第十八話 奥にも店あります
八月最初の土曜日、境見町の夏祭りは朝から始まっていた。
といっても、朝にやるのは設営だけだ。商店街の通りに屋台の骨組みを立て、電源を引き、提灯を吊る。祭りそのものは日が落ちてからになる。
千夏は朝六時に叩き起こされて、店の前で誠司の軽トラから荷物を下ろしていた。
「重い」
「そりゃ看板だからな」
「なんで朝いちばんに看板なんだよ。屋台が先だろ」
「置く場所決めないと、屋台の位置が決まらん」
例の板である。三百年書いている老エルフの字で「奥にも店あります」と大書された、千夏の背丈ほどの一枚板だ。
千夏はそれを担いで、商店街の入口まで運んだ。
「おはようございまーす」
樹が自転車で追いついてきた。夏休み中なので、朝から手伝いに来ている。
「遅い」
「六時集合って聞いてなかったんですけど」
「私も聞いてなかった」
二人で誠司の方を見た。誠司は「まあまあ」と言いながら、脚立を担いで走っていった。
設営は昼までかかった。
通りには十五ほどの屋台が並んだ。焼き鳥、かき氷、たこ焼き、金魚すくい。商店街の店がそれぞれ出す。人間の店もエルフの店もドワーフの店もあって、並びに一貫性はない。
抽選のやり直しの結果、金物屋の焼き鳥は今年も奥の区画になった。
「くじ、また外したのか」
「うるせえ」
金物屋の親父が汗を拭きながら答えた。
「でも看板あるだろ。あれ効くんじゃねえの」
「効くといいけどな」
その看板は、奥の区画の入口に立っている。
通りかかった人が足を止めて、読んで、笑っていた。
「なんだこれ」
「奥にも店あります、って」
「そのまんまじゃん」
「分かりやすいなあ」
笑われてはいるが、確かに人が奥を見ていた。
ハーフ&ハーフは、この日は店を閉めて屋台を出す。
場所は通りの真ん中あたり。石窯は運べないので、簡易オーブンで焼く小さめのピザだ。以前、前夜祭で使ったのと同じ機材である。
「切るの、これでいけますかね」
樹が言うと、千夏は腰の道具入れから自分のカッターを出した。
「いける」
「岩田さんのですね」
「四か月使ってるが、まだ切れる」
その岩田豪太が、少し離れた場所に屋台を出していた。
鍛冶屋が祭りで何を売るのか、千夏には見当がつかなかったので、設営の合間に覗きに行った。
「何売るんだ、お前」
「これだ」
台の上に並んでいたのは、小さな金物だった。栓抜き、ペーパーナイフ、爪切りの類。どれも無骨で、飾り気がない。
「地味だな」
「使えりゃいい」
「売れるのか、これ」
「知らん」
豪太はそう言って、椅子に座った。客を呼び込む気がまったくない。
「おい、声くらい出せよ」
「出したことがない」
「じゃあ今日から出せ」
「無理だ」
千夏は呆れて、自分の屋台に戻った。
日が落ちて、祭りが始まった。
人が一気に増えた。浴衣の子ども、仕事帰りの会社員、駅から流れてくる他所の町の客。提灯に灯が入って、通りがオレンジ色になる。
ハーフ&ハーフの屋台には、開始三十分で列ができた。
「はい、マルゲリータ二枚!」
「千夏さん、生地なくなりそうです」
「店から持ってこい!」
「僕が行くんですか」
「他に誰がいるんだよ」
樹が走っていった。誠司は焼くのに専念していて、動けない。
列の中に、見た顔があった。
「あ、千夏さん」
樹の同級生の女子だった。名前は早坂といったはずだ。隣にもう一人、長い髪を後ろで束ねたエルフの少女がいる。
「おう。樹なら生地取りに行った」
「あ、いえ、ピザください」
「そっちか」
千夏が焼き上がりを渡すと、エルフの少女が丁寧に頭を下げた。
「いつも相原くんにお世話になっています」
「こっちが世話になってんだよ、あいつには」
千夏がそう言うと、少女は少しだけ笑った。
九時を過ぎた頃、金物屋の親父が血相を変えて走ってきた。
「千夏ちゃん、手ぇ空いてるか」
「空いてないですけど」
「奥の区画、人が入りすぎだ」
「は?」
「あの看板が効きすぎた」
千夏は樹に屋台を任せて、奥へ走った。
確かに、混んでいた。通路が狭いところに人が詰まって、前にも後ろにも動けなくなっている。子どもが泣いている声がした。
「これ、まずいな」
千夏は人の流れを見た。奥へ入る人と、出ようとする人が、同じ通路でぶつかっている。
「おい、そこの!」
千夏の声が通った。ドワーフの声量は、こういうときに役に立つ。
「入る人はこっち! 出る人はあっち! 一方通行にします!」
人の流れが少しずつ分かれ始めた。だが、それだけでは足りない。
「柵が要るな」
千夏がそう呟いたとき、後ろから声がした。
「これでいいか」
岩田豪太だった。両腕に、細い鉄の棒を何本も抱えている。
「何だそれ」
「屋台の骨組みの余りだ。うちの台に使ってた」
「お前の屋台は」
「畳んだ」
千夏は目を丸くした。
「売れてたのか」
「三つ売れた」
