船上の攻防
夕刻。
太陽は水平線へとその身を沈めつつあり、空と海は茜色から群青色へと移ろう美しいグラデーションに染め上げられていた。
カジノ客船『クレセント号』は予定された航路を順調に進み、夜の停泊ポイントを目指している。
船の最上層にあるブリッジでは船員たちが手際よく業務をこなしていた。
計器の光が点滅し、静かな駆動音が響く。
だが、その平穏は唐突に破られる。
「……現在位置、ポイントA手前。順調です」
「うむ」
船長がコーヒーカップを傾けようとした、その時。
ズウゥゥゥゥン……!!
腹の底に響くような重低音と共に、船体が大きく揺らいだ。
波による揺れではない。
何かが物理的に、あるいは魔力的に衝突した衝撃だ。
コーヒーカップの中身が跳ね、わずかにテーブルを汚す。
「何事だ!?」
船長が即座に立ち上がり、窓の外を睨む。
しかし、そこにあるのは夕陽に照らされた海だけだ。
「魔力計に感あり! 反応対象、急速接近!」
レーダー役の船員が悲鳴のような声を上げる。
「識別信号なし! こ、これは……海賊船です!」
「なんだと!!」
副船長がコンソールに駆け寄る。
魔道具のモニターには、今まで何もなかったはずの空間に突如として船を示す赤い光点が浮かび上がっていた。
「何故今の今までわからなかった!? 見張りは何をしていた!!」
「い、隠蔽魔法です! 船全体に光学迷彩と魔力遮断を掛けていた模様! 接触寸前まで完全に気配を消していました!」
「船ごと透明化だと……!?」
副船長が歯噛みする。
だが事態は一刻を争う。
衝撃は二度、三度と続き、船内からは警報が鳴り響き始めた。
どこかのハッチがこじ開けられ、侵入を許した合図だ。
「迎撃は!?」
「ダメです! 敵船は既に接舷! 取り付かれています!」
白兵戦になる。
副船長は瞬時に状況を判断し、決断を下した。
「お客様の身の安全を確保だ! 総員、お客様全員と護衛の者たちを誘導し、カジノのメインホールに移動させろ!」
「全員ですか!? 客室やレストランに分散させた方が……」
客を個室に避難させるのがセオリーではないのか。
戸惑う船員に副船長は畳みかける。
「ダメだ! バラバラに動かれてパニックを起こされるより、防衛力の高い一つ所に纏めた方が守りやすい! この船の警備兵もそこへ集中させる!」
副船長は船長の方を向き、同意を求めた。
「よろしいですね、船長!!」
「あ、ああ。そうだな! 君の判断を信じる!」
船長の許可を得るや否や、船員は船内放送のマイクを掴んだ。
『――お客様へご連絡します。緊急事態です。現在、本船は海賊の襲撃を受けています』
冷静さを努めて作った声が、船内のスピーカーを通して響き渡る。
『パニックにならず、乗務員の指示に従い、カジノフロア、メインホールへ移動してください。乗務員はお客様の身の安全を第一に、落ち着いて行動してください。繰り返します――』
◆◆◆◆
場面は変わり、甲板。
茜色の夕陽と海風が吹き抜ける中、そこだけは異質な空気が支配していた。
『繰り返します、カジノフロアへ移動してください――』
スピーカーから流れる避難誘導の放送をBGMに、二つの影が対峙している。
「ハァッ!」
護衛の男、クロードが右手を振り抜く。
空間に生成された魔力の大剣が唸りを上げて射出され、真紅のドレスを纏うマーガレットへと襲い掛かる。
魔力で構成された刃は、鉄骨さえも容易く両断する威力を持っている。
だが。
カィィィン!
