不穏の気配
豪華カジノ客船『クレセント号』船内は相変わらず煌びやかだが、ビュッフェエリアには満腹感とアルコールによる適度な弛緩した空気が漂っていた。
「やー、遅くなってごめんなさい。こっちはようやく終わりましたよ」
疲れと達成感が入り混じった声と共にメリアがテーブルに戻ってきた。
その足取りは軽い。
どうやら、あのゲームは彼女の完全勝利で幕を閉じたらしい。
ワイングラスを傾けていたマーガレットが愛娘を迎え入れる。
「おお、来たか」
「おーっす」
「よーっす」
スフィアとブルも、それぞれのグラスを掲げてメリアを迎える。
テーブルの上には山のように積み上げられた空の皿が塔を成していた。
「うわあ、結構飲み食いしてる……。これ、代金大丈夫です?」
メリアが目を丸くする。
ビュッフェ形式とはいえ、別料金の高級酒のボトルが何本も空いているのが見える。
彼女の頭の中で無意識に計算が弾かれたが、その数字は決して可愛らしいものではないだろう。
「問題ない。全部私の奢りだ」
マーガレットは事もなげに言った。
「へ?」
「なかなか良い仲間を見つけたではないか。私はこいつらを気に入ったぞ」
マーガレットは上機嫌に笑う。
先ほど地雷を踏みかけて一瞬殺気立った空気は美味しい酒と食事、そして何よりスフィアたちの巧みかつ必死の話題転換によって霧散していた。
地雷処理、無事完了である。
解体工のスフィアさん、ブルさんお疲れ様。
「へえー、スフィアさんとブルさん、お母さんと気が合ったんですねえ。よかったです」
メリアは心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。
自分には優しい母だが他人には相応に厳しいことも知っているからだ。
「お前の母ちゃん気前良いよな!」
スフィアがニカッと笑う。
超怖いけど、という本音は分厚いステーキ肉と共に飲み込んだ。
「良い人だよね!」
ブルもニコニコと同意する。
怒ると死ぬほど怖いけど、という感想はサラダと共に咀嚼してしまう。
二人なりの処世術である。
「うんうん、仲良くなってくれて嬉しいです!」
嬉し気に微笑むメリアに、マーガレットが興味深そうに尋ねた。
「ときにメリア、あっちの様子はどうだった? 多少マシそうなのはいたか?」
マシというのは娘の相手として、あるいは商売相手として合格点の男がいたか、という意味だ。
まあ仕掛けに掛かる時点でいないだろうなと踏んでいるが、念のためである。
「うーん、全滅かなあ」
メリアは肩をすくめ、やれやれといった風情で首を振る。
向こうの男たちは欲望と焦りに目をくらませ、自滅していったらしい。
「最初は威勢が良かったんだけどね。『自分が一番だ』って張り合って、無謀な倍率に挑んでは散っていっちゃった。最後の方は、お互いの足を引っ張り合うような賭け方をして……結局、誰も一時間生き残れなかったかなあ」
残念、ゲームオーバーだ。
メリアの手のひらの上で踊らされ、財布を軽くして去っていった男たちに幸いあれ。
いつか良い人ができたらいいですね、とメリアは思う。
完全に他人事であった。
「ふん、まあそんなものだろうよ」
マーガレットは鼻で笑い、ワインを煽る。
その時、ビュッフェスペースの入り口が開き、新たな客が入ってきた。
派手な装飾が施された悪趣味なほどに煌びやかな服を着た男だ。
その目には隠しきれない傲慢さと、どこか粘着質な性根の悪さが滲み出ている。
一目で関わってはいけないタイプとわかる貴族だ。
その背後には、護衛とおぼしき顔つきの整った男が一人付き従っている。
こちらは対照的に無表情で全身を質の良いローブで包んでいる。
杖は持っていないが、その身のこなしと漂う魔力の気配から相当な手練れの術師のようだ。
マーガレットはグラスを口に運ぶふりをしながら、その二人を鋭い横目で見据える。
眼光が一瞬だけ鋭くなるが、すぐに興味なさげな風情に戻った。
そしてカァーン、と高く澄んだ鐘の音が響く。
ビュッフェスペースの奥に設けられたステージの照明が明るくなり、周囲の客たちの視線が集まる。
『これより、当船自慢の踊り子たちによる、幻想剣舞を披露いたします!』
