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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第八話 最後の冒険の思い出

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鍋料理を食べながら雑談

ブルは今、人生最大の幸福と恥ずかしさの板挟みにあっていた。


「はい、あーんしておくれやす」


「あ、あーん……」


彼の両隣には、艶やかな着物を着崩した牛獣人の芸者たちがぴったりと寄り添っている。


右側の芸者が、小皿に取り分けた熱々の蒸し野菜を箸でつまみ、ふうふうと息を吹きかけて冷ましてから、ブルの口元へと差し出していた。


それは「雪色大根」という根菜だが、加熱すると驚くほど甘みが増すという。

源泉の蒸気で蒸し上げられたそれは食べやすいように一口サイズにカットされており、半透明に透き通って中心まで熱が通り、ほろほろと崩れそうになっている。


ブルがおずおずと口を開けると、芸者は優しくそれを放り込んだ。


「はふ、はふ……甘い……!」


「うふふ、よろしおしたなぁ。こっちのタレも美味しいえ?」


左側の芸者は、濃厚な胡麻ダレに浸した湯葉のような食材を差し出してくる。

ブルの顔は茹でダコのように真っ赤になり、角の先まで熱くなってくるようだ。

だが、その表情はデレデレに緩みきっており、ブルは照れながら抗議する。


「こ、子供扱いしないでくださいよぉ……」


「あら、身体は大きゅうても、殿方はいつまでも可愛らしい子供みたいなもんどすえ」


「そうそう、甘えておくれやす」


牛獣人の芸者たちは母性溢れる微笑みを浮かべながら、巨漢の戦士を甲斐甲斐しく世話していた。

普段は冒険者として気を張っているブルも、この圧倒的な包容力の前には形無しだ。


しかし、美人?かどうかは傍目にはわからないが、牛獣人のお姉さま方に囲まれたブルは割と現状に満足そうだ。

これはこれでいいのだろう、たぶん。


一方、テーブルの向かい側では、残りの四人が真面目な顔で鍋をつついていた。


卓上の中央に鎮座する独特な形状をした金属製の鍋からは、食欲をそそる蒸気と心地よい煮音が立ち上っている。


鍋の中央は波打つような仕切りで二つに区切られており、片方には琥珀色に透き通った出汁が、もう片方には白濁した濃厚なスープが満たされている。

どちらもこの宿自慢の源泉をベースに、山の幸や香草、そして秘伝の調味料を加えて仕上げられた極上のスープだ。


琥珀色の出汁の方では、薄くスライスされた一角猪の肉が熱によって鮮やかな桜色から淡い茶色へと変化しながら踊っている。

白濁スープの方では大ぶりに切られた根菜や葉野菜が、とろりとした湯の中でくつくつと煮込まれ、その繊維を柔らかく解きほぐされていた。


「じゃあ、今回の竜害は人災だったんですか?」


メリアが、琥珀色のスープで煮込まれた一角猪の肉を「レンゲ」と呼ばれる陶器製の深い匙ですくい上げながら尋ねる。

