魔法国メギストス王城
魔法国メギストス。
大陸でも一、二を争う強大な軍事力と最先端の魔法技術を誇る大国である。
その心臓部たる王城の一室、豪奢な装飾が施された応接室には、陽が落ちる頃でも張り詰めた空気が漂っていた。
「――では、ピエール様。今回の王都外壁改修工事の段取りは以上にて」
上質な生地の服に身を包んだ伯爵家の貴族が、恭しく一礼する。
目の前に座るのは金髪の青年。
この国の第一王子であり、次期国王と目されるピエール・アルファトリス・メギストスだ。
ピエールは手元の書類に目を通し、鷹揚に頷いた。
「うむ。卿もはるばるご苦労であった。予算については財務長官と詰めているゆえ、工期に遅れぬよう手配を頼む」
「はっ。ありがたきお言葉。それでは失礼いたします」
伯爵貴族は深々と頭を下げ、音もなく退室していく。
重厚な扉が閉まり、完全に気配が消えるのを確認した瞬間。
「はぁ~~~~。疲れた……」
ピエールは背もたれに体重を預け、だらりと体勢を崩した。
先ほどまでの威厳ある王子の仮面はどこへやら、そこには激務に疲弊した一人の若者の姿があった。
「肩が凝るよ……。何度やっても慣れないね、これは」
ピエールが首を回してポキポキと鳴らす。
帰国してからというもの父王の補佐として、あるいは次期国王としての責務として、厳しいスケジュールで公務をこなしているのだ。
自由気ままな冒険の日々が遠い昔の夢のように感じられる。
「ピエール様。我々だけだからと、そう露骨に気を抜いてはいけませんぞ」
その様子を咎めるように鋭い声が飛んだ。
声の主は神経質そうな細面の男。
眼鏡の奥の瞳を光らせ、ピエールの向かいの席で書類を整理している宰相ベルギオスだ。
「はっはっは! いいではないかベルギオス! ピエール様はまだ慣れぬ公務なのだからな! 多少のガス抜きは必要だぞ!」
それを豪快な笑い声で遮ったのは岩のような巨躯を持つ男。
熊のような髭を蓄え、軍服の上からでもわかる隆々とした筋肉を誇る軍務長官ゴリアテである。
この二人――ベルギオスとゴリアテは現国王の右腕と左腕であり、現在はピエールの公務の傍ら、教育係兼補佐役を務めている重鎮だ。
ベルギオスがジロリとゴリアテを睨む。
「ゴリアテ殿。慣れぬからと許されていい話ではありません。ピエール様ももう立派な男児であり、次期国王なのです。いつまでも外遊気分のままでは下の者が示しがつかないと言っているのです」
「むぅ、堅苦しいやつめ。徐々に慣れて行けばいいと思うのだがなあ……俺とてそこまで礼儀作法は得意ではないぞ?」
ゴリアテが腕を組み、ふんぞり返る。
確かに、彼の態度は長官というよりは現場の叩き上げの将軍といった風情だ。
「貴方はこの会議中、ほぼ座って唸っていただけでしょう……」
ベルギオスが呆れたようにため息をつく。
「今回の大規模な工事には資材の搬入や作業員の管理のために警備人員を割かねばならぬ都合上、軍務責任者のサインが必要というだけです。予算の折衝や工期の調整といった実務は私やピエール様の仕事ではありませんか」
「まあそうか? そうかもな! ガハハ!」
「そうです。大体あなたは、先日の会議でも……」
小言を並べるベルギオスと、それを柳に風と受け流すゴリアテ。
二人のやり取りに険悪な空気はない。
長年、共に国を支えてきた戦友のような、あるいは腐れ縁の喧嘩友達のような独特の信頼関係が漂っている。
そこへ、部屋の隅にある給仕用の扉が控えめに開かれた。
「失礼します」
「……お茶をお持ちしました」
入ってきたのは、若い男女の二人組。
城の正式な護衛服に身を包んだ快活そうな少女アレッタと、同じく護衛服を着こなす寡黙な青年ゼノ。
かつてピエールの冒険を共にし、正式に護衛として雇われた元冒険者たちである。
「ピエール様、小休止にお茶をどうぞ。ベルギオス様とゴリアテ様も」
アレッタが手際よくティーカップを並べ、芳醇な香りの紅茶を注いでいく。
「……茶菓子も少しご用意しました。脳を使う作業には糖分が必要ですから。小休止にしましょう」
ゼノがワゴンから可愛らしい焼き菓子を取り分ける。
ピエールは身を起こし、カップを手に取った。
「おお。すまないな、二人とも」
温かい湯気と共に立ち上る香りが、疲れた脳を優しく解きほぐしていく。
「ふぅ……生き返るよ」
ピエールは一口啜り、二人に視線を向ける。
「仕事はどうだろう。城での生活には慣れたかな?」
彼らは冒険者稼業を引退し、ピエールの私設護衛として城での仕事を始めていた。
