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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第九話 カジノ船の依頼

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カジノホールの陰謀

夕闇が支配するカジノ客船『クレセント号』の甲板。

潮騒と風の音だけが響くその場所で、勝負はあまりにもあっけなく決着していた。


護衛の男クロードは白目を剥いて倒れ伏し、ピクリとも動かない。

その傍らでイグニス子爵は腰を抜かし、ガタガタと震えながら後ずさっていた。


「ば、馬鹿な……クロードが……魔法学院の天才が、まるで赤子の手を捻るように……」


目の前の現実は子爵の理解を遥かに超えていた。


多重展開された魔力障壁、変幻自在の魔法剣、そして圧倒的な戦闘経験。


『女帝』マーガレット。

その伝説は未だ色褪せることなく輝きを放っていることを、彼は心の底から理解させられていた。


「並の術者の中では上澄みだったが、私の相手には不足過ぎたな」


マーガレットは髪をかき上げながら無感情に言い放つ。

そして、ゆっくりと子爵の方へ視線を向けた。


「さて……」


彼女が右手を軽く振るう。


シュンッ、という音と共に空気中の魔力が収束し、一本のナイフが生成された。

刃渡りは短いが、その切っ先は恐ろしいほどに鋭利で薄青い燐光を放っている。


マーガレットは一歩、また一歩と子爵に近づく。


「お前の協力者について吐け」


「い、言わなかったら……?」


子爵が震える声で問う。


少しでも時間を稼ごうとしたのか、あるいは貴族としての最後の矜持か。

だが、その問いはマーガレットにとっては無意味だ。


「そうだな……」


彼女はナイフの切っ先を弄びながら、今日の夕食のメニューでも決めるような口調で言った。


「物理的な欠損がある方とない方、どっちがいい?」


「……ひっ!?」


「いちいち治癒をするのも面倒だし、失血死されても困る。さっきの男のように、このナイフで神経に直接作用させて『痛み』だけを与えていこうかと思うんだが……もし物理的な欠損がある方が好みなら、指の一本や二本削ぎ落としても構わんぞ。どうする?」


