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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第九話 カジノ船の依頼

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甲板にて

100話記念!

夕闇が迫り、空と海が溶け合う刻限。


カジノ客船『クレセント号』の広大な甲板は、茜色の残照と夜の帳がせめぎ合う幻想的な色彩に包まれていた。


船内の喧騒とは対照的に風切り音と波の音だけが支配する静寂の空間。

そこに二つの足音が響く。


「ええい、まだやつらは来んのか!」


苛立ちを隠そうともせずに声を荒らげるのは、先ほどビュッフェで騒ぎを起こして退出したイグニス子爵だ。

派手な装飾の衣装を海風になびかせ、落ち着きなく甲板を行ったり来たりしている。


「もうじきだと思いますがね」


その背後に控える護衛の、端正な顔立ちの男が淡々とした口調で答える。

ローブを目深に被り、表情を読み取らせないその態度は主人の癇癪に慣れきっており、心の底で軽蔑しているようだ。


子爵が手すりを乱暴に叩く。


「まったく、このわしが海賊なんぞと手を組むことになるとはな!」


「口を慎んでください。どこで誰が聞いているかわからないんですから」


護衛が鋭く諫める。

周囲には誰もいないように見えるが、海の上とはいえ油断は禁物だ。


「ええい、うるさい! 少しは愚痴らせろ!」


子爵は聞く耳を持たず、甲板に設置された休憩用のベンチにドカッと腰を下ろした。

顔を歪め、吐き捨てるように言葉を続ける。


「大体、なんでわしがあんな貧乏くじを引かねばならんのだ。計画ではどうなっていた? 言ってみろクロード!」


「……はあ」


クロードと呼ばれた護衛の男は小さく溜息をつき、主人の機嫌を取るために確認事項を口にする。


「海賊どもがこの船を襲撃した際、奴らが乗客全員の身柄と引き換えに金品を要求する。そこで協力者である『あの男』が上層部を説得して時間を稼ぐ」


「うむ」


「その緊迫した状況下で子爵がまず真っ先に金品を差し出し、命乞いをする。それを見て他の連中も『金で命が助かるなら』と金品を出しやすくする空気を作る……でしたね」


「その通りだ!」


いわゆるサクラだ。

集団心理を利用し、抵抗する気を削いで効率よく回収するための舞台装置。


「その金品を後で海賊とわしらで山分けするのは良い。計画自体は悪くない。だが何故! わしがそんな情けない役回りなのだ!」


子爵がバンバンと膝を叩く。

プライドの高い彼にとって、真っ先に降伏して命乞いをする臆病者を演じるのは屈辱以外の何物でもないらしい。


「……適材適所でしょう」


護衛のクロードがボソリと呟く。

その言葉には「あんたにピッタリだ」という皮肉が込められていたが興奮している子爵は気づかない。


「何が適材適所だ! 『あの男』はどうだ? その際に場をとりなしたとして、海賊が去った後には金品の代わりに乗客の命を守った英雄扱いだぞ? それを武勇伝として広めてやるのはわしの人脈だろうが! なんであいつばっかりいい思いをするんだ!」


「……」


一応護衛であるクロードは雇い主の言い分に呆れて無言で肩をすくめる。

子爵の不満はもっともだが、そもそもこの計画に乗った時点で同罪だ。


そしてクロードはふと、視線を虚空に向けた。


違和感がある。

潮風に混じって、ごく微かだが異質な気配が漂っている。


魔力だ。

それも極めて高度に隠蔽された、しかし底知れぬ圧力を秘めた魔力の残り香。


「誰だ!?」


クロードが叫んで素早く振り返る。

ローブの裾が翻り、臨戦態勢を取る。


しかし。

彼が振り返った先には、誰もいなかった。

ただマストの影が長く伸びているだけだ。


「……あ?」


イグニス子爵がきょとんとした顔で周囲を見回す。


「おい、誰もおらんではないか! 驚かせるな! まったく、どいつもこいつもわしを馬鹿にして……」


「出てこいッ!」


クロードは右手を突き出す。


瞬時に練り上げられた魔力が収束し、一本の巨大な『大剣』を形成する。


物理的な剣ではない。

純粋な魔力によって編まれた白く輝く処刑刃だ。

魔力の大剣が鋭く射出され、何もないはずの空間を切り裂くように飛翔する。


ガィィィィン!!