「なんとか。冒険者時代にピエール様が連れていた使用人の方々……先輩方が一緒の職場なので色々教えていただいてます」
あの変形馬車「ピエール号」を運用していた精鋭使用人部隊だ。
彼らはピエールが直接雇い入れた者たちで、彼の奇行にも動じない鉄の心と鋼のプロ魂を持っており、新人である二人を温かく迎え入れていた。
「……護衛仕事と言っても王城ではこうしてお茶を淹れたり、書類を運んだりと使用人みたいな感じですね。そこに不満は無いのですが、少し意外です」
アレッタに続いてゼノが率直な感想を漏らす。
護衛というからにはもっと刺客と戦ったり、影から警護したりするものだと思っていたらしい。
そんな感想にピエールが苦笑する。
「ははは。まあ、王城内は特別治安を良くしてるからなあ……。城内の安全は近衛である白猫騎士団が担っているし、魔法的な結界も何重にも張られている」
魔法国メギストスの王城は世界で最も安全な場所の一つと言っても過言ではない。
ここで剣を抜く機会など、まず訪れないだろう。
「とはいえ、王子の仕事は城内だけではないぞ!」
ゴリアテが茶菓子を一口で放り込みながら口を挟む。
「もう少し落ち着いたら王太子任命式を行うことになり、その後は各地の査察や式典にも赴くことになる! その時は城外での警護だ。お前たちの冒険者としての経験が活きる場面だぞ! 期待している!」
「は、はい!」
「……気張らせていただきます」
二人が背筋を伸ばす。
平和ボケしかけていた彼らにとって軍務長官からの激励は良い刺激になったようだ。
「それまでに立ち居振る舞いや作法を最低限仕込まねばなりませんね。冒険者あがりの粗野な動きでは他国はおろか、国内の貴族の前にも出せません。礼儀作法の教師を雇わねば」
ベルギオスが眼鏡の位置を直しながら、ちくりと釘を刺す。
厳しい言葉だが、それも彼らをピエールの側近として認めているからこその配慮だ。
「うっ……勉強は苦手なんですが……」
「……努力します」
アレッタとゼノが顔を見合わせて苦笑いする。
平和な夕闇が落ちる頃のひと時。
激務の合間の穏やかな休息の時間。
――その時。
フォン、フォン、フォン……。
ピエールの懐から、淡い光と共に妙な音が鳴り響いた。
「おっと。これはひょっとして……」
ピエールは慌てて懐を探り、一つの宝石を取り出す。
それは青く透き通る通信用の魔道具。
特定の相手とだけ繋がる直通回線だ。
彼がこの回線を渡した相手は世界にただ一人しかいない。
「通信、開通!」
ピエールが魔力を流し込むと、宝石が輝きを増し音声がクリアに響いてきた。
『もしもーし! ピエールさん? 聞こえますかー?』
元気な少女の声。
その声こそは――。
「スフィア君……いや、メリア君か! 久しぶり……でもないか? 元気にしていたかい!」
ピエールは弾んだ声で応答する。
つい先日別れたばかりの愉快で頼もしい友人たち。
彼らからの連絡にピエールの顔から公務の疲れが一瞬で吹き飛んだ。
ベルギオスが怪訝そうに眉をひそめる。
「スフィア、メリアというのは?」
「あ、ピエール様が武者修行中に出会った冒険者のご友人です」
アレッタが説明し、ゼノが補足する。
「……スフィアというのは『肉喰らい』と呼ばれる準二位冒険者です。とても強くてよく食べる猫獣人の方で、メリアさんはそのパーティーの頭脳担当です」
「ほう! 『肉喰らい』か! 小耳に挟んだことはあるな! 優秀だと聞く!」
ゴリアテが感心したように膝を打つ。
武闘派の彼は強い戦士の話には目がない。
ベルギオスは渋い顔をする。
「市井の者に、王族専用の通信機を易々と渡してほしくはないのですが……」
通信機は国家機密に関わる高度な魔道具だ。
それを一般人に渡すなどセキュリティ意識を疑いたくなる。
「渡してしまったものは仕方なかろう! それに、ピエール様が認めた友なのだろう?」
「はぁ……。悪用しない連中ならいいのですがね……」
ベルギオスはため息をつきつつもピエールの嬉しそうな横顔を見て、それ以上強くは言わなかった。
ピエールは通信機に向かって、楽しげに話しかけている。
「うんうん。こちらは相変わらずだよ。父の容態も安定しているし、僕も仕事に追われているけれど充実しているさ。……え?」
ピエールの表情が、ふと真剣なものに変わった。
「……なに? 竜を討伐するのに戦力が欲しい?」
その一言に室内の空気が変わった。
ベルギオスとゴリアテの目が鋭くなる。