甲高い音と共に大剣は空中で静止し、弾き飛ばされた。
マーガレットは一歩も動いていない。
彼女の目前、指先ひとつ動かさずに展開されたのは、わずか手のひら大サイズの魔力障壁だ。
それが大剣の切っ先にピンポイントで出現し、威力を完全に殺しているのだ。
「いいのか『女帝』? 海賊が来たぞ」
クロードは冷や汗を拭いながら口元を歪めて笑う。
「放送が聞こえただろう。乗客を守る必要があるんじゃないのか? あんたほどの使い手がこんなところで俺ごときと遊んでいていいのかよ」
心理的な揺さぶり。
正義感の強い冒険者ならば一般人の危機を見捨ててはおけないはずだ。
その隙を作れれば打倒、あるいは逃げられるかもしれない。
しかし、マーガレットは退屈そうに欠伸を噛み殺した。
「問題ない」
彼女の脳裏に浮かぶのはビュッフェで山盛りの肉を食らっていた猫獣人と、野菜を食らっていた牛獣人の姿。
「任せられる戦力はいるからな。私が出るまでもない。それに……」
マーガレットの瞳が鋭い光を帯びて護衛を射抜く。
「心理戦とは随分と余裕がないじゃないか。なあ」
「チィッ……!」
クロードは舌打ちをする。
揺さぶりは通じない。
それどころか、底知れぬ実力差を見せつけられている。
(防御が固すぎる……! ドーム状の広範囲防御ならともかく、あの極小サイズの障壁を俺の攻撃に合わせて寸分違わず展開しているのか? そんな芸当、人間業じゃねえ……バケモノかよ……!)
魔法戦において、広範囲の結界を張るのは有効だが大味な手だ。
魔力消費が激しい上に強度が分散する。
対して、攻撃が当たる一点にのみ防御を集中させるのは理論上強力だが、それを実現するには神業的な動体視力と魔力制御が必要となる。
それをこの女は呼吸をするようにやってのけている。
「こうなったら、フルストックで行く。……悪く思うなよ!」
クロードは覚悟を決めた。
温存していた魔力を一気に解放する。
周囲の空間が歪み、光の粒子が収束していく。
一本、二本、五本……十本。
いや、二十本。
彼を取り囲むように二十本もの魔力の大剣が顕現した。
その一本一本が必殺の威力を秘めており、放たれる殺気が甲板の空気をビリビリと震わせる。
「――生成完了。『剣を従える者』」
それは、高度な並列処理能力を要する高位魔法。
浮遊する剣を使役し、攻防一体の陣形を組む剣の魔法だ。
「行けッ!!」
クロードは両手を広げ、まるで指揮者のように指を振るう。
二十本の大剣が唸りを上げ、一斉にマーガレットへと殺到した。
前後左右、上下、あらゆる死角からの同時攻撃。
逃げ場はない。
「ふん」
マーガレットは鼻を鳴らす。
彼女の周囲にいくつもの手のひら大の魔力障壁が高速で移動し、襲い来る大剣を次々と迎撃していく。
ガガガガガガガガッ!!
激しい衝突音が連続して響く。
火花が散り、光が弾ける。
大剣の嵐の中、マーガレットは優雅に佇んでいた。
一歩踏み出し、身体を少し傾け、あるいは障壁で軌道を逸らす。
その動きには一切の無駄がない。
「……! これでも通らないのか……!?」
クロードの顔が引きつる。
二十本の剣をそれぞれ別々の軌道で操っているのだ。
通常の魔術師なら防ぎきれないはずの飽和攻撃。
それを彼女は涼しい顔で捌ききっている。
しばらくの攻防の後、マーガレットは呆れたように深いため息を吐いた。
「……これで全部か?」
「……なに?」
「これで出せる手は全部かと聞いている」
マーガレットは障壁を展開しながら無防備に立ち尽くす。
いや、それは無防備ではない。