司会者の声が響き渡る。
「剣舞か。女には興味ねーけど、剣舞なら見るかな」
スフィアが椅子を少し回転させ、ステージの方を向く。
剣士として、他者の剣技を見るのは勉強になる。
それが実戦用であれ、演舞用であれ、身体の使い方には学ぶべき点があるものだ。
「人間の女の子かな」
ブルが軽く身を乗り出す。
牛獣人でないのなら興味はないが、一応見ておこうという姿勢だ。
「まあ、そうだと思いますけど……この船は魔法国の船ですし、色々な種族がいるかもしれませんね」
メリアがコーヒーを啜りながら答える。
期待とざわめきの中、ステージの袖から踊り子たちが現れた。
音楽がエキゾチックで激しいリズムを刻み始める。
だが、観客席の一部から「あぁ……」という、期待外れのような溜息が漏れた。
現れたのは、人間の美女たちではなかったからだ。
「獣人……?」
そう、ステージに立ったのは五人の獣人の踊り子たちだった。
獅子、豹、狼、猫、そして中央には豊満な肢体を持つ牛の獣人。
彼女たちはきらびやかな衣装を身に纏い、手には刃の潰された演舞用の曲刀を持っている。
人間の客の多くは肌の露出した人間の美女を期待していたのだろう。
あからさまにテンションが下がり、中には興味を失って食事に戻る者もいた。
だが。
「おおおおっ!!」
ここに一人、テンションが急上昇した雄がいた。
「牛の人だ! 凄く綺麗な毛並みだね! スタイルも抜群だ!」
ブルである。
彼の瞳は、中央でポーズを決めるホルスタイン種の牛獣人のお姉さんに釘付けだ。
サングラス越しでもわかるほど目がハートマークになっている。
大興奮であった。
「お前、ほんとブレねえな……」
スフィアが呆れつつも感心する。
音楽が激しさを増し、踊り子たちが動き出した。
ヒュンッ!
空気を切り裂く音が音楽のビートに合わせて響く。
その動きは先ほどの観客の失望を吹き飛ばすほどに鮮烈。
美しい。
そして、鋭い。
彼女たちの動きには獣特有のしなやかなバネと、鍛え上げられた剣士の体幹がしっかりあるようだ。
回転しながら繰り出される斬撃の軌道は、光の残像を描くように美しい円を描く。
五人の呼吸は完全にシンクロしており、互いの剣がぶつかり合う寸前ですれ違うスリルある演舞は見る者の心を鷲掴みにする。
獅子の力強さ、豹の俊敏さ、狼の鋭さ、猫の身軽さ、そして牛の重厚かつ優美な舞。
「……ほう」
スフィアの目が細められる。
ただの踊りではない。
重心移動、足捌き、そして剣速。
どれをとっても一級品だ。
最初は冷ややかだった観客たちも次第にその迫力に飲み込まれていく。
食事の手が止まり、会話が消え、ただステージ上の舞踏に見入ってしまう。
種族の壁を超えた「美」と「技」の説得力が、そこにはあった。
ジャンッ!
最後の音と共に、五人がピタリと静止する。
乱れた呼吸すら感じさせない、完璧なフィニッシュ。
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
「アンコール!」
スフィアとブルも惜しみない拍手を送っている。
「凄かったな。全員名のある剣士か? ありゃ実戦でも相当やるぞ」
スフィアが素直に称賛する。
あの動きなら魔獣の群れの中でも生き残れるだろう。
「いや、全員剣士ではないな」
マーガレットが静かに解説を加える。
「なんでも、剣才はあれど戦うことや血がダメで、剣士になれなかった連中だとか。性格が優しすぎるのか、あるいは過去にトラウマがあるのかは知らんがな」
「へえ……もったいない気もするけど」
「剣士にはなれずとも剣舞ならできるとのことで踊り子をしているらしい。自分たちを見て最初はテンションの下がった客が、剣舞で魅了されて歓声を上げる。その姿を見るのが好きだそうだ」
「なるほどね。プライド持ってやってるわけだ」
スフィアはニヤリと笑う。
そういうひねくれた、しかし一本芯の通った生き方は嫌いではない。
「色んな人がいますねえ。適材適所ってやつですね」
メリアも感心したように頷く。
「僕は感動したよ! 特にあの真ん中の牛の人! 動きにキレがあるのに包容力を感じた!」
ブルは相変わらず独自視点で絶賛している。
だが。
ダンッ!!
