第十七話 三種族と一枚の板
七月中旬、境見町商店街の会合は荒れていた。
場所はハーフ&ハーフ。昼と夜の間の休憩時間に、店を貸してくれと商店街会長に頼まれた誠司が、例によって二つ返事で引き受けた結果である。
丸テーブルを三つくっつけて、十人ほどが座っている。人間が四人、ドワーフが四人、エルフが二人。町の夏祭りの実行委員だ。
「だから、屋台の並びを決めるだけの話でしょう」
人間の会長が、疲れた声で言った。
「その並びが問題なんだよ」
ドワーフの金物屋が身を乗り出す。
「去年、うちの焼き鳥がいちばん奥だった。奥は売れねえんだ」
「くじ引きで決めたじゃないですか」
「くじが悪い」
「くじに文句言われても」
千夏はカウンターの内側から、その様子を眺めていた。麦茶のおかわりを注ぎながら、隣の樹に小声で言う。
「毎年やってんのか、これ」
「らしいです。役場の涌井さんが『夏の風物詩です』って言ってました」
「風物詩じゃねえだろ」
エルフの二人は、さっきから一言も発していない。
片方は花屋の主人で、もう片方は書道教室をやっている老人だ。二人とも、湯呑みを持ったまま、じっと話を聞いている。
「エルフさんとこは、どうですか」
会長が話を振った。
「……そうですね」
花屋がゆっくりと答えた。
「五年後くらいには、良い並びが見つかると思います」
場が静まった。
「今年の話をしてるんですが」
「今年は、去年と同じでよろしいのでは」
「去年の並びに文句が出てるんです」
「では、来年から変えれば」
ドワーフの金物屋が机を叩いた。
「来年じゃ遅いんだよ!」
「なぜ遅いのですか」
「一年待つからだろ!」
「一年ですよ」
花屋は本気で不思議そうな顔をしている。
樹は思わず口元を押さえた。エルフとドワーフが並ぶと、こうなる。片方は一年を「すぐ」と言い、もう片方は「遅い」と言う。
「あー、じゃあ、こうしましょう」
会長が手を挙げた。
「今年は、抽選をやり直します。ただし、奥の区画には特別に、通路を広げて人が流れるようにします。それでどうです」
「通路を広げるって、誰がやるんだ」
「……皆さんで」
全員が黙った。
「じゃあ、看板を出せばいいんじゃないですか」
千夏が口を挟んだ。
「奥にも店ありますよって、入口に案内板出すんですよ。それなら誰でも読める」
会長の顔が明るくなった。
「それだ」
「じゃあ看板は誰が作るんだ」
金物屋が言った瞬間、全員の視線が誠司に集まった。
「え、俺?」
「あんた、去年の提灯も作ってただろ」
「あれは頼まれたから」
「今年も頼む」
「まあ、いいですけど」
誠司はあっさり引き受けた。この人はいつもこうだ。頼まれ事を断ったところを、樹は見たことがない。
「ただ、俺、字が下手なんですよ」
「なら、私が書きましょう」
書道教室の老エルフが、初めて口を開いた。
「おお、助かります。いつまでにできます?」
「そうですね」
老エルフは少し考えた。
「秋には」
「祭り、来月ですよ」
「では、急ぎます」
会合は結局、二時間半かかった。
決まったのは、抽選のやり直しと、案内板を作ることの二点だけだ。看板の文字は老エルフが書き、板は誠司が用意し、設置は当日の朝に全員でやる。それだけのことに、二時間半かかった。
「疲れた……」
会長が帰り際にそう漏らした。
「毎年こうなんですか」
樹が聞くと、会長は力なく笑った。
「毎年こうだよ。でもね、これでいいんだ」
「そうなんですか」
「三十年前はもっとひどかった。エルフとドワーフが同じ席に着かなかったからね」
会長は靴を履きながら続けた。
「今は同じ席で怒鳴り合える。進歩だよ」
樹は、その言い方が少し気に入った。
三日後、誠司が板を仕入れてきた。
思っていたより大きい。高さは千夏の背丈ほど、幅は両手を広げたくらいある。
「でかくないですか、これ」
「でかい方が読めるだろ」
「運ぶの誰ですか」
「千夏」
「私かよ」
千夏は文句を言いながら、板を軽々と持ち上げた。ドワーフの腕力は、こういうときに便利だ。
「で、これどこ持ってくんだ」
「書道の先生んとこ。商店街の三丁目」
千夏が板を担いで店を出ると、通りの人が振り返った。二十歳の女が、自分の背丈ほどの板を片手で持って歩いている。境見町ではよくある光景だが、他所から来た観光客は驚くらしい。
