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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第八話 最後の冒険の思い出

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食事前のやり取り

廊下の窓から差し込む夕陽は、温泉街全体を茜色に染め上げていた。

風呂上がりの火照った身体を包むユカタの肌触りが心地よい。


スフィア、ブル、メリア、そしてラファエルとエルセインの一行は宿『龍泉閣』の長い渡り廊下を歩いていた。


磨き上げられた床板は鏡のように光を反射し、足裏にひんやりとした感触を伝えてくる。

廊下の片側は大きく開け放たれており、眼下には温泉街イドラの全景が広がっていた。


「しかし、この街はすごいですよね……」


メリアが手すりに身を乗り出し、感嘆の声を漏らす。


夕闇が迫る中、街のあちこちから立ち上る白い湯気が提灯の明かりに照らされて幻想的に揺らめいている。

彼女の視線の先には温泉街へ来たときにも見かけた、街中を網の目のように流れる水路があった。


「まさか街中に広がってる川が、全部温泉だったなんて」


先ほどまで水が流れていたのが嘘のように、今は豊富な湯が勢いよく流れている。

水路のあちこちに設けられた休憩所「足湯」と呼ばれる場所では多くの観光客や住人が足を浸し、談笑している姿が見えた。


ブルが大きな身体を屈めて、メリアの隣で景色を覗き込む。


「これは温泉が止まったら困るわけだよね」


「温泉街とは、どこもこんなものなのか?」


ラファエルが隣を歩くエルセインに尋ねる。

王族として国内の視察には何度か出向いているが、このような特殊な環境を持つ都市は記憶にない。


「いや、流石にここまでのものは珍しいさ」


エルセインは静かに首を振った。


「この街は土地に強い地脈……まあ、大地の魔力の通り道があってね。火の属性を帯びた強力なレイラインだ。そこの流れを全てあの竜が汲み取って吸収していたんだ」


「竜にそんなことができるの?」


「いや……本来、野生の竜にそこまでの芸当はできない。卓越した腕前の魔術師が意図的にパイプを繋ぎ、無理やり吸わせなければ……そうだね、ちょうどいいし今回の事件のことを食べながら話そうか」