淡々と。

まるで事務作業の手順を確認するように、感情を込めずに告げられる拷問の選択肢。

それが逆に彼女が本気であることを雄弁に物語っていた。


子爵の顔から血の気が完全に引く。


この女はやる。

貴族だとか、法だとか、そんなものは彼女の前では紙切れ同然なのだろう。


「わ、わかった! 言う! 言うからやめてくれ!」


「そうか。手間が省けて助かる」


マーガレットはナイフを消すことなく、切っ先を子爵の鼻先に突きつけた。


「言い忘れたが、嘘だった場合……後で色んな手段を使って、お前の肉体と精神をメチャクチャに壊すつもりだ。それを踏まえて吐け」


「わ、わかっている! 嘘などつかん!」


子爵は両手を上げて降参のポーズを取る。

もうプライドも何もかもかなぐり捨て、彼は叫ぶように告白した。


「私の協力者……いや、この計画の主犯は――この船の副船長ヴァイルだ!」



◆◆◆◆



場面は変わり、カジノフロアのメインホール。


普段は欲望と歓声が渦巻く華やかな空間が、今は恐怖と静寂に包まれていた。


シャンデリアの輝きは変わらないが、その下には数百人の乗客たちが集められ、床に座らされている。

彼らの手足は荒縄で拘束されており、周囲には武器を手にした海賊たちが威圧的な態度で見張っていた。


乗客の雇った護衛たちも不意打ちと数の暴力、そして「人質」という盾の前に無力化され、武装解除されて隅に固められている。

船の上層部の面々――船長や航海士たちもまた、海賊の剣を突きつけられていた。


どういうわけか船の構造を熟知していた海賊たちは、迷うことなく最短ルートで制圧を完了していたのだ。


ホールの中央。

豪奢な椅子にふんぞり返る大柄な男が一人。


海賊船の船長だ。

顔には大きな傷があり、見るからに凶悪そうな笑みを浮かべている。


「へへへ、これが全員ってわけか。大漁だな」


「あ、ああ……」


その前に立たされているのは、この船の船長と副船長だ。

船長は悔しげに唇を噛み、副船長は青ざめた顔で懇願する。


「た、頼む! 金品はくれてやる! だが乗客と我々の命は保証してくれ! 彼らはただの旅行客だ!」


必死の形相で叫ぶ副船長ヴァイル。

海賊船長は、ちらりとその副船長に視線を流す。


「そりゃあまあ、俺たちも無益な殺生がしたいわけじゃない。金品さえもらえりゃ構わないぜ」


「金品さえ出せば見逃してくれるのか!」


「おうよ。金品さえ、たっぷりくれりゃあな」


妙に「金品」という単語を強調し合う二人。

表向きは海賊と交渉する勇敢な副船長という構図だが、その内実は全く異なるものだ。


海賊船長は内心で首をかしげていた。


(おいおい、どういうことだよボス。手はずじゃあ、あのアホ貴族がここで真っ先に泣き叫んで派手に命乞いする段取りだろ? あんたが命乞いしてどうすんだよ)


そう。

この襲撃事件の真の首謀者は、他ならぬこの船の副船長ヴァイルである。


彼は元々、裏社会に通じた海賊の一味だった。

長い時間をかけて身分を偽造し、真面目な船乗りとして実績と信頼を積み重ね、クレセント号の副船長という地位まで上り詰めたのだ。

すべては、この巨大なカジノ船を内部から安全かつ確実に「収穫」するために。


彼の描いたシナリオはこうだ。


まず、もっともらしい理由をつけて乗客を一箇所に集める。

これは防衛のためではなく効率よく金品を回収するため、そして反乱分子を監視するためだ。


次に、共犯者であるイグニス子爵が登場する。


海賊が法外な要求をした際に子爵が真っ先に金品を差し出し、無様に命乞いをする。

『金で命が助かるなら安いものだ!』と叫ばせることで、他の乗客たちにも「抵抗するより金を払ったほうがいい」という同調圧力を生ませるサクラの役割だ。


その空気の中、副船長ヴァイルは「苦渋の決断」として海賊の要求を飲み、乗客に金品を出させるよう説得する。

これにより、誰も傷つけずに巨額の富を回収する。


死者が出ると海賊を何としても拿捕する動きが出るが、乗客に傷ひとつ無いなら事件の優先度は下がり海軍の動きは鈍る。


海軍も暇ではない。

傷ひとつ出ていない事件を深追いするより、他の凶悪事件を追うのは当然の判断だ。


事後は、イグニス子爵が自身の伝手を用いて副船長の行為を「乗客の命を守るための英断」として美談に仕立て上げる。


責任の所在を不可抗力としてうやむやにし、乗客のヘイトを分散させる。

ほとぼりが冷めた頃、副船長ヴァイルは「責任を取って辞任する」という形で船を降り、手に入れた金と共に海賊稼業に復帰する――。


完璧な計画のはずだった。


だが今、その歯車が狂い始めている。


副船長ヴァイルは内心で舌打ちを繰り返していた。


(あのアホ貴族は何してるんだ!? ここであいつがいないと、俺が命乞いの真似をしなきゃならんだろうが!! 予行演習とか言って俺の部下を勝手に使っておいて肝心な時に来てねえのかよ!!)


シナリオの要であるサクラが来ない。


自分が主導して「金を払おう」と言えば、後で「海賊とグルだったのではないか」と疑われるリスクが高まり、さらに全ての責任がヴァイル一人に集中してしまう。


そうなれば多額の賠償金を請求され、辞任どころか逮捕、あるいは逃亡生活を余儀なくされる。

計画の肝である綺麗なフェードアウトができなくなるのだ。


そして現在、もう一つの誤算があった。


(というか『女帝』もいねえ!!)


副船長ヴァイルは冷や汗を流しながら人質の群れを目で探る。


(あの女が船に乗ると知った時は焦ったが……あんだけ強力な魔術師が海賊退治に船内で暴れると船自体が沈みかねない。その点を突いて「戦闘になれば船が沈む、お客様が死ぬ」と説得すれば、賢いあの女なら黙って状況に従うだろうと踏んでいたが……)


マーガレットの姿が見当たらない。

これが一番の恐怖だった。


最強クラスの魔術師が制御下になく野放しになっているのである。

超怖い。


(なんであいつもいねえんだよ!! 説得前に暴れられたら困るだろうが!! どこで何をしてるんだ!?)