肉は余分な脂が落ち、スープの旨味を吸って艶やかに輝いている。


「そうなるね。詳細不明のテロ組織に所属する魔術師による仕業だ。ほら、山頂に黒いローブの男がいただろう? 彼が主犯さ」


エルセインは白濁スープの方から、くたくたに煮込まれた葉野菜を掬う。

源泉のミネラルが野菜の甘みを極限まで引き出しており、口に含むととろりと溶けるようだ。


邪教団「黒き翼」の詳細についてはスフィアたちには秘密とする。

彼らの実力や善性は認めるところだが、噂はどこから漏れるかわからない。

できるだけ、奴らについての情報は秘されるべきなのだ。


「ふーん、あのケチなおっさんが犯人だったのか。どおりで偉そうなわけだ」


「犯人と偉そうな態度に、何か関連があるのか……?」


スフィアは一角猪の肉を頬張りながら忌々し気に吐き捨て、ラファエルが首を傾げながらレンゲでスープをすする。


彼の中では消え際に塩コショウをくれなかった男という印象が強いらしい。

どんだけ根に持ってるんでしょうかね。


「まあ、独善的な思想を持つ者は得てして態度も大きくなるものさ」


エルセインが苦笑交じりにまとめ、スフィアは熱々の肉団子をレンゲで口に運び、咀嚼しながら首をひねった。


「つーか、テロっつってもこんなとこで暴れさせる意味がわかんねー。温泉街っつっても山の中だぜ? 被害出すならもっと大きい街じゃねーの? 王都とかさ」


それは確かにその通りだ。


テロリズムの目的が社会への攻撃や恐怖の拡散であるなら、より人口が多く政治的に重要な場所を狙うのが定石である。

街道沿いとはいえ、こんな山奥の観光地で竜を暴れさせたところで国全体へのダメージは限定的だろう。


「警備がしっかりしてるから手を出しにくいとか? 王都は騎士団の本拠地だしな」


ラファエルが推測する。


王都の警備体制は強固だ。

不審者が入り込む隙は少ないし、万が一竜が現れれば即座に宮廷魔術師団や精鋭騎士団が対応に当たるだろうと考える。


しかしメリアはレンゲを置いて、ちっちっち、と指を振った。


「甘いですねえ。大きな街って意外と潜り込むの簡単なんですよねえ」


「ほう?」


「大きな街って警備の目は多いですけど、それ以上に流通も人の出入りも多いんです。毎日何千という馬車、何万という人が行き交うんですよ? いちいち全部調べてなんてられませんって」


メリアの故郷である商業連合は海上の巨大交易都市だ。

そこで見聞きした警備の実態を語る。


「検問なんて、よっぽど怪しい奴か運の悪い奴しか引っかかりませんよ。商人の荷物に紛れさせたり、偽造した身分証を使ったり、あるいは警備兵を買収したり……抜け道なんていくらでもあります」


「商業連合出身は実感がこもってるなあ」


スフィアが感心し、それを聞いたエルセインは頷いた。


「メリア嬢は商業連合出身なのか。なるほど、あそこは独自の物流網があるからね」


「そうですねえ。取り締まっても取り締まっても禁制品持ってくるやつが絶えないって、港の警備の衛兵さんがぼやいてましたよ。『樽の底を二重にしてまで変な粉を持ち込むな!』とか」