スフィアたちも当事者だ。

全ては説明できずとも事件のあらましは知っておくべきだろう。


その時、スフィアがピーンと耳を立てた。

何か閃いた顔をしている。


「ひとつだけわかることがあるぜ」


スフィアは立ち止まり、ビシッと指を立ててキメ顔を作った。

夕陽を背負い、その毛並みが黄金色に輝く。


「あの竜がとんでもなく美味かったのは、その吸収したとかいう魔力のせい……だな!?」


自信満々の推理。

大地を流れる不思議パワーを吸った竜ならば美味いはずだという、食いしん坊特有の謎論法。


エルセインは少し困ったように微笑み、言いにくそうに答えた。


「いや……そういう効果は……ないかな……」


「ふにゃーん……」


スフィアの期待は脆くも崩れ去った。

ガクリと項垂れ、耳も尻尾も力なく垂れ下がる。

魔力=旨味成分説は立証されなかったようだ。


一行はその姿に笑いながら食事処のある別棟へと歩を進める。


渡り廊下の突き当たり、立派な木の扉の前に立つ。

横滑りに扉が開かれると、そこには別世界のような空間が広がっていた。


「座敷」と呼ばれるその部屋は、植物を編んで作られた特有の敷物が一面に敷き詰められている。

高い天井には細工の施された欄間があり、床の間には季節の花と掛け軸が飾られている。

中央には美しい木目の低いテーブルが置かれ、その上には既に鍋の準備が整えられていた。


そして、部屋の左右には――。


「ようおこしやす」


あでやかな着物に身を包んだ数人の女性たちが、畳の上に正座し、三つ指をついて深々と頭を下げていた。


人間の芸者と猫獣人の芸者、牛獣人の芸者たちだ。


人間の芸者は顔を白く塗り、紅を差した独特の化粧をしている。

結い上げた黒髪には簪が揺れ、着物の襟元からは白い喉元が覗く。


猫獣人の芸者たちは毛並みが美しく整えられた白猫たち。

目元と口元に薄く化粧がされ、着物からは花の香が漂っている。


牛獣人の芸者たちは、その特徴的な角に美しい飾り紐を結び、筋肉質で豊満な肢体を艶やかな着物で包んでいる。

長い尻尾の先には鈴が付けられ、動くたびにチリンと涼やかな音を立てた。


「本日、こちらのお座敷は街の英雄様方の貸し切りとなります。どうぞごゆるりと楽しんでおくんなまし」


先頭にいた年配の人間の芸者が、鈴を転がすような声で挨拶をする。

その言葉遣いは独特の響きを持っていた。


「おおー!」


スフィアとブル、そしてメリアまでもが感嘆の声を上げる。

これぞパンフレットで見た「おもてなし」の世界だ。


「さあさあ、どうぞこちらへ」


芸者たちに促され、一行は座敷へと上がる。


宴の始まりだ。



◆◆◆◆



部屋の中央に置かれた大きな湯釜からは、ぐつぐつと煮える音が響いている。

源泉から引いた温泉水そのものを出汁として使うこの鍋は、ミネラル分が豊富なため具材が驚くほど柔らかくなるのだという。


今はまだ煮え待ちの時間。

立ち上る湯気が部屋を満たし、野菜の甘い香りと肉の脂の香りが混じり合って食欲を刺激する。


だが、この場の主役は鍋だけではなかった。


「いやあ、あの時はですね! 竜の爪がこう、グワッと迫ってきたんですけど!」


ブルが、両隣に座る牛獣人の芸者たちに向かって熱弁を振るっていた。

彼の顔は茹でダコのように真っ赤で、鼻の下は伸びきっている。


「まあ、すごいですわぁ」


「ほんまに強くて勇ましいお方なんやねぇ」


右隣の芸者がお酌をし、左隣の芸者が甲斐甲斐しく手ぬぐいでブルの汗を拭く。

そのたびに甘い香りが漂い、ブルの鼻孔をくすぐる。


「えへへ、いやあ、それほどでも……あるかな? うん、あったかも!」


ブルはデレデレになりながら自分の武勇伝を語っている。

その様は初めて異性に優しくされて舞い上がっている少年のようだ。


「モテているなあ、ブルは」


ラファエルが手酌で透明な蒸留酒をあおりながら感心したように呟く。


この地方特有の芋酒だそうだ。

すっきりとした飲み口で風呂上がりの身体に染み渡る。

エルセインも同じく盃を傾けて酒を楽しんでいる。


「モテたいと言っていたが……これ以上モテる必要があるのかな? 彼はもう十分に幸せそうに見えるが」


「あー、二人はビビりまくってるブルを見てねえからなあ……」


スフィアが鍋の煮え具合をじっと見つめながら口を挟む。

彼の手元にはまだ酒はなく、代わりに冷たい水が入ったコップが置かれている。

美味しい料理を万全の状態で迎えるため、ひとまず酒は控えている。


「最近は激戦続きで臆病さが随分なくなったけどよ、ちょっと前まで色んなもんにビビり散らしててな。獣人はいつも腰が引けてるやつじゃモテねーんだわ、これが」


「あー」


メリアの脳裏にブルと出会ったばかりの頃の光景が蘇る。

冒険者ギルドで周囲の強面な冒険者たちに怯え、身体を縮こまらせていた巨漢のミノタウロス。

あの姿と今の堂々とした――デレデレしてはいるが――姿は確かに別人のようだ。


そして王子のラファエルとしては異種族の文化や価値観は純粋に興味があり、身を乗り出す。


「獣人のモテ基準とはどういうものだろう」


「基本は強いやつだな。単純な腕っぷしもそうだが、何より『腰が引けない』やつだ」


ラファエルの疑問に対し、スフィアが獣人の価値観について語る。


「たまに人間にもいる実直な武人肌とかはクソモテるな。俺たちの村にいた狩人のあんちゃんとかも、めっちゃモテてたっけなあ……」


幼い頃、焼き鳥をくれたあの兄貴分の黒猫獣人。

彼は強くて、優しくて、そして何より肝が据わっていた。

村の雌猫獣人たちはこぞって彼に熱い視線を送っていたものだ。


「基準が結構、獣寄りなんですねえ……。生存本能に直結しているというか」


メリアが感心したように頷く。


強いオスが群れを守り、子孫を残す。

生物としてのプリミティブな魅力が、そのまま人気に繋がっているのだ。


「俺らからすれば人間の方が意味わからんわ」


スフィアが首を傾げる。


「顔が良いって何? 顔で個人の優劣決めんの? 狩りが上手いとか、足が速いとかじゃなくて?」


獣人にとって、顔立ちの美醜という概念は人間ほど重要ではない。

基本的には毛並みの良さや牙の鋭さ、筋肉の付き方といった機能美こそが重要視される。

例外はヒゲなどだろうか。

そんなわけで人間の「イケメン」という概念はスフィアにはあまりピンとこないらしい。


「まあ、第一印象は顔になりますよねえ……。清潔感とか、優しそうとか、そういう情報が顔に出ますし」


メリアの経験上、商談において第一印象としての顔立ちは武器になる。

美形であれば相手の警戒心を解きやすく、話を聞いてもらいやすくなるのは事実だ。


「顔が良くても良いことばかりではないがなあ……」


ラファエルが遠い目をして呟いた。

酒の入った杯を見つめるその瞳には苦労の色が滲んでいる。


「寄り付いてくるのは顔や家柄目当ての者ばかり。本質を見てくれる者は稀だ。それに顔が良いだけで『何も考えていない飾り物』だと思われたり、逆に『裏があるに違いない』と勘繰られたり……」


