全に場の空気に飲まれていた。


「見事な応酬だ」


そしてメリアの隣で同じくラケットの柄を口元に寄せ、冷静かつ的確な口調で解説を加える男がいた。

赤髪の青年、ラファエルである。


「ブルのパワーは岩をも砕く威力があるが、大振りになりがちだ。対するスフィアは、そのパワーを正面から受け止めずに三本のラケットを巧みに使って威力を分散させ、回転を加えていなして返している! まさに剛と柔の激突!」


「…………」


そのカオスな光景を宮廷魔術師長エルセインは部屋の壁際にある長椅子に座り、どこまでも遠い目をして眺めていた。


彼の知る「卓球」というスポーツは、もっとこう、紳士的で優雅なものだったはずだ。

少なくとも咆哮を上げたり、尻尾でラケットを振るったりするものではなかったはずである。


「どうしてこうなった……」


エルセインの呟きは、熱気に包まれた室内にかき消された。


事態の起こりは、十分ほど前に遡る――。



◆◆◆◆



『龍泉閣』の長い渡り廊下を、五つの影がのんびりと歩いていた。


窓の外はすっかり夜の帳が下り、温泉街の灯りが星空の下で幻想的に揺らめいている。

腹を満たした幸福感と、湯上がりの心地よい気だるさが一行の足取りをゆっくりとさせていた。


「いやあ、最高だったな」


「うん、最高だった……」


スフィアがポンポンに膨らんだ自分のお腹をさすりながら満足げにケフー、と息を吐く。


隣を歩くブルもまた、夢見心地で同意する。

しかしその視線は虚空を彷徨っており、頬は緩みきっていた。


「同じ言葉なのに、全く意味合いが違って聞こえるな……」


ラファエルが苦笑しながら、その対照的な二人を見比べる。


満たされた欲望のベクトルこそ違うが、彼らが至福の時を過ごしたことだけは確かである。


一行が廊下の角を曲がろうとした時、先頭を歩いていたメリアが足を止めた。


「あ、この先に『遊戯室』があるようですよ」


彼女が指差した先には壁に掲げられた館内案内図があった。

そこには『旅の夜長に 遊戯室』という文字と共に、いくつかの遊具の絵が描かれている。


「ふむ、ちょっと寄ってみようか。腹ごなしに少し身体を動かすのも悪くない」


エルセインの提案に、誰も異論はなかった。

満腹のまま寝てしまうにはまだ早い時間だし、興奮冷めやらぬ身体を持て余していたのも事実だ。


五人は案内図に従って廊下を進み、開け放たれた障子の向こうに広がる遊戯室へと足を踏み入れる。


そこは畳敷きの広間になっており、壁際には木製のゲームの盤――将棋や囲碁だ――が積まれ、中央には見慣れない台が置かれている。

深緑色の天板に、中央を仕切るように張られた低い網。


「ん? この台はなんだ?」


ラファエルが不思議そうに台に近づき、天板をコンコンと叩く。

木製のしっかりとした作りだが、食事をするには中央の網が邪魔だし書き物机にしては高すぎる。


「ああ、これは知っている。『卓球』というテーブルスポーツを行うための台だね」


エルセインが台に手を触れながら解説する。

長き時を生きる彼にとって、知識の収集は娯楽の一つだ。

魔法知識ほどではないが、娯楽知識もそれなりに押さえている。


「たっきゅう?」


メリアが聞き慣れない単語を口の中で転がす。


「そう。ラケットと呼ばれる木の板で小さな軽い球を打ち合い、敵陣の台の上に落とせば点数になるスポーツだね。反射神経と動体視力が問われるが、基本的には紳士淑女が食後の運動として楽しむようなものだよ」


エルセインが近くの棚からコルクが貼られたラケットと、白い小さな球を取り出して見せる。


その説明を聞いてスフィアの目が懐かしげに細まる。


「『タッキュー』かあ。懐かしいな」


「え、スフィアさん知ってるんですか?」


メリアが驚いて振り返る。

辺境の村出身の彼らが紳士淑女の運動とやらを知っているとは思わなかった。


「おう。なんか近くの街の変な店で、この台を買った物好きがいてさ。遊び方を調べて村に広めたやつがいたんだよ」


スフィアが懐かしそうに語る。

娯楽の少ない辺境の村において新しい遊び道具の登場は一大イベントだったのだ。


「村の数少ない娯楽だったよね。『タッキュー』」


ブルもしみじみと頷く。


スフィアはラケットを手に取り、その感触を確かめるように軽く振った。

そしてニヤリと不敵な笑みを浮かべてブルを見上げる。


「久々にやるか? 腹ごなしによ」


その挑発的な視線を受けて、ブルの表情が一変した。

先ほどまでのデレデレとした締まりのない顔が引き締まり、戦士の顔つきになる。

鼻からフンスッ! と荒い息を噴き出した。


「いいね。負けないよ?」


「面白え」


二人の間に、バチバチと火花が散るような緊張感が走る。

ただの遊戯の誘いのはずだが、なぜか決闘の申し込みのような空気が漂い始めた。


ブルは棚からもう一本ラケットを取り出し、両手に一本ずつ握りしめる。


「僕の『剛力二刀流』――その力強さを久々に見せる時だ」


「へっ、言ってろ」


スフィアもまた、棚から追加のラケットを二本掴み取る。

一本を左手に、そしてもう一本を右手に、更にもう一本を器用に動く長い尻尾の先で巻き取るように保持した。


「『無双猫三刀流』――どこからでもかかってこいや」


「……ちょっと待ってくれないか」


エルセインが困惑した顔で二人の間に割って入った。

彼の知る卓球とは明らかに前提条件が異なっている。


「なに?」


スフィアが心外そうにエルセインを見る。


「その剛力なんとかや、無双猫なんとか、とはなんだい? ラケットは一本で持つものだし、尻尾で持つものではないと思うのだが」


「なにって『タッキュー』の流派ですが」


ブルが、さも当然の常識であるかのように答える。


「流派」


エルセインがオウム返しに呟く。

卓球に流派?