「禁制品の密輸か……。テロじゃないが、あっちも大変だな……む、この野菜美味いな」


ラファエルは話の合間に白濁スープで煮込まれた根菜を口にした。

ホクホクとした食感と、染み込んだスープの濃厚なコクが絶妙だ。

王城の洗練された料理とは違う大胆な味付けを楽しむ。


「肉もイケるね。この一角猪、脂身が甘くてしつこくない」


エルセインも肉に舌鼓をうつ。


深刻な話をしていても匙は止まらない。

美味しい食事は、どんな話題の時でも場の空気を和らげてくれる。


「……まあ、テロなんてする連中の考えはよくわからないさ。彼らには彼らなりの理屈があるんだろうが、私たちには理解しがたい話だ」


エルセインが話を締めくくる。


教主ディオスが竜を暴走させた真の目的は生贄の魂を集めることだが、あまりに常軌を逸しており、機密に触れることもあって安易に語るのは望ましくない。


「それもそうですね。理解したくもありませんし」


メリアは同意し、手元の食器に視線を落とした。


「しかし、このレンゲとかいう食器は便利ですね」


彼女が手に持っているのは陶器で作られた柄の短い匙だ。

普通の金属製スプーンよりも深く、丸みを帯びている。


「ああ。厚みがあるから、この『白雲豆腐』とかいうのを簡単に崩さず掬えるしな」


ラファエルが鍋の中から、白くて四角い物体をレンゲで掬い上げる。


――白雲豆腐。


この地方で食べられている、豆をすり潰して固めた食品だ。


絹のように滑らかで、とても柔らかい。

レンゲの緩やかなカーブと深さは、この繊細な食材を壊さずに口まで運ぶのに適していた。


「なんというか、握りやすい感じだね。口に入れるにもちょうどいいサイズだし……ところで」


エルセインが、テーブルの脇に置かれたある物に目を留めた。


「この二本の棒は、なんだろう」


全員の手元にはレンゲとは別に、細く削られた二本の木の棒が小さな台の上に並べられていた。


長さは手のひらより少し長いくらい。

先端に向かって少し細くなっている。


ラファエルが一本ずつ手に取って眺める。


「うーん、並んでいるところを見るに、二本セットで使うもののようだが」


魔法の道具? にしては魔力を感じない。

鍋に使うのだろうか。


「全員分ありますね。飾りでしょうか?」


メリアも首を傾げる。

三人とも用途がさっぱりわからないらしい。


その時、給仕をしていた人間の芸者が、くすりと上品に笑って口を開いた。


「これは『箸』という食器どす」


「食器? 棒が!?」


ラファエルが驚きの声を上げる。


彼の常識では、食器といえばナイフ、フォーク、スプーンだ。

二本の棒が食器のカテゴリに入るとは想像もしなかった。


「どうやって使うものなんでしょう。刺して食べるんですか?」


メリアが箸を一本ずつ握りしめ、バーベキューの串のように具材を刺す仕草をする。


「いいえ、そうやのうて……。では、失礼して」


芸者は予備の箸を棚から取り出すと優雅な手つきで構えた。


二本の棒が彼女の指の間で魔法のように固定される。

カチ、カチ、と先端を軽やかに合わせて鳴らす音は、小気味よいリズムを刻んでいた。


「こうやって物を掴みますし、刺したり、掬うこともできます」


彼女は鍋の具材に見立てた小さなおしぼりを、箸先で器用に摘まみ上げて見せた。

まるで指先の延長のように、二本の棒が自在に動く。


「おお……」


全員から感嘆の声が漏れる。


「器用だな……。あんな細い棒で、物を落とさずに掴むとは」


エルセインが感心して見つめる。


「やってみましょう!」


好奇心旺盛なメリアが、早速見様見真似で箸を手に取る。

一本を親指の付け根に挟み、もう一本を人差し指と中指で支えて……。


「……あれ?」


動かない。

二本の棒が交差してしまい、先端が合わないのだ。

力を入れれば入れるほど、指が変な方向に曲がっていく。


「ぐぬぬ……私の指、こんな動きに対応してないんですけど……!」


指がつりそうだ。

普段、ペンの扱いや小銭の勘定で指先は器用なはずの彼女だが、この未知の道具の前では無力であった。


ラファエルも挑戦する。

剣術で鍛えた指の力と繊細なコントロールがあれば、造作もないことだと思ったのだが。


「……ふんっ!」


彼が鍋の中の芋のような丸い野菜を掴もうとした瞬間、つるりと滑って野菜が鍋の中に逃げた。


バシャッとスープが跳ねる。


「くっ、ダメだ。上手くいかないな。掴んだと思っても力が逃げてしまう」


ラファエルは悔しそうに眉を寄せる。


力任せに握れば棒が折れそうだし、優しく握れば固定できない。

絶妙な力加減とバランスが必要なようだ。


「まあ、レンゲがあるんだ。無理に使わずとも食事はできるよ」


エルセインは早々に諦め、レンゲで優雅に食事を続けている。