「千夏さん、持ちましょうか」
「お前に持てるか、これ」
「……無理ですね」
樹はあっさり諦めて、代わりに道具箱を持った。
書道教室に着くと、老エルフが庭で水をやっていた。
「おや、早いですね」
「早いですか?」
「三日で持ってきましたか」
「急ぎって言ったじゃないですか」
「ええ、急ぎです」
老エルフは板を受け取って、しげしげと眺めた。
「良い板です。これは、何年か寝かせた方が」
「来月です」
「来月ですね」
千夏が念を押すと、老エルフは残念そうに頷いた。
「では、明日書きます」
「明日でいいんですか」
「急ぎですので」
この人にとって、明日というのは相当な急ぎらしい。
「先生、ちょっと聞いていいですか」
帰り際、樹が尋ねた。
「なんでしょう」
「エルフの人って、急ぐの嫌いなんですか」
老エルフは筆を並べながら、少し笑った。
「嫌いではありません。ただ、急ぐと下手になります」
「あ、字がですか」
「字もそうですし、大抵のことがそうです」
老エルフは一本の筆を手に取った。
「私は三百年ほど字を書いていますが、上手くなったのは、待つことを覚えてからです」
「三百年」
「はい。最初の百年は、下手でした」
樹は、返す言葉が見つからなかった。
「ですが」
老エルフは筆を置いた。
「三日で板を持ってくる方々のおかげで、この町の祭りは毎年開かれます。私だけなら、まだ一度も開けていないでしょう」
「……」
「どちらが正しいという話ではありません。両方要るのです」
樹はその言葉を、しばらく考えていた。
翌日、看板ができた。
誠司が受け取りに行って、店に持ち帰ってきた。カウンターに立てかけると、店の半分が塞がる。
「うわ、上手いな」
千夏が声を上げた。
板には、太い墨で「奥にも店あります」と書かれていた。
「……それだけ?」
「それだけだな」
「三百年書いてる人が書いた字が、これ?」
「上手いだろ」
確かに、上手かった。ただ、内容が身も蓋もない。
「これ、ちゃんと伝わりますかね」
樹が言うと、誠司は板を眺めながら答えた。
「伝わるだろ。奥にも店あるって書いてあるんだから」
「まあ、そうですけど」
その日の夜、店に来た蜂谷が看板を見て吹き出した。
「なんだこれ」
「祭りの案内板です」
「案内板ってのは、もうちょっとこう、あるだろ。『特設会場はこちら』とか」
「奥にも店あります、の方が分かりやすくないですか」
「分かりやすすぎるんだよ」
結局、その看板は祭り当日まで店のカウンター横に立てかけられ、来る客来る客に笑われることになった。
閉店後、樹は看板の前でしばらく立っていた。
太い墨の線が、板の上を真っ直ぐに走っている。跳ねも払いも、迷いがない。三百年書いてきた人の字だ。
書いてある内容は、奥にも店あります、である。
「なあ、樹」
千夏がモップを持って通りかかった。
「何見てんだ」
「いえ。すごいなと思って」
「字がか」
「字もですけど」
樹は看板を見たまま言った。
「エルフの人が書いて、ドワーフの人が運んで、人間の会長がまとめて、店長が板買ってきて」
「そうだな」
「それで出てきたのが、これなんだなと思って」
千夏は看板を眺めた。
「奥にも店あります、な」
「はい」
二人はしばらく黙って、その板を見ていた。
「まあ、伝わるだろ」
「伝わりますね」
千夏はモップを動かし始めた。
樹は店の明かりを落として、外に出た。七月の夜は蒸し暑く、商店街の方から祭りの準備の音が、かすかに聞こえていた。
来月、この板が奥の区画の入口に立つ。
二時間半の会合と、三百年の筆と、片手で板を担ぐ腕から、それは出来上がっていた。
【境見町 異文化生活マナー帳 第十条より】
エルフとの待ち合わせに遅れていいのは三時間まで。
今回もお読みいただきありがとうございます( ˙꒳˙ )
夏祭りの実行委員会でした。
屋台の並びを決めるだけで二時間半かかります。
エルフは「五年後には良い並びが見つかる」と言い、
ドワーフは「来年じゃ遅い」と机を叩きます。
人間の会長が間に立って、胃を痛めます。
三十年前は、同じ席にも着かなかったそうです。
今は同じ席で怒鳴り合えます。
会長いわく、進歩だそうです。
三百年書いている書家の字で、
「奥にも店あります」
──うん、シンプル・イズ・ベスト。
次回、夏祭り本番です。