勢いよくグラスをテーブルに叩きつける音が、拍手の音を切り裂いた。
「くだらん!」
先ほど入ってきた、あの悪趣味な貴族だ。
彼は顔を真っ赤にして立ち上がっていた。
「金を出して乗っているというのに、なぜ獣の曲芸など見せられねばならん! わしは女の身体を楽しめるかと思ったのに! 詐欺だ、不愉快だ!」
彼は大声で喚き散らすと椅子を蹴飛ばすようにして通路へ出る。
「行くぞ!」
「はっ……」
護衛の術師が周囲の客に申し訳なさそうに小さく頭を下げ、主人の後を追う。
貴族はドシドシと足音を荒らげてビュッフェスペースを出て行ってしまった。
周囲の客たちは一瞬不快そうに眉をひそめたが、すぐに気を取り直してステージへの拍手を再開する。
あのような無粋な輩に素晴らしいステージを邪魔されたくないという意思表示だろう。
メリアが苦笑する。
「……まあ、気持ちはわかりますけどね。期待してたのと違うとガッカリするのは」
踊り子が出てくると聞けば普通は人間の女性を想像するものだ。
あの態度は悪いが、理解はできなくもない。
「俺は身体で誤魔化す剣舞じゃなかったから好印象だけどな。媚びた踊りより、あっちの方がよっぽどいい」
スフィアが肉を齧りながら言う。
「僕は満点! むしろあれが最高!」
ブルが力説する。
そんな中、マーガレットだけは貴族が出て行った出口をじっと見つめていた。
まるで何かがそこにあるかのような冷たい瞳だ。
「お母さん、どうしたの?」
メリアが母の異変に気づく。
ただのクレーマー貴族に対する反応にしては、空気が重い。
「ん、いや……」
マーガレットは視線を戻し、少し思案するように顎に手を当てた。
「あの貴族、魔法国メギストスで少し知られた貴族でな。イグニス子爵というのだが……まあ、良い意味で知られているわけではない」
「どんな?」
スフィアが興味を示す。
「金遣いが荒くて、領地経営も傾いて困窮していると有名なんだ。最近、彼が乗っていた客船が海賊に襲われて多額の金品を奪われたとかいう噂も聞いたな」
「うっへ。泣きっ面に蜂ってやつか。ご愁傷様」
「問題はその後だ」
マーガレットの声が低くなる。
「金品に対する補填――保険金のようなものが国や商会から出た後、更に金遣いが荒くなったと聞いている。奪われた額よりも明らかに羽振りが良くなっているそうだ」
ブルが首を傾げる。
「補填を使い込んでるの?」
「いやそれ、おかしくないです?」
メリアが商人の顔になって指摘する。
「普通、補填って失った金品の実損額より少額、良くても同額までしか出ませんよ。被害に遭って儲かるなんてこと、保険の仕組み上ありえません。もしそうなら自分で自分を襲わせる詐欺が横行しちゃいます」
「その通りだ」
マーガレットが我が意を得たりと頷く。
「奴の金回りの良さは異常だ。失ったはずの財産以上の金をどこからか調達している。あるいは――『奪われた』ということ自体が狂言で、裏で何か別の取引をしていたか」
「そういえば、さっき男の人たちを待ってる間にあの貴族の人を見かけたんですけど……」
メリアはカジノフロアでの光景を思い返す。
男たちが集まるのを待っている間に暇つぶしに周囲を観察していた時。
ポーカーテーブルで、あのイグニス子爵が血走った目で叫んでいたのだ。
『BETだ! もう一度やれば勝つ!』
『しかし、お客様。かなり負けが込んでおりますが……』
『構わん! 金ならもうすぐ新しく入る!』
「……と、言っていたらしいです」
「きな臭くなってきたなー」
スフィアが小魚をつまみながら鼻をひくつかせる。
事件の匂いだ。
「何か裏がありそうだな……少し探ってみるか。この船に奴が乗っているのも偶然とは思えん」
マーガレットは立ち上がった。
冒険者としての血が騒ぐのか、あるいは自国の貴族の不祥事を見過ごせないのか。
「お前らはここにいていいぞ。個人的な興味だからな。せっかくの食事を邪魔するつもりはない」
「あいよー、いってらっさい。無理すんなよ」
スフィアは肉を食べながら気楽に返事をする。
この母親なら、たとえドラゴンが相手でも大丈夫だろうという絶対的な信頼がある。
たぶんイドラの竜くらいなら容易く返り討ちにするだろう。
「支払いは私宛でいいぞ。奢ると言ったからな。好きなだけ食って、適当に私の部屋にでも戻るといい。部屋の鍵と番号はこれだ」
マーガレットが自身の宿泊している部屋のルームキーをテーブルに置く。
「はーい。終わったら帰ってきてね。あまり派手にやらないでよ、お母さん?」
「善処する」
マーガレットは笑ってメリアの頭をワシャワシャと乱暴に、しかし愛情を込めて撫でる。
そしてドレスの裾を翻し、貴族が消えた方向へと音もなく去っていった。
「……さて」
残されたスフィアは最後の一切れとなったステーキを口に放り込んだ。
「俺たちはもう少し食うか。ブル、デザート行く?」
「行く! あそこのフルーツタワーが気になってたんだ!」
「私も少し甘いもの食べようかな。……でも、お母さん大丈夫かなあ」
メリアは少しだけ心配そうに出口を見たが、すぐに「まあ、お母さんだしな」と納得して、ケーキのコーナーへと向かった。
嵐の前の静けさ。
それは甘いクリームと肉の香りと共に過ぎていくのであった――。