「攻撃する価値もない」という最大の侮蔑だ。
「な、めるな……!」
クロードが反論しようと口を開いた瞬間、マーガレットの双眸が彼を貫いた。
絶対的な強者の眼光。
蛇に睨まれた蛙のようにクロードの身体が硬直する。
「未熟者め」
マーガレットから放たれた、ただ一瞬の魔力の波動。
それだけで、空中に展開していた二十本の魔力大剣が、枯れ葉のように吹き飛ばされた。
「なっ……!?」
「天才だというから、どういう手筋を使うかと思えば……」
マーガレットは失望を隠さずに歩み寄る。
「お前、習得速度はそれなりに早かったようだが、その後は碌に研鑽していなかったな?」
「なんだと……? 俺は、この魔法を完成させた!」
「完成? 笑わせるな。思った通りに動かせれば極めたとでも? 何故そこから一歩踏み出さん。練度不足にもほどがある」
マーガレットが右手を軽く上げる。
「手本だ。ひとつずつ教授してやろう。『剣を従える者』」
シュンッ、シュンッ、シュンッ。
音もなく、マーガレットの周囲に剣が現れた。
数は同じく二十本。
だが、それはクロードのような大剣ではない。
鋭く、薄く、そして短い。
空気を切り裂くことに特化したようなショートソードだ。
「お、お前も使えるのか!?」
「何故驚く? この魔法はお前だけの専売特許ではないぞ。視野が狭い」
マーガレットは冷たく言い放つ。
魔法とは理論だ。
構造さえ理解していれば使うこと自体は造作もない。
ましてやマーガレットは超一流の魔法使い。
この剣の魔法を習得していないわけがない。
「そして、お前は大剣にしていたようだが……それはこの魔法の場合、防御用とすべきだった。単純に刃の面積が大きいからな、壁としては優秀だ。だが攻めるならば取り回しのしやすい小剣が望ましい。速度、旋回性能、魔力効率、全てにおいて上。選択ミス」
「ぐっ……!」
マーガレットの指先が動く。
一本の小剣が射出される。
速い。
その小剣は凄まじい速度で接近し、彼が咄嗟に操作した大剣の一本に激突する。
バキンッ!
「な、何ィ!?」
クロードの大剣が飴細工のように両断された。
抵抗もほとんど無いほどに。
「ひとつ言っておくが、お前の剣と私の剣は生成時に使用した魔力量がほぼ同量だ」
マーガレットが解説する。
魔力量の差で押し切ったわけではない。
「では何故、明確に差が出るかだが……私の剣は刃部分、主に刃先に魔力を強く集中させて強度と斬れ味を高めている。対してお前の剣は全体に均一に魔力を配分しているな? 基礎的で平均した配分だ」
「そ、それは……全体の強度を上げるために……」
「愚か者。何故用途に応じて配分を変えない? 斬る瞬間だけ硬度を上げればいい。受ける瞬間だけ質量を増せばいい。そんな工夫も思いつかなかったか? 技量不足に発想不足」
マーガレットの周囲の小剣が生き物のように蠢く。
「次だ」
ヒュンヒュンヒュンッ!
二十本の小剣が同時に襲い掛かる。
だが、その動きは異様だった。
数本は直線的に、矢のように最短距離で突っ込んでくる。
別の数本は急停止と急加速を繰り返す、まるで機械仕掛けを思わせる不規則な挙動で側面へ回る。
残りの剣は、まるで熟練の剣士が握っているかのようにフェイントを交えた複雑な剣技の軌道を描く。
三種類の全く異なる動きが、完全に同時に迫る。
「な、なんだこの動きは!?」
クロードはパニックに陥った。
目で追うことはできる。
だが、脳が動きを理解しきれない。
どれを防げばいい? 直線か? いや、横からの変則機動か? それとも剣技か?