スフィアがラケットの先端をブルに向けながら言い放つ。


「『タッキュー』なんだから、それぞれ独自の流派があるのは当たり前だろ? 自分の身体的特徴を活かして、いかに相手をねじ伏せるかって競技じゃん」


ラファエルが、納得したようにポンと手を打った。


「なるほど、剣術のようなものか。プレイヤーごとに独自の型や戦い方があると。武器のリーチや膂力に合わせてスタイルを変えるのは、武術の基本だからな」


「私も初めて拝見しましたが、剣術に近いスポーツなんですね。奥が深そうです」


メリアも感心したように頷いている。


「なにそれ知らない……」


エルセインだけが、ジェネレーションギャップならぬカルチャーギャップに頭を抱えていた。

彼の知る卓球は、もっと平和的にラリーを楽しむものだったはずだ。

いつから武術に進化したのか。


「村でもいろいろな流派があったよね。『流派未確刀』とか、あと『芋天一流』とか」


「幼馴染の使ってた『流派中央不敗』には苦戦させられたぜ……」


スフィアとブルが村での激闘の日々を語り合う。


彼らの村は多種多様な獣人が暮らす場所だった。

腕力に優れた者、俊敏な者、尻尾を持つ者、角を持つ者。


人間の規格で作られた普通のラケットの使い方が彼らの性に合うはずもなく、それぞれの種族が己の肉体を最大限に活かす独自のスタイルを編み出していったのだ。


その結果、彼らの村で広まったのが『タッキュー』。

一般的な『卓球』とは似て非なる、異種格闘技戦ごとき球技へと変異を遂げていたのである。


「そ、そうか……」


スフィアたちの会話を聞きながら、エルセインは遠い目をした。

もはやツッコむ気力も失せている。


「さあ、いくよ!」


ブルが叫ぶ。

彼は左手のラケットに球を乗せ、高く放り投げた。


その瞬間、彼の両腕の筋肉が隆起する。

右手のラケットと左手のラケットを重ね合わせ、一枚の巨大な厚い板のように構えた。


「パワーッ!!」


重ねたラケットで、落下してきた球を全力でひっぱたく。


ドォン!!


空気が破裂するような音が響いた。

普通の卓球では絶対に出ない速度と重さを纏った球が、スフィアのコートへと一直線に突き刺さる。


だが、スフィアは動じない。


「甘い!」


彼は身体を低く沈めると、尻尾に持ったラケットを鞭のように振るった。


バシィッ!


尻尾のラケットが球の側面を捉え、その強烈な威力を受け流すように軌道を逸らす。

速度は落ちたが、回転がかかって不規則に変化する球を、今度は左手のラケットですくい上げ、右手のラケットで強烈に打ち返した。


「オラァッ!」


この間、わずか一秒の攻防。


パワーのブルと、技量のスフィア。

二人の間で、目にも留まらぬ速さで球が行き交う。


「あーっと! 凄まじい攻防だ! 目で追うのがやっとです!」


メリアが興奮して叫ぶ。

彼女は近くにあった予備のラケットを手に取り、逆さにして柄の部分を拡声の魔道具のように扱い、実況を始めた。

商人として培った度胸と口上が、この場をさらに盛り上げる。


「ブル選手の重戦車のようなスマッシュ! 対するスフィア選手は三刀流を駆使した鉄壁の防御! 一歩も引きません!」


「なんというか……このノリはついて行けないな。なあラファエル」


エルセインが助けを求めて隣を向く。

しかし、そこにラファエルの姿はなかった。


「ラファエル?」


「見事な切り返しだ!」


聞き覚えのある声が、メリアの隣から聞こえてくる。

エルセインが視線を向けると、そこにはメリアの隣に立ち、同じくラケットの柄を握りしめて真剣な表情で解説を始める王子の姿があった。


「ブルのパワーは確かに凄まじいが、二刀流によるフルスイングは体力の消費も激しい。対するスフィアも動きこそ最小限だが、三本のラケットを制御する集中力にかなりの精神力を持っていかれている」


ラファエルはいつの間にか解説者モードに入っていた。

その分析は的確で、まるで剣術の試合を見ているかのような真剣味が漂っている。


「これはどちらが先に精彩を欠くか、スタミナと精神力の削り合いが勝負どころと見た!」


「なるほど! 的確な解説ありがとうございます、解説のラファエルさん! 勝利の女神はどちらに微笑むのか!」


「うむ。この盤面、目が離せないぞ!」


二人は見事に意気投合していた。

どうやらこの場において、常識人であるエルセインの居場所はどこにもないようだ。


「ハァ……」


エルセインは深いため息をつくと、壁際にある長椅子に腰を下ろす。

そして白熱する試合とノリノリの実況・解説席を、ただ遠い目で見つめるのだった――。

なんか始まった。

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