想定外の事態の連続に、副船長ヴァイルの胃がキリキリと痛む。

だが、表向きは勇敢な副船長を演じ続けなければならない。


隣で震える船長が、すがるような目で問いかけてくる。


「副船長、ここからどうする……?」


「え、ああ。そうですね……」


副船長ヴァイルは答えに窮する。

イグニス子爵が来るまで、なんとか時間を稼がなければならない。


その焦りを察したのか、本当の部下の海賊船長がアドリブを入れた。


「まあいい、ここはカジノ船だろう? 金庫の金や景品も貰っていこうじゃねえか。乗客が懐を探る時間くらいはくれてやる。金を払うかどうかはその後で決めるんだな」


ナイスだ、とヴァイルは内心で親指を立てる。

それはイグニス子爵が来るまでの様子見の時間稼ぎの合図。


「わかった。仕方ない……」


副船長ヴァイルは苦渋の表情を作る。


「だが、乗客の方々に荷運びはさせられん。怯えている彼らを動かせばパニックになる。ここは我々乗務員で荷運びをする」


「あ?」


「ただし、お前たちは信用できん。船長と私は、お前らが乗客の方々に手を出さないか、ここで見張らせてもらう!」


副船長ヴァイルは力強く宣言した。

これは「俺はここから動かずにイグニス子爵を待つ」という返答であり、同時に船長を巻き込んでおくことで、自分だけが動かない不自然さを消すための策だ。


「へっ、好きにしろよ。妙なマネしたら全員殺すかんな」


ボスの意図を把握した海賊船長は鼻を鳴らし、部下たちに指示を飛ばす。

船員たちは海賊に脅され、しぶしぶとカジノの金庫や景品棚へ向かわされる。


ホールの空気は依然として重い。

だが、とりあえずの殺戮は回避されたことで微かな安堵も広がっていた。


「……見ているだけ、というわけにはいくまい」


船長が、海賊に聞こえないほどの小声で副船長ヴァイルに耳打ちする。


「なんとか連中の隙を突いて通信室へ走り、レナック王国海軍に救援要請を出さねば……」


「そうですね……彼らの目が逸れた一瞬が勝負です」


副船長ヴァイルは真剣な顔で頷く。


(まあ、俺はそれを全力で妨害するんだがな)


心の中では船長の足をどう自然に引っ張るか、あるいは偶然海賊に見つかって失敗したようにどう見せかけるかをシミュレーションしている。


「今は機を見る時だ、そうだね?」


「ええ、その通りです船長。軽挙妄動は慎みましょう」


副船長ヴァイルは船長の肩に手を置く。


(機を見て、予定通りに何とか軌道修正を……。イグニス子爵め、早く来いこの能無しが!)


その時だった。


カジノホールの巨大な両開きの扉が爆発したかのように内側へ蹴り破られた。

蝶番が引きちぎられ、分厚い扉が紙切れのように宙を舞う。


「ぐわぁ!?」


「な、なんだ!?」


扉の近くにいた海賊数人が飛んできた扉の下敷きになり、あるいは衝撃波で吹き飛ばされて昏倒する。


ホール内が騒然となる。

海賊たちが一斉に剣を構え、入り口へと殺気を向ける。


船長が目を剥く。


「な、なんだ!?」


副船長ヴァイルもまた、驚愕に目を見開く。


(女帝が来たか!? くそっ、良くないタイミングだが、ここで上手く説得して人質を盾に女帝を大人しくさせて……!)


彼は脳内で高速で言い訳と説得の言葉を組み立てる。


相手は理知的な魔術師だ。

状況を見れば、無闇に暴れたりはしないはず――。


乱入者が姿を見せる。

そこに立っていたのは、真紅のドレスを纏った美女ではない。


翻る黒いコート。

仕立ての良いスーツ。

サングラスをかけ、不機嫌そうに口元の食べかすを拭う小柄な影。


現れたのは怒りに全身の毛を逆立たせた猫獣人、スフィアだった。


副船長の思考が停止する。

乗客名簿で要注意人物としてマークしていた顔じゃない。

というか、名簿で見た覚えがない。


(誰ェ――――!?)


誰だこいつ。

女帝じゃない。


副船長ヴァイルの心の叫びが、喉元まで出かかったのだった――。

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