「じゃあ畳むなよ」
「三つで畳んでも同じだ」
豪太は棒を地面に突き立てて、通路の真ん中に仕切りを作り始めた。手際がよかった。金物を扱う手つきだった。
「お前、そういうの得意なんだな」
「立てるだけだ」
二人で十分ほど作業して、通路は二列に分かれた。
人の流れが動き出した。
「助かった」
息を整えながら、千夏が言った。
「別に」
「屋台、また出せよ。まだ祭り終わってねえぞ」
「もういい」
豪太は仕切りの棒を確認しながら答えた。
「祭りは初めてだ。何を売ればいいか分からんかった」
「そりゃそうだろ。栓抜きだぞ」
「悪いか」
「悪くはねえけど、祭りで買うもんじゃねえだろ」
豪太は少し黙った。
「……そうか」
「来年は考えろ」
「来年か」
豪太は、その言葉を確かめるように繰り返した。
千夏はふと気づいた。この男は、来年もここにいるつもりなのだ。
三月に店を開いて、まだ半年も経っていない。無愛想で、無遠慮で、客を呼ぶ声も出せない。それでも、来年の話をしている。
「なあ」
「なんだ」
「うちの屋台、ピザ余るかもしれん。食ってけよ」
「金は」
「いらねえよ。前に言ったろ、ただにするって」
豪太は少しの間、黙っていた。
「……四か月前の話だぞ」
「ドワーフが約束忘れるか」
豪太が、初めて笑ったように見えた。
祭りの終わり際、屋台の片付けが始まった。
ピザは結局、二枚だけ余った。千夏はそれを二つに切って、四人で立ったまま食べた。誠司と樹と、千夏と豪太である。
「うまいな」
豪太が言った。
「そりゃそうだ」
「石窯じゃないのにか」
「腕だよ、腕」
誠司が横から口を挟んだ。
「石窯の方がうまいですけどね」
「店長、身も蓋もない」
樹が笑った。
通りの提灯が、一つずつ消されていく。人はもうまばらだった。
千夏は最後の一切れを見た。皿の上に、一つだけ残っている。
「あ」
樹が気づいた。四人いる。人間が二人、ドワーフが一人、ハーフが一人。
三すくみのルールが、まったく機能しない組み合わせだった。
「これ、どうなるんですか」
「決まってねえな」
千夏はあっさり言った。
「まあ、私が食うけど」
「なんでですか」
「私がハーフだからだ。ルールの外だからな」
千夏が手を伸ばそうとした瞬間、豪太が先に取った。
「あ、こら」
「俺はドワーフだ。人間が二人いるから、ドワーフが食う」
「私もドワーフだよ」
「半分だろ」
「都合のいいときだけ半分扱いすんな」
誠司と樹が吹き出した。
豪太は最後の一切れを口に放り込んで、もぐもぐと食べた。
「うまい」
「くそ、次はねえからな」
千夏がそう言うと、豪太は口を動かしながら答えた。
「次があるのか」
「来年もあるだろ、祭り」
「……そうだな」
豪太は空になった皿を見た。
「来年は、栓抜きは持ってこない」
「学べよ、そこ」
通りの提灯が、また一つ消えた。
片付けを終えて、店に戻ったのは十二時近くだった。
誠司が石窯の様子を見に行き、樹が椅子を並べ直している。千夏はカウンターに座って、水を飲んでいた。
「疲れた」
「お疲れ様です」
「あの看板な」
「はい」
「効きすぎたな」
樹が笑った。
「効きすぎて事故になりかけましたね」
「三百年の字は伊達じゃねえってことか」
「文字は八文字ですけど」
「八文字で通路が詰まったんだよ」
千夏はそう言って、水を飲み干した。
商店街の入口に、あの板はまだ立っている。明日の朝、誰かが片付けるまで、あそこにあるはずだ。
奥にも店あります、と書いてある。
二時間半の会合と、三百年の筆と、片手で板を担ぐ腕と、屋台を畳んで棒を持ってきた男から、それは出来上がっていた。
窓の外で、遠くの誰かが笑う声がした。
【境見町 異文化生活マナー帳 第八十九条より】
町内の掃除当番は、種族関係なく持ち回り制。
ただし力仕事はドワーフが自然と引き受ける空気がある。
今回もお読みいただきありがとうございます(๑˃̵ᴗ˂̵)
夏祭り本番でした。
看板、ね。
……なんだか効きすぎましたね。
たった八文字で通路が詰まりました。
三百年の筆は伊達ではありません。
岩田豪太、祭りで栓抜きを売ろうとして三つしか売れず、
屋台を畳んで通路整理の棒を持ってきました。
来年は栓抜きを持ってこないそうです。
何歳なのか知りませんが、人生は学びの連続ということですね。
そして最後の一切れ。
人間二人、ドワーフ一人、ハーフ一人。
三すくみのルールは、こういうとき何の役にも立ちません。
現場の状況はいつだって、ルールの枠組みを超えてきますが、そういうときはコミュニケーションです。
次回、お盆です。
この街のお盆はどんな様子なのでしょうね。
──
【マナー帳未収載メモ】
四人以上で種族が混ざったときの最後の一切れ問題は、
実のところ、まだ誰も条文にできていません。
役場の涌井さん、たぶん今も悩んでいます。