「動きが読めんだろう。脳の認知処理の限界だ」
マーガレットの声が絶望的な状況解説として響く。
「前提として、人間は同時並列処理ができん。できるように思えても、それは瞬間的に意識を切り替えているだけで完全同列処理はできておらんのだ」
クロードは浮遊する大剣を操作して振り回すが動きがぎこちない。
対応の優先順位がつけられず迷っているのだ。
その隙を縫って、マーガレットの小剣が彼のローブを切り裂き、頬を掠め、大剣を削り取っていく。
「別々の攻撃が全く同時に来ればどうなるか。その場合、完全同時攻撃の種類に対し脳が認識しきれず、対処すべき優先順位が崩壊し、判断が追い付かなくなる」
「くそっ、くそぉぉっ!」
「反射神経でも対応はできんぞ。あれは最初に知覚した攻撃に対する超反応でしかない。タイプの違う同時攻撃にはどちらに対応すべきか迷いが起こり、むしろ身体が硬直してしまうからな」
クロードの腕と足に浅い傷と痛みが走る。
「整然とした攻撃は対処しやすい。攻撃は同時に、かつ種類の違うものを組み合わせてやるべきだった。人間の認知機能の限界程度は勉強しろ。お前は知識を武器とする魔術師だろうが。知識不足と応用力不足」
クロードは追い詰められた。
手動操作の限界だ。
二十本の剣を意識して動かすなど、恐ろしいほどの集中力を要する。
だが、マーガレットは涼しい顔だ。
「そしてお前、見たところ全て手動操作だな?」
「手動で動かして何が悪い! 精密な操作には……!」
「その通り。精密な動作を行うには手動操作が望ましい。しかしそれも限度がある。その数を手動操作で操るのは大したものだが、術者の負担を減らしつつ、術者が混乱した場合に備え、さらに知覚できない攻撃に対応するために一部には自動操作の術式を組み込むべきだったな。そら、後ろからの奇襲にどう対応するつもりだ? 準備不足と想定不足」
マーガレットの指が鳴る。
死角。
クロードの背後に回り込んでいた一本の小剣が、彼の大剣の隙間を縫って急接近した。
「しまっ……!」
気づいた時には遅い。
いや、まだ距離がある。
防げるか――?
ギュンッ!!
だが、小剣の刃がゴムのように一気に伸びた。
「剣が伸びた!?」
クロードの目が驚きに見開かれる。
伸びた刃は護衛が盾にしようとした大剣ごと、彼の肩を貫いた。
「がぁっ!?」
「何故驚く? これは物質的な剣ではなく魔法で作った剣だぞ? 付加効果や刃の形状操作はできて当然だ。固定観念」
マーガレットは冷徹に告げる。
形ある剣に拘泥し、魔法という無限の可能性を自ら狭めている愚かさ。
縦横無尽に動き回る小剣の群れにクロードの大剣は次々と破壊され、駆逐されていく。
もはや勝負は見えた。
「あ、あ……」
クロードは膝をつく。
全ての剣を失い、全身に無数の切り傷を負い、戦意を喪失していた。
彼が見上げる先には二十本の小剣を従え、夕陽を背に立つ女帝の姿。
マーガレットは不機嫌そうに舌打ちをした。
「総評」
彼女は右手を振り下ろす。
「初等部からやり直せ、未熟者が!」
二十本の小剣が、一斉にクロードへと殺到した。
「あああああああっ!!!!」
断末魔の悲鳴が甲板に響き渡る。
斬撃の嵐が吹き荒れ、彼の身体はコマ切れに――は、ならなかった。
ドサッ。
白目を剥いたクロードが糸の切れた人形のように倒れ伏す。
全身に激痛は走っているだろうが命に関わる傷はない。
気絶しているだけだ。
「魔法で作った剣だ。今の攻撃は痛覚神経に作用する設定にしただけで実際に切断はせん」
マーガレットは全ての小剣を霧散させ、倒れた男を見下ろした。
同じ魔法を用いながらも技量、知識、発想、全てにおいて次元の違う強さを見せつける。
彼女には第一位冒険者『女帝』の他にも畏敬を込めて呼ばれる名があった。
「まったく……どいつもこいつも基礎だけで使いこなせたと勘違いして、今一歩発想が足りん。魔法に使われるな。魔法という現象を己の手足として支配しろ」
マーガレットは髪をかき上げ、吐き捨てるように呟く。
「もう少しまともに魔法を『使え』というんだ」
そう。
彼女は単なる魔術師ではない。
魔法という理を自在に操る者。
彼女はこう呼ばれる。
『魔法使い』と――。
理屈っぽいですが、魔法戦を魔力量の差とかでファジーに片づけずに突き詰めていくと、どうしても物理方面に寄って理屈っぽくなると思います。