金属音のような、あるいはガラスが軋むような甲高い音が響き渡った。

魔力の大剣は何かに弾かれたように軌道を変え、甲板に突き刺さって霧散した。


「……やれやれ。もう少し喋らせたかったんだがな」


空間が揺らぐ。

光学迷彩が解除されるように一人の女性の姿が世界に滲み出てくる。


夕陽を背負い、燃えるような真紅のドレスを海風にはためかせた銀髪の美女。

『女帝』マーガレットが優雅にそこに立っていた。


「な、まさか……『女帝』……?」


子爵が腰を抜かさんばかりに仰け反る。


魔法国の貴族である彼がその顔を知らぬはずがない。

生ける伝説の魔法使い、マーガレットだ。


マーガレットは、まるで茶飲み話でもするかのような気楽さで護衛に問う。


「参考までに聞こう。何故分かった?」


「……子爵のおっさんが普段よりやけに饒舌だったことと、魔力の残り香だ」


クロードは油断なく構えながら答える。


額には冷や汗が滲む。

相手の格が違いすぎることは魔術師としての本能で理解している。


「こっちも聞きたいんだが、あんた何をした? ただ盗み聞きしていただけじゃないだろう?」


「企業秘密……と言いたいが、少しネタばらしをしようか。私も技術自慢がしたくてね」


マーガレットは悪戯っぽく笑い、人差し指を立てた。


「毒だ」


「毒!?」


子爵が自分の喉を掻きむしるように押さえる。


「慌てなくてもいい。毒といっても致死毒じゃない。まだその段階には到達していなくてな」


マーガレットは子爵の狼狽ぶりを冷ややかに見下ろし、講義を始めるように語り出す。


「マンドラゴラ、というものを知っているか? 引き抜くと悲鳴を上げ、それを聞いたものを発狂、あるいは死に至らしめる魔植物だ」


「知っている。それが?」


「私はあれを解析したところ、あれは音波による物理的な精神破壊や呪いの類ではなく、聴覚情報を通じて脳に作用する『新種の情報毒』だと判断した。いわば、耳で摂取する毒だな」


マーガレットの瞳が研究者のような狂気を帯びて輝いている。


「それを更に解析して術式として落とし込み、食事ではなく言葉に乗せることで摂取させる情報毒を制作した。今回、護衛である貴様の言葉に仕込んだのは簡易的な自白剤のようなものだな。脳のリミッターを外し、心に溜め込んだ不満や秘密をペラペラと喋りたくなるように誘導する。それが子爵を饒舌にさせたものの正体だ」


「な……ッ!」


子爵は顔を真っ赤にする。


先ほどの自分の愚痴や、計画の暴露。

あれは、言わされたものだったのか。


マーガレットは肩をすくめる。


「とはいえまだ改良段階でな。致死毒のような強力な毒はまだ仕込めないし、危険であるため術式をうかつに公開もできん。おまけに仕込んだ会話から意識を逸らしたり、耳を塞ぐだけで機能しなくなる。実に改善点が多い代物だよ」


「……なるほど。実験台にされたわけか」


クロードは舌打ちをする。

一見まともだが、彼女はどうやら倫理観のネジが数本飛んでいるらしい。


「それで、思ったよりベラベラ喋るが、どういうつもりだ? 計画がバレた以上ただで済むとは思えんが」


「ふふ、理由は三つある」


マーガレットは指を折る。


「ひとつは先も言った通り、ただの技術自慢。誰かに話したくてウズウズしていた」


「……」


「もうひとつは、術式が複雑すぎて概要だけでは再現しきれないこと。聞いたところでお前には真似できん」


傲慢。

しかし、圧倒的な実力に裏打ちされた事実。


「そして最後に……」


ドッ!!


甲板が踏み砕かれる音が響いた。

次の瞬間、マーガレットの姿が消えた。

いや、速すぎるのだ。


「お前たちはここで私が捕らえるからだ。あの男とやらが誰なのか吐いてもらう」


「くっ……!」


クロードが反応する。

咄嗟に展開した魔力障壁の前に、マーガレットの手刀が迫る。


ガガガガガッ!!