アレッタとゼノも、作業の手を止めてピエールを見つめる。
ピエールは真剣な顔で頷きながら、相手の話を聞いている。
「ふむふむ……。なるほど。なんか凄い竜がレナック王国に出て、スフィア君がそれを食べたいと。ははは! 相変わらずだなスフィア君は! ブレないねえ!」
ピエールは愉快そうに笑う。
「わかった! 友人の頼みとあらば断る理由はない! よし、魔法国メギストスの精鋭軍と対竜用決戦兵器を搭載した艦隊を……」
「ダメです」
「ダメだな」
ベルギオスとゴリアテの声が重なった。
即答。
食い気味に、かつ冷徹に却下される。
「えっ」
ピエールが通信機を持ったまま固まる。
「殿下のご友人とはいえ、一個人の要請に正規軍を出せるわけないでしょう」
ベルギオスが冷静に諭す。
当然の理屈だ。
軍隊は国の剣であり盾だ。
一個人のために動かしていいものではない。
「兵器もダメだな。対竜兵器を搭載した艦隊など送り込んで、レナック王国にメギストスが侵略行為をしていると思われたら大事だ。国際問題になるぞ」
ゴリアテも腕を組んで首を振る。
友好国とはいえ事前通告なしに軍事力を展開させれば、それは宣戦布告と取られかねない。
「ううむ……」
ピエールは唸る。
確かにその通りだ。
王子という立場上、国益や外交を無視した行動は取れない。
かつての放蕩王子時代ならいざ知らず、今は次期国王としての知識と自覚がある。
「しかし、力を貸さぬというわけにもいかないし……。何より『すぐに来てほしい』と言われているんだ」
友人の頼みだ。
しかも、あのスフィアたちがわざわざ頼ってくるほどの相手。
相当な強敵であることは間違いない。
見捨てるなど論外だ。
「……そうだ!」
ピエールが手をポンと打った。
「僕の所有する馬車、ピエール号の貸与はどうだ?」
「ピエール号、ですか?」
ベルギオスが眉を上げる。
あの多機能変形馬車のことだ。
「あれに防御兵装を載せて、動かし方のわかる僕の使用人たちを乗せて送り出すんだ。あれは僕の私物だ。軍の備品ではない」
ピエールは熱弁を振るう。
「友人に個人的に馬車を貸す。防御兵装なら侵略の意図はないとすぐにわかるはずだ。それなら軍ではないし、侵略行為にもならないのでは?」
「…………」
ベルギオスとゴリアテは顔を見合わせた。
屁理屈だ。
だが外交上の建前としては……ギリギリ通らなくもないラインである。
ピエール号は確かに王子の私物として登録されている。
乗っているのも軍人ではなく、ピエールが個人的に雇っている使用人だ。
その雇用形態は王家に帰属するものではなく、ピエール個人に帰属している。
「……まあ、ピエール様が個人的に所有している馬車と使用人であれば、我々が関知するところではありませんな」
ベルギオスが、やれやれといった風に眼鏡を押し上げる。
黙認するという合図だ。
「防御兵装ならピエール様の大事な馬車を守護する名目で積んでいても不自然ではない……か? まあ、いけなくもない」
ゴリアテも顎髭をさすりながら唸る。
「よし、決まりだ! その方向で話を進めよう!」
ピエールは満面の笑みで通信機に向き直る。
「お待たせメリア君! 軍は出せないけど代案がある! 僕の『ピエール号』を貸し出そう! あれに防御兵装を載せれば竜相手でも遅れは取らないはずだ!」
再びメリアと話し始めるピエール。
具体的な合流地点や必要な装備の確認をしているようだ。
その様子を見ながらゴリアテが感心したように呟いた。
「ふうむ。できないとわかるや否や、すぐに代案を出すとはやるようになったものだな。以前のピエール様なら『なんでだ! 出せ!』と駄々をこねていたところ……ベルギオス、どうした? 怖い顔をして」
隣のベルギオスが、難しい顔をして沈思黙考している。
「いや……」
ベルギオスは小声で、ゴリアテにだけ聞こえるように囁いた。
「ひょっとして殿下は最初に通るはずのない『軍と最強兵器』という過大な要求を口にしてから、本命の『馬車の貸与』という妥協案を出し、それが通るように仕向けたのではないかと、ふと思いまして……」
「……」
ゴリアテが目を見開く。
それは交渉術の基本テクニックだ。
最初に無理難題をふっかけて拒否させ、相手に「さっきよりはマシ」という心理を植え付けた上でハードルを下げた本命を通す。
もしピエールがそれを計算してやっていたとしたら。
「……いや、まさかそんな」
ゴリアテは首を振る。
あの直情径行なピエール王子が、そんな腹芸を?