「お前女絡みでなんかあったの?」


「なんか闇が出てきましたね……」


スフィアとメリアが思わぬところから出てきた愚痴にちょっと引き気味になる。


端正すぎる容貌を持つ王子ならではの悩み。

幼い頃から周囲の視線に晒され、値踏みされ続けてきた彼にとって顔が良いことは必ずしも祝福ではなかった。

イケメンに家柄が付属すると大変らしい。


「ははは、ノーコメントで」


エルセインが、あえて明るく笑い飛ばす。

彼もまた人間離れした美貌の持ち主だ。


これはこの場ではラファエルのみ知る事実だが、竜が人の姿をとる際、無意識に理想的な形状を選んでしまうため、どうしても美形になってしまうのだそうだ。


なお彼自身は人間の美醜の価値観を知識としては把握しているが、本質的には理解できていない。

竜なので認識自体はスフィアたちとそう変わらないのである。


そんな会話の横で新たな動きがあった。


「お酒、お注ぎしますぅ」


一人の猫獣人の芸者がスフィアの隣に滑り込んできたのだ。


しなやかな肢体、艶やかな毛並み。

大きな瞳を潤ませ、媚びるような声色で酒瓶を差し出す。


「ん、おう。さんきゅ」


だがスフィアは鍋の煮え具合を確認しながら適当に杯を差し出した。

視線は鍋に釘付けで、芸者の方を見ようともしない。


「あらん、つれないお方……」


猫獣人の芸者は酒を注いでから少し残念そうな顔をして、すごすごと仲間たちの元へ戻っていく。

部屋の隅で待機していた他の猫獣人芸者たちが、戻ってきた彼女を取り囲んでひそひそと話し始めた。

その声が、メリアの耳にだけ微かに届く。


「どう?」


「ダメだわ……。あの方、色気より食い気なタイプみたい。全然なびかないの」


「あーん。残念ねぇ。あんなイケ猫、そうそういないのにぃ」


「毛並みも最高だし、強さを感じられるあのツンとした目つきがたまらないわ」


「でも色気に靡かず、ひたすら食い気ってのもワイルドで、そこが良いのよねぇ」


「わかる」


「すごくわかるわ。硬派よねぇ」


どうやらスフィアは、猫獣人の間では相当なイケ猫として認識されているらしい。

しかも、その愛想のなさが逆に硬派でクールという評価に繋がり、株を上げているようだ。


(……わからん)


メリアは、相変わらずお湯で洗われてふわふわに膨らんだ毛玉のようなスフィアを見て、心の中で呟いた。


そういえば以前、スフィアは自分を「かっこいい系だ」と言っていたような気がする。


だが今のスフィアは、どう見ても「可愛いぬいぐるみ」だ。

鍋を見つめてよだれを垂らす姿もまたワイルドさの欠片もない。

ましてや「イケ猫」という言葉からは程遠い存在に見える。


「獣人の感性はわかりませんねえ……」


メリアがしみじみと呟くと、その言葉を拾ったスフィアが鍋から視線を外さずに答えた。


「俺も人間の感性はわからんから、おあいこだな……」


二人は顔を見合わせ、お互いに苦笑する。


種族の壁は厚く、そして深い。

だが、わからないからこそ面白いのかもしれない。


――余談ではあるが。


鍋を待つ最中、スフィアが隣のメリアに小声で尋ねた。


「そういやメリア。ラファエルとエルセイン、どっちも人間から見たら相当モテるっぽいけどよ。お前はどっちが良いとかあんの?」


少々下世話だが、この質問は単なる好奇心である。

人間のメスの好みというものをちょっとサンプルとして聞いておきたかったのだ。


「うーん……私、男性は顔では判断しないんですよねえ」


「へえ?」


「ほら、美しい顔は幼い頃から見慣れてるんで」


メリアとスフィアの脳裏に、彼女の実の父親であるロゼの顔が浮かぶ。


あの無駄にキラキラしい、男装の麗人と見紛うほどの美貌を持つ父。

あんな顔を毎日見て育ったメリアにとって美形というのは日常風景であり、特筆すべき価値ではないのだ。


「ああ……そういやお前の父ちゃん、異常に美形だっけ……」


異種族相手にも通じる魔性の美貌を持つ父親。

確かにあの父親を見慣れていればラファエルやエルセインの美貌に目がくらまないのも頷ける。


「じゃあどういう男が好みなんだ? やっぱり金持ちか?」


「最低限、商売の話ができないと……あっちのお二人は、そういう意味で選考外ですかね」


彼女の視線の先には、楽しそうに笑い合うラファエルとエルセインがいる。


二人は高貴そうで、勇敢で、優しい。

だが、彼らからは商売や金銭感覚といった生活感のある匂いは一切しない。

浮世離れしすぎているのだ。


「お前はお前で、変な基準持ってるなあ……」


そんな話があったとかなんとか――。

仮にイケメンに言い寄られても「ふーん」で流す女。

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