障壁と手刀が接触し、激しい火花が散る。


魔法使い同士の戦いとは思えない、超近接戦闘。

彼女の体術は魔力で身体能力を強化した格闘術だ。


「護衛料金の割に合わないぞ、これは……!」


クロードは必死に防戦する。

再度、魔力の大剣を生成し迎撃を試みる。


そしてイグニス子爵が少し離れた安全圏から叫ぶ。


「『女帝』! そいつはメギストスの魔法学院で天才と呼ばれた男だ! いくら昔有名な冒険者だったとしても、ロートルの貴様では勝てまい!」


まだ「おしゃべり毒」の効果が続いているらしい。

余計なことまでベラベラと喋っている。


「ちょっと黙っててくれないかねえ、おっさん……!」


クロードが悲鳴に近い声を上げる。


相手は化け物だ。

余計な挑発は寿命を縮めるだけだというのに。


「やれやれ……二十年程度活動しなかっただけでロートル扱いとは、な!」


マーガレットは気合い一閃。

護衛が繰り出した魔力の剣を、なんと素手の手刀で弾き飛ばした。


パァン!とガラス細工のように砕け散る魔剣。


「ぐっ……!」


クロードが大きく距離を取る。

呼吸が荒い。


対するマーガレットはドレスの乱れ一つなく、涼しい顔で立っている。


「……あの子爵はどうでもいいが、貴様の素性に興味が湧いた」


マーガレットはクロードを見据える。


その動き、魔力の練度。

ただのゴロツキではない。


「何故、こんな小物の護衛なんぞやっている?」


「……」


「魔法学院で天才と呼ばれていたのだろう? その技術があれば宮廷魔術師団でも、大手商会のお抱えでも就職先などいくらでもあるはずだ。何故こんな、海賊と手を組むような汚れ仕事を?」


マーガレットの純粋な疑問。

才能ある若者が、なぜ道を踏み外しているのか。


クロードは苦渋に満ちた顔で、拳を握りしめた。


「……別に。金だよ。運が悪かったんだ」


「ほう」


マーガレットは攻撃の手を止め、先を促す。


何か同情すべき事情があるのか。

実家の借金、あるいは家族の病気の治療費など。


クロードは悔しさを滲ませ、絞り出すように言った。


「学院に通っていた頃、俺は確かに天才と呼ばれていた。使いこなすのが難しい剣魔法『剣を従える者(ソードサーヴァント)』を操る神童だってな……将来を嘱望されていたさ」


彼は悲痛な叫びを絞り出す。


「だが、俺は運が無かった。運が、無かったんだ……」


若き才能を押しつぶした不運とは一体何なのか。

マーガレットは神妙な面持ちで耳を傾ける。


「裏通りの賭博場で、有り金を全部スッてしまって……」


「は?」


マーガレットの思考が一瞬停止した。

今なんつったこいつ。


「学費も払えなくなって……退学になったんだ……!」


「……学費を賭博に注ぎ込んだのか!?」


「あと少し! あと少しで取り戻せたはずなんだ……! あの時のルーレット、赤に賭けていれば……!!」


クロードの目に狂気じみた光が宿る。


それは絶望に打ちひしがれた者の目ではない。

ギャンブル沼に沈んだ者の救いようのない目だ。


こいつ、悲運の天才魔術師かと思えばただの馬鹿だった。

当時の教師たちも思わず頭を抱えただろうことは想像に難くない。

賭博場なんぞに行かずに学校行けよ。


「だから俺は、この仕事でデカい金を稼いで……今度こそ、今度こそ金を稼いで……」


クロードは高らかに叫んだ。

夕陽に向かって、己の魂の叫びを。


「賭博場で、勝つ!!!」


「学費払って学校へ行け馬鹿者ォォォォォ!!!」


ドオォォォォォン!!


マーガレットの絶叫と共に、膨大な魔力が爆発した。


「マジ聞きした私に謝れ!! 親が泣くぞこの馬鹿野郎!!」


「うるさい! 俺の勝手だ!!」


「おい派手にやるなァ!! わしが巻き添えになったらどうする!!」


茜色の空の下で二つの魔力が交錯し、クレセント号の甲板にて戦いが始まるのであった――。

悲運の天才は割と見かけますが、このタイプのバカは見たことが無いです。

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