「偶然だろう。友人を助けたい一心で、ただ思いついたことを口にしただけに違いない」
「……そうですね。考えすぎでしょう」
ベルギオスも苦笑して否定する。
まだそこまでの古狸にはなっていないはずだ。
その時、ピエールの素っ頓狂な声が響いた。
「え、準備が終わる頃に引き取りに来る? 誰が? ……お母さん? メリア君の母親が来るのかい?」
ピエールの言葉が止まる。
そして、その目が驚愕に見開かれた。
「第一位冒険者……マーガレット殿だって!?」
「「「ッ!?」」」
その名前に、室内の全員が反応した。
アレッタが持っていたお盆を取り落としそうになり、ゼノが目を見開いて硬直する。
ベルギオスとゴリアテでさえも、ピクリと眉を動かした。
第一位冒険者『女帝』マーガレット。
その名は国境を越えて轟く生ける伝説だ。
魔法国メギストスにおいても彼女の魔法理論や武勇伝は教科書に載るレベルの知名度を誇る。
そんな人物の名前に思わずピエールの声が上ずる。
「嘘だろう……! あの伝説の女帝が、我が城に来るのか!?」
彼は王族である前に冒険者に憧れる一人の青年だ。
マーガレットは彼にとってアイドル以上の存在、まさに憧れなのだ。
そしてそれはアレッタとゼノも同様であった。
「ま、マーガレット様が!? 本物が!?」
「……俺たちの目の前に現れるのか……?」
二人の目がキラキラと輝き出す。
冒険者にとっての頂点。
その姿を拝めるだけで一生の自慢になる。
ピエールは通信機を握りしめ、叫んだ。
「わかった! すぐに準備させる! ピエール号をフルメンテナンスし、最高の状態で引き渡せるように手配する! だから是非! 是非正面玄関から堂々といらしてくれ!」
通信を終えたピエールは、弾かれたように立ち上がった。
「こうしてはいられん! アレッタ、ゼノ!」
「了解ですピエール様!」
「サイン色紙ですね!」
二人は言われなくとも理解していた。
主君が何を求めているのかを。
「無論三人分だ! いや、保存用と観賞用も含めて五枚……いや十枚だ! すぐに用意せよ! 最高級の紙とインクでな!」
「はい!!」
「直ちに!」
アレッタとゼノはバタバタと応接室を出て行った。
「あ、あと僕のコレクションの『女帝物語・初版全巻セット』も持ってこないと! サインをもらうチャンスは今しかない!」
ピエールもまた、マントの裾を翻して走り出さんばかりの勢いだ。
「ベルギオス! ゴリアテ! ピエール号の出撃許可書をすぐに作ってくれ! 署名は後でする! 僕はマーガレット殿をお迎えする準備をしてくるからな!」
言うが早いか、ピエールは風のように退室していった。
あとに残されたのは呆然とする二人の重鎮。
「…………」
静寂が戻った応接室で、ゴリアテがポツリと呟いた。
「……まさかな?」
「まさかでしょう、さすがに……」
ベルギオスが深い、深いため息をつく。
先ほど感じたピエールの成長や計算高い交渉術の片鱗。
あれはやはり買いかぶりだったのか。
それとも、この「ただのミーハーな若者」という姿さえも彼らを油断させるための演技なのか。
二人は顔を見合わせ苦笑するしかなかった。
王子の成長。
その片鱗を感じ取ったような、そうでもないような。
魔法国メギストス。
その中枢は今日も平和で、そして少しだけ騒がしかった――。




