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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第八話 最後の冒険の思い出

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風呂上がりのひと時

風呂上がりの火照った身体を、風が心地よく撫でていく。


宿の休憩処は、庭園に面した広々とした縁側のような造りになっていた。

磨き込まれた床板はひんやりとして気持ちよく、天井からは風流な風鈴が吊り下げられている。


ラファエルとエルセインは宿が用意してくれた寝巻きらしい「ユカタ」に袖を通していた。

この地方特有の衣服で、薄手の綿素材で作られた着物のような形状をしている。

帯で前を合わせるだけの簡素な作りだが通気性が良く、風呂上がりの肌には最適だ。


ラファエルは藍色の、エルセインは若草色の寝巻きを粋に着こなし、竹で作られた長椅子に並んで座っている。


「さて……」


ラファエルは周囲に人がいないことを確認してから、声を潜めて切り出した。


「スフィアたちへの説明だが、やはりこのままでいくか」


竜退治が終わった後、ラファエルとエルセインは今後の対応について二人で話し合っていた。


本来であれば、王族であるラファエルと宮廷魔術師長であるエルセインの正体を明かし、国を挙げての感謝と報酬を与え、強力な戦力となりうる彼らに協力を要請するべき案件だ。


しかし、状況は複雑だ。


「ああ。彼らは巻き込まれただけの一般人だ。ヴァルノスの復活や邪教団の陰謀といった国の存亡に関わる重い事情を背負わせるわけにはいかない」


エルセインが静かに頷く。


それは新しい気の良い友人たちを危険から遠ざけたいという配慮と、為政者側としての冷静さ、両面からの判断だ。


「彼らには、私たちは『通りすがりの腕利き冒険者』あるいは『旅の学者』ということで通そう。邪教団の教主のことも『竜を使役しようとして失敗した愚かな魔術師』程度にぼかして説明するのがいい」