ある意味合理的である。


そこへ、新たな料理が運ばれてきた。


「焼き魚、お持ちしましたぁ」


猫獣人の芸者が香ばしい匂いを漂わせる皿を運んでくる。


皿の上には、渓流で獲れた新鮮な川魚が化粧塩を振られてこんがりと焼き上げられている。

皮はパリッと、身はふっくらとしていて脂がじゅわじゅわと音を立てていた。


「お、さんきゅー」


スフィアの目が輝く。

魚は大好物だ。


彼は目の前の箸を手に取った。

人間の手とは構造の違う、肉球のある猫の手だ。

指も短く、本来であれば細い棒を扱うのには不向きなはずである。


しかし。


スフィアは、まるで生まれつきその道具を知っていたかのように自然な手つきで箸を握った。


サッ、サッ、サッ。


箸先が目にも留まらぬ速さで動く。


魚の身にスッと箸を入れ、中骨に沿って滑らせる。

パカッと身が開かれ、骨だけが綺麗に取り除かれる。

さらに小骨の一本一本までもが、正確無比な箸さばきによって摘まみ出されていく。


その間、わずか数十秒。

皿の上には骨がなく食べやすい状態になった魚の身と、芸術的に取り除かれた骨の残骸だけが残っていた。


「いただきまーす」


スフィアは箸で一口大の身を摘まみ、パクリと口に放り込む。

塩加減が絶妙で川魚特有の泥臭さもなく、上品な脂の甘みが口いっぱいに広がる。


「んめえ!」


「……えっ」


その一部始終を見ていたラファエルが、レンゲを持ったまま固まる。


「スフィアさん……何故、箸を使えるんです?」


メリアが信じられないものを見る目で尋ねる。


人間である自分たちが一本もまともに扱えないのに、なぜ指の構造が違う獣人が、しかもこの街の出身でもないスフィアが達人のような手さばきを見せているのか。


スフィアが魚をモグモグさせながら首を傾げる。


「はし?」


「これだよ。この棒」


エルセインが箸を指差す。


「ああ、棒食器な」


スフィアは納得したように頷いた。

彼の中では箸ではなく「棒食器」という名前らしい。


「棒食器?」


メリアが聞き返す。


「おう。うちの村の医者がさ、治療の時に金属の棒……ピンセット? ってやつを使って傷口からトゲ抜いたりしてるのを見てさ」


スフィアは懐かしそうに語り始めた。


「これひょっとしたら飯食うのに使えるんじゃねーのって思って、木の枝削って自作して使ってたんだよ」


「……え、それだけの理由で?」


「最初のうちは指がつりそうになったし何度も魚を落っことしたけどな。慣れるまで大変だったけど慣れたら結構便利なんだぜ? 熱いもんも指を使わずに食えるし、魚の骨も取れるし、肉も掴める」


スフィアは実演とばかりに鍋の煮えた肉団子を箸でひょいと摘まみ上げ、ふうふうと息で冷ましてから口に放り込んだ。


「辺境出てからは街の食堂とかじゃスプーンやフォークしか出てこねーから、しばらく使ってなかったけどな。手が覚えてたわ」


意外な技術の習得理由に、他三人は目を丸くする。

食い意地が技術の壁を凌駕した瞬間である。


美味いものを、より効率的に、より綺麗に食べるためという執念が、彼に独学で箸の技術を習得させたのだ。

どんだけ食い意地の張った猫さんなんだろうか。


「猫獣人の短めの指で……使えるものなんだね……」


エルセインが、まじまじとスフィアの手を見る。


肉球の厚みや指の関節の構造を考えれば、人間よりも遥かに習得難易度が高いはずだ。

それを克服するとは、恐るべき食い意地と適応能力である。


「人間の指は、獣人より器用だと聞いているんだが……」


ラファエルが自分の手を見つめ、敗北感を滲ませる。

現役の騎士にも負けない剣の腕を持ちながら、たかが二本の棒に翻弄されるとは。


「……なんか、ちょっと悔しくないですか?」


メリアが低い声で呟いた。

ラファエルとエルセインが無言で頷き、三人の間に奇妙な連帯感と闘志が芽生えた。


「棒なんかに、絶対に負けたりしません……!」


「指がつりそうだが、これは持ち方が悪いのか……?」


「まずは正しい持ち方の調査から……」


三人はそれぞれの理論と根性で、再び箸の扱いに挑戦し始めた。

鍋の具材が逃げ惑い、スープが跳ね、カチャカチャという音が響く。


「あ、ブルさん。あーん」


「あーん。美味しいなあ」


そんな殺気立った三人とは別世界で、ブルだけは牛獣人の芸者に「あーん」をしてもらいながら、箸など使わずに至福の時を過ごしていた。


宴はまだまだ続く。

夜風が運ぶ温泉の香りと共に、珍道中の夜は更けていくのだった――。

書いてる途中で脳内スフィアさんがいきなり箸を使い始めた。

なので箸が使えるらしい。

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