↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/39

第二十五話 待っている人

十一月の中旬、日が落ちるのがずいぶん早くなった。


 樹が学校を出る頃には、もう空が薄暗い。昇降口で靴を履き替えていると、後ろから声がかかった。


「相原くん」


 白瀬だった。マフラーを巻いている。


「白瀬さん、こんな時間まで?」


「図書委員の当番です。今日は長引きました」


 白瀬はいつも通り、落ち着いた声だった。だが樹は、その様子にわずかな違いに気づいた。マフラーの巻き方が、いつもより丁寧だった。


「今日、誰か来るんですか」


 樹が何気なく聞くと、白瀬は少しだけ目を見開いた。


「なぜ分かるんですか」


「マフラー」


「……マフラーで分かるんですか」


「なんとなく」


 樹自身、うまく説明できなかった。ただ、いつもと違う、というだけだ。


 白瀬はしばらく黙ってから、答えた。


「柏木さんが、帰ってきています。今日から日曜まで」


「大学の帰省ですか」


「そうです」


 白瀬は鞄の持ち手を握り直した。


「駅で会う約束をしています」


「そうですか」


「相原くんは、店ですか」


「はい。今日からです」


 二人は昇降口を出て、途中まで同じ道を歩いた。駅の方向が同じだったからだ。



 店に着くと、千夏が仕込みをしていた。


「おう、遅かったな」


「白瀬さんと少し話してました」


「へえ」


 千夏は特に興味を示さず、生地を伸ばし続けた。樹はエプロンをつけて、開店の準備に入った。


 夜になって、客が入り始めた。常連の蜂谷、涌井、商店街の面々。いつも通りの店の顔ぶれだ。


 八時を過ぎた頃、扉のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 樹が顔を上げると、見覚えのある顔があった。白瀬だ。隣に、知らない男がいる。

 人間の若い男だった。大学生らしい、少しラフな格好。柔らかい雰囲気で、白瀬の緊張した様子とは対照的だった。


「あ、相原くん」


 白瀬が気づいて、小さく会釈した。


「二人ですか」


「はい」


 樹は丸テーブルに案内した。男が椅子を引いて、白瀬に座らせる。自然な仕草だった。



 注文を取りに行くと、男の方が先に口を開いた。


「初めまして。柏木です」


「相原です。ハーフ&ハーフでバイトしてます」


「聞いてます。白瀬さんの同級生ですよね」


「はい」


 柏木は気さくに笑った。人当たりのいい笑い方だった。


「メニュー、何がおすすめですか」


「マルゲリータが一番人気です」


「じゃあそれで。白瀬さんは」


「同じもので大丈夫です」


 白瀬が答えると、柏木は少し意外そうな顔をした。


「毎回同じの頼むね」


「好きなので」


「そういうとこ、変わらないな」


 柏木がそう言うと、白瀬はわずかに視線を落とした。何かを噛みしめているような顔だった。



 注文を通して厨房に戻ると、千夏が小声で聞いてきた。


「あれが、あの話の男か」


「たぶん」


「たぶんって」


「聞いたことないので、確信はないです」


 千夏はチーズを削りながら、テーブルの方をちらりと見た。


「普通の兄ちゃんだな」


「そうですね」


「エルフが三年悩んだ相手にしちゃ、拍子抜けだな」


 樹は少し笑った。


「悩んだのは、種族の問題じゃなくて、時間の感覚の問題だったので」


「ああ、そうだったな」



 ピザが焼き上がって、樹が運んだ。


「お待たせしました」


「ありがとう」


 柏木が礼を言って、切り分けを始めた。


「白瀬さん、こっちの生活はどう?」


「変わりません。図書委員の仕事が増えました」


「そっちは?」


「同じです。忙しいですけど、悪くないです」


 会話は、特別なことは何もなかった。近況を報告し合っているだけだ。だが樹には、その平坦さが、むしろ二人の関係を物語っているように見えた。


 柏木が、ふと話題を変えた。


「白瀬さん、返事、まだいい?」


 白瀬の手が止まった。


「まだ、です」


「そっか」


 柏木は特に気にした様子もなく、ピザを一切れ取った。


「急いでないよ。前も言ったけど」


「知っています」


「でも、聞くのはやめないから」


「はい」


 白瀬は少し困ったような、それでいて嬉しそうな顔をした。



 樹は厨房に戻りながら、その会話を反芻していた。

 柏木は、急かしていない。それでいて、聞くのはやめない。矛盾しているようで、矛盾していない。

 ――待つことと、聞き続けることは、別なんだ。


 カウンターの端で、千夏が肘をついていた。


「あの兄ちゃん、いいな」


「そうですか」


「急かさないのに、諦めもしない」


 千夏はグラスを磨きながら続けた。


「難しいんだよ、それ。放っておくのは簡単だし、追い詰めるのも簡単だ。その間を保つのが、一番難しい」


 樹は、その言葉を聞きながら、白瀬の方を見た。

 白瀬は、二千年の速度で考えている。柏木は、人間の速度で待っている。どちらも自分を変えず、それでも同じテーブルについている。



 食事を終えて、二人は帰り支度を始めた。


「ごちそうさまでした」


「またどうぞ」


 樹が見送りに出ると、店の前で柏木が白瀬に何か言っているのが見えた。声は聞こえなかったが、白瀬が小さく頷いていた。


 柏木が先に歩き出し、白瀬が少し遅れてついていく。その距離感が、樹には印象的だった。

 急いでいない。でも、離れてもいない。



「なあ樹」


 閉店後、千夏が声をかけてきた。


「はい」


「お前、進路の話、あれからどうなった」


 樹は少し驚いた。


「まだ、備考欄の二行のままです」


「三浦先生、なんか言ってきたか」


「判を押して返しただけでした」


「そうか」


 千夏は暖簾を畳みながら言った。


「急かさないタイプなんだな、あの先生も」


「そうかもしれません」


 樹は窓の外を見た。十一月の夜は、もう冬の匂いがする。


 柏木は急かさず、聞き続けている。

 三浦は何も言わず、判を押しただけだった。

 千夏は「一回で済ませとけ」と言った。


 急かさない人が、こんなに周りにいる。

 樹は、それを少しありがたく思った。



【境見町 異文化生活マナー帳 第五十五条より】

エルフの親は交際に反対しない。

その代わり、何年経っても「本気ですか」と静かに聞いてくる。





今回もお読みいただきありがとうございます(*´ω`*)


柏木先輩、ついに本人登場です。

普通の、気さくな大学生でした。


「返事、まだいい?」

「まだ、です」

「そっか。急いでないよ」

「でも、聞くのはやめないから」


急かさないのに、諦めない人でした。

千夏さん曰く「一番難しいやつ」だそうです。


樹くんの進路希望調査、まだ二行のままです。

三浦先生は、何も言わずに判を押しただけでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。