「そうだな。彼らは……特にスフィアは、美味しいものを食べて楽しく旅をすることだけを望んでいるように見える。その平穏を俺たちの事情で壊したくはない」


ラファエルは、先ほど風呂場で無邪気に笑い合っていた時間を思い出し、口元を緩める。


王子という仮面を外し、ただの若者として彼らと接した時間はラファエルにとっても得難い宝物のようなひと時だった。


そこにエルセインが茶目っ気たっぷりに付け加える。


「それに……もし正体がバレたら、メリア嬢あたりに莫大な口止め料を請求されそうだしね?」


「ははは、違いない」


ラファエルも声を上げて笑った。

あのちゃっかり者の少女なら、王家の財布事情まで計算に入れて請求書を作ってきそうだ。


そこに風呂から上がってきたスフィアとブルが合流した。


二人もまた、それぞれの体格に合わせた特注サイズの寝巻きを着ている。

スフィアは子供用のような小さな柄の入った寝巻きを帯を長めに垂らして着ており、ブルは特大サイズの生地を贅沢に使った紺色の寝巻きをゆったりと羽織っていた。


「ふぅー、さっぱりしたー」


「いいお湯だったねえ」


スフィアはまだ少し毛が湿っているのか、しきりに頭を振って水気を飛ばしている。

ブルは湯上りの熱気で顔を赤くし、団扇でパタパタと風を送っていた。


「あ、ミルク売ってる。瓶に入った冷たいやつ! 買って来よう」


ブルが休憩処の隅に置かれた氷室のような箱を見つけ、目を輝かせる。

中には地元の牧場で採れた新鮮なミルクがガラス瓶に入れられて魔力で冷やされているようだ。


「私も飲もうかな。湯上りの一杯は格別だろう」


エルセインが立ち上がる。


「もうすぐ食事だし、俺はいいや」


「そうだな、俺もいい。二人で行ってきてくれ」


スフィアとラファエルは手を振って断る。


「じゃあ、二人で行ってくるね」


「ああ、ほどほどにな」


ブルとエルセインは仲良く連れ立ってミルクの販売所へと歩いていった。

背中から見ると巨漢の戦士と優美な優男のコンビは仲良さげに歩いていく。

どんぐり探しを通じて仲良くなったらしい。


ラファエルが、ふと気になっていたことを口にする。


「ところでスフィア。俺たちの分の宿泊費も出してもらったようだが、本当によかったのか? 決して安い宿ではないだろう」


この『龍泉閣』は一見しただけでも最高級の宿だとわかる。

五人とはいえ、その料金は冒険者が気軽に払える額ではないはずだ。


本来ならラファエルたちは宿代を全額負担してもお釣りがくるくらい感謝しているのだが、スフィアたちは頑として受け取ろうとしなかった。


「いーよいーよ。どうせ福引きで当てたタダ券だしな。五人用で二人分余ってたんだ、使わなきゃ損だろ」


スフィアは竹の椅子の上に座り、尻尾をゆらゆらとさせながらあっけらかんと答える。


「なんだかんだで竜退治を一緒にやって、ついでに一緒に肉喰った仲じゃねーか。遠慮なんかすんなって」


「……そうか。では、お言葉に甘えさせてもらう」


ラファエルは素直に感謝した。

スフィアのこういう竹を割ったような性格は見ていて気持ちがいい。


誰とでもすぐ仲良くなり、その場の縁を大切にする。

それが彼らの流儀なのだろう。


「お待たせしましたー」


そこへ、女性の声が響いた。

廊下の向こうから身支度を整えたメリアが歩いてくる。


彼女もまた、宿の寝巻きに身を包んでいた。

薄桃色の生地に桜の花びらが散らされた華やかな柄で、その上から濃い紫色の羽織を重ねている。


まだ少し濡れた銀髪はしっとりとまとめ上げられ、湯上りの紅潮した肌と相まって普段の活動的な冒険者姿とは違う、艶やかな色香を漂わせていた。


メリアの声を聞いてスフィアが振り返る。


「お、来たなメリア。遅かったじゃねえか」


「髪を乾かすのに時間がかかってしまって……って、うわあ」


メリアの足が止まった。

彼女の視線は、一点に釘付けになっている。


スフィアだ。


先ほどまで濡れて貧相になっていたスフィアの毛並みが、乾いて劇的な変化を遂げていた。


「なにこれスフィアさんすごい……」


普段のスフィアも十分にモフモフしているのだが、今は次元が違った。

丁寧に洗われ、リンスされ、そして丹念に乾かされたその毛並みは、空気を含んで極限まで膨張していた。


いつもは「もふう……」という感じの触り心地が、今は「フワァ……!」という、雲か綿菓子のような領域に達している。

歩くたびに毛先が微細に揺れ、光を受けて銀色のオーラを放っているかのようだ。


「うおお……いつも以上にふわっふわですね……」


メリアの手が震えている。


触りたい。

顔を埋めたい。

その衝動が抑えきれない。


ラファエルが苦労を滲ませながら説明する。


「徹底的に洗ったからな。風呂場でもかなり嫌がって大変だったが、上がってからもエルセインが風魔法で丁寧に乾かしてくれたんだ」


「いつもの毛並みの感じじゃなくてすげえ違和感あるんだよな……」


スフィアは自分の腕の毛を不思議そうに見つめ、ふさふさの尻尾を顔の前で振ってみる。


その仕草ひとつひとつが破壊的なまでの愛らしさを撒き散らしていることに本人は気づいていない。


メリアが真剣な眼差しでスフィアの前に跪いた。


「スフィアさん……ちょっとの間、抱っこしてていいですか?」


メリアの魂は囁いた。

流石にこれ我慢無理。


「……まあ、メリアならいいけど。ちょっとだけな」


スフィアは少し面倒くさそうに、しかし拒絶はせずに答える。


普段は子供扱いされるのを嫌う彼だが仲間の、特に普段こういった頼みをあまりしないメリアの珍しいワガママならば、多少のスキンシップは許容範囲らしい。


「失礼します!」


メリアは恭しく、そして優しくスフィアを抱き上げた。

その瞬間、彼女の顔が至福に蕩ける。


「んふふ……最高です……」


高級な羽毛布団よりも柔らかく、陽だまりのように温かい。


ほのかに香る石鹸の匂い。

メリアはスフィアの背中に顔を埋め、深呼吸を繰り返した。

それはもはや一種の儀式のごとく吸引行為に没頭する。


スフィアはメリアの熱い息にちょっと困惑顔だが。

背中の匂いの何が良いんですかね。


「ただいまー。ミルク美味しかったよー」


そこへ、ブルとエルセインが戻ってきた。

二人とも片手に空になったガラス瓶を持っている。


「おや、メリア嬢も来たか。……ふむ、スフィア君の毛並みはメリア嬢のお気に召したと見える」


スフィアの背中で深呼吸をしているメリアの様子を見て、エルセインが満足げに頷く。

そして、ラファエルが近くの壁に貼られた館内案内図を見ながら言った。


「全員揃ったし、ちょうどそろそろ食事の時間だな」


案内図によれば食事処は別棟にあり、そこでは源泉の蒸気を使った料理が振舞われるという。


「待ってました! 肉! 魚! 蒸し料理!」


スフィアがメリアの腕から飛び出し、床に着地する。

その着地の衝撃で、全身の毛がボヨンと弾んだ。


「よーし、行こうか。お腹ペコペコだよ」


「どんな料理が出るか楽しみですね」


全員が立ち上がり、廊下を歩き出す。


風呂上がりの心地よい倦怠感と、これから始まる宴への期待。

彼らの足取りは軽く、笑い声が廊下に響いていった――。

ほんとにちょっとの間しか抱かれてねえな、この猫さん。

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